エス、エフ
SATISFACTION FRUSTRATION


STUCK FLUKE

 変な奴だと思っていた。からかうと面白い、変な奴。だがそれだけだ。他人を揶揄して嘲笑うのは、そこに愉快さを感じる清次の性分が習癖とした、ルーティンワークのようなものだった。つまり、中里をいくらからかって面白がってみても、清次に深い意識はなかったということだ。
「お前も来るか?」
 その時でもそうだった。偶然手近に都合の良さそうな人間、中里がいたから誘ってみたというだけで、深い意識はどこにもなかったのだ。
「は?」
 くどめの顔に、分かりやすく不可解さをにじませた、清潔そうに見えて、致命的な泥臭さと野暮ったさを漂わせている男、その黒いR32のドライバー、中里毅は、清次をリベンジ対象として、清次のホームであるいろは坂に通ってきている群馬の走り屋だった。
 清次としては、自分が負かした相手など、それも印象に残るほど遅い奴など、本来どうでもよいものだった。興味もない。しかし、いくら無視してやってもへこたれず、いくら軽蔑をし侮辱をしてやっても、気迫を失せず熱意を剥き出しに、走り屋として真正面から堂々と、辛抱強く取り付かれ続けると、鬱陶しいと感じながらも追っ払うのも面倒になってきて、結果、清次は中里の初来訪時の即日再戦の申し込みは拒んだものの、中里がいろは坂で、他の走り屋を追随させないほどの走りを見せられるようになったなら、リマッチを受け入れることを、根負けする形にて、渋々約束していた。
 そんな風に中里は、月に二、三度、群馬くんだりから栃木まで通ってくるようになった。最初、本当に思っていたことは、鬱陶しい、それだけだ。自分の興味のない人間に執着されたところで、喜べるほどの無尽蔵な他者への関心も、愛への欲求も、清次は持ち合わせてもいなかった。だが、中里と直接話しているうちに、変な奴だが面白い、と思ったのだ。それはどうも、抜け目のある男だった。清次の属する走り屋チーム、エンペラーのリーダーであり、いろは坂最速と誰もが認めるランエボ使い、須藤京一に対して、逐一挨拶を欠かさない、真面目で義理堅いところもあるのだが、清次が無意識的に見くびる姿勢を取るだけでも、喧嘩腰でかかってくる、短気で柄の悪いところもある。その独特な実直さと野蛮さのバランスは、取れているようでそうではなく、少し突っついてやるだけで、簡単に困惑や動揺を見せてくる。中里は、そういう抜け目のある男だった。それが変で、面白かった。いつからか清次は、中里が来る度に、自分から近づくようになっていた。鬱陶しいという思いは、もうどこにもない。
 つい先日、ここで一人のクソ生意気な、ガキのドライバーに負けた時は、調子が悪かったとはいえ、京一以外の人間に屈してしまったショックもあったが、自分をリベンジ対象としている中里がどう見てくるかという、不安も多少あったほどだ。だが実際、生意気なガキがその後、藤原拓海、京一をも破った大物然としたハチロクのドライバーに負けた展開まで含めて、話してみると、中里は、人を侮るでも、見下すでもなく、かといって同情するでも、慰めるわけでもなく、最後にただ、岩城、次は俺が、お前を負かしてやるよ、と、挑戦的な笑みで言ってきたから、清次にしても、精々無駄な努力をしとくんだな、と、笑いながら返してやれた。それで何となく、気が晴れた。
 そうやって幾度となく、あるいは喧嘩腰の、あるいは他愛のない、あるいは真剣な会話をもっても、清次が中里のことを、からかうと面白い変な奴、それ以上のものとして捉えることはなかった。それ以上を意識しようとしたことが、なかったのだ。
「聞こえてたろ、今の電話。知り合いにカラオケ呼び出されたんだよ、んで野郎が足りねえって言うからお前も来るかって話だ、どうせおごりでタダだしな」
 だから、峠から帰ろうとしたさなか、携帯電話で古い仲間から懇願されて、その話に中里を誘ったのも、深い意識などあるはずがなかった。すぐ傍に今の今まで話していた、野郎である中里がいたから、声をかけてみたというだけだった。
 カラオケ、と中里は、まだ不可解そうに呟いてみせる。その反応の遅さに付き合うのも面倒で、用事がねえなら来てみろよ、女もいるぜ、と言うと、数秒後、しかめた顔を赤くして、いや俺はそんな、ともごもごし出したので、清次はそれを、了承の返事と受け取った。

 女の知り合いは、昔から多い。そんなマフィア顔で何で、だの、そんなチンピラ態度で何で、だの、お褒めの言葉をいただくこともあるが、多いものは多いのだ。なぜか皆、揃いも揃って馴れ馴れしく、遊びに誘われる機会は当然、頼み事をされる機会まで多かった。便利屋扱いされているのかもしれないが、嫌なことや面倒なことは断っているので、負担はない。
 そういう知り合いの中には、付き合ってもいいよ、と言ってくる女もたまにいる。その都度清次は、俺は良くねえよ、と言い返す。女に興味がないわけではない。セクシーな女はむしろ、毎夜おかずにできるほどの大好物だが、どれだけセクシーな女であろうとも、馴れ馴れしく便利屋扱いしてくるような知り合いと、関係を持とうという気にはならなかった。何というか、そそられないのだ。それに、職場と家と峠の往復に、愛車のエボ4の管理だけでも十分人生が満ち足りている現状で、その辺の女とヤるだけならともかくとして、デートをするような時間までは、取ろうという気にもならなかった。

 だが、女不足も取水制限並らしい中里にとっては、色々と違ったのだろう。カラオケルームに入った瞬間、唖然としていた。女六人に男三人。女は師走もまっただ中だというのに、スカートやホットパンツの端から、適度に肉のついた太ももを、さらけ出していた。
「清ちゃん、おっそーい」
 流行りの女性アーティストの曲を唄っていた、うねうねした金髪、ごてごてした目元の女の、マイクを通したわざとらしい、舌足らずで不満げな声が飛んでくる。
「なァにがおそーいだ、飛ばしてきたんだぜ」
 マイクを通さずして同じような声量で言い返してやり、開いたドアの手前で止まっている中里に、さっさと入れよ、と言うと、たじろぎを見せながらも、中里は靴を脱いで室内に上がった。

 女の一人がトイレに立つ。空いた席に、清次は素早く身を滑らせて、右に座る男の様子を見た。足を開いて座り、その間で手を組んで、テーブルの下に頭が入りそうなほど、深く俯いている。その剥き出しの耳は、照明が落とされている中でも、赤く見える。おい、と声をかけてみるが、反応はなかった。微動だにもしない。あれえ、と、左にいる女が素っ頓狂な声を上げる。
「寝ちゃったー?」
「あんだけどかどか飲ませりゃあ、そりゃ潰れるだろうよ」
 清次の右に座る中里は、そんな会話も聞こえていない様相だ。中里が部屋に入るや否や、新しいおもちゃが来たとばかりに真ん中に引き込んだ女たちは、次々にカクテルを頼み、混ぜ合わせ、中里に試飲という名の一気飲みをさせていた。女の前では格好つけたかったのか、女の前でまともな思考を働かせられなかったのか、あるいは両方だったのか、中里は一つも唄わずただただ皆の要求通りに飲み続け、十二杯目あたりでお陀仏したようだった。
「だってえ、飲みっぷりいいんだもーん。えーと、赤崎君?」
「中里だっての。ったく、後始末すんの俺だぜ。めんどくせえなあ」
 中里を知っている人間は、このカラオケルーム内では清次だけだ。そして中里のGT‐Rは清次の家の駐車場にある。どうせ通り道だからと、置いていかせたのだった。中里が飲む分にも、家に泊まる分にも、構わないとは思っていた。これまで二度、仮眠のために、寝床を貸してやったこともあるし、中里に注意が集まれば、車乗りでも構わず押しつけられる、チャンポン一気飲みのお鉢も回ってこないだろう、という計算もあった。その計算通りにいったというか、そうじゃないというか、ともかく面倒に思いながら、清次は微動だにしない中里を眺めていた。
 京一の厳しい顔が、頭に浮かぶ。大して速くもない中里のことを、京一はそれなりに気に入っているらしい。中里をからかい倒した日には、ほどほどにしとけよ、と小言を頂戴することもある。こんな状態にしたと知られれば、冷たい視線は食らうだろう。放置したともなれば、張り手まで食らうかもしれない。それは嫌だし、他の連中に、前後不覚になった中里をいじらせるのも何となく癪だから放置はしないが、意識のない大の男を家まで連れて帰るというのは、やはり面倒だ。清次がそうやって考えていると、でもォ、と隣に座った猫面の女が、体をすり寄せてくるようにして、反対側にいる中里を覗き見た。
「結構可愛いよねー、中里君」
「はあ?」
 女の言葉に、本気で耳を疑った。可愛い?
「ねえだろ、そりゃ」
「えー。だって、すぐ真っ赤になるし、何でも言うこと聞いてくれるしー」
「お前は言うこと聞く野郎なら、誰でもいいんじゃねえか」
「やっだー清ちゃんひっどーい、もー」
 女がなぜか照れ臭そうに片手で顔を覆いながら、片手で肩をばしんと叩いてくる。加減はないが、所詮は女の力だ。それで叩いてくる方がひでえと思うんだけどよ、足りない野郎の唄っているフラカンに掻き消されない程度の声で清次は言ってウーロン茶を飲み、俯いたままの中里を改めて見た。
 可愛いってか。
 考えたこともなかった。可愛い。中里が。男だぜ、おい。それもいかにも田舎のしいたけ農家という男だ。いや、別にしいたけとも限らないが、それに農家ではなく何かの工員だった気もする。いや農家だったろうか。実家が農家とか言っていたのか。親戚だったか。シラフなのに、どうも思考が定まらない。可愛い。んなわけねえだろ、こいつが。そこを堂々巡りする。
 中里は俯いたまま動かない。カラオケルームの喧騒から隔絶しているようなその寝姿を、清次はぼんやりと目の端に入れ続ける。

 大の男をおんぶして店から出て、駐車場に停めてあるエボまで運んだ。結局お開きになるまで中里は覚醒しなかった。今も乱暴とまではいかないが、さほど気を遣わずに助手席に放り込んだのだが、起きた様子はない。
 めんどくせえな、思いながら清次は中里にシートベルトをかけ、運転席に回って車を発進させた。後部座席には女が二人、帰り道が同じ奴だけを乗せてやった。散々飲んで騒いでおきながら、きゃんきゃんと甲高い声で世間話を交わしている。元気な奴らだ。
 一人を降ろしてもう一人の家。中に誘われたが、そういう気分ではなかったし、中里の安全を確保しておかないと、後々京一に何を言われるか分かったものではない。いや、今日は帰る、そう断ると、紳士だあ、と笑われたので、俺はいつでもジェントルマンだぜ、とうそぶいてみた。
「なァにが」
 シートに座って独りごち、助手席を見る。中里はシートベルトにしなだれかかっている。念のため首に手を当ててみたが、頚動脈は脈打っていた。こっちはいいご身分だ。ため息を吐いて、ギアをローに叩き込んだ。
 十分もせず、自宅の駐車場に着き、車を停め、エンジンを切って、外に出る。助手席側に回りドアを開けて、中里の体を支えていたシートベルトを外し、担ぎ出そうと、体を近づけた。脇の下に腕を通して、背の後ろで組む。そこで、止まっていた。中里の、斜めに落ちかけている顔が、目の前にあった。アルコールに浸かりすぎてぼやけた顔だ。抜け目のありすぎる顔。ライトに照らされた以上にてらてらとした赤い肌、はらはらと下りた前髪、緩まっている太い眉の下の、柔らかく閉じられた目の、腫れたまぶた、濃いまつげ。肌より生々しく赤い唇は、だらしなく開いていて、白い歯を覗かせている。
 じっと、見ていた。見ているうちに、自分の心臓の音が耳元で大きく聞こえ出し、清次はびくりとした。
 可愛い。ありえねえ。そうか? 泥酔して、寝こけている顔。だらしのない、間抜けな顔。それを見て、どきどきしている。可愛いからだ。
 清次は中里をシートに捨てるように放り出し、その場にうずくまった。何考えてんだ俺は、と頭を抱える。鼓動が暴走し始めて、一滴もアルコールを入れていない体が一気にかっと熱くなる。やべえ、思う端から、頭の中にはぐるぐると、今まで見た中里が現れては消える。しつこく真っ直ぐ向かってきた中里、下半身の話題を出すだけでしかめ面を朱に染めた中里、孤独を感じさせない佇まいで一人峠を眺めていた中里、自信を露わに笑ってみせた中里。すぐに変わるその表情。低くかすれた声の調子。一目で気分が分かる体の動き。穴だらけな安定感。何もかも、可愛い。いつだって、可愛かった。
 後ろで括った髪がぱたぱた鳴るほど勢い良く頭を左右に振ると、清次は立ち上がった。中里の顔を見ないように、素早くその体を肩に担ぎ上げ、車をロックし、大股で部屋へと歩きながら、冷静になれと自分に言い聞かせる。こいつは中里だ。中里毅。女にモテないくどい顔の男。抜け目の多くて暑苦しい走り屋。可愛らしさとは縁がない。可愛いわけがあるはずない。
 繰り返し思いながら、中里をベッドに仰向けに寝かせ、居間に下がろうとした。今夜は中里ごと、寝室を封印するつもりだった。
「……岩城……」
 ドアを閉める前に、後ろから掠れた声がした。それに清次は立ち止まり、振り向かずにはいられなかった。ベッドの上で、中里は仰向けのまま首をひねり、こちらを見上げているようだ。一度見返してしまった手前、無視もできず、とりあえずベッドの横まで戻り、起きたか、と声をかけると、上半身を起こした中里が、聞き取りづらい声を出してきた。
「どこだ、ここ……」
「俺ンちだよ。お前が潰れたから、運んできたんだ。覚えてねえか?」
「……そうか……ああ、そうか……」
 曖昧に中里は頷き、額に手を当てる。電気を点けていないから、顔がよく見えないのは幸いだが、沈黙がいやに恐ろしく、吐き気はねえか、と会話を続ける。
「あるなら便所に連れてくぜ、ここで吐かれたら困るしよ」
「ああ……いや、それは、大丈夫だ。手間、かけたな」
「安心しろ、借りはきっちり返してもらうからな」
 当然のように言ってやると、中里は前髪を後ろに撫でつけて、それが下がりきらず額にはらはらと落ちるタイミングで、ああ、と、笑った。それはなぜか、暗い中でもよく見えた。疲労に侵略され、無防備に緩まった顔に浮かんだ、素直な、それでいて、はにかんだ笑み。見た瞬間、思考が止まった。顎の神経が興奮でひりついた。自己ベストを更新した時のような、難しいバトルに勝利を収めた時のような、京一に技術を褒められた時のような、地元の仲間と上機嫌につるんでいる時のような、だがそれらとは歴然と違う、舌に、熱を求めさせる、興奮だ。
 気付けばベッドに上り、中里に馬乗りになっていた。間接照明を点けると、シーツに押さえつけた中里が見上げてくる、窺うような表情がよく分かる。それを見下ろすだけで、ぞくぞくとした。全身の神経に、興奮が走った。
 ああそうだ、中里を見下ろしたまま、苦さと嬉しさを半々に感じながら、清次は思った。可愛いんだよ。こいつは可愛い。男臭くて抜け目が多く、からかうと面白い、変な奴。そいつは変なくせに、可愛いくって、たまんねえんだ。意識してしまうと、止まらなかった。清次は中里に覆い被さりキスをした。

 逃げられないように、顎から頬を右手で掴んで押さえつけ、開いた口に舌を突っ込む。似たような、だが自分よりも熱いような、ぬるりとした中里の肉と粘膜が心地良く、何も考えずに、それを貪っていた。
「んっ、んん」
 鼻から焦ったような声を出しながら中里は、両手で清次の肩を押し上げようとする。女よりも力ないそれには構わずに、清次はキスをし続ける。ヤニ臭く酒臭い、生えかけのヒゲが擦れるキス。そんなもの、吐き気が催されても不思議ではない。だが、どぎついアルコールの匂いに混じる、汗と皮脂のつんとくる臭いや、ざらざらと擦れる肌、厚い舌、ぬめる唾液、熱い粘膜、それらを中里のものとして感じると、むらむらして、たまらなかった。劣情が、催されていた。
 やべえな、完全に、キてんじゃねえか。大してやばくも感じず思いながら、歯茎の裏側を舌先で左右になぞると、中里が肩に当てていた手を、叩くことに使い始める。だが泥酔しているせいだろう、その威力はやはり残念で、肩叩きに及ぶかどうかというレベルだった。とはいえ今後、頭を小突かれたり耳を引っ張られたり、効果的な攻撃を思い出されては面倒なので、清次は中里の両手を取ってシーツに押しつけ、キスを続けた。
「ん……ぅ、ん……」
 舌を吸い、唇を食み、唾液を飲ませ、中里のねっとりと柔らかい口内、鼻にかかった甘い声を感じるうちに、股間がむずむずとしてきて、下にしている中里の股間に、擦りつけている。そうすると、ますます昂ってきて、もっと腰を使いたくなる。互いのそこを覆う布を取っ払い、口の中よりも硬く熱いだろう中里の肉の中に、入っていきたくなってくる。ああクソ、ヤりてえな。いや、もうヤってんのか、思い、一旦口を離した。
「っ、はあっ……」
 中里は、はあはあと喘ぐ。酸欠のような有様だ。顔は弾けんばかりに赤くなっていて、目はとろんと半開き、口はしっかりと開き、必死に空気を吸っては吐き出している。苦しそうな、切なそうな、ヤってるような顔だった。そそる、顔だった。たまらない愉悦が背筋を駆け抜け、清次は笑っていた。息を整え、唾を飲み込んだ中里が、ぼんやりしていた顔に、さっと険を走らせる。
「……てめ、何」
 手の下に敷いていた中里の手が、逃げようと動く。清次はそれを解放し、しかし二の腕の上から腕を回して背中に抱え込むことで、再び戒めた。そうしておいて、中里の耳に、口を寄せた。
「悪いようにはしねえよ」
 なあ、と囁き耳朶を舐めると、ひっ、と中里が身を竦ませた。そのまま音を立てて軟骨をねぶりながら、シャツの下に手を潜り込ませ、立てた指で背中を撫でると、中里の体はびくびくと活きの良い魚のように跳ね、その口から小さい悲鳴が次々上がる。
「やめっ……やっ、あ……」
 敏感だ。泥酔状態でこれなら、シラフならどうなのか、考えるだけで、清次の股間は張り詰める。たまんねえな、と思う。酔っぱらいを抱く趣味はない。マグロも甘ったれも勘弁だし、ましてや男。だが既に息子はビンビンだ。酔っていてもこんなに敏感で、甘えさせたくなるほど可愛い奴なら、男だろうが何だろうが、このままもっととろとろに感じさせて、よがらせて、ねだらせて、ハメてしまいたくなるものだった。
「いいだろ?」
「ひっ、い……」
 耳への問いに返ってくるのは、すすり泣きに近い悲鳴だ。体の動きも弱々しくなっている。抵抗される可能性が減ったとを判断し、清次は耳をしゃぶっていた口を、顎から首へと下ろしていき、背中に回していた手は前に戻し、シャツを胸までまくり上げた。さらした乳首を指の付け根で払うように擦る。それがほどよく立ったところで、鎖骨を吸っていた口を、そこに移し、左側を、唾液をぬめらせた。
「あっ、あ」
 中里の、良い声が上がる。唇の内側で、ぬるぬるとさせながら、舌で先端をちろちろと舐めれば、乳首はますます勃ち上がるようだった。右側は、指で挟み込み、先端を指の腹で浅く撫でる。
「ふっ、う、う」
 ここでも感じるらしい中里は、再び体をびくびくと跳ねさせる。解放してやったその手は、口元に当てられているが、声を抑える役には立っていないようだ。左の乳首を強く吸い、ちゅぱっ、と音を立てて離すと、下に敷いている中里の股間が、大きくくねり、もたげられた。それに突かれるように、清次は上半身を起こした。中里は目をつむり、身を縮こめて、泣くように喘いでいる。顔も、胸も、真っ赤になって、汗はところどころで玉となって、肌を艶めかせていた。先に進んでも大丈夫だろうと思わせる、中里の熟し具合だった。清次はサイドテーブルの引き出しから、ローションとコンドームを取り、それを一旦シーツに置いて、中里のジーンズを、下着ごと引っぺがすように脱がした。
「い、岩城……」
 下半身を丸出しにしてやると、さすがに気恥ずかしくなったのか、あるいは現実感に襲われたのか、股間を両手で覆った中里が、不安げに名を呼んでくる。清次はその手をまとめて上へと押しやって、現れた下腹部を少し眺めてから、その深く濃い陰毛の下、少しばかり大きくなっている、そもそもがご立派なペニスを掴み、揉むようにしごいた。
「待っ、やめろッ」
 その途端、中里が叫んだ。

 はっきりとした、制止の声だった。行為を突然邪魔された苛立ちから、あァ?、と清次は凄んでいたが、中里はそれでも清次の手をがっちり掴むと、やめろ、と繰り返す。その力は所詮、女よりも弱いものだから、何言ってんだよ、と笑いながら、清次は構わず中里のペニスをしごく。
「これが一番いいんじゃねえか。もう勃っちまいそうだろ」
「やっ、おい、離せ、離せよ……」
 その声に含まれた、奇妙な痛切さに、清次はふと動きを止めて、中里を見下ろした。皺を刻んだ顔、脂汗の浮いた肌。小刻みにくねる腰、擦り合わせられる内もも。苦しそうな姿だ。何かを我慢している姿に見えた。
「小便か?」
 思いついて聞くと、目をつむった中里の顔が、一層赤くなったようだった。当たりらしい。中里は、尿意に迫られているのだ。あれだけ飲んでおいてろくにトイレに行っていなかったのだから、近くなっても当然だろう。痙攣するように歪む顔と、もぞもぞと動く下半身を見るに、それもかなり、近いようだ。トイレに行かせないと、ここで漏らしてしまうかもしれない。そうなると後始末は面倒だが、トイレに行かせた結果、気分が冷められても面倒だ。中里のペニスを確保したまま、どっちがより面倒ではないのか、考えながら清次は周りを見た。サイドテーブルの上に、2リットルのペットボトルを置いてある。飲みかけの緑茶だ。飲みかけといっても、もうあと二口程度しか中身は残っていない。ほとんど空の、ペットボトル。
 清次は右手から力を抜いた。すると、その手首を掴んでいる中里も、力を抜く。解放された手を、サイドテーブルに持っていく。容器の重さしかないような、角型のペットボトルを取り、キャップを開ける。下半身で下半身を敷いてやっている中里は、逃げたそうに横向きになり、細かく身震いしている。そのシーツに半分ついているペニスの先端に、ペットボトルの飲み口を当てて、ずれないように手を添えた。
「出せよ」
 膀胱に留まっている尿を絞り出すように、ペニスの裏筋を指でなぞりながら、清次は言った。中里は、驚いたように目を見開いて股間を見、小さくかぶりを振る。
「む、無理だ、トイレに……」
「そんななりして何言ってんだ、途中で漏らすのが目に見えてんぜ。どうせ出すには変わりねえんだから、さっさとしちまえ、ほら」
 トイレで冷められたり、ベッドを濡らされるよりは、ペットボトルに出してもらった方がよっぽどいいからそう促すも、中里は頭を横に震わせたまま、力なくあがこうとする。酔っていても、ベッドの上でペットボトルに放尿するのを躊躇するだけの、羞恥心は残しているらしい。そんな健気な姿にはそそられるが、それで勃起しきった自分のものが暴発してしまっても虚しいので、清次は先に進むために、中里のペニスを掴んでいる手の付け根で、膀胱のあたりをぐっと押した。
「あっ」
 限界はやはり、よほど近かったようで、その一押しだけで、中里のペニスは尿道口から尿を放出し始めた。最初は少しずつだったのが、やがて蛇口を全開にしたような勢いで、ばたばたと、ペットボトルに黄味がかった液体が激しく打ち付けられる。その手応えと、薄いプラスチックから伝わる生ぬるさを感じながら、清次はそれを出している中里を眺めた。
「ああ、あ……」
 恥ずかしげに、泣きそうに歪んだ顔は、放尿の快感にうっとりとしているようでもあって、か細く震えた声と合わさると、何とも言えない、エロいものがあった。まったくもう、ぞくぞくする。もしかしたらと、途切れ途切れになっていく中里の小便を音と手で感じながら、清次は思う。こういう顔や声の片鱗を、少しでも味わいたくて、今までこの男を、からかっていたのかもしれない。幾度傷つけても何もなかったように立ち向かってくる、泥臭い根性を持った強気で頑迷な男の、隙だらけな面が見せる、弱く、情けない表情。そこに自分は最初から、面白さとともに色気も感じていたからこそ、興味もなかった中里を、傍に置くようにしたのかもしれなかった。
 勘が鋭いよな、俺は、清次が内心で自画自賛しているうちに、中里は放尿し終えた。しずくが切れたのを見計らい、ペットボトルを外してキャップをし、寝起きに間違って飲まないよう床に置いてから、サイドテーブルのティッシュを取って、中里の、小便とわずかな先走りに濡れたペニスを、ティッシュで拭く。
「……岩城ぃ……」
 丸めたティッシュをゴミ箱に放ると、かすれ切った声がした。あ?、と見下ろすと、中里は、太い眉を八の字にしながら、黒々とうるんだ目を向けてきた。
「も、許してくれぇ……」
 許すも何も、清次に仕置きをしているつもりはない。そうしなければならない理由はないし、今のはただ単に、ヤるための障害を取り除いたというだけだ。だが、酔いと羞恥とで錯乱してしまったような中里は、すべてを責め苦と受け取ったのか、きゅうきゅうとした顔と声で、許してくれ、と繰り返す。それはまた、嘲笑いたいほどみっともなく、抱き締めたいほどいたいけな態度だった。
「もう少し、我慢しろ。そうすりゃ許してやるからな」
 頭を撫でてやりながら、自分でもぞっとするような猫撫で声で清次が囁くと、中里はつむった目から涙を零して頷いた。

 ローションと指で、中里の尻を解す。そうしながら、すっかり萎んだ中里の、それでもなかなか大きいペニスを優しくしゃぶった。小便の匂いがするそれを咥えるのに、嫌悪感が一つないのが、清次には不思議なものだった。数年前、ニューハーフと軽く付き合っていたことがある。そいつは下の工事はしていなくて、入れる場所がないわけではないから別にそれは構わなかったが、さすがに前を咥えてやりたいとは思えなかった。サービスとかいう名目で、尻に指を入れられて丁寧に射精に導かれた時でも、快感の底に漂う、内臓を探られる気持ち悪さは拭えなかった。もしそのまま突っ込まれそうになったら、ヘッドバッドをかますのに、迷いも持たなかっただろう。
 中里が、そこまで嫌がるかは分からない。だが、そんな不快な思いは、できるだけさせたくなかった。そのために、ペニスをしゃぶることに、ためらいがないのだ。結局ヤりたいかヤりたくないかというのは、素質と愛情の問題なのかもしれない。素質がなければ感じられないし、愛がなければ尽くせない。中里に対して、清次のその二つは今、最大公約数的に、シンクロしているようだった。
「ん……ん、ふ……」
 膝を立てた足を突っ張って、むず痒そうに腰を浮かせながら、鼻から気持ち良さそうな声を上げる中里は、清次が口と指で、それぞれ前と後ろの性感帯を刺激する度に、たまらなそうに清次の頭を掴んでくる。その指が、後ろで括っている髪を引き出すように動くと、頭皮にいちいち痛みが走るのだが、清次はそれを中里の快感の証と受け取って、いっそ陶然と、行為を続けた。
 徐々に中里の尻は緩んでいき、清次の指を二本、三本と呑み込んでいく。その割に、口の中の中里は、柔らかさを保持したままだった。他人に尺八をすることなど初めてだから、清次も技巧があるとは言えないが、肌をくすぐるように撫でただけで、甘い声を上げ、体をくねらせるほど敏感な男が、性器にさほど反応しないのは何とも妙な具合で、酔いすぎてんのもつまんねえな、清次はそう思ったものの、じゃねえと襲えてねえからまあいいか、俺がハメられるわけでもねえし、と思い直し、ほどよく緩んだ中里の尻から指を抜いた。
「んっ……」
 放尿を思い起こさせるような、エロい身震いを中里はしてみせた。それにもう我慢ならなくなって、清次は上下の衣服を脱ぎ捨てて、ついでに半分以上解けた髪からゴムを外すと、行儀悪く待ち続けていた自分の息子に別のゴムをつけ、ローションを追加したそれを、中里のひくつきが見える尻穴にあてがってから、しかし少し考えた。ここでヤッてしまえば中里は、酒が抜けた後には、殴りかかってくるだろう。あるいは殺しにかかってくるかもしれない。だが、逃げていくことはないはずだ。走り屋としてのプライドに、変な形でこだわる男だから、こちらへのリベンジを果たすまで、関係は絶てないに違いない。勝ち続ければ良い。そうすれば、中里は、こちらのものだ。
 中里を気に入っているらしい、京一に知られた場合の被害には不安もあるが、半殺しくらいなら覚悟ができるから、何にしても、問題はない。清次は呼吸二回分の間に、そういったことを考えて、中里に挿入した。

「ぐっ、う」
 緩めたといっても、排泄物をせき止める役割を担う場所だ。抵抗は強く、中里は呻き、清次も歯を噛みながら、それでもローションのぬめりを利用して、根元近くまで一気に突き入れた。
「ぎいっ……」
「くっ……」
 ぴんと背を反らした中里の、すさまじい締めつけが、清次を襲う。動きようもないほど、痛みを覚えそうなほど窮屈だが、それだけに、とても大切に食いつかれているようでもあって、噛んだ歯の間から、充足の息が漏れた。これが、中里だ。中里に突っ込んでいる。誰も割ったことがないに違いない、その尻に、入っている。内臓に触れている。取り囲む粘膜。ぎゅっと咥え込んでくる筋肉。それを味わうと、勃起しきったはずのペニスがますます膨れるようで、清次はしばしその不自由で特別な快感に浸った。だが、ずっとそうしているのもつらいものがあるので、清次は体を強張らせ続けている中里に被さって、おい、と言った。
「力抜け、動けねえ。こんなんじゃ、お前だってきついだろ」
「気持ち、悪ぃ……」
 話を聞いているのかいないのか、どこか遠くに視線をやりながら、中里は実に気持ち悪そうに、顔を歪めてそう言った。心なしか、顔が青白くなっている。
「大丈夫だ、すぐ慣れるからよ」
 根拠もなく清次は言い、中里の頬にキスをして、その体をそっと抱き、ゆっくり背中をさすってやった。折角締まりの良い場所に入れたのだから、さっさと腰を振るってしまいたいが、繋がったまま嘔吐物を身に受ける覚悟は、清次にもまだ備わっていなかった。そのまま体を寄せながら、慰めるように背中をさすり続けていると、中里は絞っていた呼吸を穏やかに取り戻し、全身の緊張を、ある程度解いた。
「大丈夫だろ?」
「……ああ……」
 相変わらず、話を聞いているのかいないのか、中里の目は遠いが、清次はその単なる吐息のような相槌を、持ち前の楽観性から正確な肯定と捉え、じゃあ動くぜ、と、返事も聞かずに抽送を始めた。
「うっ……あぁ……」
 苦しげに呻き、白い顔にしわを刻んだ中里が、清次の背に腕を回し、肩甲骨に指をかける。そんな中里の、食いちぎろうとするように締めてきながらも、全体を愛撫するように柔らかくうごめく尻を深く感じ、清次は大して動きもしないうちから、興奮に息を弾ませていた。
「はっ、おい、お前、すげえな」
「あッ、あ、あ……」
「クソ、気ィ抜くと、イッちまいそうだ」
 持続力には自信はあるが、こうも的確に刺激されると、長々堪えられるものでもない。そのくらい、気持ちが良い。他にはもう、何も要らないと思える、それほどの高揚感と、幸福感。それらがたった一人の相手に、男に、他ならない中里に、もたらされている。たまんねえな、思いながら清次は、白くなった肌に、ほんのり赤を刷き始めた中里の、空気を獲得するために開かれている口に吸いついて、たまんねえ、と声にした。
「好きだ、中里、好きだぜ」
「ひぃっ……」
 言って奥まで打つと、中里は清次の腰を足で挟みつけてきて、背中を爪で引っ掻いてきた。その痛みが、清次には中里の快感の証に思えるので、いいかよ、初めてのくせに、ケツでそんなに感じるか、忙しく囁きながら、中里の尻に一層耽溺するのだ。これを手放すのは、惜しいどころのものではない。錯乱が続いているらしい今の中里には、何を言っても通じないかもしれないが、自分の気持ちは伝えたかったし、少しは良いとも言わせたかった。イかないように気を遣いながら、イかせられるように突いていく。ジェントルマンもアリだよな、思い、視界を邪魔する髪を掻き上げて、中里の首に食いつくと、アッ、と中里が喉を反らし、短い悲鳴を放った。
「岩城、い、いっ……」
 突き出されるようになった喉を顎まで舌で舐め上げて、清次は中里を見下ろした。喘ぎながら、全身ですがってくる中里の汗みずくの赤い顔は、ピストンに合わせて切なそうに歪んでは、だらしなく緩まる。良い眺めだ。清次はにたりと笑い、焦らすように腰を引いた。
「何だ、イきそうか」
「い、いきそ、いく、いく」
「イけよ、俺もイくからよ」
 どっちみち、これ以上は堪え切れなかった。肌を擦り合わせるように密着しながら、清次は一気に腰を押し込んで、それを激しく打ち振るった。
「いくっ、あっ、あ……」
 中里が高い声で鳴き、互いの腹の間でぐにゃぐにゃと潰れているペニスから、生ぬるい液体を吐き出す。射精したのだ。イかせてやった、その達成感が痺れるような快感に変わり、清次はその後、思う存分中里を突き上げようとしたが、十秒もたずに達していた。
 射精している間も、中里の尻は甲斐甲斐しく清次のペニスを刺激して、終わった後でも離そうとはしなかった。単なる筋肉の反射なのかもしれないが、そのしつこさといったら、まるでゴムに吐き出した精液を欲しがられているようで、清次は笑いを抑えられない。耳を支配してくる荒い息遣いの中里の、快感にうっそりとした、尻と違ってまったく締まりのない顔。それはやはり、嘲笑いたいほどみっともないのに、抱き締めたいほどいたいけで、食いたくなるほど愛おしいのだ。
 下半身だけを、まだぴくぴくと動かす、茫然としているような中里へ、清次は衝動的に、深いキスをした。舌をぬるぬると絡ませて、中里が零しかけている唾液を舐め取り、飲み干してやる。奥から手前へと口内をねぶり、最後に下唇を軽く噛みながら離れて見下ろすと、中里は完全に惚けた顔になっていた。清次は笑いを抑えきれないまま、なあ中里、と、衝動的なようで、計画的に言っていた。
「俺と付き合えよ」



SUCK FUCK

 敵対心を持っていた。走り屋としての、自分を手酷く負かしてきた相手に抱く、屈辱を裏付けとする、普遍的な敵対心。だがそれだけだ。岩城清次という男、その白いエボ4のドライバー、自分がバトルでもってリベンジを果たすべき栃木の走り屋に、取るに足らない者扱いをされればむかついたし、馬鹿にされれば怒りも覚えたが、だからといって中里が、走り屋としての敵対心以上の、個人的な憎しみを持つということもなかった。
 それは、いっそ分かりにくいほど、分かりやすい奴だった。中里の属するチーム、無法者の集いがちなナイトキッズの、能天気なメンバーたちに、よく似たところがあったが、それよりも何か、削がれている感じがした。野蛮で傲慢、嫌みが冴えていて、他人に無駄な気は遣わない。だが、無駄ではない範囲では、気を遣うし、親切にもしてみせる。その範囲に、まったくぶれがないのだ。何をやっても悪びれず、ただ岩城の属するチーム、エンペラーのリーダーである須藤京一にだけは、あるいは唯一無二の相棒のように、あるいはごく親しい身内のように、あるいは至らない家来のように、命をも当たり前に賭せるというような愚直な誠心さで付き従う。いろは坂で走り、話す機会を持つ度に、うんざりしてしまうほど、徹底的におちょくってくる岩城が、それでもそういった、独自の確固たる優先順位、価値観に、一切の裏切りなく行動していることが見えてくると、その分かりにくい分かりやすさも、腹立たしいが、爽快なものとして、感じられるようになっていた。疲労がかさんだ時に、泊まってくか、と誘われて、拒絶する必要性を見出せないくらいには、打ち解けていたのかもしれない。
 だが、いくらそうやって時間を共有しても、結局のところ中里は、岩城を走り屋としてしか見てはいなかった。だから、倒すべき相手への敵対心は欠かさず抱いていても、個人的な憎しみを持つことはなかった。個人的なものとして、岩城を捉えることがなかったのだ。岩城がべろべろに酔った自分を犯してくるような、そんな無茶苦茶な欲望を持った一人の男だとは、考えもしなかったのだった。

 一応昨日、オッケーは貰ったんだけどよ、と岩城は言った。いや、今日になってたか。まあ細かいことはいいや、とにかく俺と付き合えよって俺が言ったら、お前はああって答えたんだ。覚えてねえか。岩城の部屋の寝室のベッドの上、黒く長い髪に挟まれた、その無骨な顔を斜めに見上げながら、中里は、二日酔いでガンガンと痛む寝起きの頭でもって、岩城に犯された一部始終を、一瞬にして思い出した。そうされた自分について、きっちり全部、思い出した。へべれけになりかけていたとはいえ、岩城に押しかかられて、ろくに抵抗もできなかった自分。岩城に進められるがままに、ベッドで排尿してしまった自分。尻を痛めつけられて、それで感じて達してしまった自分。岩城の告白に、ただ頷いていた自分。好きだ、可愛いぜ、と言われる度に、妙な反応をしていた自分。どの自分も思い出したくもない、なかったことにしてしまいたい、ぶっ叩きたくなるようなシロモノだったから、そんな自分をぶっ叩く代わりに、下半身が痛むせいで腰の入れられない拳を、中里は岩城の顔に叩き込んでいた。
 体つきからして、鈍重そうに見えるが、実際には身のこなしの軽い岩城なら、いくらでも避けられたはずの、斜め下から放った大振りの、フック気味のパンチだ。それを岩城は、そのまま受けた。左の頬に、そのまま受けて、唇の端から、つーっと赤いものを垂らしながら、嫌らしいくせに、妙に爽やかで、嬉しそうな笑みを浮かべた岩城は、俺と付き合えよ、中里、再び言うと、血の味のするキスをしてきた。
 その時岩城が少しでも、拳を避ける素振りを見せていたり、無理矢理犯してきたことの、罪悪感を窺わせたりしていたら、苦痛を辞さず中里は、岩城を跳ね除けていたことだろう。だが、拳を顔面で真っ直ぐ受け止めておいて、ただ優しく撫でられただけとでも言うように、無遠慮な笑みを浮かべた岩城には、ぞっとするほどの、打ち砕けそうにない完璧さがあるだけで、中里はそれにもう、反発心を根こそぎ奪われてしまったというか、自分の身に降りかかったあまりの出来事を、真面目に扱うことにも疲れてしまったというか、とにかく匙を投げるしかできなくなり、分かったからもうやめろ、と、キスの停止と交換する形にて、岩城との交際を受け入れてしまっていたのだ。
 師走が過ぎて年が明け、寒さと雪とで大方の走り屋が沈静化しても、互いに車を振り回しているのと変わらずに、そのままずるずると、付き合いも続いている。なぜこんなことになっているのか、ふとした時、例えば岩城と二人、定食屋でアジフライを食べている時や、岩城の馴染みのショップで一人、煙草を吸っている時や、自分の部屋の台所に立ち、食器を洗っている岩城の後ろ姿を、居間から見ている時などに、中里は疑問に思うのだが、その度に、岩城に容易く屈した自分の落ち度ばかりが頭に蘇り、思考停止に陥ってしまうのが、毎回だった。
 まだリベンジを果たせていない以上、走り屋としての敵対心は、変わらずあった。近いうちに、必ず一度敗北を食らわせてやるという執念は、岩城のドライバーとしての高い実力を知れば知るほどに、むしろ燃えたぎる。それなのに、個人的な憎しみは、やはり持てなかった。あれだけのことをされたのだから、憎んでやるべきだとは、中里も思う。最低でも、半殺しにしてやりゃあ良かったんだ、あの野郎。そう思っても、感情はついてこない。なら自分はどうだったのか。そういうところに、考えがいく。悪いところはなかったのか。岩城だけが悪いのか。岩城を目標として取り付きながら、岩城を正しく見ようとはしなかった自分が、岩城にそうさせたということは、ないのか。そんなわけはないとは分かっていた。悪いのは岩城なのだ。だが、あれだけの真似をしておいて、決して悪びれない、一片の後ろめたさも感じさせない岩城を前にすると、岩城に勝手を許した自分の責任がひどく意識されて、中里はそれ以上、何も思えなくなっている。自分の弱さを、愚かさを知らしめてくる岩城について、考えることを、放棄している。

 習慣的にドアチャイムを鳴らしかけて、やめた。合鍵を使って部屋に入る。靴の散らばった玄関から続く短い廊下と、リビングの床にかけては、食料品や日用品の段ボール、中身の知れないビニール袋、雑誌の束などが、無造作に並べられている。片付いているようないないような、雑然としているような整然としているような、管理人にしかどこに何を置いているのか分からない倉庫のような、いつもの岩城の部屋だった。そこに入ってすぐ、顔をしかめたくなるようないびきが聞こえ、中里が実際顔をしかめながらリビングまで進んだところ、ソファに仰向けに寝ている岩城がいた。髪は長いまま、着ているのは半袖のシャツとトランクス。暖かい部屋と、点けられているテレビ。夜勤明けと言っていたから、シャワーを浴びてソファに寝転がり、テレビを見ながらそのまま眠りでもしたのだろう。チャイムを鳴らさなくて良かったようだ。
 中里は、ソファの横に立ち、岩城を起こすかどうか考えた。考える必要はなかった。十時に来い、寝てたら起こせ、と言ったのはこの男だ。実際には、もっと懇願するような口調だったが、ともかく、起こせと言われたものを、起こさないわけにもいかない。だというのに、わざわざどうするかを考えたのは、なあ、会いてえんだよ、お前の顔が見てえんだ、と、電話で岩城に言われるままに、休みの朝からこうしてのこのこやって来た、自分の選択に疑念を拭えなかったからで、しかし結局、別の正しかろう選択肢を、具体的に考えられない以上中里は、岩城を起こすしかないのだった。
「おい、岩城」
 肩を掴んで揺さぶると、ごっ、といびきを途中で止めた岩城が、ソファ全体が揺れる勢いで、一度痙攣するように震えてから、眩しそうに目を開けた。
「……あ?」
「十時だ。時間だぜ」
「……ああ」
 岩城は何かに凄むように、ごつごつとした顔を歪めながら、のっそりと上半身を起こす。目元を手で擦り、頭を掻いて、巨大なあくび。いかにも眠そうだ。
「まだ寝てた方がいいんじゃねえか。夜勤明けなんだろ」
「あー……」
 こちらに何か、急くことがあるわけでもないし、寝ていてくれた方が、何もなくて済む。そういう思いから中里は言ったのだが、顔に手を当てて俯く岩城は、聞いているやらいないやらだ。帰っちまうか、中里は現実味もなくそう思い、何となく部屋の中を見回そうとした。その途端、不意に両肘を掴まれて、下へと引っ張られていた。
「うおっ」
 ソファに座る岩城の、開いた足の間に入る形で、カーペットの上に膝から落ちる。見上げる岩城は、まだ半分眠たげなまま、それでもはっきりと、笑っていた。
「咥えてくれよ」
「……あァ?」
「お前の顔見たら、むらむらきちまってしょうがねえ。二週間ぶりだぜ、おい、だから一回抜いてくれよ、口で。そしたらもっかい寝るからよ、後は好きにしてりゃあいいさ」
 どうせお前の口ならすぐだろ、と、嫌らしく笑いながら、岩城は軽く言うものだった。そのくせ両肘は、神経を直接痛めつけるように、強く掴んでくる。何を寝ぼけたこと、腹立たしく思っても、その的確な痛みに中里は、耐えられ続けもしない。他の人間相手には、あるいは自分一人でも、貫き通せるそういう意地を、岩城の前では、見失ってしまうのだ。
「クソ、分かったから、手ェ離せ」
「分かったか?」
「……一回だけだぜ」
 不承不承言い、睨み上げる。それもどこ吹く風で、岩城は何とも下品に、嬉しそうに笑ってみせて、一回な、と、痛みから解放してきた。

 いつだって、岩城のペニスを口に入れることへの躊躇はあった。特に、こんな午前中の、明るい場所でそうするのは、ますます恥ずかしくて、屈辱的で、居た堪れない。だが、いざ咥えてしまうと、石鹸と汗の匂いのするそれに唾液をまとわせて、じゅぷじゅぷと、はしたない音を立てながら、口と手で擦り上げることに没頭しまう。唇も、中の粘膜も、舌全体も痺れ、開いたままの顎が痛くなるほどひたすらに、岩城のペニスを、しゃぶっている。
「……ふうっ……」
 全裸になった岩城が吐息を漏らし、頭を撫でてくる。その、粗雑さと滑らかさの混ざった手つきに、ぞくりとして、奥まで含んだまま唾を飲むと、中の岩城が脈を打つ。それにまた、腰をくすぐられるような感覚がもたらされ、中里は堪えるように、浸るように目をつむり、鼻から息を吐いている。
 こうすることには、慣れてしまった。慣れようと、積極的にしていたつもりはない。ただ、岩城の指示通りに、口を、舌を、手を使っている間は、色んなわだかまりを、意識せずに済んだのだ。岩城の勃起のために集中すればするほど、頭の中は何の曇りもなくなっていく。最初は音や匂いや感触が気になるのに、次第にそれも、空っぽになった頭を、痺れさせるだけのものになる。唾液と粘膜が擦れる音も、漂い始める雄の匂いも、張り出した部分が上顎を擦る感触も、たまらなく、頭をじんじんとさせ、中里を淫らなフェラチオに駆り立てるのだ。
「んっ、く……はあっ……」
 岩城の先走りと混じったしょっぱい唾液が、唇から溢れてきたので、一旦ペニスを吐き出した。硬さと赤みと艶を増したそれは、岩城そのもののように、ごつごつと太い。手でそれを持ち上げながら、舌で横から舐め下ろし、口がだるくてうまく飲み込めない唾液を、玉にもなすりつける。そのまま先端まで、舌を戻し、割れ目からくびれをそっと舐めながら、手で幹を擦っていると、出し抜けに、股間に岩城の足が入ってきた。
「アッ」
 ジーンズの上から思いきり、中にあるものを転がすように、ぐりっと踏まれて声が出た。いつの間にか硬くなっていたものから、鋭い快感が全身に走る。我に返り、中里は咄嗟に体を引こうとしたが、その前に、岩城に肩を押さえられた。
「いいじゃねえか」
 目を開き、見上げた先の岩城は、やはり笑っている。何が、とうまく回らない口で聞けば、勃ってんだろ、と言って、またぐいぐいと踏んでくる。
「うっ、あ」
「ガチガチだぜ、フェラだけでまあ、よく感じるよな、お前も」
「や、やめろ、やめ」
「けどよ、サボんじゃねえぞ、もっと頑張れ。じゃねえと俺が眠れねえ」
 見上げる岩城は、高い頬を少し赤くしながら、楽しそうに笑うものだった。その美麗さとは縁遠い、醜い欲望に覆われた顔に見下ろされ、嘲りをぶつけられることは、屈辱でしかないはずなのに、背中はどうしようもない興奮で、粟立つのだ。
 何やってんだ、俺は、と思う。岩城のために、一心不乱に下品に奉仕して、勃起してしまった自分を、何なんだ、畜生、思いながら、中里は舌打ちし、それでも岩城のペニスを再び口に含んでいる。岩城で興奮しているような、そんなおかしな自分は頭から追い出してしまいたいし、どうせ、一回イかせてしまえば終わりだった。それで終わりにする以外、この針のむしろに座っているような状況から抜け出す方法も、中里には考えられなかった。
「……んむ……ぢゅっ、ぐっ……ん、ふ……」
 頭を前後に動かす度に、やわやわと、岩城は股間を踏んでくる。それを気にしないようにして、岩城を早く射精させるために、中里は必死でフェラチオを続けていたが、岩城の足の親指と人差し指が、器用にもジーンズのファスナーを下ろして、下着に直接触れてくると、鼻から声を上げ、体を震わさずにはいられなかった。
「んっ」
「かっ、どんだけ濡らしてんだ、おい」
 嘲るような笑いと共に、狭い隙間から入ってきた岩城の足が、親指と人差し指で、勃起しきったペニスを、下着越しに股まで挟みながら、全体を圧迫する。
「んぅ、ん」
 湿った布地と露出した粘膜が擦れて、押される強い刺激に、背骨から脳へと、太い快感が突き抜けた。それを堪えようとしても、岩城のペニスを咥えているから、歯も噛めない。飲み切れない唾液で顎を濡らし、鼻でしか呼吸ができない息苦しさと、えずいてしまいそうな苦しみと、無理矢理に与えられる快感とで、閉じた目から涙を零しながら、中里は口を締め、頭を振るしかない。すぐにでも、岩城に達してほしかった。射精して、終わりにしてほしかった。そのために中里が、なりふり構わず、短く切り揃えられた黒髪から汗が飛ぶほど、大きく速く、頭全体を振るように動かしていると、あー、クソ、と岩城が頭を鷲掴みにしてきた。
「イくぜ、中里、イくッ……」
 パンパンに膨れた岩城のペニス、その亀頭が更に膨らみ、弾けるように射精した。びくびくと幾度か震え、落ち着いたそれが、口から出ていく。鼻を刺す匂い、甘く苦い味、粘膜に絡む感触。口の中ほどに撒き散らされ、残された精液を、舌の上に集めて、それを中里は無意識に、少しの間味わってから、飲み下した。喉を通る重たい感触に、体がぶるりと大きく震える。
「んぐっ……はっ、はぁ」
 ようやく何もなくなった口を大きく開けて、思いきり空気を取り入れる。これで終わりだ。やっと終わった、安心して、そうやって喘いでいたら、岩城に掴まれたままの頭が急に引き上げられ、驚き、中里は目を開いた。見上げる岩城は、一際嫌らしく、笑っている。その顔を見て、ぞくりとすると、大人しくなっていた股間の上の岩城の足が、再び動いた。
「あっ、あ」
 嫌らしい笑みに見下ろされながら、二度三度と大きく踏みつけられ、頭が白くなるような、鋭い快感が急速に突き上げた。踏まれるごとに、あ、と短い声を発しながら中里は、下着越しにペニスを挟んだ岩城の足の指が、先端にかけてぐりっと擦ったところで、堪えきれず、精液を漏らしていた。

 呆然とした。疲労と、射精後特有の倦怠感のせいもあったが、それだけではなかった。岩城のペニスを咥えながら勃起して、岩城の足に踏まれただけで、イッたのだ。自分がそんな、変態的な行為で感じたことに、中里はすっかり呆然としてしまい、岩城がソファに引き上げてくる時にも、抵抗できなかった。ソファに横に座った岩城に、後ろから抱かれ、ジーンズの前をきちんと開かれ、べっとりとした下着の中に手を入れられて、ようやく自分の置かれている状況に、気が付いたほどだった。
「何してやがる、てめえ」
 中里は、なるたけ声を低くしてそう言って、体に絡んでくる岩城の手を引き剥がそうとした。一回イかせたら、終わりという話だった。だが、達したばかりのものを、無遠慮に引きずり出してくる岩城に、イッたから寝ようというような気配はない。耳の近くで、笑い声がした。
「そりゃこっちのセリフだっての」
「何、この」
「足だけでイッてんじゃねえよ、中里。んなエロいことされたら、目ェ冴えるに決まってんだろうが」
 その言葉に、血が引いた後、かっと頬が熱くなった。とてつもない恥ずかしさに襲われて、体が縮こまり、動けなくなっている間に、岩城の右手は萎れた中里のペニスをしごき始め、左手はセーターと肌着の下に入り込み、胸を直接撫で回す。その口は、耳にぴったりと寄せられた。
「そっち方が良いってんなら、また踏んでやってもいいんだぜ」
「……ッ」
「なァ、どっちでコかれんのが好きだ。手か、足か」
 巻き舌気味の、低い声。いつからこれを、耳の奥に吹き込まれるだけで、首筋がざわつくようになってしまったのか。下半身が、じくじくと火照るようになってしまったのか。ままならない体を、中里は歯痒く感じながら、答えを考えたくもない問いは無視をして、離せ、と岩城の両手を、改めて肌から引き剥がそうとした。だが、岩城の手は、岩のように動かない。左手だけは、胸から離れたが、それは中里の力ではなく、岩城の意思によるものだった。それに顎を掴まれて、顔を後ろへと向かされ、何を思う間もなく、唇を重ねられた。拒む前に、舌が中に入ってくる。それがまた、くたびれていた粘膜を、解すように柔らかく撫でるから、その心地良さに、頭はぼんやりしてしまう。その上、ペニスを擦っていく手も、顎にこびりついた体液を拭っていく指も、頬を撫でていく髪も、信じられないくらい優しいタッチで、体はとろけそうになる。
 全身から、力が抜けた。後ろの岩城に体重を預けると、舌が抜かれ、唇が離れた。目の前に、岩城の顔がある。原始人的に野性的なくせに、バランスが取れているその顔は、少し静かになるだけで、ひどく真剣に、整って見えた。
「好きだぜ」
 何度言われても、中里はその言葉を理解しない。しようとしない。したくない、からだ。その言葉の意味を、込められた想いを、自分の中にかすかにでもあるものとの重なりを分かってしまえば、岩城をただの他人として、さえぎることができなくなる。だから、いくら岩城に好きだと言われても、中里はその意味を、理解しないままでいようとするのだ。だがそんな思いとは裏腹に、その言葉を聞いたが最後、一旦とかされた頭と体にあっては、勝手にますます緩んでいき、後ろから服を脱がせてくる岩城にも、されるがままになっている。ふと意識がクリアになった時には、上はもう裸で、下はジーンズを下着ごと、足から抜かれようとしていた。
「おっ、おい」
 慌てて止めようとしたが、靴下も合わせて、衣服は床へと捨てられた。午前中の、明るい岩城の部屋の中、ソファの上で、全裸になることは、中里の羞恥心をいつになく煽った。すぐ下には、達してからまだそう経ってもいないのに、大きくなり始めている自分のペニスが、はっきりと見えて、恥ずかしさに息が詰まりそうだ。右足を内側から開かせてくる、後ろの岩城までが全裸だというのが、背中に触れる肌で分かるのがまた、同じだという安心感よりも、一緒になってやっているという、後ろめたさまで運んでくるものだから、中里は自分の感情で、がんじがらめになってしまう。
「さあて、お楽しみだ」
 言葉通り、楽しそうに囁いてきた岩城の左手が、胸の前に現れる。その手には、キャップの開いた、ワセリンがあった。

 リビングのテーブルに置かれていたワセリンは、保湿剤として、日常的に岩城が使っているものだった。それを潤滑剤にあっさり代えてしまう場当たりさを、岩城らしいとげんなり思う余裕もないほど、中里は岩城の責めに、翻弄されていた。尻に滑らかに出入りする、ワセリンをまとったその太い中指は、少し鉤状になった先端と、盛り上がった関節部とで、いちいち粘膜を引っ掻いて、腰全体に甘い痺れを走らせた。
「……うっ……あっ、あぁ……」
 ワセリンは尻だけではなく、胸にも塗られていた。最初は全体に、掌で広げられていたものが、その摩擦で乳首が完全に立ち上がってしまうと、それを筋肉からより浮き上らせるように、人差し指でぐるりと撫でられている。硬すぎず柔らかすぎない、適度なぬめり。それが乳首に擦り込まれることで、中里は、濡れた亀頭を優しく撫でられているような、たまらない快感に襲われた。全身はどんどん熱くなり、噴き出す汗は止まらない。乳首を引っ張られたり、先端に爪を立てられたり、全体を押されたりと、違う形で刺激されただけで、手で塞いでも塞ぎきれないほど緩んだ口から、恥ずかしい声が漏れていく。
「ここは、足でも感じんじゃねえか」
「ふっ、う、うぅ……」
「押されんのが好きなんだよな、お前は」
 岩城が鼓膜までの最短距離で、低い、内臓を震わす声を入れてくる。チンポでも、乳首でもよ。そのなぶるような言葉に、肌が焼け焦げそうな屈辱感をもたらされるのに、それは岩城のざらついた舌に、ねっとりと耳を舐められて、見かけと違いさらりとした長い髪に、敏感な首筋を撫でられるだけで、体を次々襲う快感にすり替わり、中里はわななくしかない。二本、三本と指を増やされ、敏感な部分を的確に刺激されながら、広げられる尻も、擦られ、揉まれている乳首も、舐められ、吸われている耳も、髪にくすぐられている首筋も頬も、岩城に触れられているところすべてが、性器にでもなったような、恐ろしいくらいの気持ち良さが全身に溢れて、思考は粉砕されている。
「こっちは手じゃねえと、届かねえけどな」
 そう言って、浅く小刻みに出入りさせていた指を、岩城が根元までズズッと埋めてきても、ひあっ、と中里は快感の表れた声を抑えられず、尻のひくつきも抑えられなかった。奥を突かれると、たまらなかった。これを何度も何度も味わわせられて、体は覚えきってしまっていた。気持ちが良いのだ。きっちり奥まで突かれることが、気持ち良くてたまらない。それも、もっと太く、まとまったものでそうされることが、中里には何より良い。求めてもいなかったのに、教え込まれてしまった快感に、中里は頭をすっかり惚けさせられて、何も考えず、岩城の指の動きに合わせて腰を揺すった。それで、背中に当たった岩城のペニスを擦るようにもなって、そこまで性器に変わったようだった。
「またエロいことしやがって、そんなにケツに欲しいかよ」
 岩城が笑う。嘲笑に似たそれには、特別なまろみもあったのだが、曖昧な意識では、すくい上げられるものでもなくて、そんな状態の中里だから、ぶつけられた言葉の意味も、よく理解しなかった。
「いわきぃ……」
 快感だけを鮮明に感じながら、ぼんやりと、中里はその名を呼んでいる。何だかもう、言うべきことは、世界にそれしかないような気がした。岩城、また呼ぶと、途端にチッ、と舌打ちが聞こえた。
「俺に我慢させねえよなあ、お前も」
 笑いを消した声で、まあそこもいいんだけどよ、どこか億劫そうに岩城は言い、しかし迅速な動きで、尻から指を抜くと、背中を強く押してきた。中里は、わけも分からずソファにうつ伏せにされ、直後、腹の下にクッションが入れられた分、上がった尻を、更に上げるように掴まれて、そこに岩城の硬いペニスを、生で突き入れられていた。
「あっ」
 衝撃に、頭が白んだ。口に咥えるのでも辛さがある、岩城の大きいペニスが、尻をみっちりと貫いている。そのことに中里は、フェラチオの時と同様、辛さ以上の、勃起してしまうほどの快感を、そうとは自覚しないまま与えられ、触れる肉の全部を使って、岩城を締めつけていた。ああ、と岩城が後方で、深い息を吐く。
「中里、やっぱお前の尻はいいぜ、よく締まって……」
 そこで唾を飲み、クソ、たまんねえ、と続けた岩城が、一気にペニスを引き、それをまた押し込んできた。腰をしっかりと掴み、そのまま大きいストライドで、岩城はピストンし始める。
「あっ、あっ、あっ」
 そのしっかりと隆起したペニスに、真っ直ぐに、あるいはこね回すように、尻を深く、奥までぐりぐりと突かれ、勃起したペニスは、クッションに擦れて、中里の白くなった頭は、前と後ろを満たされる快感で、いっぱいになっていた。肉の鳴る音を立てながら、岩城が腰を打ちつけてくる度に、声が勝手に出ていって、体はよじれ、尻はきゅっと締まっている。そうしている理由も、場所も、状況も、中里にはやはりもう、何も考えられない。あるいは頭は、岩城でいっぱいになったのかもしれなかった。岩城以外、入ってくるものが何もないのは、確かだったのだ。
 いつしかすっかりうつ伏せにされ、背中に張りつくように被さった岩城の、荒い息遣いが、間近で聞こえていた。中里、と急いた調子で呼んでくる声も、近かった。
「おい、中里ッ」
「あ、あ」
「一回出すからな、俺のザーメン、ちゃんと味わえよ」
 耳元で言った岩城が、ピストンを一層速めると、おらッ、ときつく吠え、全部埋めた状態で、ぴたりと止まった。中里はその言葉の意味を、頭ではなく、体で理解した。尻の中の、岩城のペニスがビクビクと震えて、腸内に、じわりと温かいものが広がる。岩城の精液が、漏れている。中里の体はそれを理解して、自分のペニスからも、精液を漏らした。
「あ、あぁ……」
 口からは、吐息のような声が漏れた。よだれも漏れていた。尻で達した快感に、中里はぐったりとソファに沈み、それでも岩城のペニスを咥えたままの後ろだけは、余韻を貪ろうとするように、ひくついた。それを中里は、自覚せずにやっている。勝手にそうなっているのではなく、やっているのだが、どちらにしても、岩城と違い、意識も定かでなくなっている中里には、分からないことだ。
「ま、お前は俺のチンポが一番だよな」
 なァ中里、と耳に吹き込まれる、舌に絡んだ、低い声。それが作り出した、言葉の意味も分からないまま、中里は尻をひくつかせている。

 ほど良く形の残ったジャガイモ、甘味のあるニンジン、ぱりぱりの歯応えのきゅうり。マヨネーズの単調さをドレッシングがカバーしていて、黒コショウの香りは絶妙なアクセントになっている。それを挟むパンはふわふわだ。噛めば噛むだけおいしさが口に広がる。だが、水分は少ないから、最後には緑茶で喉に流し込んだ。
「そんくらいの方がいいだろ。どうせがっつり食う気分でもねえだろうし」
 何の気もなさそうにそう言う岩城を、中里は振り向くことなく、黙々と、ペーパータオルに一つ残っている、たまごサンドにかじりついた。ベッドの上で、裸のまま食事をするのは、行儀の悪すぎる気もするが、動けない以上は仕方がない。それに、ここでも不潔ということはない。シーツは綺麗だし、手は、いやそれだけでなく全身が、洗ってある。岩城がそうやって、すべて整えたのだ。
 毎回だった。流されて、とんでもない醜態を晒して、最後には世話をされている。一つずつ、中里にはそうした記憶が増えていく。その度に、できることが減っていく。確かに、昼飯をがっつり食べる気分などではないのだが、誰がそんな気分にさせやがった、と苛立ち混じりに思っても、それを岩城に言ってしまえば、お前が俺にそうさせたんだろ、当然顔で、そう返されるのが分かっている。勝手な言いぐさだ。お前がどうなろうと、俺には関係ねえじゃねえか。そう思いたいのに、思いきれないので、中里は黙ったまま、岩城の作った、クリーミーなたまごサンドをもそもそと食べる。それを作っている間に、つまみ食いで小腹を満たしたらしい岩城は、ベッドに寝ている。煙草を吹かしているのだろう、フィルターを吸う音、煙を吐き出す音、火種が燃える音が、左隣から途切れ途切れに聞こえてくる。
 噛み潰したたまごサンドも、小型のペットボトルの緑茶と一緒に飲み込んで、一つ息を吐く。岩城がソファやら何やらの後始末と、この軽い昼食を用意している間に、休息は取った。下半身はうまく動かせないが、それほどの肉体的疲労はない。ただ、精神的には、ダメージは大きい。毎回だ。させたくないのにさせていて、頼りたくないのに頼っている。なら、本当のところ、自分は一体どうしたいのか。それを考えるのが、中里は恐ろしくなっている。ただ、いつでも何かをされっぱなしというのは、例えそれが、勝手な岩城相手であっても、気に食わなかった。
「……悪いな」
 呟くように、だが、寝ているだろう男に聞こえるように、はっきりと言う。返ってくるものは、何もない。中里は、左を向いた。寝ている岩城がそこにいる。煙草はもう持っていない。目の閉じられている顔は、間が抜けて見えるほど、穏やかだった。いつの間にか、岩城は眠ったのだ。呆気ないものだが、ヤることをたっぷりヤって、掃除と洗濯と料理まで済ませていたのだから、睡魔に負けるのが、遅いくらいなのかもしれなかった。今、呼吸は静かだが、じきにいびきをかき始めるのだろう。この状況が、起きても続いていることを、きっと岩城は疑いもしていない。だからこんな、油断しきった、安心しきった顔で、寝ているのだ。
 中里は、なぜだか胸苦しさを覚え、二度、深呼吸をし、それを誤魔化してから、丸めたペーパータオルと空になったペットボトルを、岩城越しに、床に置いてあるゴミ箱に放った。ペットボトルが、カコン、と軽い音を立てた。岩城は微動だにしなかった。
(終)


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