手にし捨てし戻し
孤独の心地良さを、俺は知っている。万能で美しい完結、己の揺るぎない強靭な基盤を真に味わうその一時、他者との関わりによって得られるうちで最高の快感、極上の興奮に、俺の心身は融解する。孤独の心地良さを、俺は知っている。俺はそれを捨てる気がない。俺は一人でいる。求められる中で味わう孤独はひどく官能的で、手放す方など本来ありはしなかった。
俺はよく求められる。意見を求められ、指示を求められ、決断を求められ、制裁を求められる。俺はそれらの求めに応ずる。俺が本当にそれらをなすべきか知れなくとも、俺は他者の期待に応える。そして俺は一人でいる。孤独の心地良さを、俺は知っている。自分が誰にも知られていない心地良さを、俺は知っている。俺だけが知っている自分。俺だけが許している自分。他者に己を知られぬ快感を、俺は知っている。俺はそれを捨てる気がない。しかし、俺の知らない俺が現れた時、俺は何を取り、何を捨てるべきだというのだろうか。
孤独の不在を俺は恐れる。孤独の喪失を俺は恐れる。他者の不在を俺は恐れる。他者の喪失を俺は恐れる。では、俺は俺の不在を恐れるのか、俺の喪失を恐れるのか?
失っては生きてはいけぬと確信させるものなど存在しない。今世を離れてでも手にすべきだと己が命ずるものなど存在しない。その不在は俺を安堵させる。では、その出現を俺は恐れるのか、その存在を俺は恐れるのか?
既に俺は恐れている。俺の興奮を遮り、俺の孤独を奪い、俺の喪失を知らせるその確信を、俺は恐れている。孤独の心地良さを、俺は知っている。求めに応じながら己を把握されない心地良さを、俺は知っている。俺だけが、俺を知っているはずだった。だが、俺の知らない俺は、すべての前提を覆す。確信の不在を恐れ、確信の喪失を恐れ、確信自体は恐れぬ俺はただ迷っている。何を取り、何を捨てるべきなのか。
確信を恐れる俺は、確信を恐れぬ俺を認めない。確信を恐れぬ俺は、確信を恐れる俺を認めている。確信を恐れる俺は確信を恐れぬ俺を嘲笑い、やがて確信を恐れぬ俺に戻されるだろう。俺はそれを取るべきだろうか、捨てるべきだろうか。俺は俺を取るべきだろうか、俺を捨てるべきだろうか。孤独の心地良さを知っている俺を、俺はどうするべきだろうか。
定義は無尽に消費され、概念は不確かとなる。他者と意味をすべて共有することなどは不可能だ。それでもそれを望む俺がいる。言葉を費やし、行為を費やし、俺の概念を、俺の意味を、俺自身を、すべて知られたがる俺がいる。知られぬことすら捨てようとしている俺がいる。他者に己を知られぬ快感、それ以上の快感が今世にあることを知っている俺がいる。その俺は、孤独の心地良さを知っている俺を、捨てたがっている。捨て去り、融解させ、戻そうとしている。俺はそれを許すべきだろうか、俺はそれを認めるべきだろうか。
あるいは、既に俺はそこにはいない。既に俺はそこから消えている。既に俺は、孤独の不在を恐れず、孤独の喪失を恐れず、確信の不在を恐れ、確信の喪失を恐れる。既に俺は、言葉を費やし、行為を費やし、俺の概念を、俺の意味を、俺の意思を、俺自身を、俺を知られたがっている。たった一人、ただ一人、失っては生きてはいけぬと、確信させるものに。
(終)
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