地元の道理、他所の無理
須藤京一との会話では、妙な『間』が生じることがある。それは岩城清次――中里がホームで負けた走り屋――との会話では生じない。岩城清次以外のそのチーム――エンペラー、いろは坂がベースのランエボ走り屋集団、須藤京一が率いている――のメンバーとの会話でも生じない。それは無論地元の仲間――妙義山を根城とする妙義ナイトキッズというチームの構成員、運転よりも生き方が無謀な走り屋ども――との会話でも生じない。なぜならそれは、中里が発言した後に、須藤京一が作り出すものだからだ。
須藤京一は作り出したその『間』において、中里の発言内容を確かめるように、中里の顔をひたと見据える。その『間』では、中里は酸素を取り込みにくくなる。須藤京一は厳めしい顔をしているし、その視線も顔の通りに厳めしいもので、違わず食らうと緊張で呼吸器が萎むようなのだ。その『間』は中里が何を言ってもどう須藤京一を見返しても終わることがない。その『間』はただ、黙したままの須藤京一が何らかの悟りか諦めかを眉間辺りに浮かべることで終わるのだった。
その『間』が生じる場合を中里は想像できない。須藤京一がどんな場合に、中里の発言の何を確かめようとするのか、何を悟り何を諦めようとするのか、想像できない。その『間』は終わってしまえば会話から失われる。なかったことになる。なかったことに須藤京一がしてしまう。なかったことにされては、敢えて取り上げるのも須藤京一の縄張りを荒らすようでためらわれる。その中身を想像することさえためらわれる。結局中里はその『間』の正体を把握できず、よってそれは中里にとって妙なものと認識される。妙で、呼吸のしづらい『間』。須藤京一との会話では、そんな妙な『間』が生じることがある。
それでも中里は、エンペラーのベースに行く度に、須藤京一との会話を重ねている。妙な『間』を生じさせるとはいえ須藤京一が中里との会話を拒むことはないし、中里としても須藤京一との会話は進んで行いたいものだった。須藤京一との会話には常識的な道理があると中里は感じている。それは須藤京一が常識的な道理を持っているからだと中里は思っている。地元の仲間は持たない道理だ。地元第一仲間第一の中里ではあるが、いかんせん地元の仲間はなぜか揃って道理を無視することで道理が満ちると確信している節があり、そんなハチャメチャ野郎集団と常時過ごしていると、正しい道理を忘れそうになってしまう。公道で暴走しつつも常識や倫理をなるべく大事にしたい中里にとって、常識的な道理を感じさせる須藤京一との会話は、妙な『間』が生じることがあるにせよ、進んで行いたくなるものなのだった。
「お前は犬と猫、どっちが好きだ」
その日、中里は須藤京一と岩城清次の話をしていた。中里にとって岩城清次はリベンジ対象者であり、その実力を知ることはエンペラーのベースにおいて岩城清次を叩き潰すためにも、そうして地元チームの面目と群馬でのBNR32と自分の地位を向上させるためにも役立つだろうし、その性格をも把握できれば、バトルはより一層刺激的なものになるだろう、そう思えるからその日、須藤京一が岩城清次の話を振ってきた時、中里は受け入れた。
例えば地元でダウンヒル超速を争っている庄司慎吾の実力は勿論、その性格も中里は嫌というほどよく知っているが――残酷なくせに義理堅く、大胆不敵なようでデリケート、皮肉屋を装うロマンチストだ――、だからこそその競り合いは通常覇権を争う以上の、力と力、人格と人格とをぶつけ合うがための露骨な興奮をもたらすものとなる。どうせバトルをするならば、そのくらい熱くなれる方が良い。
敗北を引きずっていた時分には岩城清次の存在を見聞きするだけで疎ましさを覚えた中里ではあるが、幾度もこのエンペラーのベースに足を運び、須藤京一の持つ道理に安心し慣れていくうちに岩城清次の存在にも慣れ、今では岩城清次と一人の走り屋として会話を行えるまでになっていた。そしてその日、岩城清次と個人的に親しいらしい須藤京一が岩城清次の走行技術の話に続いて個人的な話を振ってきた時、岩城清次の性格をより知ることができればバトルにも好影響を及ぼすと考えられるようになっていた中里は、それを受け入れたのだ。
「犬と猫?」
「そうだ」
須藤京一は、岩城清次を弱者に対する同情心が欠けている男と表した。それは岩城清次に容易く負けてしまった中里が実感したことでもある。初めてこの地で岩城清次と対面した際に、岩城清次は中里の名を覚えておらず、中里の車にも走りにも興味を示さなかった。須藤京一が場を取り成してくれたからこそ中里は岩城清次にBNR32の力も示せたわけだが、そうでなければ岩城清次は一生中里に配慮しなかっただろう。それほど岩城清次は遅いドライバーと認めた人間を、敗者を、すなわち弱者を頭に置かない男だった。
それは個人的なことでもそうらしく、エンペラー内の実力者による雑談中ペットの話になり、他のメンバーが岩城清次に飼うなら犬と猫のどちらが良いかと尋ねたところ、世話をしなければ死ぬようなものはどうでもいい、と岩城清次は真顔で答えたそうだ。他のメンバーが、ペットを飼うとは世話をすることだ、世話をするから愛着がわく、可愛いから世話をしたくなる、などと意見を出せば、好きなものを世話するのは当然だろう、と返し、では犬と猫のどちらが好きなのかという問いには、こう答えた。すぐ死ぬものは好きにはならない。
「犬と猫……」
そういう岩城清次の弱者に対する同情心に欠けるという性質の共有が終わったところで、須藤京一は中里に話を移してきた。犬と猫、どちらが好きか。以前に栄養の話からご飯とパンのどちらが好きかと聞かれたこともあるから――その時はやはり白米が馴染み深くて好きだと答え、須藤京一も白米は余分なものが入っていなくて良いと同意してくれた――、須藤京一との会話においてはそういう流れもあるものだと中里は承知しており、そして自分が犬と猫、どちらが好きなのか考え始めた。
犬と猫、どちらが好きか。そういえば、地元の仲間との雑談中でもそれが話題になったことがある。その時自分はどう答えただろうか。いや、確か、答えられなかったのだ。考えてもどちらか決められず、それならそれでいいと流された。その話題は戻りもせず、再び中里がその件について考えることもなく、二年は過ぎている。時間は経っているから、答えも出せるかもしれない。
犬は実家で飼っている。猫も実家で飼っている。実家に帰ると犬はいの一番に抱きついてくる。猫はちょっとすり寄ってきて後は気ままに動く。どちらの出迎えも好きだ。優劣はつけがたい。犬。地元の後輩に犬っぽい男がいる。中里が姿を見せると駆け寄ってきて、話をしたがる。振ってる尻尾が見えるみたいだとは庄司慎吾の言だった。あまり近寄られ過ぎても動きづらい面があるが、懐かれ頼られるのは嬉しいことだ。犬っぽい奴と一緒にいると何でもしてやりたくなるし何でもできそうな気がしてくる。みなぎる。猫。考えてみれば、庄司慎吾は猫っぽいところがある。中里が姿を見せても近寄ってくる時とそうでない時がある。優しさを求めるような声を出すこともあれば、接触を断ちたがるような目をすることもある。気まぐれで掴みがたい。だが、それが庄司慎吾らしいと思う。猫っぽい奴と一緒にいるとがっかりさせられて癒されて満たされる。みなぎる。
犬も猫も活力を与えてくれる。どちらもありがたい存在だ。甲乙もつけがたい。どちらも欠けてほしくはない。地元の後輩と庄司慎吾を比べれば庄司慎吾の方が中里のうちでの存在は大きいが、では庄司慎吾の方が好きなのかといえばそういうわけでもない。庄司慎吾のことは嫌いではないにしても――どれほど悪漢めいた態度を取られてもその性根が曲がっていないことは知れているから、嫌いにはなり切れない――、地元の後輩の方が素直で好ましくは思う。だが庄司慎吾にしても地元の後輩にしても個人であって人間全般を表すものではない。犬と猫の特色を表現するものではない。犬と猫。どちらにせよ良いと感じられるところも悪いと思えるところもある。どちらが上だとか下だとかの比較はしがたい。できない。たっぷり三分、遠方を眺めながら答えを待ってくれている須藤京一にはすまないが、やはり、どちらが好きとは決められない。
「どっちか決めねえと、駄目か?」
須藤京一に嘘を吐かずに済むならば、優柔不断だと思われて見限られても致し方ないという覚悟の上で、中里はそう尋ねた。須藤京一は中里に顔を向け、左側の唇の端だけ小さく上げながら答えた。
「いや、駄目じゃねえよ。俺もそれは、どっちかには決められねえしな」
「そうか。そりゃ、良かった」
「良かった?」
安堵して中里が吐いた言葉を、須藤京一は訝しげに繰り返した。妙な『間』は作られていないが、須藤京一の厳めしい顔にある厳めしい目を真っ直ぐ向けられることは、幾度経験しても、中里の肉体を緊張させる。
「いや、こんだけ考えて決めらんねえなんて、お前の気ィ悪くしちまいそうでよ。でも、お前も同じなら、良かったぜ。ほっとした」
問いはどちらが好きかという二者択一だ。それを三分も考えた挙句に一方に決められなかったのだから、優柔不断だと思われて、見限られても致し方ないと考えた。なぜなら須藤京一は道理を持っている。だが須藤京一は自分を見限らなかった。それどころか自分の選択を認め、それに同意を示してくれた。中里はほっとした。まだ須藤京一の道理を感じられる。だが、中里は緊張から解放されなかった。須藤京一が、あの妙な『間』を作り出したからだ。中里の発言内容を確かめるように、中里の顔をひたと見据えてきたからだ。厳めしいその顔は、下にどのような感情が渦巻いているのか見せもしない。中里は自分の肺が膨らむのを拒んでいるような錯覚に襲われた。
「……な、何だ?」
つかえる息を無理矢理声にして聞いてみるが、須藤京一はただ中里を見据えるだけである。この『間』は、中里が何を言ってもどう須藤京一を見返しても終わることがない。中里は止まりかける呼吸を保ちながら、黙したままの須藤京一が何かを悟るか諦めるかを待つことしかできない。そうしてこの妙な『間』を終わらせられるのは、須藤京一だけなのだ。
「中里、俺がどうしてお前と何度も話をしてきてるのか、分かってるか?」
だが、須藤京一は厳めしい顔のまま、厳めしい視線のまま、何の悟りも諦めも眉間に浮かべないままに、そう問うてきた。須藤京一が声を出すことで断たれた『間』は、須藤京一が声を出し終えることで再開した。須藤京一の顔も視線も相変わらず厳めしい。『間』は断たれたが、続いている。中里は混乱した。こんなことは初めてだ。初めてだが、ともかく須藤京一の問いに答えなければ、須藤京一はこのまま見据えてくるだろうから、この『間』も続くのだろう、それでは息苦しさが募って脳が酸欠状態になってしまうかもしれない、とは混乱している中里にも考えられた。つまり、今答えなければならないことは、須藤京一が自分と何度も会話をしてくれている、その理由だ。須藤京一が中里を拒まない理由である。
「そんなの、お前が親切だからだろ?」
ごく自然に、中里は思いついた答えを述べた。須藤京一は常識的な道理を持っていると中里は思っており、よその走り屋を邪険にもしないのは、したがって親切心があるからだという考えに至る。実際須藤京一は親切だ。車の改造の程度について隠し立てをしないし、よその走り屋のためにコースを開けてくれるし、よその走り屋との会話も拒まないでくれる。これで親切でないならば何が親切かという話だと中里は感じるから、それを答えとした。
「……なるほど、そういうことか」
そして須藤京一は、眉間に何かの悟りと諦めと両方を浮かせ、中里から顔を背け、その言葉とため息とともに妙な『間』を終わらせた。疲れ果てたように少し肩を落としたその須藤京一の姿を見ると、『間』によった息苦しさはそれが終わったことで吹き飛んだものの、中里は混乱し続けた。何か、とても、失望された気がする。だが失望されるならば何かを期待されていなければならない。須藤京一に何かを期待されていたとも思えない。では答えを間違えたか、しかし須藤京一は親切だ。間違っているとも思えない。混乱したまま中里が須藤京一を見続けていると、須藤京一は再度ため息を吐き、呟くように言った。
「親切ね、親切。回数重ねることの意味は普遍的なもんだと思ってたけどな、そうきたか。考えてもなかったぜ、ここまで何も通じてないとは。俺の態度が分かりづらかったか? しかし親切ってのは、言い得て妙だ。間違っちゃいねえ」
最後の言葉からすると親切ということは間違ってはいないらしく、中里はそこで一つ安堵し、しかし須藤京一が全体で語ろうとしていることは把握できず、混乱し続けた。回数を重ねることの意味、普遍的、何も通じていない、態度が分かりづらい。何が何を示しているのかまったく分からず、中里はじっと須藤京一を見続け、須藤京一はそこで中里に顔を戻し、厳めしさを端にやった、何かが複雑に絡まった表情を浮かべた。
「間違っちゃいねえが、正しくもない。それは普遍的じゃねえんだよ。始まりですらない。いいか、中里。お前はもう少し、思い込みを捨てて、俺のことを考えた方がいい。これは忠告だ。俺も、お前に無理はしたくねえからな」
言い終えて、何かを捨てるように頷くと、須藤京一は中里に背を向けた。中里は混乱を収束させられないまま遠ざかる須藤京一の背中を見ていた。間違ってはいない、正しくもない、普遍的でもない、始まりですらない。おそらくそれは、須藤京一が親切であるということだ。須藤京一の背は黒いランエボの運転席へと消え、黒いランエボはコースへと消えていく。親切が始まりではなく、普遍的ではなく、正しくもないというのなら、それは一体何だというのか、それが重ねられて、普遍的な意味を持つというのか、そもそも須藤京一のことは思い込みを捨てて考えた方が良いらしいから、先に思い込みが何かを考えるべきなのだろうか、考えるも何も、『間』で起こった会話はなかったことにはされないのだろうか、されるなら考えなくても良いのではなかろうか、しかし『間』を終わらせたのちに考えた方が良いと忠告をしてきたのは須藤京一である。考えた方が良いのだろう。考えた方が須藤京一は無理をしないのだろう。それを自分が考えないことで須藤京一がどんな無理をするのかは分からないが、忠告された以上は考えた方が良いのだろう。
中里はそこまで酸素不足気味の頭を回し、思考を止め、ひとまず地元に帰ることに決めた。このまま考え続けると頭痛がしそうだし、長引いた緊張は疲労を呼んでいる。地元の仲間のハチャメチャさに触れれば少しは気も休まるに違いないという思いだった。その道理を無視する野郎集団と常時ともにいるがために中里は、須藤京一が常識的な道理を持っているという自分の判断に疑念を抱くこともなく、それが思い込みであることにも気付かない。したがって須藤京一が無理をするまでは、地元第一仲間第一のまま走り屋生活を満喫する中里なのであった。
(終)
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