当世
担当者は生クリームとカモミールとフィリップモリスを煮込んだような匂いを漂わせていた。それでつきっきりになられては頭痛もしてくるというものだ。丈の合わないスーツ、ロングノーズの革靴。高校時代、物理の教師が言っていたことを思い出す。文系はネクタイが地味で、理系は派手。ドラえもん柄は派手な部類に入るだろう。同じことを二度言わずとも話の中身を飲み込むだけの頭を備えていてくれたのはありがたかったが、匂いの強烈さのおかげで疲労感はいつもの二割増しだった。この業界で模範的なサラリーマンを見た試しがない。金髪の俺が非難されないのだから相当なものだ。ホワイトカラーと呼ぶには肉体労働だがブルーカラーと呼ぶには頭脳労働のブラックすれすれ勤務体系では、疲労が残らない日はない。
疲れた頭に下らない話を流し込まれるのは俺にとって苦行だった。温かい飯やセックスをその引き換えに求める気にもならないほどだ。自分の家でまで思考を要求する他人を傍に置いておきたくはない。世間には意識を割かずに済む相手もごろごろと転がっているが、そういう『身軽』な女は俺のような人間と数多く接触しているから、本人に自覚がなくとも何がしかのしがらみを持っているものだ。俺は自分の家でまで傍にいる他人のことを考えたくはない。他人に関わる他人のことなどもっての他だった。
そうと分かっていながら俺はそいつを呼んでいる。手首の細さを意外に感じるのは、掌にも腕にも厚みがあるせいかもしれない。掴んだ時に毎回違和感を覚えて引き寄せる力を加減してしまう。それでもそいつが寄ってくるのは意思によるのだろう。そいつが俺を好きなことは確かなのだ。温かい飯とぬるいセックス。下らない話は一つも出ない。話をすることが自体がない。だから俺の価値観が好かれているのかどうかは知れないが、俺のペニスが好かれていることは知れる。滑稽さと嫌悪感は拭い切れない。しかし殴り倒したくなるほどではないし、射精した後の脱力感は自慰の時よりも少ない。相手がいるだけで充実感は増すものだ。例えそれが同性であっても。
そいつは俺には『身軽』だが他の奴にもそうだとは思えない。確証はない。そこまで行動的にも破滅的にも刹那的にも見えないだけだ。俺は見える以上のそいつのことを考えはしない。そいつにあるはずのしがらみも考えはしない。所詮は他人だ。縁はいつか切れるだろう。これが縁と言えるかどうかすら怪しいものだ。下らない話は一つも出ない。話をすること自体がない。縁はいつか、切られるだろう。積極的休養の重要性を俺が実感するのはそのいつかだろうが、少なくとも今ではない以上、俺はあるものを持続するしかなく、それこそが滑稽なのだ。
(終)
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