途絶



 秋雨に、夜の街がけぶっていた。雨に吸われた車の排気ガスが、アスファルトの路面に落ち、むっとした匂いを漂わせている。
 路面に、車のヘッドライトの眩い明かりが反射する。
 行き交う人々は、大概傘をさしている。
 繁華街を外れれば、他人とぶつかることもない。
 天から地につながる雨の糸が、目で分かるようになる前から、中里は歩いていた。
 髪は勿論、服までもたっぷりと、雨を吸っている。
 自販機の前まで来てから、財布がないことに気がついた。
 上着は、須藤の家に置きっぱなしだ。財布も、携帯電話も、車の鍵もだった。
 煙草を買いに行く、と言って、出てきた。小銭も持っていないし、煙草は買えない。煙草ごときで、強盗を働くわけにもいかない。いずれ、戻らねばならない。
 自販機から、数歩離れて、だが、一気に気力がなくなった。
 しゃがみ込むと、路面に、雨の落ちる波紋が、次から次に生まれて、消えるのが見える。
 頭をかきむしった。水滴が、雨溜まりに、不規則な形で落ちた。
 何もなかった。いつも通りだ。家に行き、話をし、飯を食い、酒を飲む。
 酒を飲む前に、外に出た。煙草が切れたのだ。
 煙草がないと、落ち着かないのだった。精神が乱れる。気持ちを、思考で制御できなくなる。
 焦った。いても立ってもいられなくなった。深い意味などない。
 家を出た時、既に小雨だったが、一度出てしまった手前、戻るのもためらわれた。そのまま、こうしてまだ、戻ることが、ためらわれている。
 いつもの仲間と一緒にいる時の自分と、須藤と一緒にいる時の自分が、重ねられなくなってきている。日々、ずれが大きくなっているようだ。
 幸せが、二つあって、片方を選ぶと、片方に価値を見出せなくなる。
 こんなことは、今までなかった。今までは、何であれ一つになった。統一された。
 希望が叶えられるたびに、ばらばらになっていく。須藤からの行動がないのが、救いだった。あの男は、受け入れるだけだ。おかげで、落ち着いていられる。
 だが、それも煙草がなければ、危うい落ち着きなのだった。
 じっとしているのも何なので、とりあえず立ち上がり、歩いた。方向は、考えていない。
 気持ちが悪かった。吐き気がする。寒気もした。気温は高くない。雨は冷たい。
 頭はすっかり冷え切っていた。
 煙草が必要だと、急いてしまっただけだ。こうしていることに、深い意味などない。
 ただ、戻ろうという、気持ちがわいてこない。今更、という思いはある。
 耐え切れなくなったのか?
 何に?
 得られた幸せにか?
 五回目だ。次で、六回目になる。
 幸せだと、思ったことはない。ただ、満足はしていた。須藤京一という走り屋の存在を、近くで感じていると、他には何も頭にのぼってこなくなる。入れてくれ、と言えば、入れてくれる。それだけだ。
 それだけしかない。
 分かりきっていることだ。今更だった。
 それが、雨のために、冷たくなった頭に、染み出ている。
 今更、どうしようってんだ?
 何も、考えは浮かばなかった。あの男の存在が、少しでもあるだけで、いつもそうだった。
 今更だった。
 戻ろうと、そう思った時に、自分のいる場所が分かるほどには、落ち着きは残っていた。
 雨はやまない。肌にべたつきを残し、重力に引かれていく。
 家まであと五分というところだった。傘をさした人間が、道の向こうから歩いてきている。
 雨が視界の邪魔をしている。正確さはない。
 傘をさした男が、こちらに向かってきている。
 中里は、立ち止まっていた。目が曇ったのかと思った。
 歩きながら、男が、傘を閉じた。雨は変わりなく降っている。閉じた傘を、男はその場に投げ捨て、走り出した。向かってくる。
 目が曇っている、そう思った。
 男の顔を、じっくり見る間もなかった。濡れている体が、触れて、温度が混ざった。熱かった。
 目が、曇っているのだと、見間違えだと、そう思っていなければ倒れそうなほどの、感情の追いつかない、肉体の衝撃に、気が狂いそうだった。
 煙草が、欲しかった。
(終)

2007/12/16
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