勘、耐に同
内臓が焦げついているような感覚だった。腹の中、己の血肉が炙られているようなその感覚は、不愉快さをもって京一の思考をよく遮る。冷静な自己が侵害される。消すべき感覚だった。そうするに最も適切な方法を京一は考え、実行した。それが右手で中里の頬を殴ることだった。
同じ日本人で、同じ言語を操るというのに、中里の言葉を京一が理解することは困難だった。中里もそうであるのかもしれない、片手で数えられる程度しか行っていない短い会話の中でも、両手でも数えられないほど不可解そうな顔を見せていた。その度に京一は苛立ち、その苛立ちを中里は感じ取り、苛立ちを窺わせた。逆の場合もあった。京一の言葉に中里が苛立ち、その苛立ちを京一が感じ取り、苛立ちを見せる。
知人として会話を交わしていた時ですらそうで、今では挨拶もしない。一つ言葉が介在するだけで、一つ苛立ちの要素が生まれるからだ。三度目に会った時、相手の無理解さだけを取り上げる言い合いをして、それを痛感した。お互いだ。お互い、そこだけは理解できる。お互いの言葉を理解し得ないことだけは、理解できる。
放置すべきこと、無視すべきことだった。何でもないこと。しかし苛立ちは深く深く体内に根付き、内臓を焼いている。思考は鎮火を求めていた。苛立ちの解消。そうして、相手への暴力を解決法として提示した。それは京一にとって歪みのない、正しい考えだった。
頬を殴られて中里は、しばらく首をねじったままで、やがてゆっくりと、京一をその目でとらえた。硬い骨を思わせる顔の中、不自然に大ぶりな目。その目が語るものを、京一は認識しない。
左のふくらはぎ、外側に予想外の衝撃を感じたのは、それからすぐだった。肉体を叩かれた軽い痛みが走り、京一は左足を折りかけ、しかし踏ん張った。視線が定まらぬ間に、顎の右側にも衝撃を受けた。今度は予想内だった。首を固め、頭部を揺れから守る。
おとりの右ローキックから、左フック。それを仕掛けてきた中里を、改めて見る。構えてはいない。まるで何もなかったかのように棒立ちだ。京一も棒立ちだった。まるで何もなかったかのように、ただ立っている。左のふくらはぎと顎の右側が痛んでいる。だが、痛みは苛立ちを運ばなかった。痛みは体内に宿り、痛みのない焦げつきから感覚を奪い取った。思考の晴れる感じがした。
京一は中里を見た。中里も京一を見る。視線が交わる。そこに、苛立ちは交わらない。お互いに殴り、殴られて、怒りを介していない。その現実が、妙に気分を軽くさせ、京一はもう一発、中里の腹に拳を叩き込んだ。それを受けて屈んだ中里は、しかしすぐに体勢を立て直し、前蹴りを放ってきた。筋肉の痛み、内臓の痛み。それらは完全に、くすぶりを消し飛ばした。京一は中里を見る。中里も京一を見る。お互い棒立ちのまま、視線が交わる。苛立ちはない。怒りもない。ただ、納得だけが交わった。
他人の声を京一は聞いた。慌てた声。それは中里の発するものではない。中里は京一に対しては慌てない。苛立つだけだ。京一も中里に対しては慌てない。苛立つだけだった。しかしその苛立ちは今、消え去っている。
目の前に現れた他人に、何でもないと告げる。これは何でもないことだ。だからこそ中里は他人の声にも耳を貸さずに京一に背を向けるし、京一もその中里に背を向ける。お互い交わることはない。だからこれは何でもないことだ。そもそもが、何もないはずなのだった。
(終)
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