カンフル剤



「仲が良さそうだな」
 動かない表情、表情のない声で、煙草が一本出たその箱を見ながら京一は言った。何を考えて、何を思ってそれを言ったのか、その顔からも口調からも、読み取れない。分からない。いつも通りだ。こういう時京一は、聞けば答えるし、聞かなければ何も言わない。ならば、聞いた方が会話は続く。会話を続けたくない相手でもないのだ。
「誰がだ?」
 対象者からして分からぬ話なので、清次はそう聞いた。煙草を一本咥えながら清次を一瞥し、細めの眉を小さく上げて、しらっと京一は言う。
「お前と、あのRのドライバーがだ」
 清次は顔をしかめていた。自分の話だとは思ってもみなかった。しかも、そこにRのドライバーときたものだ。自分たちの向こうに停まっている、夜と同化したようなGT−Rの、そのドライバー。よそ者。うちのメンバーと何か喋っている。笑っているようにも見える。仲が良いというならその様子の方だ。自分とあのドライバーとをそう表すなど、京一は一体何を見ているのだろう。分からない。分からないことは、聞いた方が話が続く。
「何でそう、見えんだよ」
「誰が見ても、そう見えると思うぜ」
 咥えた煙草に火を点けた京一が、真顔を向けてくる。動いた表情は本気を作っている。それは分かる。誰が見てもという言い分はまったく分からない。清次は自分のこととは思えぬままに、言葉を返す。
「ありえねえよ、そんなこと。分かんねえ、何でそんな風に見えるってんだ?」
 GT−Rのドライバーとは、まだ三回しか会っていない。それも向こうがこちらに来て、自分を指名してくるから、とりあえず迎えてやるだけだ。走ってやるだけだ。大して話もしたことがない。他の奴の方が話をしている気がする。それで自分とあのRのドライバーの仲が良いとは、何を見て、京一はそんな誤解をしてしまったのか。分からない。分からないことは聞くしかない。何でそんな風に見えるってんだ。
「群馬から、お前に会うために来てるんだろ。執着されてる」
 京一は、煙草を吐き出したそうに答える。執着。良い意味で使われる言葉ではない。京一は何かが気に入らないようだ。その何かで即座に思いついたことを、清次は聞いた。
「邪魔か?」
「何?」
「よそ者が、何度も入ってくんのはよ」
「そんなことはねえよ」
 つまらなそうに京一は言う。邪魔ではない。ならば何が気に入らないのか。清次がじっと見ていると、京一は煙草を指に移し、やはりつまらなそうに、肩をすくめた。
「同じ人間だけでやっていれば、どうしても油断が出る。腐る奴もいる。カンフル剤にはなるんじゃねえか。効果のほどは知れんがな」
 京一はこちらを見ない。声に張りはない。気に入らなさは伝わってくる。その理由は伝わってこない。伝える気も京一にはなさそうだ。こういう時、京一は何を聞いても答えない。ならば聞かない方が会話は続く。
「ならいいけどよ。京一の邪魔じゃねえんなら」
 京一の邪魔になるなら、あのRのドライバーには二度と来るなと言っておくところだ。京一の気を悪くしてまで迎える相手ではない。自分は向こうのホームで勝っている。執着はない。向こうは負けているから、京一の言う通り、執着はあるのかもしれない。しかしその執着は、仲を悪くはしても良くはしない類のものだ。一体京一は何を見ているのだろう。清次としては、誰が見ても京一の見方が間違っているとしか思えない。
「羨ましいことだ」
 その静かな呟きに妙なもの感じ、清次は京一を見た。静かな顔。遠くを見ている。Rのドライバーのいる方向。清次もそちらを見てみたが、黒いGT−Rと、Rのドライバーがうちのメンバーとが何か話しているだけだった。京一の顔は静かで、その分何かが騒いでいるようだった。声も同じだ。静かな呟きには、静けさに抑えつけられた騒がしさが聞かれた。羨ましい。何を見て京一がそんなことを呟くのか、分からない。分からないが、聞いても京一は何も答えないだろう。
「そうかね」
 だから清次はただ呟きを返した。京一は何も返してこなかった。見てみれば、その目は遠い。どこか別のところに行っている。こういう時、京一は何も言わなくなる。いつも通りだ。清次は自分も煙草を吸うことにした。よく分からぬことばかりを言うにしても、いつも通りの京一が感じられれば、清次は安心できるのだった。
(終)


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