ブラッシュバック



 見かけのせいか態度のせいか、能天気だの脳筋だのと見られがちだが、これでも神経は繊細でプレッシャーにも敏感だ。大体能天気で脳筋な奴が、家庭環境を理由にグレるわけはないだろうし、そういうお幸せな奴に、身を縮ませるほどのプレッシャーの中で、誰にもケチをつけられないだけの成果を収める快感も、分かりはしないだろう。
 ともかく、誰が何と言おうが自分はデリケートだ、と啓介は思う。だからこそ、慣れた駐車場でその車を見つけた時、素通りも近寄せもせずに、三メートルだけ開けて斜め後ろに愛車を停めるという、半端な対応を取ったのだ。デリケートでないのなら、それを無視しきっているか、近づききっている。
 でも、これは違うんじゃねえの。
 自分が自分でないような感覚がある。それは他人の、そう親しくもない他人の車の助手席に座っているせいかもしれないし、その車におびただしい雨が当たっていて、外と隔たっているような気がするせいかもしれないし、そんな中でその車の持ち主と、キスをしているせいかもしれない。
 何でこんなことやってんだ、俺は。そう思う自分は、自分の行動に関与していない。では関与している自分は何なのか。他人の車の助手席で、運転席に座っていた他人を無理矢理上に載らせて、その他人とキスをしている自分は何なのか。中里と、キスをしている自分は何なのか。
 これも俺か。啓介は思う。そうかもしれない。以前はキレて暴走することもよくあった。繊細なのと同じで、キレやすいのも性分だ。ある程度抑えられるようになったとはいえ、キレる時にはキレる。それが、今だというだけなのかもしれない。
 でも、これはねえよ。
 32の助手席に乗り込んだ時には、こんなこと、考えてもいなかった。というか、何も考えていなかった。考えると躊躇する。躊躇は遠慮で、遠慮は侮蔑だ。中里に侮蔑されたくはないから、躊躇もしないようにした。考えたのはFDに乗っていた時までで、それは無視しきるか、近づききるかの選択についてだった。どちらが簡単で、自分の意に敵うのかといえば、後者だったから、そこで考えるのはやめた。後は野となれ山となれだ。事態は勝手には進まないが、一度進めてしまえば、流れができる。それに乗れば、何がしかは進んでいくはずだった。
 でも、これはねえ。
 近づききって、どうするかなど、考えてもなかったのだ。ただ、半端でいるのは、気分が悪かった。実力を争う走り屋の間で、遠慮は侮蔑でしかない。侮蔑はされたくない。したくもない。だからこそ、一度バトルで負かした後、遠慮せずに中里の走りを批判した。それを今更思い出して、言いすぎたと思いたがる自分を、遠慮したがる自分を、のさばらせておくことは、つまりは侮蔑だった。
 半端でいることは、やめた。遠慮せず32の助手席に乗り込んで、運転席に中里がいることを確認してから、挨拶をした。会話をした。ここに置いてけぼりを食らったナイトキッズのメンバーに泣きつかれて、わざわざ迎えに来たと言う中里に、パシリだなと言うと、うるせえと舌打ちされた。ああ、普通だな。何が普通か定められるほど、中里と深い付き合いもなかったが、そう感じた。そう思えた。そしてなぜか、ほっとした。
 その直後、中里の携帯電話が鳴った。結局、泣きついてきたメンバーは、置いてけぼりにしたメンバーに拾われたらしい。電話の相手には呆れるだけだった中里が、思い出したように、何でお前がここにいるだの偉そうにするなだのと八つ当たりをしてきたのを受けて、啓介は、遠慮せず退散するつもりだった。その時、大粒の雨がフロントガラスを打ちつけなければ、間違いなく、外に出ていただろう。間違いなく、中里とは別れていた。
 ああ、でも。
 突然の大雨は、雷を伴った。一瞬の光の後、間を置いて肌を震わせた轟音は、FDに落ちてねえよな、と思わず後方を確認してしまったほど、強烈だった。その後、中里を見た。様子を見ようなどとは、考えていなかった。あまりに近く感じられた雷がもたらした、驚きと恐れで昂った気分を、同じ空間にいる人間と、共有したくなっただけだ。そして、見た。両膝の上で、両拳を握り締めて、硬直している中里を見た。見た途端、別種の興奮が、背筋を走った。
 そのまま、時間が止まってくれれば良かったのかもしれない。だが、時間は進み、二つ目の雷が、どこかに落ちた。光が、中里の顔を照らし、音が、中里の体を震わせた。啓介も、反射的に震えていた。近い雷だった。恐怖を覚えるに足る、轟音だった。硬直し続ける中里の顔には、その恐怖が、まざまざと刻まれていた。
 もう、やっちまってんだよな。
 まさに目と鼻の先で、目をつむっている中里の、濃いまつげが、まぶたの震えに合わせて揺れているのを見ると、あの顔を見た時、覚えた興奮と、同じものが、背筋を走る。つい、舌を強く中に押し入れて、押しつけている。それで、苦しそうな声を出されると、余計にくる。もっと、苦しませてやりたくなる。もっと、ひどいことをしてやりたくなる。
 それは駄目だろ、と思う自分と、ナビまで換装してなくて良かったな、と思う自分がいる。どちらも、キスをやめさせようとはしない。なら、これはもう、自分でしかないのか。最初から、自分でしかなかったのか。最初から、こういう自分はどこかにいて、出る時になれば、出るようになっていたのか。キレる時にはキレてしまうのと、同じように。
 犬の唸り声のような、雷の音が消えないうちに、右手を伸ばして、中里のシャツの右肩を掴み、シートに左上半身を押しつけるようにして、唇に噛みついた。上唇にだ。その後、舌で、下の歯を舐めた。歯茎は硬く、頬の肉は柔らかかった。それだけで、攣りそうなほど、背中がぞくぞくした。首に拳をあてがわれて、喉を潰すように顔を押し剥がされて、ぎらついた目で睨まれて、本当に攣りかけた。
 エロいな、こいつ。
 何でまた、そんなことをそんな時に思ったのかは、分からない。何でまた、今でもそう思っているのかも、分からない。中里は男だ。見るからに男だ。毛深く、骨張っていて、美形とは程遠い。美形な男は身近にいる。近親者にいる。仕草を見て、エロいな、と思ったことはある。俺が女なら濡れてんだろうな、と思ったこともある。客観的にだ。欲情したことはない。キスをしたくなったことなどない。
 ぎらぎらした目で睨まれながら、ぶっ飛ばされてえのか、と言われた。ぶっ飛ばされたいとは思わなかったが、ぶっ飛ばしたいのならば、ぶっ飛ばしてみればいい、とは思った。やりたきゃやれよ。だから、手を離して、そう言ったのだ。中里は、ぶっ飛ばそうとはしなかった。拳を胸まで下げて、できるわけねえだろ、と吠えた。お前は、高橋啓介だぜ。
 三つ目、雷がどこかに落ちる。光が露わにした中里の顔は、怒気を漂わせながらも、どこか泣きそうになっていて、音が聞こえる前に啓介は、両手でそれを、挟み取っていた。
 遠慮は侮蔑だ。だが、そうと分かっていても、それしかできない、それ以外にどうしようもない人間の遠慮は、侮蔑の効力を持たないのかもしれない。ただ、何も変えられない、何も進められない本人の力不足が、愚かさが際立って、それは本人への侮蔑を招くだけなのかもしれない。それは、やましさをもたらすのかもしれない。そして、泣きそうになる。
 頬の下を手の付け根で押すと、顎が下がり、口が開く。開いた中に舌をねじ込んで、皮の薄いところを舐めると、中里は腕を掴んできた。音が鳴って、力を入れられた分、入れ返し、強くつながる。届く限り、舌と一緒に、内側を舐め回していくうちに、呻きが聞こえて、興奮で、背中が攣りそうになった。

 体をねじっているよりも、真っ直ぐ座っている方が、それは楽だ。バケットシートにでも、腰を据えてしまえば余裕は出る。あちらこちらに頭だ何だをぶつけながら上に載ってきて、というか無理矢理上に載せてやって、今でもどっかこっかにぶつかっている中里に、そういう余裕はないだろう。腰に手を添えているだけなのに、逃げようともせず、目をつむって、まぶたとまつげを震わせて、苦しそうな声を上げている。
 エロいんだよなあ、何か。
 思い、首をもう少し傾げたついでに、唇を深く重ねて、舌を絡ませる。背中を攣らせかけていた興奮は、下にいき、腰のあたりに溜まっている。溜まって、形になろうとしている。中里の唇を奪い、舌を奪い、口を奪い、唾液を奪い、苦しそうにさせて、自分は興奮している。欲情している。その証拠が、腰のあたりに溜まっている。もっと、溜めたくなっている。もっとひどくして、苦しませて、それを感じて、興奮したくなっている。
 でも、ねえよなあ。
 それは、思うだけだ。やめる気は起きない。こんなに平然と、堂々と相手を犯すようなことをする自分は知らなかったが、肉体は確かに反応しているから、そういう自分も、ここにいる自分に違いはないのだろう。化けの皮が剥がれたか。あっちの皮は剥がれてんだけどな。そんなくだらないことを思いながら啓介は、中里のジーンズの前を開いていた。下着ごと太ももまで下ろすと、中里は顔を離し、驚きか何かで伸び上がった拍子に、天井に痛そうな音を立てて頭をぶつけ、それを痛そうに両手で抱えた。
 学習しようぜ、中里さん。
 自分の車の中だからといって、安心してはいけない。急に動くとろくなことはないのだ。車にせよ人間にせよ、狭い空間で、立場が不安定なら尚更、行動には慎重さが要される。当然のことだ。ただ、人間うろたまくると、当然のことも忘れてしまうものなのかもしれない。だからといって、同じ失敗を何度も繰り返すのは、間抜けとしか言いようがない。そんな間抜けな男の、外に出てきたものに触れると、少し反応していた。
 俺も捨てたもんじゃねえな。少し嬉しさを覚えながら、親指で擦ったところは、ぬめっていた。両手で抱えていた頭を上げた中里は、またもや天井にぶつかり、呻いて、舌打ちすると、もう頭は抱えずに、間近で吠えた。
「何しやがる」
 うわ、うっせえ。
 雨音がまだどぎついとはいえ、キスできるほど距離は近いのだから、怒鳴られなくても、十分聞こえる。いらっとして、ぬめっているくせに半端な状態のものを、握り締めていた。びくりとした中里が、シートに縋りきれなかったらしく、目の前で俯く。その首筋に左手を当てて、左肩の上に顎を置かせて、右手は締めつけを緩め、軽く動かしながら、啓介は声をひそめて囁いた。
「んなでけえ声出さなくても、聞こえるって。こんなに近いんだぜ」
 耳に、唇を押し当てていた。息を呑んだ中里が、次に出した声は、やかましくはなかった。
「何、すんだよ」
 それは、囁きだ。揺らいでいる声、熱く湿った息が耳に触れて、ぞくぞくして、興奮は、腰のあたりに溜まる。うわ。繊細な神経がこんな時に出張り、単なる男の、強がりの透けた情けない声を、特別刺激的なものとして、脳に届ける。くるな、こりゃ。今度は太ももの付け根が、攣りかけた。
「何だと思う」
 自分でも、明確に何をしようと決めて動いているのではない。できた流れに乗っているだけだ。それを、中里は何だと思っているのだろうか。悪ふざけだと思っているだろうか。憂さ晴らしだと思っているだろうか。ここまでの状況が何を表しているのか、分かっているのだろうか。
「俺が、知るか」
 知りたくもねえか。まあ、そうだろうな。手に力を込めると、耳に、首に、息がかかる。整髪料と汗が混じった、化学的なんだか動物的なんだか区別のつかない匂いが、鼻の奥に突き刺さる。そこにゴムやら革やら草やら油やら煙草やらの匂いが被さってきて、それは32の中にいる中里を、32に染みついている中里を象徴しているようで、そんなものはかき消したくなって、中里の耳たぶを噛んで、啓介は言った。
「俺も知らねえよ」
 知ってはいるのかもしれない。それを知っている自分はどこかにいるのかもしれない。ただ、この場にはいない。中里は、息を殺すように、唾を飲む。
「なら、やめろ」
 低い声は、震えていて、迫力に欠けた。自分でやる時のようにやっているだけで、中里のものは、半端さを失い始めている。手に余るのは、時間の問題だ。そうなってもまだ、耐えられるのだろうか。そうなってもまだ、これをやめられると、やめさせられると、信じられるのだろうか。これを言ってもまだ、信じられるのだろうか。
「やめられんなら、やめてるだろ。お前だって」
 荒い息が聞こえる。その合間に、細い隙間から漏れ出たような、掠れた、弱々しい声が聞こえる。
「俺が、何だ」
「ぶっ飛ばせるなら、最初からぶっ飛ばしてんだろ」
 中里の首筋が、やましげに動く。そういう反応をされると、啓介は、手に力を入れざるを得ない。もっと、追い詰めざるを得ない。自分と中里との違いは、意識だけだろう。本当にやりたいと思っているのか、それともやった方がいいとしか思っていないのか。自分はやった方がいいとしか思っていなくて、中里は本当にやりたいと思っている。そして、本当にやりたいと思うことをできない時には、自分の無力さを感じるものだ。
 もう、やめる気がないんだよな、俺は。
 だから、無力感にさいなまれたりはしない。本当にやりたいと思うことは、別にあるからだ。それを自分ができるという、確信があるからだ。やめた方がいい。それは、その方がいいと思うだけで、やりたいことではない。やりたいことは、もうやっている。こんな朝も近い時間、こんな雨降りの中、こんな地元で、中里の32の中で、こんな風に犯すように、中里を追い詰めるのが、やめた方がいいと思える、やりたいことなのだ。
 右手にある中里のものは、いやらしく濡れて、刺激を与える度に、反応を示す。自分のものも、そうされたがっている。刺激を欲しがっている。おあずけを食らった覚えはない。そうしない理由はない。そうできない、理由はない。啓介は、左手を中里の首筋から外した。一つ大きく息を吐いた中里が、おずおずと顔を上げていく間に、空いた左手で自分のジーンズの前を開き、中のものを外に出す。そのまま、中里にしているのと同じ動きをしたくなったが、我慢した。その手は、中里の右肘にかける。シートに預けられている中里の右手を、強引に体の間に引っ張り込む。そして、手の甲を掴んで、自分の手ごと、自分のものに被せた。
 それを握らせると同時に、顔を上げた中里と、目が合った。潤んでいた。そこに、いやらしさがあるように見えて、その中身を確かめるために、右手を動かす。目は、閉じられた。しかめられた顔は、嫌そうにも、辛そうにも、泣きそうにも見える。バトルの後でも、こんな顔は見ていない。バトルで負かすよりも、ひどいことをしている。だというのに、バトルで負かした後よりも、胸苦しさはない。躊躇がない。遠慮がない。侮蔑もない。ほんの少しも、同情心が沸かない。
 右手と同じように、左手を動かす。中里のものをしごくように、自分のものを、中里の手でしごく。粘膜が擦れて、しびれるような快感が走り、力が入る。中里の額が、頬が、唇が、耐えがたいように、ぴくぴくと動く。沸いてくるのは、こんな時にこんな場所でこんなことをやっている、そんな最低な自分をぶっ飛ばせず、これだけ感じている中里へ、もっと最低な真似をしたいという、最低な欲だけで、それがキスをさせたりもする。
 唇も舌も受け入れた中里は、言葉にならない声を上げて、自発的に、手を動かし始めた。握ったものを、速く強く、強引にしごいていく。被せていた手を振り払おうとするような、何もかもを振り払おうとするようなその動きから、重い快感と鈍い痛みと、鋭い苛立ちがもたらされて、啓介は吸い上げた中里の舌に、歯を立てた。中里が舌を引き抜こうとするのを、噛んだまま止めて、中里の手を、自分のものから引き剥がす。中里のものからも自分の手を離して、自由になった両手は、中里の腰に回した。
 それは無理だろ。
 そう思う自分がいる。そして、思うだけの自分は、行動する自分に関与しない。中里の腰を、引っ張るようにして下ろすと、尻の間に、自分の角度のついたものが当たる。それを感じた中里が離れようとするのを、舌を噛んだままの歯に力を入れて、制する。左手は中里の尻を掴んで、右手に自分のものを持って、勘で、穴に入れようとした。
 それは無理だろ。そう思う自分がいたのだ。だが、無理はあっても、無理ではなかった。押し入った部分が、強烈な圧迫感を主張して、啓介が息を吐き出すと同時に、舌を解放された中里は、大きく呻いて、伸び上がった。天井に頭をぶつけた後、後ろに倒れて、フロントガラスとインパネにも頭をぶつける。それでもまだ体をよじり、膝を上げて、足を腹に飛ばしてきた。
「って、え」
 切れ切れに上がる声と同じく、それに威力はなかった。まだ半分も入っていないものは、ぎりぎりと締めつけられていて、まさに抜き差しならない状態だ。このままでは、血が止まりそうな気もする。
 で、どうするよ。
 ともかく、抜き差しはならない。だからそれをどうするかは後回しにして、啓介は腹に当たっている中里の足から、靴を脱がせ、それぞれ運転席に放った。それから、太ももまでは下がっていたジーンズと下着に手をかけると、素足で腹を蹴られたが、大して痛くもなかったので、無視をした。狭い場所で細かく動き続ける中里から、何とかかんとか脱がせたそれらも運転席に放り、制限のなくなった足を開かせて、肩の上にやる。そこまで済ませると、圧迫感は減り、落ち着いた。落ち着いて、中里を見た。
 中里は、まだ細かく動いている。震えている。何度も何度もしかめられる顔は、常に引きつっていて、声も引きつっていた。先ほどまで手を濡らしてきていたものは、変わり果てていた。
 痛いんだろうな。まあ、痛いだろ。これで痛くないなら、頭がおかしい。思いながら、中里の腰を掴んで、引き寄せた。
「おい、おい」
 少し進んだところで、インパネに肩を据えることにしたらしい中里が、息で叫んだ。半分まで進めてから、啓介はその声に耳を貸した。
「何だ」
「なん、何、何だ、これ、これは、てめえ」
 どもっているのは、息が続かないからだろう。口は大きく開いていて、胸は大きく上下している。ひでえな。これはひでえだろ、俺。そうは思うのだ。思いながら、少し引いて、また進めると、中里は背をたわめ、唸り、ピラーを殴りかけ、すんでで止めて、作った拳で額を擦った。ここがどこか、分かっているのだ。元から止められないことで暴れて、自分の車を傷つけるのは嫌なのだろう。だが、諦められないから、動いてしまう。可哀想な状況だ。同情心は、やはり沸かない。
「何だと思う」
 聞き返すと、拳を解いた手で顔を撫でて、中里は歯を噛んだ。
「何、やってん、だよ」
 その歯の隙間から、喉で絡まっている声が飛んできて、直後、外が光った。一瞬、白く見えた中里の顔は、痛そうで辛そうで泣きそうで、実際、涙の筋が頬についていた。それを見て啓介は、中里の腰を掴んだまま、反射的に、自分の腰を浮かせた。ずっと進み、今度は背を丸めた中里が、顔を守るように、両腕を立てた。小さくなっていた雨音の間から、雷の音が聞こえた。それは一続きになった、肌にも響かない、遠いものだったが、中里の体は震わせて、その影響で、啓介の体も震わせた。
 震えが、体を動かした。手を、中里の畳まれた腕にかけて引っ張り、顔の前で、こじ開ける。
「苦手か、雷」
 くしゃくしゃに歪んだ顔は、聞くと緩みかけて、更に歪んだ。その拍子に、目の端から涙が流れる。答えも待たず、それを啓介は、舌で舐め取りながら、シートから離れない範囲で、腰を浮かせた。
「高橋」
 引きつった声を上げる中里の、頬を舐めて、唇を舐める。歯を舐めて、舌を舐めて、中を舐める。次第に聞こえるのは、気の抜けたような声だ。中里の腕から離した右手を、腹の間にやる。そこに挟まっているものには、少しだけ、反応があった。
「何だよ」
 腰を引き、舌を引き、聞く。待ってもいない、答えはこない。押し入れたものを取り巻く圧迫感は、痛みは招かない。代わりに、欲しがっていた以上の刺激が、動きとともにもたらされる。しびれるようなそれは、鋭い快感だ。続ける理由は作り、止める理由は作らない。右手の中のものは、徐々に先ほどと同じ形になっていく。
「啓、介」
 唇に中里の、かすれた声が当たる。閉じられた目の、まぶたが、濡れたまつげが、眉毛とともに震えるのが、よく見える。見て、沸いてくるのはやはり、もっと最低な真似をしてやりたいという、最低な欲だけだ。
 ひでえな。
「何だ」
 思う自分が、中里の下唇を噛んで、答えの要らない問いをかけた。
(終)


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