セルフジャッジ
関節が外れそうなほどに強く押され、内臓が持っていかれそうなほどに強く引かれる。浅くなった呼吸と同じ調子で、それを繰り返され、苦しくてたまらないのに、勝手に漏れていく声が表すのは、否定しようのない、意識を侵すほどの快感だ。
「啓介っ……」
残る意識を振り絞り、止めてほしくて名を呼ぶと、激しい動きの中でも崩れない、端整な顔が近づいてきて、責め手がまったく緩められないまま、唇を重ねられる。舌を奪われ、口も尻も塞がれて、なけなしの理性が、一際大きく恐怖を訴えた。
こんな風になるとは、考えてもいなかったのだ。
「お前、俺のこと、まだ疑ってるだろ」
事後の気怠さに包まれている体の、胸の上に、煙草を片手に持った高橋啓介が、汗をかきながらも冷ややかな顔を載せ、確信的にそう言ってきた時、中里が感じたのは多少の、他人と関わる際には必ず生じる、言葉一つで変化しうる状況への厄介さのみで、人の体に灰落とすなよ、と注意すると、速やかに灰皿を胸に置いてきた高橋が、俺の気持ち、まだ疑ってるよな。と、同じような、だがそれよりも詳細な言葉を、形の良い唇から発してきても、適当にあしらう気には、ならなかった。
「信じてねえ奴と、するわけねえだろ、こんなこと」
それは中里にしてみれば、声にするにも結構な気合を要した、重大な告白だった。バトルで完璧に下してきた、レッドサンズの高橋啓介、抜群に容姿の優れたFDのドライバー、その男が、好きだと言い、やりたいと、抱きたいと言ってきた時には、中里も、その頭を疑わないということはなかったが、それでも関係を持ち、今も続けているのは、その本気を切実に感じたからで、言ってしまえば最初から、疑ってなどいなかった、信じて、体を委ねたわけで、そんな自分の甘ったるい心情を、隠さず伝えるには、好きだと言い返すことも許さない、男としての、ナイトキッズの中里毅としてのプライドを押さねばならず、つまりそれは中里にとっては最早、好きだと言い返したのと同じようなことだった。
「そうじゃねえよ」
だから、冷ややかな顔のままの高橋に、あっさりと、いとも簡単に、そう言い切られた途端、自分の努力を、想いを無下にされたようで、何が違うのかと考えるよりも先に、中里の頭には、一気に血が上ったのだ。
「その時は信じても、ずっとは信じてねえだろ。俺の気持ちがずっと続くってことは、信じてない」
怒りで思考も覚束なくなる中で、人間なんだから、ずっと続くなんてことはありえねえだろ。と、一般論を何とか捻り出しても、人間がどうのって話じゃなくてよ、と、高橋はあくまでも冷静に、俺とお前の話だろ。俺がお前をどう思ってるか、お前が俺をどう思ってるかって話。別に、お前が俺の気持ち、長続きしねえって疑うのは、いいんだよ。でも、それなら、いつか終わると思ってるなら、そんなに気ィ遣うなよ。諦めないで、いくらでも勝手に扱ってみろよ、俺のこと。と、的確なことを、投げやりではない、真摯で、抱いてくる時に見せる、好きなものに熱中する子供のような様子と大違いの、大人びた調子で言ってくるから、中里は打ち負かされたような気分になってしまって、どうにもむしゃくしゃして、つい、それを、口走っていた。
「お前こそ、本気でしてねえじゃねえか」
高橋の、事を進める際に常時有する余裕は、豊富と思われる経験ゆえのみではなく、全力を出し切っていないからでもあることを、分からないほど中里も、鈍感ではいられなかった。ただ、その程度の力を費やされるだけでも、入れられた高橋のものを、逃さないよう、締めつけてしまうほど追い詰められてしまうから、本気でされずとも、不満は持たず、それどころか、大切に扱われていることへの、甘ったるい嬉しさがこみ上げてきて、恥ずかしくなり、考えないようにしていたほどだ。だから、本気でされていなくとも、まったく構わなかったのに、血が上った頭では、正常な判断ができるわけもなかった。
「じゃあ、本気でやってもいいのか?」
それとこれとは話が違うだろ。と、怪訝そうに言う高橋に、ますます怒りを煽られて、違わねえよ。気ィ遣われたくねえってんなら、自分がまず、気ィ遣うのやめるのが、筋じゃねえか。と、怒鳴るように言った後、怖がる素振りもしなかった高橋の、まだ汗と赤みの残る鋭い顔に、それまでの冷ややかさを一切無とする、陽気な笑みがにわかに浮かび、期待感に満ちた声で、そう聞かれて、すぐさま覚えた並々ならぬ嫌な予感も、分析できる状態ではなく、反射的に、できるもんならやってみやがれ、と、答える自分を中里は、制することも、できなかったのだ。
こんな風になると分かっていたら、どれだけ頭に血が上っていても、あんなことは言わなかった。至極嬉しそうで、楽しそうな、見惚れてしまうほど綺麗な笑みを深めた高橋が、吸っていた煙草を潰した灰皿をよけてすぐ、深いキスをしてきて、間を置かず、尻にぬめる指を突っ込んできて、初めて気付いたのだ。一度の射精で事を済ませる高橋が、今まで続けざまに触れてきたことのない、閉じきっていない場所に、風呂に入って寝てしまえば消える程度の、終わった後もあった疼くような余韻が、体内に潜り込まれる違和感よりも先に、内側を刺激される快感をもたらしてくると、その時初めて中里は気付き、考えてもいなかった自分の体の反応に戸惑い、制止の声を上げようとしたが、それは言葉になる前に、高橋の口に、呑み込まれた。
こんな風になるとは、考えてもいなかったのだ。感じる部分を集中的に擦っていく指に、簡単に意識を白まされて、口腔を泳ぐ舌に、どんな声も吸い取られて、どんな感覚も高められて、あっという間に追い詰められてしまうほど、一度達した自分の体が、快楽に敏感になるなどとは、知らなかったし、指とキスだけで、あまりに容易く翻弄されるのが辛くて、早く終わって、入れてもらえるように、手にした高橋のものを、完全に硬くなるまで、必死にしごいて、その手を封じられた後にまた、初めて知ったのだ。高橋啓介が、その状態のまま、しばらくは待ち続けられるほど、辛抱強い男であることを、何の焦りも感じさせないのに、荒々しく、それでいて丁寧に、指を動かし続けられるほど、冷静に情熱的な男であることを、初めて知って、思い知らされて、与えられる快感で混乱する意識の中、しかしそんなことは、前々から、自分だけが命を懸けていた、厳しいバトルで負けた時から分かっていたように感じられ、中里はようやく、選択を後悔するだけの思考を掴み、それも、深まるばかりの感覚に、掻き消され、再び、選択を誤った。
口を塞いでくる、高橋の口を振り解き、出すべきだったのは、この状況を呼び込んだのと同じ、その場しのぎの言葉では決してなく、呑み込まれた制止の言葉だったというのに、怒りを忘れさせた、強い快感による興奮で血が上った頭では、正常な判断など、できるわけもなかったのだ。だから、再び口を塞ごうとしてくる高橋の、首に夢中で縋り付いて、入れろ、入れてくれ、と言った時、中里には、そうすれば終わる、という思いしかなく、確認もしてこずに、高橋が入ってきた時には、これで終わる、と安堵したほどだが、それも束の間だ。指と違い、体の芯を真っ直ぐ貫いたものが、指よりも高い圧力をかけてきながら、内部をえぐり、緩んだ体に、圧倒的な快楽が注ぎ込まれて中里は、抗えない絶頂に襲われ、それが収束しないうちに、激しく突き上げられ、気を失いかけた。
それでも何とか意識を保ち、幾度も寄せてくる官能の波に、中里は耐えていた。耐えながら、恐怖を覚えていた。乱暴なまでに、苛烈に抱かれている体は、苦痛を味わいながら、高橋が律動する度、もたらされる感覚に、歓喜に打ち震えるのだ。こんな風になるとは、考えてもいなかった。この後、自分がどんな風になるかも、考えられない。このままでは、どうなってしまうか分からないという、巨大に膨らんだ恐怖が、蕩けかけている中里の、体を奇跡的に動かした。塞がれた口を、再び自力で解放し、とにもかくにも、啓介、と、いつもなら気を引けるはずの名を、この場では通用しないと知れていても、呼んだ。
「分かった、分かったから、もう」
泣きそうに震える声を、繕う余裕もなく、やめてくれ。と言うより早く、揺動が止まり、急激な変化に、呆然とする。
「分かったって、何が」
眼前にある、嘘臭いほど艶やかな肌に覆われた、攻撃的な印象を与える顔に、不思議そうな、人懐っこい表情が浮かんでいるのを見ると、救いを得られたような気分になり、わずかながら戻った思考で、お前の本気は、分かったから、と、中里は言葉を選んだ。
「分かったから、もう、疑わねえ、から、これ以上は、もう」
「違うぜ」
やめてくれ、と言うより早く、高橋が、言い切った。その、人懐っこさが一挙に排された顔に浮かんだのは、冷静で、情熱的で、挑発的な、笑みだ。
「俺、まだ本気出してねえし」
考えてもいなかったことを、目の当たりにして、脳が焦げ付いたようだった。
「何?」
引き攣った顔が、勝手に、媚びるような笑みを作る。それを見た高橋が、甘ったるいほど、優美に笑った。
「もっと笑えよ、中里」
そのまま、顔を寄せられる。唇を吸われ、舌も吸われながら、尻を往ったのは、快感の生まれる場所をじっくりと、一点も残さず掘り起こしていくような動きで、緻密に、着実に、休みなく、絶頂に導かれてすぐ、再び激しく責められて、中里は、戻った思考をすべて奪われ、全身を引き攣らせて、媚びるように、笑っていた。
(終)
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