空気のような



 目を合わせたがらないのはいつものことだ。嫌いではないらしい。苦手だそうだ。
 啓介にはその違いがいまいち分からない。苦手な奴は嫌いになる。嫌いな奴は苦手になる。
 苦手単体、それで済まそうとする中里のことも、いまいち分からない。いまいち分からないなりに、分かっているような気もする。分かられている気もする。多分、どこまでかは勘違いだが、どこからどこまでが勘違いかははっきりとしない。はっきりさせるつもりもない。
 注意を惹こうという気にはならない。かといって、どうでも良いわけではない。
 窮屈そうながらも、中里がFDに乗ってくるのは、多分お互いその程度だからだろう。中途半端に認めている。中途半端に認められている。それも不愉快ではない程度。
 肌が触れる距離でも、目を合わせたがらない。
 肌を重ねる距離でも、目を合わせたがらない。
 程度に疑念を覚えるのは、そういう時くらいだけだ。注意を惹こうという気にはならない。かといって、どうでも良いわけではない。ふと時折、傍に欲しくなる。その程度。
 中里から、連絡がくることはない。
 目を合わせたがらない。
 目を無理矢理合わせたら、キスはしてくる。
 GT−Rに乗れと言われたことはない。
 泊まりはしない。
 会う時間は短い。似たような話を繰り返す。車の話、世間話。世知辛い世の中について。金、時間、金、時間。
 感情についての確認は、互いに避けている。それは分かる。苦手。それ以上に考えることはないという空気がある。好きも嫌いも、存在するべきではないという空気がある。
 進まない。
 いくら奥まで入り込んでも、どこにも触れていない。その何もなさが、親しい。その何もなさが欲しい。空っぽでいたい。ほんの一瞬だけ、自分がなくなる。
 それは一瞬で忘れたい。
 だから、その程度でなければならないと、分かってしまっているのかもしれない。
(終)

2007/09/26
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