タイミングが悪いんだろう



 三年に一度くらい、おれはどうしようもなくなるときがある。おもしろいほどなにもかもがつまらなく見えて、なにに意味があるのかがわからなくなるんだ。
 そういうときは、なにもしない。
 初めてそうなったのは中学一年だったと思う。オヤジのいないダチの家に行ったとき、うちと違いすぎて、すげえ気分が悪くなって、それから目の前にあるもん、全部がうそ臭く見えた。なにが信じられるのかがわからなくなった。アニキの言ってることでも、ちゃんとしたこと言ってるってのはわかるんだけど、そのちゃんとしたことになんの意味があるのかが、全然わからなくなっていた。だからおれはどうしようもなくなって、色んなヤツに八つ当たりして、色んなもんをぶち壊して、どうにかなる方法をひたすら探してた。
 でも、一ヶ月くらい経って朝起きたら、全部は終わってた。間違ってるように見えたもんが、きれいにピッタリとただしくはまってた。自分がなにを悩んでたのかがわからなくなった。世界はなにも変わっちゃいなかった。そういうもんだ、と誰かが言ったような気がした。時間がたてばどうにかなる。
 だからおれはそういうとき、なにもしないで、次の日の朝がくるのをただ待っている。いつか絶対に、その夢は終わるからだ。おれはそれを知っている。
 ただ、おれたちはやたらとタイミングが悪いみたいで、そういうときに限って、会う約束をしてたりした。
 そもそもおれたちがどうこうなったのも、タイミングが悪かったせいだ。あいつは連敗食ってて弱ってた時期で、おれはエンペラーと藤原で頭がいっぱいで、たまってて、あいつとおれにはそのつながりしかなくて、会えばそれしか思い出さなくて、だからおれたちはフツウの考えができなくなってたから、そのときは、そうなったらどうなるか、あとのことなんて考えちゃいなかった。
 おれはアニキと違って、実際色々やってるヤツらの話を聞いてるから、知識のリアルさに関しては勝っている、と思う。だからいざそういうフンイキになったとき、たいして苦もなくヤッちまえたんだ。
 終わったあと、おれはあいつに悪いとも思えなかったし、間違ったことをやったとも思えなかった。今でもそう思う。あれ以外におれたちはどうにもならなかった、それだけはおれは信じてる。おれは生きてんだか死んでんだかわからねえツラしてるあいつに、そういうことを言ったと思う。詳しいことは覚えてないけど、そういう感じのことを言った。あいつは、一理ある、って答えて、それから今になるまで、おれたちは細々続いてる。
 あのタイミングじゃなけりゃ、おれたちはどうにもならなかったと思う。チームでなんかトラブルあるときか、あいつがおれにリベンジしてくるか、そうでもなきゃ会うこともなかっただろうし、それで会っても、ケンカ腰で会って、ケンカ腰に別れる、ただそれだけだったはずだ。
 だから、おれたちはタイミングが悪い。
 会うときはいつもおれの家だった。男二人でラブホは行きたくねえし、あいつの家は狭くてカベが薄くてベッドが小さくて、ロクな食いもん置いてないから、おれの家に親もアニキもいないときを計算して、あいつの都合も考えて、会う日を決める。でもどっちかが気が向かなくなったら、ドタキャンもアリだった。なりゆきで始まったんだから、なりゆきで終わったっておれはよかったし、あいつもよかったんだと思う。ただあいつは、それでも一応約束とか、形にこだわるヤツで、おれもそれになんとなく流された。なんとなく、そこはあいつを優先してやらなきゃならない、そう思ったんだ。多分あいつは、そうやって生きてきたんだから。
 それで、おれはその日、どうしようもなくなってたけど、あいつと会うのをやめなかった。そうなったときにあいつに会ったことはなかったから、もしかしたらどうにかなるかもしれねえ、て考えたせいもある。
 でもそれは間違ってた、って、おれはあいつの顔見たときは、そう思った。
 あいつの顔見たって、それがなににつながんのかよくわかんなくて、おれの部屋にあいつがいても、なんであいつがおれの部屋にいるんだかもわからなかった。
 アイサツしてから、二十分くらい、おれたちはなにもしゃべらなかった。あいつはなにも聞かなかった。おれもなにも言わなかった。タバコふかして、おれは開けた窓から外を見てた。空が青くて、雲は薄かった。おれは雲が消えていくのをただ見てた。二十分くらいだと思う。けどおれは時計を見てなかったから、多分そのくらいじゃないかって思っただけで、実際は五分かもしれないし、一時間かもしれない。
 おれは雲に飽きて、イスに座ってタバコくわえてぼんやりしてるあいつに、帰れって言った。あいつは1分くらいしてから、わかった、っつって、立ち上がった。おれは急にムカついた。戸を開けようとするあいつの右肩をひっつかんで、そのまま閉じたままの戸に背中を押しつけた。なにやってんだ、って、引いてる顔で言われて、おれはつい、平手であいつのほっぺたを叩いた。そしたら叩き返された。痛かったから、おれはあいつの髪の毛ひっつかんで床にひきずり倒して、そのまま頭を床に押しつけた。でもそれから先、どうすりゃいいのかわからなかった。殴るのか、抱くのか、なにもなかったみたいに手を離すのか、言葉を使うのか、なにをやりたいのか、なにをやればいいのかわからなかった。
 けどおれがなにかする前に、あいつがいきなり両手でおれの首を絞めてきたから、おれはとりあえずあいつの手を、おれの首から離さなきゃならなくなった。首が絞まって、息が苦しくなって、頭に血がのぼって、このまま死ぬのか、ってイッシュン考えたら、おれはとんでもなくこわくなった。死にたくなかった。おれは夢中であいつの手をひっぱなして、あいつから、逃げた。心臓がバクバクいって、ノドが重かった。
 あいつは、やられる気もねえのに殴るな、だか叫んでから、そういうのはおれに似合わねえ、みたいなことを言っていた。おれの器じゃない。だからやめろ。やめるもなにもなかった。おれはあいつに首を絞められたときからもう、もとに戻ってたからだ。やめるもなにもなかった。もう、やれなかった。
 おれは誰かを叩きたいわけでも殴りたいわけでもなくて、やられたいわけでもなくて、ただ、走っていたいだけだった。
 それから、あいつはなんでかおれの部屋を片付けて、おれは部屋のすみでぼけっとしてて、しばらくしてから、なにもなかったみてえにしゃべくって、カラダがダルかったから抜くだけにして、あいつはイスに座って、おれはベッドに座って、窓の外を見た。雲はゆっくり流れてた。おれはそれで、どうしてあいつがおれの首を絞めるなんてしたのか、聞いた。あいつも窓の外を見ながら、気ィ抜けた感じで話をした。
「昨日、昔の知り合いと飲んだんだよ。たまたま町で会って。昔の、っつっても高校のな、それで、酒飲んだことなんてなかったんだよ、その頃は。……そうだよ、おれはマジメだったんだ。あ? 今はいいんだよ今は、細かいことツッコむな。だからな、飲んでなかったから、飲みグセがどうかなんて、知らなかったんだよな。そいつの。それで飲んで、いいアンバイになって、そしたらそいつ、まあ、悪かったんだよなあ。酒グセが。ひょろっこいカラダのくせに、口だけは達者になって、高校時代の話な、グチだらけだよ。人の話も聞かねえの。酔っ払いはイヤだね、あれだから。なに? おれか、おれは、スマートだよ。訓練してんだ。うたがうなよ、そこまでハメ外しゃしねえよ、おれは。そりゃいいだろ。で、そいつ、勢いあまって他の客と、店の、ケンカなりそうになったから、おれ止めに入ったんだよ、一応さ。暴力はダメだろ。……だから何度も言ってんじゃねえか、おれは平和主義者なんだ。そりゃおまえ、やられたままじゃあれだけどよ。おれの平和だよ。第一は。自分勝手、言ってろ。それで、どこまで話したっけ。ああそうそう、そいつを止めたら、おれにホコサキが向いてな。いきなり足払われてさ、マウント取られて、殴られかかったんだよ。おれが。そいつのカラダ、ヤセギスの背もねえから、ひっくり返すなんてワケもなかったんだけどよ、でもな、顔が、そいつの顔が、もう、なんつーか、敵がないような、とにかくもう、かなわねえって思っちまうような、ツラ、してたんだよ。イッちまってるみてえな。それがこわくてな。まあそいつはおれをどうにかするまえに、勝手に沈没したけどよ。シュンカン芸。疲れたよ。だから? だから、それがダブってな、おまえと。さっきの。殺されるんじゃねえかって思っちまって、つい」
 おれはあいつを殺そうとなんてしてなかった。そこまでおれは考えナシじゃない。おれがそう言うとあいつは、条件反射で、って言いづらそうに言って、悪かった、って謝ってきたから、おれは、オタガイサマだよ、って言っておいた。
 おれたちはそれからまた、十分くらい、窓の外を見てた。あいつはそうして、帰るっつって、帰ってった。
 おれはベッドに寝転んで、次の日の朝を待たなくなったことを、よいと思えばいいのか悪いと思えばいいのか、少しだけ考えた。けど、役に立たないことを深く考えるのは、おれの性に合わない。どうでもよくなったから、おれは、とにかく、外に出た。
 ただやっぱり、おれと中里はタイミングが悪いんだろう、とは考えた。
(終)


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