発展系
物事は案外ゲキテキには起こんねえもんだな、と思いながら、俺は家の階段を上る。ふと思い出して、うち来ねえ、今日誰もいねえし、って聞いたら、そうだな、と中里は普通にうなずいた。そんな単純でいいのかよ、って感じもあったけど、まあ変にタメ作られるよりゃマシだし、何でもかんでもゲキテキでも疲れるもんだ。
そんで二階まであと少し、ってところで、後ろをついて来ている中里が、やっぱ、と気の抜けたような声を出した。
「お前、金持ちの息子なんだな」
「あー? ああ、でもウチよりすげえところもざらにあるぜ」
「冗談言うなよ、リビングだけで俺の実家の何倍もあるってのに」
「親父の知り合いの家とか連れてかれた時あるけどよ、ウチの二倍は広さがあった」
マジかよ、と中里が呟いたので、マジだ、と返す。その家はやたらと高そうなツボが飾ってあった。俺にとっちゃただのツボだったけど(物を入れないツボなんて、ツボの意味があるんだろうか?)。
そんなくだらねえことを話している間に、ツボは置いてない俺の部屋のドアの前まで来た。俺は一旦立ち止まって、落ち着かなく廊下を見渡している中里に、アニキにうるさいくらいに言い聞かされた通り、心構えを説明することにした。
「俺は慣れちまってるからよく分かんねえけど、結構初めての奴には驚くに値する部屋らしいから、まあそういうことだと思っといてくれ」
「何だ、ヘビでもいるのか」
爬虫類はどうだろうな、と言って、俺はドアを開けて部屋を入った。俺に続いた中里を向くと、何だか悟りきったようなツラをして、部屋を見渡していた。驚いてんのかな、これは。アニキが言うには、あんまりにも俺の部屋は統一性がないとか何とかってことらしいけど、俺からしたら何がどこにあるのかは分かるから、何でみんな何十秒か固まっちまうのか不思議ではある(ほこりとかくもの巣がかかってるわけじゃあないんだ)。まあ案の定、何十秒か固まった中里は、しばらくしてから細めた目で(でも普通の奴よりはでかいんだよな)俺を見て、かなり引きつった笑顔を浮かべた。
「なあ、高橋」
「何だ」
「ここに俺はどうやってお邪魔すりゃあいいんだ?」
「床は見えてるだろ」
「いつ掃除した」
「覚えてねえよ。いや、細かくはやってるから」
「するぞ」
「……今?」
「今」
「マジかよ」
「マジだ」
引きつったままの笑顔のくせに、今まで聞いたこともねえくらいに優しい声で言われちゃあ、断るのもムリって話。
まあ何するにしても、座る場所がなきゃできるもんでもない、か(歩く場所はあるんだけどな、微妙に)。そんなわけで俺はとりあえず、脱ぎ散らかした洋服やら読みっぱなしの雑誌やら何やらを、適当にまとめてみた。久しぶりに一メートル四方の床の色を見た気がする。
「お前よ、よくもここまで溜め込んだな。これはこれで感心するぜ」
「溜め込んでねえよ。これは俺にとって全部必要なものなんだよ」
「であっても、こりゃ衛生上の問題があるぞ。ほこりが溜まりすぎだ」
「そうか? 別に気になんねえけど」
「俺が気になるんだよ。空気悪いな。おい、掃除機あるか」
俺と逆方向の端をほじくり出してる中里が言ってきた。座る場所さえありゃいいと俺は思うんだが、こいつは地味に綺麗好きなんだろうか(でも別にシャワー浴びてなくてもやれるし、よく分からない)。
しかし掃除機か。確かアニキが俺の誕生日に押し付けてきたのが、この辺りの物の奥にあったはずだ。
「ちょっと待ってろ、今引っこ抜く」
「ああ? お前どんなとこに置いてんだよ」
パイプが見えた。面倒だからそれを引きずり出したら、右ひじが隣にあったダンボールに突き刺さって、俺は反射的に身を丸くした。ダンボールの上に重ねてた雑誌が一気に背中に降りかかってくる。何だこの地味な痛さ。ばさばさばさばさうるさいし。
「啓介!」
中里の声がした。あれ、何か違うな、と思ったが、今はそれどころじゃない。積んでたのが薄い漫画の雑誌だったから体に傷もついてないはずだけど、せっかく見えた床にそいつらがまた広がりやがった。よし、もうやる気出ねえぞ。積んでたまるか、とにかく端に寄せてやる。開き直って散らばった雑誌を壁にそっくり飛ばした俺の目の前に、心配そうな中里の顔が出てきた。
「おい高橋、大丈夫か」
「ああ、まあ……」
厚い本の角とか机とかが降ってきたら、さすがに俺でもヤバかったかもしれねえけど、所詮は漫画雑誌だ。そんな心配されることでもない。そう思いつつ、俺は中里を窺っていた。何か違う、と思ったのが何かってのを思い出した。こいつにとって俺は、やっぱり『高橋』なわけだ。こんな時に名前叫ぶってのはどういうことなんだろうな、と思いながら、俺は周りを見渡して、まだ物に沈没している床を見て、ため息を吐いていた。
「クソ、よけてもよけてもありやがる」
「お前な、こんなもんどうせあとで紐でくくるんだから、適当に重ねときゃいいんだよ。にしてもわざわざ不安定なモンの上に積む奴があるか」
「いやくくらねえよ、まだ読むし。そういや今、お前俺の名前呼んだよな」
「これ何年前のやつだ、いい加減捨てて……」
散らばった雑誌をしゃがんで手に取った中里が、少し間を置いてから、名前? と、俺を見てきた。結構近い。目の下が動くのが分かるくらい。
「叫んだって方が正しいか、あれ。ほらさっき、雑誌崩れた時の」
見据えながら言ってやると、俺から視線を外し不思議そうに首をひねっていた中里が、あ、と小さな声を上げ、顔をしかめて俺に視線を戻した。
「すまん、間違えた」
「いや、間違いじゃねえだろ」
まあそうだが、と気まずそうに俯いた中里の顔を下から覗き込んでやったら、のけぞってしりもちをついた。あ、おもしれえ。俺の顔から逃れようとする中里を付かず離れず追っていくと、いつの間にか奇跡的にスペースのあった壁まで追い詰めていた。
「な、何だ、高橋」
「啓介」
「あ?」
「どうせトッサの時出ちまうんなら、最初から呼んどけよ。じゃねえと俺、お前のこと名前で呼ぶぞ」
「ああ? いや、それはやめろよ、やめろ、頼むからやめろ。やめてくれ。頼む」
そうも必死に嫌がれられると余計にやりたくなるんだが、前に冗談で呼んだ時普通に殴られかけたのを思い出すと、この状態じゃ二の舞になるに違いない。俺にしても中里は中里でしかないから、譲ることにした。
「なら、ほら」
「ムリだ」
だから俺が優しく誘導してやったのに、中里はアッサリ言い切りやがった。一秒かかってねえよ。そうか、よく分かった。
俺は両手を壁について、鼻と鼻がくっつくくらいまで中里に顔を寄せた。あ、こいつ、目ェ少し充血してる。寝不足か?
「おい、離れろ、高橋」
「断るぜ、毅」
なるべく自然に言ってやろうと思ったが、ダメだった。首筋がぞわっときた。鳥肌が立つ。背中がかゆい。違う人間呼んでるみてえ。不自然すぎて、顔が笑っちまう。けど中里は、笑うどころか一瞬泣きそうな面になっていた。全体的に赤くもなってるし。
「高橋、てめえ!」
だが次にはもう怒りの形相で、俺は一気に跳ね飛ばされていた。火事場の馬鹿力か。床に背をつけちまった俺に素早く馬乗りなって、中里は真っ赤な顔で、この野郎、と怒鳴ってくる。結局このパターンかよ。譲って損した。
つったところでまあ、最終的に上になるのはこの俺だ。こればっかはいくら中里が頑張ろうがどうしようもない。どっちの力が強いとか、そういう問題じゃねえ。最初から決まってることだ。俺が決めた。
そんなわけで中里は、その日以降、俺を名前で呼ぶようになった。
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