ボーダーライン



 峠以外での走り屋の走り方ってのは、大体ふたつのパターンに分かれるんじゃないかと俺は思う。
 ひとつは、普通の道路でもやたらかっ飛ばすヤツ。意味なくふかしたりトロイ車あおったりして、追い越し禁止だろうがなんだろうが自分の前に車が存在してんのが許せねえみてえに走ってく、事故が多いハタ迷惑なヤツら。
 もうひとつは、普通の道路だとやたら慎重になるヤツ。発進も停止もていねいで、「え、いつ出たの?」ってくらいに体に震動を感じさせない。けど車一台見えないようなド田舎の道でも、制限速度はプラス十がいいところで、中にはマイナス十とるヤツもいる。渋滞の先頭に立つことが多いハタ迷惑なヤツら。
 腕のイイヤツになるほどその差が極端になってくる。俺はひとつめ寄り、アニキはふたつめ寄りだ。俺がアニキにFCで送ってもらうときは一度はもっとスピードあげろって言わなきゃ気がすまないし、俺がFDでアニキを送るときはもっと安全運転をしろって絶対文句を言われる。別に20キロオーバーくらいいいじゃねえか、それに黄色は注意してススメだ、車は急に停まれないんだ。その辺はいまだアニキとわかり合えてない。
 藤原なんかは交通ルールはそれなりに守ってるけど、飛ばせるところじゃ飛ばすから、珍しく平均的なヤツかもしれない。あいつとも俺はまだわかり合ってない。っつーかわかり合える気がしねえ。なんでトーフ運ぶだけであんな速くなるんだよ、っつーか中学から走ってんじゃねえよ、法律違反だぞ。マジでワケわからん。
 まあ藤原のことはいい。別に俺が今、藤原の車に乗ってるわけじゃない。今俺が乗ってる車は、馬力規制ギリギリまでがんばって、そのくせ余裕たっぷりって粋なヤツだ。いいじゃねえか、アール・サンニー・ジー・ティー・アール。
「無理して言ってんじゃねえよ、気色悪い」
 家まで来てもらって乗せてもらうってことで、一応アイサツがてらそうほめてやったんだが、不機嫌なツラで不機嫌そうにそう言われて、不機嫌そうに車に戻られただけだった。本当はそのあと貧乏人でも手が届く良心的スポーツカーもどき、って付け足す予定だったのに。中にお邪魔して隣の気まずそうな顔を見ると言う気もなくなったけど。
 まあ、ただのドライブだ。適当に走って適当に話して、どっかで昼飯食って、日が暮れないうちに帰る。ゼイタクな浪費。中里の隣に乗るのはそれが初めてだったが、峠であれだけ走ってるヤツがよっぽどヘタなんてことはないだろうし、捕まりさえしなけりゃどんな風に走ってたっていいと思ってた。最初はまさかこいつがふたつめだなんて考えてもなかったしな。けどまあ、さすがに裏道も通らずアニキみたいに走られたら、こりゃあなんか言わずにはいられない。
「お前さ」
「なんだ」
「どんなときでも60キロで走る、って決めてんのか?」
「40キロ規制なら50キロで走る」
「なら60で70走ったっていいだろ」
「よくねえよ」
「その違いはなんだ」
「70キロ出すと80キロ出したくなる。80キロ出すと100キロ出したくなる。120キロ出すと120キロ、120キロ出すと200キロ。だから60キロ、それが限度だ」
 きっちりステアを握って、カタイ声で答えてくる。スピード狂なのかなんなのかわかんねえヤツだ。峠じゃあんだけこの重たい車ぶん回してやがるくせに、タイのもちぐされってやつか。なんか違うな。まあいいか。俺はため息ついてウィンドウを下げた。春の風が飛んでくる。雪の残りと生えかけの草が混じった、冷たいようなむわっとするような匂い。ゆっくりと動く景色。かわいた土、かわいた緑。うすい空。うすい雲。排気音のあいだからは鳥の声。
「それに、景色もじっくり見れるだろ」
 はかったようなタイミングで言われた。なんか腹立つ。
「別に、見るほどの景色でもねえだろ。山と畑ばっかだぜ」
「自然はいいもんだ。偉大さを感じないか」
「しぶとさは感じるな」
「生命力に溢れてる。いいだろ」
「悪かねえけどよ」
 こいつは自然を愛する裏の組織かなんかのまわしモンなのかと思ったが、しかし、そういうヤツが車に乗るわけがあるだろうか。ねえだろ。多分こいつは山奥の生まれで、ガキのころから自然に親しんできたんだ。そういうことにしておこう。
 風が髪と顔にあたるままにしてると、サイドミラーに遠く車が見えた。白のユーノス、男と女。わかるまで時間はかからない。こっちは牛の鳴き声が聞こえそうな道で60キロ。オープンカーに女を乗せてる野郎が同じ速度で走るわけがあるだろうか。
「ねえっての」
「なに?」
「なんでもねえ」
 どんどん近づいてきたユーノスさん、他に車がないってのにピッタリうしろにくっつきなさる。俺はベルトを外すと、窓の縁につかまりながら上半身を風の中に出し、おいベルト締めろ席に戻れ、って文句をBGMにしつつ、うしろを確認した。あごの下に肉がたまってるグラサン野郎と、タンクトップとサロン焼けの肌とで四ヶ月先の夏を先取りしてる、ゴリラ似の頭が悪そうな女。ふたりしてニヤニヤ下品に笑ってやがる。よっぽどこっちのケツにキスしたいらしい。とりあえず中指立ててやってから、席に戻ってベルトを締める。BGMは続いてる。
「あぶねえだろお前、ハコノリでもする気か」
「するかよめんどくせえ。っていうかお前、バカにされてんぜ」
「ああ?」
「うしろ」
「んなもん、バカなヤツにバカにされたって、痛くもかゆくもねえよ」
「俺は痛いしかゆい。スピードあげろよ。なんのためのエンジンだ」
「車動かすためだろ」
「お前にゃプライドってもんがねえのか。俺はヘドが出るぜ、あんなヤツらに自分の車、見くだされたら」
「吐くならおりろ。俺の車を汚すな」
「お前ごときの運転で誰が吐くか」
 言い合ってるうちに、中里の向こうに夏女と肉男が見えた。俺がぎょっとすると、中里も気付いたらしく目をちらちらとやった。おふたりさんはごていねいにこっちに顔向けてニヤニヤ笑いながらしばらく同じ速度で走ってくれて、夏女が中指立てて真っ赤にぬったくちびるのあいだから舌出すと一気に加速し、すぐにフォルムも見えなくなった。あんまイイ気分じゃねえが、いなくなるとサッパリする。
「ああいうヤツに限って、うしろからベンツ来たらすぐ道開けんだぜ。骨ナシめ」
 同意でも注意でも、なにか言い返してくるかと思ったが、なにもこなかった。見ると、中里は眉毛を目に近づけて考えてるような顔をしていた。
「どうした」
 聞くと、いや、と首を振って、口を開いたままにする。続きがあるってことだ。
「なんだよ」
「別に、なんでもねえよ。ただ、女性に中指立てられたのは、初めてだ」
「そんなもん、俺もだ。イイ経験したな」
「したくもねえ経験だ」
 本気でショックだったらしい。声が小さくなってる。まあ俺もショックがなかったわけじゃねえけど、先にやったのは俺だし、すげえカワイイ女ってわけでもなかったから、ショックっつーかムカツクっつったほうが正しいかもしれない。俺こいつほど女にうえてもねえし、あんまり夢見てもないし。
「お前はあおられたら、すぐノるヤツかと思ってたけど」
 さすがに寒くなってきたので窓を閉める。顔に草がついているような感じがしたんで、なんとなく手でふきながら、中里にそう言った。気が長いヤツとは思えなかった。気が長いならあの条件で藤原には負けなかっただろう。それに今まで俺がキレて、こいつが同時にキレなかったことはない。
「ちぎってやろうかとも思ったけどよ。お前がいる」
「俺がいるからこそやるべきじゃねえか」
 中里は黙った。なんて言おうか考えてるような顔をしている。実際なんて言おうか考えてたんだろう、口を開くまでけっこう時間がかかった。
「この辺、たまに通るんだが」
「ああ」
「案外、測定多いんだよ」
「あ?」
「ねずみ捕りだ。車少ないって油断してるヤツらがカモられる。警察もうまいからな、丁度木とか家とかで隠れるあたりでやってやがるんだ。まあ今日はやってねえかもしれねえけど、ああいうヤツらとタメ張ってつかまるなんて、なさけねえだろ。お前もいるってのに」
 なるほどそういうことか、と思っていると、なるほどそういうことだな、と思うことになった。しばらくなんの会話もなく乗っていると、左手前方、木の向こうに段々と見えてきた。ワゴン車に赤色灯、青いシャツに紺のズボン、白いヘルメット。そしてじきに白いユーノス。
「お仕事ご苦労さまだな」
「まったくだ」
 自分がつかまるとケツを蹴りあげてやりたくなるが、こういうヤツらを取りしまってくれるのはありがたい。平和な休日が戻る。あの女もこれにこりて本当の夏がくるまでおとなしくしてればいい。春には小麦色より白い肌のほうがイイ。女でも男でも。
 日が窓越しに入ってくる。暖かい。もう一度窓を開ける。どこを走っても山は見える。けどその前にある景色は違ってくる。今なら家が多くなってきている。
「なあ、探知機つけりゃいいんじゃねえの」
「邪道だ」
 わざわざアドバイスしてやったのに、あっさり切り捨てられた。どういう信念だ。まあどうしたって60キロ以上出さないんなら、同じなんだろうけど。



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