奇襲
黄色いFDが目の前に停まるのを、慎吾は架空の出来事のように眺めていた。耳に、肌に伝わってくるエンジン音、流線型の車体の質感、運転席から降り立った男、どれもが現実を知らせてきたが、慎吾にはやはり、嘘のように思えた。まるで、できすぎている。何ができすぎているのか、確かめないままそう思い、染めた髪を神経質そうに整髪料で立てている、長身で端整で威嚇的なその男が近づいてくるのを、ただ眺めた。
「中里、いねえの」
挨拶もなしに、男は最短距離にいた慎吾にそう、確かめるように問うた。慎吾は上下ではり付いている唇を開き、あー、と声を調整しつつ、まだ、来てねえけど、と、間を作りながら答え、あいつに何か用か、とすぐさま聞き返した。いや、と男は氷の冷たさを思い起こさせる、一重の鋭い目で慎吾を見、顔見に来ただけだ、と不愉快そうに言った。お前が? と慎吾は驚いた。男もまた、驚いたように顔をしかめた。
「何か、悪いかよ」
「悪かねえけど、意外だな」
「何が」
形の良い唇を突き出しながら言った男から、慎吾は自然に目を逸らし、周囲に散らばる仲間の好奇の視線を受け止めつつ、どの返答が適切かを考えて、男に目を戻し、言った。
「あいつのことなんざ、忘れてやがると思ってた」
「踏み越えたら忘れて、それでしまいってんでもねえだろう」
当然のごとく、男は答えた。その顔は、自戒に曇っているようでもあった。腹の底にぞわりとしたものが這い、慎吾は不快さを得た。胸に突然、小さな刺を埋め込まれたような、不信と自責からくる、不快さだった。
「そういうことなら、忘れてやった方が、あいつにはいいんだけどな」
呟くように慎吾は言っていた。何? と男が意を解せぬように、崩れても崩れない顔を崩した。その顔を殴りつけたくなる思いを感じながら、慎吾は何もないように、対象者を嘲るように笑った。
「お前にとっちゃ所詮あいつは、踏み越えた奴なんだろ。なら、走りじゃ意味がねえわけだ」
男は小さく眉根を寄せたが、その事実の大きさを気にしている風ではなく、ただ、返す言葉を考えているようだった。ますます慎吾のうちには苛立ちが溜まっていき、足で地面を蹴り付けかけた時、「でも」、と男は言った。
「あいつはGT-Rに乗ってこそだ」
それは共通するところであり、慎吾は不条理に膨らんだ苛立ちが、瞬時に別のものに変わるのを感じた。それは粘ついた、胸にこびりつく、嫉妬でもあり、共感でもあった。恥じることを知らないかのように、堂々と立ち、こちらを見据えた男に、慎吾は再びはり付きかけた唇をこじ開け、隙を与えずに言った。
「今日、あいつ来ないぜ」
「あ?」
「飲みに行くとか言ってたからな。いくら待っても時間の無駄だ」
男は驚いたように目を見開き、だがただちに眉をひそめ、舌打ちし、騙しやがって、とそっぽを向いた。
「まだ、っつっただろ。明日にゃ来る」
「くだらねえ」
「残念だったな」
奇襲の勝利に酔いしれ、慎吾は調子に乗った。男はこめかみをぴくりとさせ、考えるように目を伏せると、しばらくしてから、殺意に似たものをこめて、慎吾を睨みつけた。
「俺が来たこと、あいつに言うんじゃねえぞ」
「理由を言ったら、そうしてやるよ」
「こっちは力ずくでもいいんだ」
「これだけ目立っておいて、俺の口だけ封じても仕方ねえと思うけどな」
調子を掴んだ慎吾が言うと、男は迷いも油断も譲歩も乗らない顔と目と声で、全員に決まってんだろ、と断言した。ぞくり、と肌があわ立ち、怖い奴だな、と素直な感想と、強がりを慎吾は言った。男はそれを鼻であしらうと、顎を上げ、慎吾を斜め下に見た。
「余計なことを挟まねえ方がいいんだろ、てめえは」
時間が止まったように、慎吾には思えた。だが思考の凍結はすぐにとけ、へつらうような、蔑むような笑みが自然と浮かんでいた。
「お前でも、駆け引きやるんだな」
「知らねえよ、それは。考えてどうにかなることなんて、俺は知らねえ」
「だから、あいつか?」
男は間髪いれず、ちげえよ、と呟いた。慎吾が黙ると、男も黙り、そして背を向けた。
挨拶もなく去ったその男の振る舞いを思い出し、慎吾はただ、胸を悪くした。
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