価値
焦らすと特に良いということを知ったのは、その時初めてだった。いつも我慢をする気もなかったので準備ができたらとっとと挿入、出したら終わり、という、相手を満足させていないと断言できる行いばかりして、それは満足させる気がそもそもなかったのでよかったのだが、そろそろ飴を与えなけりゃあキレられる、というタイミングにきたため、一度自分でも吐き気がするほどに優しくじっくりネチネチかかってやってみたのだ。すると、常にかみ殺されていた声が、簡単に耳に飛び込んできた。驚いた。驚きつつも、調子に乗ってかなりのこともやってみたが、押せば押した分だけ声は出てきた。あれ、何か俺、今まで結構もったいねえことしてたんじゃねえの、と自分で自分に問うてみたのは、長時間の交わりが終わってもなお、真っ赤になっている顔を目にした時だ。準備と処理の面倒さは、他の相手を探すことの面倒さには勝らず、だから慎吾はわざわざ中里を適当に言いくるめて(その扱いやすさで相手に選んだといっても過言ではない)、組み敷いていたわけだが、なるほど、付加価値というものをすっかり忘れていた。それに、何となく見下ろしてるのが面白い、という感情も、いくらでも育てようはあった。完全に失念していたのは、おそらく最初、それをセックスではなく、マスターベーションと近く考えていたためだろう。だが、相手があってこそだと思い出してしまえばこっちのものである。普段の接触で引き際は理解しているし、数回の接触でツボも理解している。未来は明るいように感じられ、次は言葉責めでもしてやろうか、と思いながら吸う煙草は実に旨かった。
(終)
2006/10/05
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