アルコール



 頭の奥がぼやけていて、そのため視界もぼやけているようにも思えた。むしろ全身がぼやけている。慎吾は何がおかしいのか、ニュース番組を見ながら笑っている。俺はやたらと気分が良かった。アルコールがもたらす酩酊。深い酔い。久々にしこたま飲んだ気がする。喋りながら飲んでいたら、ペースを忘れた。楽しかったんだろう。だが、動く気力もろくに起きなかった。意識ははっきりしている。考えはまったくまとまらないが。
 コマーシャルに入り、慎吾の笑いも止まった。ひいひいと苦しそうに息を吸って、涙を拭っている。身を崩した際、こっちに顔が向いたので、目が合った。俺はからかうみたいに笑った。
「何がそんなにおかしいんだよ」
「誰が教えるか、バーカ」
「ああ?」
「っつーか税金がどうのとか言われたって知るかっつーの、なあ?」
「何だよ、それがおかしいのか」
「おかしくもねえや。俺はちゃんと納めてるぜ、年金」
「俺だって、二十歳から加入した」
「払えよ」
「払ってるよ」
「金ねえくせにな、金持ちが全員分払っちまえばいいじゃねえか、どうせハシタ金だろ」
 リモコンを使ってテレビを消すと、ぐびり、と慎吾は余ったビールを一気に煽った。それがなぜかおかしくて、俺は笑うのを止めなかった。何がおかしいのか分からない。分からないが、とりあえずはおかしいのだ。缶から口を離しても笑っている慎吾が、値踏みするように俺を見る。
「何笑ってんだよ」
「いや」
「人見て笑うってお前、人間として最低の行為じゃねえ?」
「別にお前見て笑ってんじゃねえよ。俺の目の先にたまたまお前がいるだけだ」
「ヤカン見て笑ってても俺はお前を人間かどうか疑うけどな」
「何だそりゃ」
「笑うなって」
「無理な話を」
「俺の言うことが聞けねえのかよ、お前俺を誰だと思ってる」
「電気止められるからって俺から五百円借りた奴」
「それ出すかよお前、千円のランチおごってやったじゃねえか、こっちは低賃金労働者だってのによ、ろくに休みも貰えねえで」
「ご苦労様だな」
「うわ、上からモノ見てやがる」
 笑ったまま言い合う中でも、これは冗談だ。本気の時は、もっと空気が悪くなる。
 それでも俺が笑っていると、慎吾が動いた。こっちに腕を伸ばして、指で頬を掴んできた。
「いたたたたた」
「おら、笑うんじゃねえっての」
「離せコラ」
 くもった声で俺が言うと、この野郎、と慎吾は両手で両方の頬を掴んできた。痛い。俺はまともに言葉も喋れなくなった。赤い慎吾の顔は楽しそうに歪んでいる。いや、歪んでいるのは俺の視界か? 痛いのは痛いが、どこかで何かが切断されてるみたいに、受けている感覚と、考えへのつながりがおぼろげだ。ただ、口は、やめろ、と動く。相変わらず言葉にはなっていない。慎吾は俺の頬を両方掴んだまま、笑ったまま、顔を近づけてきた。それが何を意味するのか分かったのは、唇に感触がきてからだ。頬を掴んでいた手が離れ、優しく包まれる。唇が唇で挟まれて、舌が歯を撫でていく。動きにつられるように口を開くと、そっと中に入ってきた。いつもならできる限り跳ね返すのに、今日はその気も起こらなかった。全体がぼやけているのだ。何かを止めることに意義も見出せない。ああ、ダメだろこれは、と思うだけで、体は動かない。慎ましく入ってきた舌は、慎ましくは動かなかった。しばらく人の口の中で遊ぶだけ遊んでいって、唇を離した慎吾は、相変わらず楽しそうに、それでいて影を浮かばせながら、にやにや笑っていた。
「素直だな、中里サン」
「バカか」
「笑って言うなよ。怒るぜ」
「怒ったところで、お前が怒ったって、俺は別に怖かねえよ」
「頼もしいな」
 笑ったままの慎吾が俺の体を倒していく。フローリングの床が背中に冷たい。顔に慎吾の髪が降ってきて、こそばゆい。耳に息がかかってくる。
「すげえ赤い」
「……あ?」
「耳」
 舌先で舐められると、慣れない感覚が背筋を引き伸ばす。いつの間にかその手がシャツの上から胸を這っていた。布地越しの刺激が、ますます視界をぼやけさせる。俺は慎吾の下肢に手を伸ばした。まさぐると、硬いものが感じられた。耳元で大きく笑った慎吾が、顔を上げて俺をにやにやと見下ろした。
「毅クン、積極的ィ」
「ふざけるなよ」
「最高。ふざけてねえよ。いつもこんなんだったら苦労しねえし。なあ」
 慎吾もズボンの上から俺のものを触ってきた。意識が一瞬、どこかへさまよいかけた。何を追えばいいのか分からなくなる。手に触れるものか、考えか、与えられる感覚か、上にある不遜な面か。多すぎて、判断がつかない。慎吾は笑っている。
「アルコールは、何だ……勃ちにくくすんだっけ、はは、俺の体は勝ってんな、オイ」
 俺の手に布地越しにそれを押し付けて主張すると、慎吾は俺のズボンのチャックを下ろした。そして俺の腰を引き上げるようにして、パンツごと脱がしていった。その動きで、俺の手は慎吾の股間から離れた。
「そのままは、まあヤバイよな」
「あ? 何?」
 呟きの意味がすぐに解せず、大声で聞き返す。いや、と慎吾がにやにやしたまま首を振って、ぬめった指を尻の間に入れてくる頃には分かったが、その時にはもう分かったところで意味がなかった。何本かの指が、遠慮容赦なく中を広げてくる。気持ちいいのか悪いのか、よく分からない。俺のは少しも勃起していないはずだった。だがそんなことはどうでもいいことのようにも思えたし、そもそも何が気にすべきことなのか、もう考えが浮かばなかった。
 慎吾は無事かどうかを確かめるように、徐々に入ってきて、最後に骨を尻に押しつけてくると、覆いかぶさってきた。少しだけ動く。異物感が圧倒的で、そればかりが気になって、耳にきた囁きに、瞬時に反応できなかった。
「おい」
「……あ?」
「毅」
「何、だ」
「このままで」
「ああ」
「いや、まだ俺、言い終わって……ねえぞ」
「ああ」
「うわ腹立つ、お前やっぱ、ムカツク奴だな」
「だから、何だよ、慎吾……」
「後でちゃんとやるから、よ」
「あ……ああ」
「怒るなよ」
「おこ……る、って、んな、低レベルな」
「まあ別に、いいけどな、俺は」
 何でも、と言って、慎吾は少しの動きを一気に大きくした。相変わらず、異物感が強い。ただ、入ってくるのも出ていくのも、電気的な刺激があった。背筋が伸びる。肩の筋肉が、つりそうになる。まだすべてはぼやけているようだったが、何か低い音がすると思ったら、それは自分の声だった。
(終)

2006/10/16
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