背反



 視線はずっと感じていた。
 見返すと、だがまるで何もなかったかのように、いつも目を逸らされたから、厄介者ってことか、と考えていた。目の上のたんこぶ。そう見られているのだと、自分に言い聞かせていた。それ以上の意味をつけたがることの異常さを、慎吾は身をもって知っていたからだ。
 ――お前が俺を避けているのは知ってるけどよ。
 だから、何もかもが終わってしまった秋の暮れ、中里にそう言われた時は、正直肝が冷えた。意識せまいと意識したがために、不自然になっていたということだ。しくじったとほぞを噛んだ。だが、次に中里が、憤ったように言ってきた言葉は、しばらく理解ができなかった。
 ――俺は、お前が好きなんだ。
 ありきたりな状況、ありきたりな告白。普段なら、そこまで頭が回っただろう。だがその時は、意味が分からなかった。分からないまま、上目に見られて、キスをしていた。
 できれば二人きりで話がしたい、そう言われたところで、誰がこの男から告白されるだなどと考えるだろう? こちらの部屋に来てまでということは、おそらくかけられるは苦言か非難か忠告か、いずれにせよ説教の類だろうと慎吾はたかをくくっていた。両思い、という言葉の幼稚さに、ぞっとした。それは、中里の口内に舌を泳がせた時に走った、寒気に似た感覚と被さった。
 抗う体を、その頬を張り大人しくさせ、それからしたことを、慎吾はあまり覚えていない。ただ、自分のものに絡みついた違和感のない温度の肉が、女性器とは違う、まるで別の生物か何かのようにぎゅっと締めつけてくるその感覚だけが、まざまざと記憶に残っていた。
 体を突き動かしたのは、欲望と、怒りだ。腹立たしかった。あの男が、中里毅という男が、自分を好きだと言ったことが、たまらなく悔しかった。正確な意味も知らないくせに、こちらの劣情を煽るあの男が、憎くて仕方がなかった。
 俺が好きなんだろ。
 異物を排除しようとするそこへ突き立てながら、そう言った気がする。俺にこうされたかったんだろ。なあ、どうだ、実際俺にヤられんのは。気持ちいいか? そうだよな、勃ってるもんな。変態だな、お前。
 楽しくなどなかったが、笑っていた。多分、笑わないとやっていられなかったのだろう。今となってはそれすらもおぼろげで、思い出したくもなかった。
 結局中里は、あの時以来呼び出せば、大人しく性交に応じるようになった。峠で見せる威厳がそれでも消え去らないのはなぜだろうか、慎吾はたまに自分のものを咥えさせながら考えることがある。いい加減単なる畜生と同等に堕ちてもいいだろうに、中里は人間的な理性を失わなかった。常にためらい、羞恥し、ただ耐えるように、こちらの名を呼んだ。そのたび、自分でも吐き気がするほど甘く、粘つくような声で、尋ねてしまうのだ。何だよ。俺が何だ。何して欲しいんだ? おい、言わなきゃ分かんねえだろ。言えよ。どうして欲しいんだ?
 やはり、笑いながらそれをする。楽しかった。あの男が顔を赤く染めながら卑猥な言葉を発するのが、そこまで追い込むことが、楽しくなっていた。そのうえ性欲は尽きなかった。時には上に乗らせて勝手にさせ、時には目の前で自慰をさせた。
 他の奴にやらせてみようか、とまで考えた時には我に返ったが、良い発想だという思いは消えなかった。どこまでこちらの言いなりになるか、確かめたかった。確かめたくて、大腿をかじり、排泄をさせ、前戯もなくぶち込んだこともある。そののち、怒り狂った中里の拳を食らったこともある。それでも笑えた。何もかもが滑稽で、悲惨で、楽しかった。中里が憤怒を怪訝で抑えてしまえば、いくら拒まれても、最後には元に戻ると分かっていたせいもある。その時だけ、自分でも驚くほど、優しく接することができることも、あまりにくだらなく、笑わずにはいられないのだ。
 何のためにセックスをしているのか、最近はよく分からない。冬の間中、数え切れないほど肌を重ねたが、出入り自由となった峠に出向くと、何もかもがゼロになるように感じられた。車に乗っている時は、中里すらも邪魔だった。記録を伸ばし、あの男を抜かしたかったが、それは何の泥も含まない、純粋な敵対心ゆえだった。家に戻ると、やがて中里が来る。呼んだことなど忘れてしまい、何でこいつがここにいるんだ、と不思議に思うこともままあったが、山からそのまま来たその男を見ると、自然と笑みが浮かび、手を引いてしまうのだ。あとは、充血する自分のものの命じるままに動き、こちらを敢えて求めさせ、見下して、庇って、欲望を満たす。ひたすらその繰り返しだ。好きだとか、嫌いだとか、そういう感情など、入ってきてくれない。
 山で車を走らせる時だけは、何も変わらなかった。ただ、同じチームのメンバー、ライバルとしての互いでしかなかった。妙義山最速の記録を取り戻そうとする、意地と自尊心の塊のような、激しい熱を抱えている、鈍い男。中里毅はそうでしかなかった。そうでしかない男に自分のものを咥えさせている時ほど、考え事が多くなる。いつになったらこいつは諦めてくれるんだ。いつになったら俺は諦めさせてもらえるんだ。いつになったらこいつは、俺を嫌いになるんだ。嘔吐するまで喉を突いても、中里は関係を断ち切らない。断ち切れないのか、敢えて断ち切らないのか、慎吾には分からない。
 ああ、俺の方が、いかれてきてる。
 思いながらも勃起はするし、射精もする。怒りも憎しみも、とうの昔に消えていた。だからもう、胸には虚空しか存在しない。好きだとか、嫌いだとか、そういう感情は、肉欲が出張っていると、入ってきてくれないのだ。
 散々なぶって、中里を眠りにつかせると、やっと安心できる。生きていることを実感できる。虚空が埋まり、山にいる時とも、セックスをしている時とも違う、とても静かで、優しく、恐ろしい感覚に満たされる。
 好きだったんだよな、と思った。今もまだ好きでいるのか、嫌いになっているのか、それもまたよく分からない。ただ、中里がこちらを拒まぬ以上、欲が生まれる以上、続けるしかない。そして、探すしかないのだ。告げられなかった言葉を、冷え切った感情を取り戻す、すべてに意味をつけられる一手を、探すしかない。
 この、とても平穏な状態でまぐわうことができれば、それは見つかるかもしれない。だが、慎吾は煙草を吸うのみだった。好きなのか嫌いなのか分からない奴を、どうすればいいのか、それすらも分からなくなっている。そして夜は明け、何も見つからないまま、崩壊を待つ日々は繰り返されるのだ。
(終)

2007/01/07
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