口を開く



 厚みのある唇を歯で挟み、舌でなぞり、音を立てて吸う。歯茎を舐め、びくついている舌を誘い出し、口腔の粘膜までを侵す。慎吾が知る限り、キスをしている時ほどこの男が無防備なことはない。今も、肩にかけられている手から力は失われ、動くといえば侵略している口のみだった。漏れてくる鼻にかかった声や、荒くなっている息遣い、目を開くと見える、困ったような、けれども真剣で、半ば性感に奪われている赤く染まった顔、皮膚に触れる相手の震える肉。それらは、キスだけだ、という最初の思いを叩き落す。つい、手がその肌に向かって動き出す。直接掌で腹筋を撫で上げると、中里はびくりとして、キスから逃れようとするが、舌を吸い上げてやると、動きを止める。股間が熱くなる。暇潰しの、思いつきのはずが、いつもこうして本気になる。
 床に体を倒し、片手で弾力などない胸をまさぐりながら、口付けを深くする。肩にかけられていた手が、腕にかかってくると、求められているように錯覚する。軽く絡められている舌を一旦抜いて、唇も離し、その威厳も糞もない顔を見下ろしながら、胸の突起を擦ってやる。声をかみ殺した中里が、いつでも吊り上げている眉を、やり切れないように下げ、欲に濡れた目で見上げてくる。本人に、意識はないだろう。ただ羞恥と困惑とで、どうすべきか判断がつかないに違いない。だが、その顔で見上げられると、慎吾はねだられているようにしか感じない。それを見てしまえば、限定も、遠慮もできなくなる。だから、わざと見下ろすのだ。
 再び唇を合わせ、音を立てて舌を動かす。その間に、相手のジーンズのボタンを外し、ファスナーを下ろして、硬くなりかけているものを取り出す。手で揉むと、下にした体が跳ねる。差し込んでいる舌を軽く噛まれ、思いがけない刺激に脳を焼かれた。中里が、無理に口を剥がしてきて、顔を背け、目も合わせぬまま、悪い、と掠れた声で呟いた。別に、と返しながら、握っていたものをしごき上げる。背をたわませ、中里はわずかに腫れた下唇を噛む。息遣いは荒くなり、腕にかけられていた手は、力を増した。そこから染み出してきたもので手が濡れ、すべりが良くなる。中里は目をつむっている。
 口をふさいでは、声が聞けない。けれども口をふさがないと、こうして意地を張る。どうしようもなかった。どうしようもないから、余計にどうにかしてやりたくなる。上半身を動かして、そそり立ったものを咥えると、焦ったような声が響くが、すぐに上擦り、息となる。これ自体は、楽しくはない。疲れるし、感触が気に食わなかった。だが、こうすると、優位に立てる。つまり、そこまでして、イかせてやったということだ。借りを作れば、例え嫌でも、堂々と抵抗はできなくなる。嫌ではないはずだ、という自惚れもあるが、慢性的な不安はあった。放出された精液を無理矢理飲み下して、唾液にまみれさせたものと同じ位置から、行為を知らしめるように笑ってやっても、理性を快感に食われつつあるその顔を確かめても、恐れがある。声が聞きたかった。ただ、柔らかくなった体を味わうと同時に、その口が開かれ、喉の奥まで見られれば良かった。
 下半身の服を脱がせ、足を開かせる。ローションを中心へ垂らし、手もそれで濡らして、指先を股の間、奥のそこへと当てると、浅く収縮する。足を開かせたまま、キスをし、緊張を解いてやる。指を入れていくと、また筋肉が突っ張るが、唇を合わせているうちに、やがて指は深く呑み込まれる。二本、三本と入れていき、性急に動かす。我慢は、長くできない性質だった。触れてもいない部分がふくれ切り、服を押し上げている。こちらの舌を奪われると、もう駄目だった。片手で自分のものだけを自由にし、顔を引き剥がして、だが至近距離で見下ろしたまま、両手を使い、勘でゴムをつける。
「なあ」
 少しずつ挿入しながら、声をかけた。何かを、あるいは何もかもを耐えているような、苦しげで、切なげで、しかし満足そうでもある顔を向けられると、それだけで十分になり、何を言うか忘れかけた。思い出したのは、また、下唇が噛まれていたからだ。
「話、しようぜ」
 完全に入り、そこで留まる。中里は戸惑った風に眉をひそめ、渇いた声を出す。
「話、って」
 汗に濡れ、明瞭に朱に染まっている肌が、目についた。ごくりと鳴ったのは、慎吾の喉だった。じわりじわりと動き出しながら、言う。
「どこがイイのか、とかよ」
 どうしても聞きたいわけでもなかったが、今思いつくのは、それくらいだった。口は閉じ、鼻から瞬間的に声を出した中里が、艶かしく顔をしかめてから、作られたしわを消した。
「そんなの、どこでも」
 動きを止めて待った答えが、それだった。どこでも、と慎吾が呟くと、中里は数秒してから、はっとしたように目を見開き、更に顔を赤くした。どこでもねえ、と呟きながら、体勢を整え、一気に動く。肉と肉がぶつかる音と、粘膜が擦られる音の中に、中里の声が響く。何かを言おうとして声を出し、出した声は言葉をなさない。話をすればいい。言葉を交わそうとすれば、その口を閉じる暇もなくなるのだ。肉体は満足の極みにあり、ただ、心だけが、何度でも確かめたがる。勢いを緩め、そっと唇を触れ合わせながら、背中に回される腕を感じ、慎吾はどこまでいくかを、一瞬だけ考えた。
(終)

2007/01/20
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