つながり



 ぐじゅ、ぐじゅ、と、水に浸った新聞を踏み潰しているような音がする。だがそれよりも実際はよっぽど粘着的で、官能的だ。ローションはたっぷり塗り込んだ。時間をかければかけるほど焦れた肉が指にまとわりついてくるのが、斜め上へと描かれていた眉尻が落ちていくのが、潤んだ目が拒む色を失っていくのが楽しかった。一度その口で射精に導かれたものは安定している。挿入と摩擦への欲求を無視すれば、いつまででもいじってやれた。だがそれもつまらない。指を締めつける場所を自身で感じなければ、それこそ欲求不満で暴走してしまう。自分の気質はよく分かっている。性欲と暴力などの危険への欲求が似た次元にあるのだ。だから性欲が少し譲れば、相手をどうやってなじることも厭わない。罪悪感はない。元から自分はそういう人間なのだと慎吾は理解している。この相手との関係で、それをすることに何の利益もないことも。なぜなら、こうして揺するたびに音を立てる局部や、擦られる粘膜が生む刺激、下にある汗にまみれた体の生々しさ、その耐えがたいものを耐えている、しかし苦痛とは違うものを表している顔、声がもたらす興奮が、他の思考や感情をすべて洗い流していくからだ。拳を振るう必要もないし、血を流す必要もない。そうでなくても背筋がぞくぞくと粟立ち、陰茎には血が集まる。性急に済ますのも一興だが、ひたすら相手を追いつめていくのも愉快だった。愛という言葉で表すには肉欲が過ぎるが、恋という言葉で表すには双方向過ぎる。友情はあるのかないのか分からない。しかしともかく何かはそこにある。ことさらゆっくり動けば相手は自ら体勢を変えようとして、その浅ましさに気付き筋肉を固めてくる。内部に掴まれると歓喜が天頂まで突き抜ける。そこには何かがある。喜び、快感、愉悦。柔らかみのない体に対する、心臓が押し潰されるような感覚。このまま終わるのもつまらないが、すべてを与えてやるにはまだ早い。慎吾はその顔を間近で見下ろしながら、気味が悪いほど嫌らしくなっているだろうと思われる笑みを浮かべる。言葉の一つ一つが、注ぐ視線が相手をどれだけ昂らせるか確かめて、声にして自覚をさせて、そこで初めて完全に欲望を満たすのだ。浅い水音は肉を打つ音に侵食される。そして声。そこには何かがある。見えない何かが互いを縛る。やがて来る波に壊されるまで、つながり続けるのだ。
(終)

2007/02/03
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