汗が次々染み出てきて、乾く間もなかった。こめかみを、顎を、首筋を、背中を、腹を、足を伝うそれを手で拭おうにも、自由に動かせない。中里の両手首は、掴まれている。掴まれ、引っ張られながら、揺さぶられていた。
「……ッ、ふ…………う、う……」
「お前、こんな時だけ……」
 人の手首を骨が軋むほどに強く握り、人の尻に音が鳴るほど腰をゆっくり打ち付けてきている男が、
「……静かにしやがってな、いつも、ギャーギャー人に、文句言ってるくせに……」
 余裕をもった調子で嘲弄するように、ねっとりとした低い声で言ってきて、中里はつむっていた目を開いた。強張った笑みを浮かべている慎吾が、よお、と喉で笑い、すぐ苦しげに咳をした。中里は、何も言わなかった。何も言えない。食いしばった歯の間からは、浅い息以外に吐き出せない。そもそも、声を出したくないのだ。腰の奥をえぐってくる動きは一定で、予測が容易いから、まだ欲求を抑えられた。
「つまんねーとか、思わねえ?」
 その卑しい笑みの乗った顔を間近で見ても、滴る汗や筋肉の歪み、そして乱れの多い息遣いが分かれば、この男にも、さほど余裕があるわけではないと感じられ、冷静さが幾分取り戻せる。
「……はいとかいいえ、とかくらい……言えよな、ったくよ」
 ぐっと一気に押し込まれ、唐突な刺激の到来に、息が詰まった。はいもいいえも、言えはしない。細かく笑うことができる慎吾ほど、中里に余裕はなかった。こうして些細な動きの変化のみで翻弄されるのは、癪に障るし嫌だったが、求められること自体は、嬉しがる心がある。それはどうにも、否定も抹殺もできなかった。かといって、肯定もできない。不安が、消えない。
「俺だけみてえな……あ、微妙にムカツク」
 不意に笑みを消し、険しい顔になった慎吾が、芸もねえし、と呟き、中里の両の手首を放した。掴まれていたための痛みより、引っ張られていた関節の痛みが強く、中里は慎重に腕を曲げ、汗で濡れた首を手で拭った。その間に、手首を掴んでいた手で太ももの裏に触れた慎吾が、一度大きく突き入れたものを、あっさりと抜いた。
「――ん……ッ」
「俺だけだってんなら、まあそれでもいいけどよ」
 また笑った慎吾が、今度は片足を抱えてきた。身構える間もなく、うつ伏せにひっくり返されていた。シーツに両肘をついた中里が、体勢を戻そうとする前に、
「ムカツクけど」
 呟きが聞こえ、上がっていた腰を押さえられ、後ろから入れられていた。中里は呻いた。目を開いても、薄闇の中、青いシーツが見えるだけだ。中里を貫いたまま、慎吾は動かない。つながっているのはそこだけだった。汗が冷えていく。ぞくぞくする。顔が見られない格好は、初めてだった。
「お……結構いいな」
 感心したような慎吾の声も、間近で聞こえている気がしなかった。内側からじりじりと肉や皮膚をあぶってくる炎は消えないのに、手足の指先までその熱は、届かなくなったようだ。内臓が締め付けられるような息苦しさのため、中里は大きく口を開き呼吸していた。慎吾は動かない。中を埋めるものの変わらぬ硬さを、勝手に外が確かめていく。
「お前、こっちの方がいいんじゃねえの? すっげえ反応」
 一方的にかけられる嘲笑が、かわせない。耳から脳へ、脳から下腹部にずんと響く。中里は、胸を大きく上下させながら息をした。歯をかみ合わせる余裕すら消えていた。少しでも気を抜くと、もっと確実な快感を求めて、体が動き出しそうだった。
「……少しは何とか言えっての、クソ」
 姿勢を整えているらしき慎吾の、ほんのわずかな動きでさえ、大きく背筋がたわみそうになる。正直になったならどれだけ楽か――思いもしたが、中里は耐えた。相手の様子も窺えない状況で、快楽に溺れた痴態など晒したくはない。まだ、怖い。自分だけではないという証拠を、見つけられていない、その不安が指先を重くして、喉を閉める。
「毅」
「――あッ……」
 だが、背中に囁かれると同時に、胸の尖りに指が絡んできて、中里は小さく高い声を漏らしていた。じんとした刺激が背骨を走り、合わせ続けられている粘膜の部分へと通じていく。慌てて唾を飲み込んでも、立ち上がった左右の乳首をばらばらに擦られ、教え込まれた快感が全身に広がり、唇を閉じる隙も生まれなかった。
「や……ッ、あ、ああ……」
「どうだ?」
「んん……ッ、ん、あッ」
「だからお前、日本語喋れよ」
 嘲りに、かっとなるほどの意識はあった。中里は胸を我が物顔で這う慎吾の手を剥がそうとして、右手だけは実際に剥がせたが、かと思えば手の甲から握られていた。そのまま右手を、体液を帯びている自身に運ばれる。
「これで分かれってことでも、ねえだろ?」
「あ、あ、や……っ」
 中里の手越しに、慎吾はそれをしごいていく。ようやく得られた刺激に、自身が悦んでいることを中里は掌で感じた。左胸は変わらず突起の先端を引っかかれ、突き入れられているものは位置も形も変わらない。それがようやくむき出しの粘膜を擦ってきた時、中里は既に自らの手で自らのものを悦ばせていた。
「は……、あ、あ……、あッ」
「あー、そう、そんくらいお前は……」
 言いながら慎吾は、何のためらいもない不規則な抽送を繰り返した。神経の塊を鷲掴みにされたような快感が、間断なく中里の全身を支配した。
「や、やあ――あ、あッ」
「うるせえ方が、いいよ」
 視界にあるのは自分の腕と青い布のみだった。頭の片隅にある漠とした不安がくっきりと浮き出してきたが、そのための震えも快感とない交ぜになり、ひたすら体は官能にさらわれた。激しく突き上げてきた慎吾の笑う声が、一瞬遠くなる。それが笑い声ではなく、単なる息だったことに気付いた時にはもう、中里は射精を終えていた。腕を持ち上げられないほどの気だるさがある中、いまだ終えていない慎吾が挿入したまま体を仰向かせてくる。皮膚がねじれ、肉を横断するような強い刺激に、中里は甘い声を上げていた。目の前にある、人への蔑みと困惑が混じった薄笑いを浮かべた顔を見ても、もう口を閉じてはいられなかった。
「まあ、もう少し……我慢しとけ」
 そうして唇を合わせてきた慎吾の舌を受け入れながら、中里はその首に腕を回した。舌の先端が絡まり、吸われ、口腔が撫でられて、じわりじわりと腰が熱く、重くなる。ごくゆっくりと行われる下での抜き差しは、熱を、重みをそこに留まらせる。声は、出さずにはいられなかった。
「慎吾」
 唇が離れたところで、中里はその名を呼んだ。何、と上唇を食んできながら慎吾は笑んでいる。それが、嘲笑ではないことに気付けるほどには、理解はできていた。だが、何と言えば何が伝わるのかは、分からない。言葉が何を決定するのか分からないから、不安でならないのだ。それでも、認めなければ、言わなければならないことは分かっていた。
「何だよ」
 動きを止めて顔を離し、せせら笑いながら問うてきた慎吾に、よって中里は、もっと、とだけ呟いた。その瞬間の笑みを、数秒張り付かせていた慎吾は、やがてそれをいつになく深いものとして、俺に命令すんなよ、と言うと、再び顔を寄せてきた。自由に動く手でその男の体を抱えたため、もうしばらくの終わりまで、中里が汗を拭うことはなかった。
(終)

2007/05/01
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