透明
高校二年の時の彼女から貰った目覚まし時計は、セットした時間にハローなキティの野郎が憎たらしい声で起きろ起きろとせっついてきてくださる。それをまだ持っているのは胸のでかさにだけ定評があった彼女に未練があるからとかじゃなく、ただ単にその声を聞くとあまりの可愛らしさに瞬時に目が覚めるからだ。これほど俺の頭を覚醒させるのに便利な代物はねえってわけだな。俺の部屋に初めて来る奴は必ずそれをネタにするし、何回来てもぐだぐだ言う奴もいるが、人間利便性が大事だろ。使えねえもんを後生大事に思い出とともに取っておくほど俺はセンチメンタルには入れない。役に立たなきゃすぐ捨てる。
まあそんな風にすぐ捨てられることもなくずっと活躍し続けているこの時計の声に、俺は本日も覚醒を促された。目が覚めた。あまり寝た気がしないのは、寝ようとして寝たわけじゃないからかもしれない。頭が少し重い。クソ、もう朝か、はええな。一人で呟きながら、床から起きる。背中や肩がガチガチになっている。やっぱ面倒がらないで毛布くらい敷くべきだったか。少し後悔していると、俺のベッドの上で座っている奴が目に入った。呆然。って言葉がよくお似合いだ。心なしかまぶたが腫れて、短い髪が爆発している。俺はそいつよりは比較的マシだろうって顔で笑ってやった。
「何ぼけっとしてんだよ。俺のベッドの上で」
「……いや」
声はかすれて聞き取りにくい。昨日あれだけ喘いだんだから、まあそりゃそうなるだろうな。俺はとりあえず煙草を吸って、立ち上がった。腹が減っては戦ができぬと。毅は何も言ってはこない。俺の予想としては、ありゃ覚えてる。じゃなけりゃもっと人の癇に障りまくるような爽やかなツラをしてるはずだ。早起きは三文の得って説を支持するような古くせえ奴なんだから。考えながら、パンを焼く準備をして、卵を二個用意する。それから思い出して、まだベッドでぼけっとしてやがる毅に狭いキッチンから声をかけた。
「毅ィ、お前飯食うかァ」
「あ?」
「メシ、朝メシだよ」
「あ、ああ」
ぼんやりした感じで毅は頷く。頭回ってねえんだろうけど、頷かれちゃあ二人分用意はするべきだろう。パン一枚をトースターに入れて、フライパンを火にかける。コーヒーメーカーも稼動させる。フライパンに油を入れて、卵を割り入れる。蓋をして放置。その間にレタスとトマトを適当な形にして皿に置く。後はできた目玉焼きと焼けたパンの乗った皿、都合二枚を運んで終了。狭いテーブルに置いて、醤油と箸はセルフサービス。後は俺のためにパンを焼いて、煙草をもう一本とできたコーヒーを、キッチンで。俺は目玉焼きにはソースだし。全部を始末したら、二杯目のコーヒーと別のカップに入れたコーヒーを、リビングまで運ぶ。無論ブラック。
「俺、仕事行く前送ってってやるよ。どうせ時間あるし」
コーヒーをサービスしてやりながら言う。毅はベッドに腰かけたまま気まずそうに目を泳がせてから、悪いな、と相変わらずのかすれた声で言った。地味にエロイ。昨日(と今日か)でかなり満足したはずの俺の息子が呼び出しには反応しようとするので、空になっている皿二枚と箸を、時間を確認してからとりあえずキッチンに運んだ。そして使ったものを全部片付けちまって、出勤準備だ。顔と髪さえ整っておきゃあ着るのは制服だし問題ない。洗面台でヒゲを剃って歯を磨いて、最終チェック。オーケー、俺の顔だ。
寒さの厳しい季節だ。上に一枚取って鞄を持つと、ベッドからようやく腰を上げていた毅が、
「慎吾」
と、かしこまった風に言ってくる。財布の中身を確認しつつ、何、と俺が聞くと、何度か言いよどんでから、「昨日、俺は」、と言って、言葉を濁した。
「あん?」
「……いや」
結局家から出るまでも出たあとも車に乗ってる間も別れる間際も、毅が最後まで言うことはなかった。言ってくりゃあ俺は正直に答えるつもりだった。つまり、まあ語弊がある言い方だけど、媚薬を使ってヤッたことだな。強姦上等。けど何も聞かれねえなら答える機会もないもんだ。
失神するとは思わなかったってのが本音だった。一瞬死んだかと思って、こっちが死にそうになっちまった。相変わらず心臓に悪い奴だ。そんなにクスリってのはいいのかね。まあ頭の良いお方がそうなるように計算して作ってんなら効果も最大最高だろうけど、生憎俺は使ったことがないから分からない。使う気がしない。他人の思惑に乗っかっちまうみてえで気に食わねえし、ハマりたくもねえし、それでしか満足できなくなったらこの脳ミソは何なんだっつー感じだし。まあだから、そんな異物のせいで一発目で意識を飛ばされちまうと、それ以上やるのも興ざめだ。愚息も萎えて、放置決定。しかし汚れは落としてやろうと親切心は出してやった。というわけで、浴室に運び込んで、湯で体を洗ってやったよ。中も洗うとそれだけで反応されたから、それを放置するのもどうかと思った、ってのは詭弁だな。ああ入れた、そりゃ入れるさ、そこで俺も勃っちまったし。何だかんだ言ったってリアルにゃ勝てねえって。さすがにそれには毅も意識を取り戻したが、もう一回お陀仏してもらったから、問題はない。多分。浴室も洗わなけりゃならなくなったのはご愛嬌だ。
運び出して、体を拭いて服を着せて、ベッドに寝かせりゃハイ、何もなかったって終わり方。キスマークもつけていない。さすが俺、どんな時でも理性的だ。でも体には無理させてるから(そこまで理性的なわけはねえ)、かなり響いてはいると思うんだよな。俺がいくら知らん振りしたって、あの鈍感様でも普通に疑うだろう。実際疑われている感じはあった。警戒もされていた。まあ何年経っても完全に和解したとか分かり合っているとか熱い友情で結ばれてるってわけじゃねえから、それが普段なんだけどさ。居心地は良かねえな。本当のことを言っちまいたい。お前は俺とヤッたんだぜ。すげえ良かった、最高だ、あんだけのセックスは今までしたことがねえ。言ったら殴られるかな。絶縁されるかもしれない。潔癖様でもあるし。でも好きって言葉にすげえ夢を見ることもあるはずだ。好き。それで全部許されるか? 好きだ、愛してる、そう言えば丸め込めるか? それはそれでつまんねえな。何だって本当のことほどつまんねえんだから。まあ結局、疑われたところで俺は何も知りませんよってするのが賢い方法なんだろう。
俺は馬鹿じゃねえ、と、自分では思ってる。そういう奴ほど馬鹿だって? まあ人のことはどうでもいい。とにかく俺は賢い方法を選択している。し続けている。二ヶ月だ。正月も越えちまった。何事もなく。俺の人生なんてそう何事があるわけでもねえけどな。足を棒にして働いて稼いだ少ない金で豪遊した気分を味わって、たまに同じレベルの女を持ち上げてやって、あとは一人で寂しくオナニーライフ。それが楽しい。どうでもいい奴殴ったって褒めたって、やっぱりどうでもいいんだよ。そういう奴らと一緒にいるより、自分のやりてえことやってる方が、爽快感も満足感も段違いだ。俺は馬鹿じゃない。だから叶わない夢は見ない。さすが俺だよ。毅のことに関しても二度目ができるだなんて思っちゃいない。正直あれで時機は逸しちまってると思ってる。あそこでやっちまった以上、それをどうにか処理しねえと先に進むなんてできやしねえが、俺はその仮定よりあの時のこと思い出して浸る方に意識がいっちまうから、できるできねえっつーか、する気が起きねえ。だからあれから連絡も取っていない。取る必要も感じねえ。所詮俺らは走り屋で、同じチームの仲間というだけだ。正論尽くし。我ながら惚れ惚れするね。
俺は最初からあいつに欲情していたが(顔とか体とか雰囲気とかそういうところでだ、理屈じゃなくて感性)、それが好きや嫌いに影響を与えることはなかった。俺は性格的に合わない奴とFR乗ってるくせに遅いドリフトかまして得意顔になってるような井の中の蛙さんが嫌いなだけで、後は正直どうでもいいんだ。ただ毅ははっきり言って俺の嫌いなタイプの性格の持ち主だった。一言で表せる。馬鹿、これだ。どうにかなんねえかって感じの大言壮語、明らかな嘘にも気づかねえ頭の悪さ。一目見て欲情して、一分言葉を交わして嫌いになった。それがどうして好きになったのか? 限度が見えたからだろうな。あいつができないこと、あいつにしかできないこと。ただの馬鹿じゃねえってこと。大体走りの速さがそれを物語っている。ドライビングは感性だけでアベレージを刻められるほど奇跡的なもんじゃない。事前に車と路面のコンディションを把握した上で、どの状態が最適なのか計算する必要がある。準備から速さは決まっていくわけで、それもできねえようなお粗末な奴は舞台にも上がれねえってことだ。あいつは少なくとも舞台上にはいて、しかも今でも妙義じゃ主役を張ってやがる。若手も育ってきてらっしゃるのにな。俺はそこに気づいちまったのかもしれない。俺はあいつの走りに惚れている。そうした走りをできるあいつが、それでも馬鹿なところがどうしようもなく好きでいる。こうなると全然関係なかったはずなのに、その好きってのと欲情するってのが重なってきて、ムラムラして仕方がなくなっちまうってことだ。それが一年以上続いている。でも平気。俺くらいにもなると、引き際は良く知っているから、大義名分が立つ時だけはあいつの存在を楽しんで、後は一人の世界で済ませられるわけだよ。寂しい? むしろ楽しいね。下手さえ打たなけりゃあ一生続けられるんだから。
まあそれも大分前に下手は打っちまってんだが、俺は賢いままでいられていた。そもそも会ってねえんだから、そりゃそうだ。ただ役得のある飲み会に参加しないってだけの忍耐力はなかったな。時間の経過とともに記憶は薄れる。想像の鮮度も落ちる。刺激は欲しい。とかそういうことより、会いたかった。頭にあったのはそれだけだ。やっぱリアルにゃ勝てねえんだよ。我慢なんて、俺が自分に拷問かける理由がねえ。
俺は二ヶ月ぶりでもいつも通りだった。時間なんて感じさせねえ親密さと距離感を維持しましたよ。伊達に修羅場はくぐっちゃいませんってな。変に意識しないという意識が無意識に身についている。訓練の賜物。何年か前の彼女に生理がないって言われた時も平静を貫き通したこの庄司慎吾だ(浮気してるの知ってたからだけど)。何かあった振りも何もなかった振りも得意だった。あいつが俺ほど器用な人間なら、俺もここまで執着はしなかっただろう。しっかしマジで警戒してんの丸分かりだったぜ、だせえのな。周りの奴らは俺に向かって「何かあったのか」って小声でにやにやしながら尋ねてきたけど、当人がいかにもって風体だし、責められるもんでもねえし。だから俺はこう言ってやった。俺があいつの女を寝取ったんだよ。で、うちのチームの古参には沙雪のファンがいるから、勘違いして暴走する。冗談だっつーの。無責任な冗談だ。集まってる奴らの半分くらいは分かってノるし、半分くらいは良く分からねえままノって、そして話題は消える。酒が入ればそんなもんで、仏頂面の中里さんも死人みてえに寝ちまえば文句の一つも言ってこねえ。結局いつも通りに下ネタと車談義でぐだぐだになった会合が終わると、いつも通りに俺はその熟睡中の毅を介抱する役を担う。役得だ。健気だな、とどっか引いた感じで笑ってくる奴には、時給二千円とタクシーつきならイイもんだと言い返して、本気で思ってもねえのに羨ましいと続けてきたら、交代してやるぜと本気で持ちかける。それで終わり。金と本気を出せば何でも片付く。素晴らしい世の中だな。
家に帰れば上着だけ剥ぎ取って、ベッドに寝かせてやる。俺の家だ。快適な我が家。とりあえずシャワーを浴びて浮世の汚れを流して一回抜いて、暖房利かせまくってる部屋で下着姿でサイダーを飲む。酒はもういい。そうそう飲んでもいねえけど、明日も仕事だ、二日酔いだけは嫌だった。疲労が溜まってる時ってのは甘ったるい炭酸飲料水ほど飲むと体の中が腐ってくような気がするもんはなく、それがたまらなく快感だ。自分を痛めつけるのは趣味じゃねえけど、たまには自虐的にもなりたくなる。こういう風に、欲しいもんに触れられる距離にあるのに触れられねえって時とかな。拷問。鞭でぶたれるよりもよっぽど頭がきつくなる。けど役得だ。もう少し落ち着いたら、トイレで励ませてもらおう。そう思いながら、音量を絞ったテレビを適当にザッピングしまくっていると、後ろで衣擦れの音がした。それと獣みてえな声。振り向けばそこに毅がいる。当たり前だ、俺が運んだんだから。ただ仰向けに寝ていた体は腰から上が起きていて、そのしかめられた顔がこっちを向いた。
「おはよう」
だってのに、そうやって俺が声をかけてやったら、細めてた目をがっつり開いて思いっきり跳ね上がりやがった。なぜか壁際まで寄っていくし。それが寝てる時とは全然違うあんまりにも派手な動きだったもんで、おいおい、と俺は笑っちまった。
「俺がいるのがそんなにオドロキかよ。お前ここを誰の家だと思ってんだ」
随分な間を置いてから、お前の家だろ、と毅は口先で言ってくる。そうだよ、と俺は頷きながら立ち上がって毅の座っている俺のベッドの端に腰を落とした。「だから家主の俺がいるのは当然だろうが、俺がいねえ方が不思議発見だぜ。吐き気は?」
「……ねえよ」
「あっそ。まあお前、あんま酔ってなさそうだしな」
笑ったまま言うと、壁に背を預けたままの毅は疑い深い顔をした。何で分かるのかとその顔に書いてある。俺としちゃ何でそんなに分かりやすくいられるのかっつーのが疑問だが、それはまあ今は関係ねえから、顔色だよ、と顔に載ってる質問に、適当な調子で答えてやった。
「そんな赤くなってねえもん。いつもタコかエビかカニかってなくらいにまで茹で上がってんのに、全然美味そうじゃねえくせによ。今どっちかっつーとお前、眠いんじゃねえの?」
シラフのようなツラは、どこか青白い。目の下にはクマ。頬はいつも以上にこけている。ヒゲもしっかり剃れてねえ。他の奴らも突っ込むのが面倒でスルーしてたくらいだ。こいつがたまに不調なのはいつものことで、勝手に立ち直るのもいつものことだから、いちいち気にしたってどうにもならねえ。今回はそれを分かってる奴しか集まらなかった。俺を含めて。
俺の問いに毅はかなりの間を置いてから、イラつくくらいにゆっくりああと頷いた。じゃあ寝とけよ、と俺は変えたばかりのシーツを指差す。いや、と毅は何かをためらうようにまたゆっくり首を振る。こいつの不調の原因なんざ俺には分からない。気にしたくもない。二ヶ月も前のことを引きずるほどこいつが繊細だと思いもしねえし、俺だってそこまで愛されてるって自惚れてもいねえから、どうせ最近何か具合の悪いことでも起こったんだろうと思うが、そんなもん連絡も取ってねえ俺が知るかってな。分からねえって。ただこのまま放っておくのも後味悪いから、答えやすいように無知を装って、何、と嘲ってやる。俺は本当に優しいな。だからこいつも「寝れねえんだよ」と素直に言えるんだ。俺のおかげで。んなわけねえけど。
「色々……考えちまうから」
重そうなまぶたを何度も上げたり下ろしたりしながら、疲れたように毅は言う。今寝てたじゃねえか、と指摘すると、寝ようとするとだ、と億劫そうに返されたが、そう言ってる間にも別の世界に旅立たれそうだ。
「そんな状態なら、目ェ閉じときゃ落ちるだろうよ。ほら」
俺は毅のシャツの襟をさっと掴んで、壁に沿って座っていた体をベッドにきちんと寝かせてやった。かなり大きな動揺が手から腕、俺の体にまで伝わってきたが、言葉にされなきゃないのと同じだ。ただどういう都合か俺は今、ベッドにその体を倒すと同時に毅の顔を覗き込む格好になっていて、まともに見上げられていた。目は口ほどにものを言う。それもそうだ。真っ直ぐその不審と不安ばっかの目を向けられていると、そいつが何を言いたがっているのか、なくはないってくらいにまで伝わってくる。あるわけだ。待て待て、二ヶ月も前だぜ、冗談だろ。俺の思いが伝わったかどうかは分からない。毅が目を逸らしちまったからだ。そして離せ、と俺の腕を掴んで胸倉からのけてくる。俺はその手を毅の頭の横に落として、見下ろすことはやめなかった。
意外なような妥当なような、とにかくこいつはあのことを気にしているわけだ。夢だと思い切れなかったのか、全部覚えていて実は俺のことをかなり恨んでいるのか、何でかは分かんねえが――こうして寝ようとしても考えちまって寝られねえくらい、気にしてる。ってことか? まさか。でもその目はそう言っていた。俺への非難と懇願と。救いを求めてるってヤツ。正解を。まあそうなんだろうな。俺はあれから何も働きかけてこなかったから、俺の存在が現在進行形で影響を与えたとは思えない。こいつのせいだ。こいつの中で、あのことをどうしても意識から除外できない理由があるとかそういうことなんだろう。多分。それだけだ。俺のせいじゃない。なら俺がいくら何でもねえって風にしてたって、こいつには意味がない。俺には意味がある。事実が残らないってこと。言葉にしなけりゃないのと同じだ。しかしここまできたら人と地球に優しい庄司慎吾様としては、放っておくのもやはり後味が悪い。どうしたって気にするってんなら、疑問を解消して差し上げるのが一番の親切だろう。それで例え絶縁されたとしても、極論走ることさえできりゃあ構わない。俺とこいつはそういうもんだ。それで今まで通りならただの幸運。だから離れろと威嚇してきた毅をしばらく見下ろしたままでいて、それから俺は聞いた。
「覚えてるか?」
毅はようやく目を合わせてきた。疑うばっかの。
「この前も、似たような体勢になってたな」
俺は笑った。別におかしくも何ともなかったが、笑っとかねえとマジになっちまいそうだったからだ。毅はぎょっとしたように目をぐっと開いて、何か言いたそうに口も開いた。俺は毅が声を出す前に、俺がマジになっちまう前に、さっさと用件を済ませることにした。
「あれよ、俺がお前にやった胃薬。あの時の。ありゃ俺の同僚が俺に押し付けやがったヤツでな、全身性感帯だの何だのと触れ回りやがってあの野郎」
「……何?」
「あーいや、だから俺、それウチにあることすら忘れててよ。不測の事態。っつーかお前、俺が胃薬持ってる時点で疑わねえ? 俺は疑わなかったけどよ、忘れてたから。忘れてた。だからお前にやれたんだ」
うまく笑いが作れてねえのは分かってたけど、ここで消すわけにもいかなかった。このまま前みてえにキスができればどれだけいいか。青ざめて、それから一気に赤くなった顔、変に濡れてる目、乾いた肌、唇。雰囲気とかじゃなく、こいつの生体そのものがビンビン腰にくる。ああ抜きてえ。こいつが俺のこと跳ね飛ばしてくれなかったら、自分じゃそこから動けなかっただろうな。俺のベッドは手入れをしてあるからいつもふかふかで、弾かれた俺の体もきちんと受け止めてくれて、また壁に沿った毅の尻も柔らかく包んでくれていることだろう。
「お、俺はッ……あれ、あれで……だから、俺が……おかしいんだと……」
毅は赤らんだ顔で、俺に対してではなくかなりの柔らかみがあるはずのベッドに対して、静かに怒りを吐いた。おかしい? 俺が声を出すと、悔しそうな感じで下唇をぎっちり噛みやがる。あー、血ィ出るぞ、おい。俺は冷静だった。冷静で、冷静にそう思ったからまた、ケツに突っ込まれて感じまくってたことがか、とか冷静に言えちまったわけだ。まあそりゃ睨まれる。射殺されそうなほど睨まれる。俺でもちょっと怖くなるほど、その時の毅は怒気に満ちていた。下ネタに抵抗性ねえもんなあ、こいつ。そういう問題でもねえか。事実にしても俺の言い方はヒワイすぎたな、反省反省。でもそれで図星つかれたって風に怒ってもらっちまうと、正直結構たまんねえ。ここは危険性を教えてやらなきゃもうダメだろう。今日も含めりゃ三年分はネタももつはずだ、その間に頑張って相手を探せば乗り越えていける。俺ならできる。よし。というようなことを数秒で考え切った俺は、そんな顔すんなって、と言って毅との距離を詰めた。
「おかしかねえよ、薬のせいだ。お前は何もおかしくねえ。おかしいってんなら俺だぜ、何もなくてもお前で勃つし」
鬼の形相のまま、ああ?、と凄んでくる毅の左手を素早く取って引っ張って、ほら、と俺は俺の股間にそれを押し付けた。下着の中の俺の一物は随分前から布を突き上げていたが、俺の顔以外に目をやっていなかった毅は今まで気づかなかったようで、驚愕、って感じのツラになった。俺は毅の手が布越しに触れるだけでイッちまいそうなくらいだったから、とりあえず掴んでいた手首は離してやって、それから距離はある程度保ったまま、やべえよ、と笑いながら言う。
「俺はもう、お前とヤりたくて仕方がねえ。ずっと前から、初めて会った時からな。ずっとお前とヤることしか考えてなかった、あの時ゃそれが我慢できなくなっただけだ。おかしいってんならだから、俺の方だぜ。自信がある。とっくの昔にイカれちまってる」
驚愕を不審に変えた毅が、まだ赤い顔のまま、何言って、とどもる。分かるだろ、と俺は嘲る。
「ホントは何もナシってことでいくつもりだったんだけどな、お前がそんだけ悩んでんなら隠してんのも……俺もそこまでひどい男じゃねえし? まあでもだからお前はおかしかねえよ、毅。安心しろ。お前のケースは致し方ない、科学の勝利だ。俺のケースはほら、俺の勝利だから。お前とは違うんだ。お前が普通だよ」
さり気に結構なことを告白した俺を、しかし毅は引いたような目では見てこなかった。そこまで感情を向けてくる前に俯いちまったとも言える。毅はさっき噛んでいた唇をまた噛んで、三角座りのまま額に手を当てて、そして違うと首を横に振った。俺は何が違うのかと一応尋ね返していた。おかしいんだよ、俺は。毅はやたら低い声でそう呟く。おかしいんだ。俺は大層な決意で臨んだ欲情宣言が普通にやり過ごされたような気がしてどうも釈然としなかったので、その毅のぐずぐずした感じにちょっとイラっときちまって、さっきした反省も忘れていた。
「毅、お前人の話聞いてっか? 聞いてんなら分かるだろ。そこでだぜ、例えばあの時のこと思い出して自分でケツの穴いじりながらオナニーしてるとかってんならまあ微妙だけど、そうでもねえのにんな否定されたって、鬱陶しいことこの上ねえよ」
俺がそれを言い切る前に、毅はびくりとして、更にまた顔を背けた。見えるのは髪を握っている手と、今にも燃えそうな感じの右耳だけ。俺はそれから約十秒後、その一瞬の毅のびくつきと広まる沈黙との意味をようやく察したわけだが、
「え?」
とまあ直後にうっかり間抜けな声を上げていた。まさか、という思いが消えなかった。いやいやそれはいくら何でも夢見がちだろう、俺。俺の中の引きたがっている小心な俺を、攻め時だといつもでしゃばりやがる強気の俺がぶん殴って、挙句に口を開かせる。
「……してんの?」
しかしまた出てきた声がこんなに弱々しいってのはどうしたもんかね。笑顔も何とか浮かべられてるけど、見事に引きつり通しだよ。毅は動かない。でも震えてる。どっちだよ。いや震えてんだよ。何で? 恥ずかしい? 怒ってる? 図星つかれたって感じでまたこんな態度を取られると、常に理性的なことで定評のあるこの俺もさすがに忍耐の二文字を追っ払いたくなってくる。っつーかこれは夢か? 夢オチか? それでもいいか。そっちの方がいいかもしれない。これが現実だってんなら、俺がしたこと思い出しながらこいつが自分で尻に手ェ入れてマスかいてたって? 何だそりゃ、ああやべえ、マジでイく。どんだけ精力絶倫だって俺。っつーか何この上げ膳据え膳。五年はいけるよ。笑顔も引きつらなくなってきた。かなり楽しい嬉しい面白い。やっぱリアルはちげえ、最高だ。だから俺はこいつが好きなんだ。
とか何とか俺がボケたことを考えていると、黙って震えていた毅が突然ベッドから下りて、どたどたと俺の前を通って部屋から出ようとした。俺は慌てて立ち上がって、
「おい待てお前、ジャンパー」
丁寧にもハンガーにかけてやっていた上着を取りながら、大きな声で言ってやった。毅は靴を履く寸前で止まり、数秒じっとしてから、ぐるりと振り向きまただんだんとうるせえ音を立てながらこっちに歩いてくると、俯いたままひったくるように俺の手から上着を取って、歩き出しかけ、背を向けて止まった。荒い息が聞こえてくる。こうなると、もうこいつには勢いで帰ることも無理だろう。一気の出足が鋭い分、一度立ち止まるとしばらく進めなくなっちまう奴だ。そして今、立ち止まっちまった。俺としてもこのまま突っ立っていられたんじゃあ至上の我が家でのんびりできねえし、思わず手が出ちまうから、気を紛らわすためと、こいつを動かすきっかけを作るためにも、軽々しい声を出す。
「あー……まあ、でも別におかしくはねえって、毅。それも一つのやり方だろ。オナニーなんて欲求不満が解消できりゃあどうやったって個人の自由だし、アナルにいったってそりゃお前、一つのな、嗜好だ嗜好。こんにゃく好きな奴もいるんだから」
笑い声は空しく消えた。毅は動かない。動けよ馬鹿。そのまま真っ直ぐ走ってきゃあいいだけだ、いやもう一回振り向いて俺を殴るんでもいい、動けばとにかく事態は変わる。分かっているだろうに、こいつの両足は床へと真っ直ぐ伸びているだけだった。呼吸とともに両肩が上がって下がる。それだけ。後ろから抱きにかかったら、どうせ払いのけるだろうくせしてな。そうするか? 背中から優しく包み込んでやって、耳元で愛してるとでも囁くか? アホらしい。大体流れがおかしいんだ。俺はため息吐いて、もうベッドの端に腰を落ち着けた。それから一向に動こうとしやがらねえ毅に、帰りたきゃいつでも帰れよ、と軽く言った。
「お前が五体満足でピンピンしてんなら、これ以上俺も引き止める理由ねえし。酔って潰れたお前を介抱するのが俺の役目でな。それ以上なんてありゃしねえんだ。後は俺のことでお前のことだし、俺のことはお前に関係ねえし、お前のことは俺に関係ねえだろ。ここで眠りたけりゃあベッドは貸すし、俺を殴りたけりゃあ腹は貸すし、オナニーしたけりゃ道具は貸すし、帰りたけりゃあどうぞお帰りなさってくれ。好きにしろ。だからとにかくそっから動いてくれねえかな。俺もこの状態は地味につれえんだよ、お前にそこにいられると、絶対そのうち押し倒すからな」
まだ動こうとしない毅から、俺はつけっぱなしだったテレビへ目を向けたが、その内容は勿論頭に入ってきやしなかった。押し倒す方向に想像が進み切っていたからだ。視界が意味を持たなくなる。チンコは少しも萎えちゃくれない。ここで抜いちまえばこいつも動いてくれるかね。かもしれねえな。一石二鳥、ナイスアイディアじゃねえの。さすが俺。凡人とは考えが違うんだ。っつーかもう我慢ができねえ。耐えらんねえ。俺は絶対マゾにはなれねえな。そんでそういう風に人が覚悟を決めてテレビを消して、いざパンツを脱ごうとしたら、そういう時に限って毅は動いてくるわけだ。空気が読めないのもいい加減にしてほしい。泣きそうな顔で人を見下ろしてくるのもやめてもらたい。忍耐の二文字が追っ払う前に逃げていく。
「何なんだよ」
ああ、まったく声まで泣きそうになってやがる。お前いつものどうでもいい奴まで威嚇するような素晴らしいお声はどうなさった。俺にそんなくしゃくしゃの声をかけてきてどうするんだ。頼むからやめてくれ。俺の鉄の理性が白旗を揚げちまう。
「何なんだよ、お前は、俺はあんなこと夢だと、夢だと思おうとしてたのに、好きだとか、わけの分かんねえことを、何も言ってきやがりもしねえであれから……何もなかったんじゃねえのかよ。何もなかったんだろ。俺が元からおかしかっただけだ、何もねえ、てめえが何だってんだ、畜生!」
しかしまあ、そうやって怒鳴ってくる頃にはこの中里さんもいつも通りのクソ生意気な調子に戻っていた。俺は笑っていた。破裂しそうなくらい真っ赤な顔のまま、何がおかしい、と毅は喉が割れそうな感じで叫んでくる。取り立てて何がおかしいってわけでもない。強いて言えば、ここまで俺を気にかけているこいつがおかしかった。仲間として? 薬飲ませて(故意じゃねえけど)強姦まがいのこと(っつーか強姦だな同意はねえし)しといて二ヶ月音沙汰ナシで普通でいられる奴相手に、そんなご丁寧な感情を抱いていたわけか? それともそれ以上か、それ以下か。まあとにかくおかしかった。おかしさの後、嬉しさがついてきやがる。結構愛されてんじゃねえの、俺。そう思う自分までがおかしくなって、笑いが止められねえ。いわゆる一つの悪循環だ。腹が痛くなってきて、ベッドに横たわってもなお笑い続けていたら、毅もいよいよキレたらしく、ひいひい言ってる俺に馬乗りになって来た。胸倉掴まれて引き上げられる。おーこわ。毅はまた鬼の形相になっていた。迫力あるねえ。けど俺の笑いは引っ込まない。毅の尻を股間に感じちまってるし。
「何がおかしいんだよ、てめえは!」
唾を撒き散らすように毅は怒鳴る。人の顔の前で。そのうるささには俺もつい顔をしかめていた。そして舌打ちまでが漏れていた。
「うっせえなお前、人の顔の前でそんなでけえ声出すなよ、鼓膜が破れる」
「人が真面目に、だってのにお前はそんな……笑い、笑いやがって」
「だってお前、それだけ俺のこと考えててくれたんだろ?」
笑顔に戻して確認するように言うと、毅は開いていた口を閉じた。睨むのは止めない。さて俺のベッドは大の大人の体がはみ出るような小さい商品ではございませんときている。だから人の胸倉掴んで引き上げてきてやがる毅の脇の下に手をあてがって、腕の力だけで立場をひっくり返してやっても二人分の体はちゃんとおさまった。この辺簡単に上下を変えられたのは、俺の股間を嫌って腰を上げてた毅の落ち度があったからだな。あとは考える方に意識が向いて体がおろそかになってたってことも。やっぱ修羅場をくぐった数はこの庄司様の方が上なわけだ。今度は俺が毅に馬乗りになって、それ以外は何も封じもしねえでその頭の横にただ手をついて、毛の生え方が分かるくらいまで顔を近づける。毅は息を呑んで、そして止まる。動かれる前に俺は、ドン引きすること教えてやるよ、と話を始める。
「初めて会った日な、あの時俺はとりあえずお前が嫌いになったけど、家に帰ってお前のこと考えながら抜いたんだよ。すげえ良かった。それから毎日のようにだ、手を変え品を変えってヤツ。AVだの何だの全然比じゃねえよ。お前を犯す夢まで見た。中坊以来で夢精した。いつだって俺はお前とヤりたくてヤりたくてたまんなくて、嫌いだろうが好きだろうがどっちでも、そんなの全然関係ねえ、そういうことが元からあったんだよ。それが『元からおかしい』ってことだろうが。お前ごときが変態ぶるのは許さねえよ、俺はな、お前がそんな風に俺のこと気にしてくれてるって思っただけで、もうマジでおかしくて嬉しくて、さっきからずっと勃ちっぱなしなんだ。お前が少しでも触ってくれたら多分すぐにイッちまう。引くだろ? 引いて当然だ、こういうのが、『おかしい』ってことだからな」
俺はまた笑った。毅は眉を寄せて、信じられねえように、怯えてるみてえに、でもしっかりと俺をずっと見上げていた。目を逸らさない度胸に感心するより、俺は見られていることに興奮した。だからまさか毅が実際触ってくるなんざ考えられもしなかった。こんな流れで誰が考える? 不愉快そうに俺を見たままのこいつが、俺のパンツの中に手を入れてきて俺のナニに触ってくるなんて。考える奴がいたら拍手してえよ。少なくとも俺はそこで笑顔も繕えなかったしな。ガチガチの俺のものを毅の手がためらいがちにしごいていく、その状況のとんでもなさと待ちかねた刺激に頭が真っ白になって、待てとも何とも言えなかった。出てくるのはあ行のうちの一文字くらいで、その声も息と混じって随分情けないものになった。毅の顔もまともに見てられなかったのは、柄にもなく恥ずかしかったからだ。信じられねえってのもあった。信じたくなかったのかもしれない。毅がそうしてるってことを。ただでさえもう腰を振っちまうほど気持ちが良いってのに、その上あの、引いてるのか何なのか分かんねえ赤いまんまのあの顔、けど俺を憎んでるとか恨んでるとかって感じの色が一つもなかったあの顔をずっと見ていたら、我慢も忍耐も理性も何も知ったこっちゃねえってな。マジでやべえ。俺にも一応自制心というものがあってだな、だからとりあえず壁にかかったカレンダーを眺めながらイッたよ。もうこの絵の鳥ですらオカズになりそうなくれえだ。毅の手の硬さ、感触、精液を絞り出してくる動き、どれも記憶には鮮やかすぎる。勘弁してくれ、俺は鳥でオナニーしたかねえ。離れていった手の感触に未練を覚えつつ、そう思いながら俺はそこで毅に目を戻した。ドン引きしてるか醒めてるかってのが妥当のはずのその顔は、さっきと何も変わっちゃいなかった。怖いとか恥ずかしいとか困ってるとか、そういうことしかない顔だ。そして今度は毅が俺からその顔を背けていた。
「何……何で?」
俺はまた引きつった笑顔になりながら、浅い呼吸を繰り返したせいで情けなく掠れた声で、情けない調子で聞いていた。情けない。威厳もないし貫禄もない、現実に怯えてるみてえな聞き方だ。でも分かんねえ。分かるかよ。あの流れで何でこいつが俺に手コキをしてくれるんだ、その要素がどこに落ちていたんだ。俺には見つけられなかったぞ。教えてくれ。今からでも見つけるから。
「……だったら」
「あ?」
毅の声も掠れていた。顔は背けたまま。俺も、おかしいってことだ。その掠れた声で、聞き取りにくいくらい小さく毅は呟いた。さっきと言ってることは変わっていないようだった。だが違いはある。俺も、とこいつは言った。俺と同じだってことだ。俺と同じにこいつはおかしいってことだ。最初の最初からこいつをヤりたくてたまらなかった俺と同じくらい。まさか。今日で何回思ったか分からねえ、そして多分今となっては全部当たったんだろうってそれが頭の端から端へと一瞬で通り過ぎた。俺は毅の顔の横についていた右手を動かした。百聞は一見にしかずとは言ったもんだが、見なくても触ってみりゃあ分かることもある。ジーンズに包まれた毅の股座。その中心は硬く膨らんでいる。触れて撫でるとびくびくと毅は体を震わせた。そのまま布越しに指先だけで擦ってやる。落ち着いてきた顔色がまた赤で染まっていく。ああもう、何だ、誰がこんなに俺をたぶらかそうとしてやがる。言っとくが俺はこれまでの行いにかけちゃあ地獄に蹴落とされる確率九八パーセントを叩き出す人間だぜ。自信がある。それで何で、こいつをこうして差し出してくれるんだ。それとも二パーセントが拾われたのか。そんな低い確率から物を見るなんて誰がするか、見つかんねえよ馬鹿、ってかまだ分かんねえよ絶対的要素。やっぱ夢か? 夢オチか? いやもうんなこたこの際どうでもいい。好きとか嫌いとかもどうでもいい、ともかくこいつは俺で勃ってんだ。間違いねえ。俺がファスナー下ろして下着の上から触っても、逃げようともしやがらねえって、もうオーケーだろ。オーケーだ、そういうことにしちまおう、っつーか良いも悪いも何も、俺はもう限界だった。キスしようって意識すらもなかったんだから。
まさに気づいた時には唇を重ねていた、どころか舌を入れていましたよと。剃り切れてねえヒゲが当たろうが多少歯に舌が食い込みかけようが何だろうが、構いもしなかった。苦しそうに目を閉じて、でもキスの間にたまんねえ声を上げてくる毅。そのジーンズの前を開くのでさえ全然意識もしなかった。伊達に機械いじってるわけじゃねえ。俺の器用さに毅のナニも驚いたみてえだった。まだ微妙に柔らかかったそれを毅が俺にしてきた時よりも丁寧に、焦らすみてえにしごいてく。毅の手が俺の背中に回ってくる。夢じゃねえよな、とまだ思っちまう。だから一旦唇剥がして、感じてるとしか見えねえ毅の顔を目におさめてから、燃えっぱなしって風な耳に唇を近づける。
「おかしかねえよ」
囁いて、耳を噛むと、また濡れ始めてるもんがダイレクトに反応して、毅は喉の奥で声を殺そうとして、俺の息子はそろそろ出番ですかと上がってくる。
「俺ら二人しておかしいなら、そりゃ普通だ。おかしかねえ。おかしいなんて言葉でごまかしてたまるかよ、なあ。俺はまともだぜ。まともにお前とヤりたくて、まともにお前が好きなんだ」
毅が唾を飲み込んだ。まともな告白はこれが初めてかもしれない。俺はそれから表情を見る間も置かねえでまたキスをして、十分育った毅のものから手を離した。しかし計算もしてねえのにサイドボードに手が伸びる距離にあるってどうよこれ。天性の才能だな。おかげでローションを難なく取れる。ゴムはいいや、どうせこいつも綺麗にしてるだろ。そういうわけでキスを止めて被さっていた体を上げる。シャツを着たままジーンズを履いたまま、ただ開いた前から勃起したもんだけを出してる毅の姿は、想像できねえくらいにエロかった。まだ出番じゃねえってのに吐いたばっかの俺のチンコも反応する。もうちょっと休めよお前は。思いながら毅のジーンズに手をかけると、毅は腰を浮かせた。下着ごと靴下まで脱がせるのに苦はなかった。こんな単純な作業一つ一つに脳髄がやられてる感じがする。毛の生え揃ってる白いすねも逆に滑らかに見える白い太ももも、女に嫌われそうな容量でそそり立ってるアレも、目から脳に刺さって神経がビリビリとした快感を生む。シャツを脱がせるにしてもちょっと脂肪のついてる腹とか逆に硬そうな胸とか立ってる乳首とかざっとしてる脇とか、真っ裸になったことに今更心細そうになってる顔とか、そのまんま俺の腰から下を射抜いてくるような、っつーかもう全体的にかなりムサイとかそういうことを含めた上で、すげえエロイ。うん、やっぱまともじゃねえな俺。けどこの流れで前言撤回しても意味もないから、俺も下着を全部脱いじまって、仰向けの毅の腹辺りに適当にローションをぶっかける。それから下準備に取りかかろうとその膝を割り開いた時、
「慎吾」
と、毅が俺を呼んだ。はっきりとした声だった。俺は毅を見た。毅は俺を見ていた。
「俺は……」
開いた唇をそれ以上言わせないでふさいだのは、これまた柄にもなく、怯えたからだ。足を開かせたまま被さって、頬に手を当て舌を絡める。一瞬、怖くなった。一瞬だ。何を言われるのか。ここまで来て嫌だとは言わないだろう。初めてだから優しくして、とかもねえだろ、初めてじゃねえし。じゃあ何だ。想像して、怖くなった。まあけど一瞬だ、その先は関係ねえ。文字通り口を封じて、封じ込めたと思えたところで解放してやる。酸素不足のように喘ぐ毅を見下ろしたまま、そして俺は、更に話題を逸らしていった。
「自分でしてみてくれよ」
何言ってんだ、って具合に毅の顔が歪む。俺はローションでぬるぬるしてる腹から胸を撫で上げてから、毅の右手をぬめりを分けるように取って、開いてる足の間に持ってった。目的は放ってある男根(この言葉がこれほど似合うもんにはお目にかかったことがねえや)でも玉でもなく、その奥。毅は意味が分かったようで、瞬きを多くした。
「その方がいいだろ、慣れてる方が。下手に俺がやるよりも。大丈夫、見やしねえ。頼むよ毅。してくれよ」
俺は笑っている。さぞや汚い笑顔だろう。言ってる段階から興奮しまくってる。見れたもんじゃねえだろうな。毅はそんな俺の顔をおずおずと見上げてくると、案の定すぐに目を逸らした。けど俺が誘導した手は先へ進んでいった。動く気配。
「ん……」
目を閉じた毅が、震える。中里さん、あんた嫌だって言葉知ってるか? 何もかもやりゃいいってもんでもない。俺の生唾飲み込む音だって聞こえてるだろ。どれだけお前が人を煽ってんのか分かってるよな。そこまでされたらどんな奴でも勘違いする。勘違いか? いや、こいつは確かに俺で勃ってんだから、俺の場合は勘違いでもねえか。
そうやって完全煽られてる俺は毅の首に唇つけながら、誘導し終えた右手を空いてるその左手に絡ませた。これで前はちゃんとはいじれねえ。俺の左手は腹から胸に。乳首を指で弾くといい反応がある。元々弱いのかもしれない。今、俺の体の下で、そうやって大股開いた毅が自分の手でケツの穴をいじって喘いでる。見たい。けどすぐ傍で噛み殺されかけてる毅の声を、息遣いを聞いてるのもいい。速い胸の鼓動や筋肉の震えを感じるのもいい。組んでる左手がぎゅっと握られる。我慢できねえ感じで声が漏れてる。低くない、泣きそうでもない、ただ感じてる声。ああ突っ込みたい。いつ終わらせてやりゃいいのかこれは。イくまで待ってた方がいいかな。こんなことなら自分でやるんだった。でもこいつがやるなんて誰が思う、って誰が思うも何もねえ、やってくれてるんだよ実際。いいじゃねえか。最高だ。しかし俺は触られてもねえのに何でこんなにガッチガチになってんだ。なんて現実だこれは。夢の方がまだゆとりがあるぞ。そこじゃ毅の声だってまだぬるかった。今は駄目だ、腹の奥にズンズン響く。俺の手を握ってくる手の強さも俺の指先が触れる度に波打つ肌もリアルすぎる。多分揺れてる腰だってはっきり想像できる。そして声はそのままだ。前の時だってこいつはすんげえ良さそうな声を出していた、それと同じで、でも少し違う。俺に与える影響が違う。今はホント、それでしごかれてるみてえに、生々しい。高まっていくそれが途切れると、いく、と毅は最後に言って、体を大きく震わせた。俺は丁度その時の顔を見下ろしていた。肌は真っ赤で汗が滴っていて、肉が強張って歯は噛まれて、やがて弛緩する。それから小さい呻きの後、硬く閉じていたその目が開いて俺を捉える。その目。潤んだ目。理性なんてとっくの昔に降参していて、その目で見上げられてることを誘われてると感じても、勘違いだぞこの野郎と罵声を浴びせてくる奴も俺の中にはいなかった。ただまだ失せてなかった小心者が、なあ、と確かめさせる。
「入ると思うか」
聞くと毅は俺を自惚れさせる目を閉じて、小さく頷いて、いいと言った。何がいいって? この場で聞き返すのも野暮だよな。そのために一人で腹に精液まき散らしてくれたんだ。そうだろ。だから俺は上半身を起こして、毅の左手からもおさらばして、まだ開いたままの足を更に開かせて、毅の手で広げられたそこにゆっくり入っていった。じわじわ進めて根元までがっちりハメてから、俺は思った。だからな毅、嫌なことは嫌、無理なことは無理と言うのが賢いんだよ。きついって。マジきつい。こいつホントに俺でここでオナニーしてたのか? 二ヶ月。まあ指だけじゃそんなもんなのかもしれない。これでいいってか。もっと緩めた方が良かったんじゃねえか。でも今更抜くのは拷問だ。俺はもう地味すぎて誰にも分かんねえような拷問は受けたくねえ。それにどうせ俺の息子は元気だし、合体時は唸った毅も息を荒げてるだけだし、肛門切れてる様子もねえし、むしろ俺が止まってるのを辛そうなくせに不思議そうな顔して見てくるし、こりゃ進めちまっていいだろ。いいんだいいんだ。というわけで、いくぜ、と一声かけてから、失礼して腰を動かす。
「あ、あ……」
動きに合わせて上がる声ってのはいいね。前はそんなの気にしてる余裕もなかった。俺にもこいつにも。薬っていう大義名分があったしな。良くなって当然、みてえな。それで感じねえってどうよって。それしかねえんだ。思いなんて関係ない。どう思おうがどう考えようが、体は動く。科学の勝利。今は違う。感じないってのもあり得ることだ。指とは段違い、って言うにはまあ俺のはそれほどでかくもねえけど、少なくともそれ以上ではあるものが入ってんだから、痛かったり何だり、このシチュエーションにしたって嫌なら萎えちまうだろう。毅のは萎えている。出したばっかだから当たり前。
「あ……や、あ……ッ、あッ」
でも漏れてくる声は痛そうってんじゃない。ただそれも顔も、ちょっと辛そう。まあ痛くても辛くても嫌だ嫌だとすがられなけりゃ、俺も止めらんねえけどさ。いや、嫌だと言われてもどうだろうな。そっちの方が燃えちまうかもしれない。前もそうだった。でもとりあえず言われてねえし、俺の勢いでずり上がっていく毅の腰を掴んで、ゆっくりじっくり忍耐強く抜いて入れる。あーやべ、いい。良すぎ。思わず呟いちまうほど。この状況が良いのかこいつの体が良いのか、とりあえず良すぎてもうワケ分かんねえ。それでも頭は回る。快感でドッロドロって感じの体も頭も理解できる。だから余計に感じちまう。加減するのが一苦労だ。こいつがイくまで俺はイきたくねえし。けど毅が感じてるかどうかってのは微妙な問題だった。俺に手コキしながら勃たせてくれたんなら、俺のものが入ってるっつーことでも勃ってくんねえかな。いや勃つ勃たねえはこの際置いといても、苦しいまんまで終わらせても俺のテクがひでえのかっつーな。そこはプライドあるから。好きな奴には感じてほしいよ。だから丁寧に。でも荒々しく。この両立のバランスには自信がある。人生もセックスも、何でも緩急つけねえと飽きちまう。保守的な奴は嫌がるんだけど、気持ちが体を全部コントロールするかってとまた別な話で、疲労に負けずに俺が色々動いてやってると、動かされるから出ちまってたって感じの毅の声が、少しずつ自発性を帯びてきた。一方的だった締めつけも変則的になってくる。シーツを掴んでいた毅の手が開かれる。居た堪れませんって感じで閉じていた目も。俺を見て、声を抑えようとして失敗する。あー、いいね。俺は頬が上がるのを抑えられなかった。嬉しい楽しい面白い、気持ち良い。何十回思ったか分かんねえ。マジサイコー。
離れていた体を被せて、動きながらキスをする。毅の手がまた俺の背中に回ってくる。口を離せば荒い息と荒い声。たまらねえ風に目を閉じて、ここでようやく嫌だと言ってきた。やだ。泣きそうな声で、泣きそうな顔で。子供かよ。そこまで言われちゃ俺も止めざるを得ない、ってなるかと思ったけどやっぱ余計に止めらんねえや。やだってところをヤるのがオツなんだな。ってことは今までのこいつの方が賢かったのか。無駄に嫌とも無理とも何とも言わずに、苦痛を耐え忍んで俺を受け入れていた。俺の扱いを分かっていた。けど我慢ができなかったか。なるほどね。
おい、嫌だって? なら俺の腹に当たってんのは何だろうな。俺のを抜かせてくんねえのは何でだろうな。毅。反省を長く続けられない俺は、それも口に出していた。毅の顔が不愉快そうな形を一瞬作って、すぐに今にも泣き出しそうな形に戻る。俺はそれを見据えながら、腰を揺すりながら囁きかけてやった。
「感じてるか? 薬抜きで、まともに俺で。なあ、良いか? 自分でやるより。俺は良いぜ。最高だ。お前は、毅、教えてくれよ。どうなんだ。分かんねえんだよ、俺は。言ってくれねえと。超能力も、使えねえからな。凡人だ。だから」
それ以上は言うのが面倒で、まあ結局俺の腹に当たってるのはご起立くださったこいつのチンコだから、答えが返ってきてもこなくても別に良いかと、少しだけ本気を出した。毅は喘ぐ。呼吸困難になるんじゃねえかってくらい。俺も呼吸なんて意識しなくなる。余裕のあるエッチが思い出せねえ。頭も働かなくなってくる。毅が俺の名前を呼んでるってこともしばらく気づかなかったほどだ。その声がエロすぎて、切れ切れだったせいもある。ちょっと遠くにいきかけていた俺は、毅の指が俺の背中を引っかいてきたその痛みで、ようやく毅の言っていることを理解した。俺の腰を足で挟んで、俺の背中にすがりついて、その上で、恥ずかしさと快感が丸分かりの顔を俺に向けて、潤んだその目を俺に向けて、震える唇を開いて、日本語になってねえ声上げてる毅が、それでも俺の名前をしきりに呼んでること。ああ、と俺は頷いていた。俺は慎吾だ。庄司慎吾。それが俺だ。毅が言う、毅が俺の名前を呼びやがる、喘ぎながらそして言う。
「慎吾……慎吾、俺は、好きだ、お前が、俺は……、あッ、あ、あ」
その時の衝撃は、背骨が縦に真っ二つ、割られたような感じ。ビキビキっときた。そのせいで、萎えかけた。すぐに持ち直したし、そこで一旦下がったおかげで毅の奴よりはあとにイけたから良かったが、マジで役立たなくなったんじゃねえかって一瞬ビビッた。毅の言ってることを理解して、多分あんまりにも夢みてえで、これは本当に夢じゃねえかってまた小心者が出くさりやがったせいだろう。冷や水ぶっかけられたのと同じだった。でも持ち直した。だから結果オーライだ。持ち直したっつーか、そのあとはほとんど覚えてねえけど。ただ俺も好き好き言いまくっていた気がする。制限かけてたのにな。好きなのはそうなんだが、好きだからって理由は嫌だった。それが最大の理由だったからだ。
しかし覚えていることもある。俺の名前を呼びながら痙攣した毅。肉の締め付け。硬さ。声の温度。ぐっちゃぐちゃの顔。夢でいいと思った。ぐったりとした毅の体を拭いてやりながら思っていた。そのうち毅は寝ちまって、俺は大して体を拭いもしねえで同じベッドの同じ布団にくるまった。それでも夢にされても良いかとすら思っていた。こんな夢なら一生モンだと。
と思ってはいたものの、起きたらまずそれは探しちまってたな。俺のベッドの中で一緒に寝ているはずの、お姫様じゃねえ、あれでお姫様ならホラーだぞ。王子様って柄でもねえし。裸の王様? 偉そうだけど妥当なところか。
まあ幸か不幸か、何もありませんでした、チャンチャン、とは終わらなかった。俺の腕の中に毅はいた。探すまでもなかったわけだ。俺がベッドに入った時にはこいつに背を向けてたはずなんだけどな。寝相か。寝相の問題か。とにかく俺らは横に向き合っていて、俺の腕の中には毅がいらっしゃると。あーもう、ぞくぞくする。嬉しくて怖くて、気持ち悪い。吐きそうだ。二日酔いじゃねえのに、それより頭がきつい。この現実は想像したこともなかった。朝同じベッドで目覚めるなんて。いつもヤること以外考えてなかったんだから。そんな俺にこれをどうしろってんだ? 無理無理、やっぱまともにできねえって。手放したい。何事もなく今まで通り。その方が走りにも影響出ねえだろ。俺らが恋人同士って方が無理あるんだ。っつーか何で恋人同士だよ、こいつが俺のこと好きとか一言でも言ってたか? 言ってたな。ああ言ってた。俺は言われた。俺よりまともに毅は言った。俺を好きだと言っていた。あ、やべえ、思い出しただけで勃ってくる。思春期かよ俺は。このままだと生殺しだから、さっさと起きてシャワーでも浴びてスッキリするのが一番だ。一番なんだ。でも動けねえ。動きたくない。放したくない。嬉しくて怖くて苦しくて、吐きそうだ。夢でいいわけがあるか、ずっと嫌いだったんだ。ずっと好きだった。そんな素振りも見せねえで峠で競い合ってきた。そいつが今、俺の腕の中にいる。肌が触れる。寝息が触れる。体温が、肉が、感覚が。離れたくない。放したくない。この期に及んで何が無理だ。ああ無理だ。まともにゃできねえ。
俺はどうも色々見落としていたようだ。見ようとしていなかったか、目が腐っていたか。いや実は何一つ見落としてもいなかったって線もあり得なくはねえだろう。でも結果はこれだ。分かんねえな。いくら考えたって分かんねえ。臨むとか諦めるとか、そういう次元になかったんだ。たまに思い込むだけで十分だった。それってやっぱ何も見てなかったってことなのかね。まあそんな内省したって無駄無駄、言葉にしなけりゃないのと同じだ。まだ目覚まし時計は鳴っていない。あの殺意を覚える声が響くまであと一時間。血も一部分から全身に戻っていってる。俺が今まで結果的になかったことにしていたらしいようなことを、ゆっくり聞かせてもらうには打ってつけの頭の具合だ。さてそれでは、そろそろ王様にお目覚め願おうか。
2007/03/24
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