返礼
何となく思いついたので、見舞いに行くことにした。見舞いといっても慎吾は入院しているわけではない。右腕を痛めて吊っているので自宅からそうそう出られないだけだ。この前は共にバトルを見たが元気そうではあった。いつも通り減らず口を叩いていたしいつも通り目つきは嫌らしかった。
それでも中里は慎吾を見舞うことを思いついた。思いついたが手土産を持っていくような気遣いの必要な間柄でもないので手ぶらで行った。手ぶらで行ける関係だからこそ思いついたのかもしれない。
峠の帰りだった。家の場所は仲間に聞いた。慎吾と親しい鎌谷という男だ。今は右腕を使えない慎吾の身の回りの世話をしてやっているらしい。まああいつには色々借りがありまして、と鎌谷は遠い目をしていた。慎吾は勝手な男だが身の処し方がうまいので方々に貸しを作って歩いている。中里は今のところ慎吾に借りはない。借りがないから手ぶらで家も訪ねられる。明かりがなければ帰ろうと考えていた。明かりは点いていた。玄関のドアを開いた慎吾はグレーのタンクトップに黒いパンツ姿で包帯を巻いた右腕は吊っていた。
「手ぶらかよ」
「手ぶらだ」
顔を合わせるなり不愉快そうに言った慎吾に胸を張って言い返すと、堂々としてんじゃねえっつーの、と大仰にため息を吐かれたが、室内には通された。
部屋はそれなりに片付いていた。フローリングに埃はなく、ゴミも散らばっていない。大衆週刊誌やら車雑誌やらは散らばっているが足の踏み場がないほどではない。
「走ってきたのか?」
ベッドに腰掛けた慎吾は左手だけで器用に煙草を吸う。中里は床に座ってそんな慎吾の吊られている右手を見た。最初に見た時よりも包帯の量は減っているようだ。
「まあな。分かるか」
「時間的にな。あと、匂いだ」
「匂い?」
「オイル臭えんだよ、お前の場合」
左手を眇めて見ながら慎吾は煙を細く吐き出す。中里はポロシャツの胸ポケットに入れている煙草を取り出し火を点けた。
「漏れちゃいねえぞ」
「そういう意味じゃねえって。感覚的に。っつーか錯覚?」
「よく分かんねえが、調子はどうだ」
煙を吐きながら言うと、慎吾は少し眉を上げて、首を傾げた。
「ま、良くはねえな。まだ痛えし」
「そうか」
「仕事行けるまで後一週間はかかるしよ。こんな時のために貯金してたんじゃねえっつーの」
「いいじゃねえか、貯えあるだけ。それにお前の場合、自業自得だ」
「一点の曇りのない真実ってヤツをお前に言われると、すげえムカつくぜ、毅」
「ムカつけるなら大丈夫だな。ま、無理はせずにさっさと治せ」
「気合で治せるなら医者は要らねえんだよ」
「自分の体治すのは、自分だぜ。医者は手助けしてくれるだけだ」
「また根性論を言いやがる」
「根性なんて一言も言ってねえだろ」
「自分だけでどうにかできりゃ、世の中回らねえんだ。金がな」
「金か」
「金が回って社会が回る。お前はそういう俯瞰的な物の見方を覚えといた方がいい」
「お前に物の見方を言われると、何となくムカつくぜ、慎吾」
「人間図星を突かれるとムカつくもんだ、仕方ねえ」
そんな益体もない話をしながら煙草を一本吸い終わり、中里は立ち上がった。慎吾の顔色は良い。動きも舌も滑らかだ。調子は悪くなさそうだった。それを確認したら、安心できた。帰る選択をするに躊躇はなかった。
「なあ」
躊躇はなかったが、呼びかけられれば振り返る程度に、慎吾への注意はあった。
「何だ」
「いや」
見下ろせば、慎吾は煙草を灰皿に潰し、頭を掻き、見上げてきた。
「あんなことしちまって、悪かったと思ってる。お前にも、チームにも」
長い前髪に隠れている慎吾の顔はばつが悪そうで、許しを請うような色がある。あの一件での謝罪は初めてだった。よその走り屋を煽りに煽った末に卑怯な条件でバトルをして、自分だけがクラッシュして終わった件だ。それも相手は秋名のハチロクときている。平然としているのは格好だけで、内心では罪悪感を抱えていたのかもしれない。勝手な男の素直な様相に微笑ましくなって、中里はその頭を撫でるように叩いてやった。
「悪いと思ってんなら、さっさと治せよ。お前がいねえと、チームも始まらねえからな」
慎吾が叩かれた頭を左手で撫でてから、また見上げてくる。
「許してくれるか?」
普段天の邪鬼な男に繊細で弱い顔をされると、中里が弱る。
「許してねえなら、ここまで来ないぜ」
安心したように笑った慎吾はそれを苦笑に変え、今度は窺うように見上げてきた。
「じゃあ、一つ頼み聞いてくれねえかな」
「何だ」
「オナニー手伝ってほしいんだよ」
聞かなかったことにして、中里は聞き返した。
「何?」
「手ェ痛いからよ、溜まってんのに、抜こうとすっと気分が落ちるんだよ。萎えちまう。でも溜まるもんは溜まっていきやがる。だから、手伝ってくれねえかな」
慎吾は変わらず窺うように見上げてくる。聞かなかったことにはできず、中里は言い返した。
「な、何で俺だ」
「丁度来てくれたし」
「何だそりゃ、鎌谷にでも頼めよ。いや、じゃねえ、誰か、他の誰かに頼め」
「他の奴は嫌だ。お前が良いんだ」
「何で」
「どうしても。ダメか?」
普段悪漢ぶっている慎吾に若干傷ついたような顔をされると、中里は弱かった。ダメだとは口に出せず、他のことを言った。
「……手伝ったら、それは、その、違うだろ。それとは」
「言い方か? めんどくせえな」
「あァ?」
「いや、だから、抜いてくれよ。こんな手じゃやってられねえしよ。なあ、毅。頼むよ。許してくれてんだろ?」
慎吾は不安げに見上げてくる。許していることを疑われているような気がしてくる。それは疑われたくない。抜く。つまりは手でしごいてやればいいのだろう。体を洗うようなものだ。意味合いが違うがそう思わなければ受け入れられるものではなかった。つまり中里は受け入れた。
ベッドに腰掛けている慎吾の前に座り、慎吾が左手に持ったものを右手で受け取った。その時点で若干張りが出たような気がしたが気にしないようにした。開いた慎吾の足の間で半身になって、床に落ちている大衆週刊誌の見出しに目を置きながら、右手を動かす。
「……あー、いい……」
吐息とともに慎吾が呟く。俺は何をやってるんだと中里は思う。自慰の手伝いというよりは、これはもう、射精の手伝いだ。そんなことをやってどうすると思う。思うが始めてしまった以上は止められない。それに慎吾は一応病人だ。病人には優しくしてやらなければいけない。理屈はつくが何をやってるんだと思わずにはいられない。しかし右手は止められない。手の中で徐々に慎吾のペニスはぬめりを帯びて張り詰めていく。それにともない慎吾の息が荒くなる。自分の息まで荒くなりそうで中里は深呼吸を心がけた。
「……あっ……毅ッ……」
実際溜まっていたのか慎吾が達するまではそう時間もかからなかった。そこで名前を呼ばれてはますます何をやってるんだ俺はと思うばかりの中里だった。対照的に慎吾は軽快な動きで精液の始末をつけた。
「ふう、スッキリした。これじゃオナ禁なんてやってられねえな」
性欲が紛れたのだろう、声まで軽やかである。それならばそれで結構だ。頼みは聞いた。まっとうした。任務完了だ。
「じゃあな」
中里は立ち上がった。慎吾の顔を見るのも居た堪れず、真っ直ぐ部屋を出るつもりだった。だが一歩も進まぬうちに慎吾が手を引いてきて、不意を突かれて後ろに倒れかけたところ、尻がベッドにおさまった。入れ替わるように、開いた足の間に慎吾が座る。
「な、何だ」
「まあ待てよ。折角だから、俺もしてやる」
慎吾の左手がジーンズのボタンを外した。ファスナーが下ろされるのは止めた。
「何、言ってんだてめえは!」
「遠慮すんなよ、どうせ溜まってんだろ」
「俺はお前と……ッ」
違うんだと言おうとしたが、ぐっと股間を押されて声が詰まり、力が抜けた。ファスナーが下ろされて、下着の中のものを引っ張り出され、そこで慎吾の左手は止められたが、顔までは止められず、咥えられた。
「あッ……」
ぬるぬるとした温かい中にペニスを包まれて、声が漏れてしまった。そのまま口内で擦られていく。慎吾の口内だ。その認識はぞっとさせるがその感触はペニスを膨れさせる。感情と感覚が剥離していくようで気持ち悪い。
「やめろ、慎吾……」
長い髪を掴んで頭を離そうとするが、含まれながら先端をねぶられると力を入れる方向性を見失う。口腔性交をしてもらうのは生まれて初めてだった。初めて受ける刺激は鮮烈だ。その相手が慎吾であっても快感は失せなかった。失せるどころか倒錯的な状況が勃起を煽って中里の息を荒くする。
「はっ、あ、あ……」
「……こんな時まで速えかよ、お前」
一旦口から出した慎吾が、粘膜に唇をつけたまま言う。かかる息と声の震動にたまらず中里は歯を噛んで、慎吾を睨んだ。
「やめろ、てめえ」
「ここでやめたら辛いんじゃねえの?」
「いい、いいから、やめっ……」
慎吾は嫌らしく笑い、中里のペニスの硬さを知らしめるように舐め上げた。そしてまた口内に導いて全体を刺激していく。気持ちが悪くて気持ちが良い。中里は目がくらみそうだった。慎吾の射精を手伝うまではまだ何とか納得できた。それを終えたからといってなぜ咥えられるのか、それは分からない。何で慎吾がこんなことをできるのかが分からない。分からないまま勃起は極まって、中里は逃れる間もなく慎吾の口内に射精していた。
「……まあ、死ぬほどまずいってもんでもねえな」
股間から離れた慎吾が渋い顔で頷いた。最後の一滴まで飲み干されたようだった。
「何してんだよ、お前……」
放心状態で中里は呟いた。誰もペニスを咥えてくれとも精液を飲んでくれとも頼んでいない。慎吾は唇をわざとらしく舐めた。
「お礼だよ。初めてにしちゃうまかっただろ、俺も」
「初めてって……」
「手ェ使えりゃもっと色々してやれたんだけどな。後は治ってからってことで」
包帯の巻かれた右手を肘でひらひらとさせ、慎吾が立ち上がる。出しきって萎んだものを服の中に押し込み、中里は叫んだ。
「後なんて、あってたまるか!」
「そう言うなよ。俺、ちゃんと治すから」
その場に立ったまま、慎吾は見下ろしてきた。普段悪ふざけばかりする男に真剣に見られても、中里は弱り、突き放すこともできなくなるのだった。
(終)
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