アドバンテージ



 中里毅という男は生真面目だ。一度交わした約束は、自分に不利な条件が含まれていても必ず守る。それが分かっているから、部屋に中里が一向に現れなくとも、慎吾は怒りはしなかった。それよりもまず、心配した。どこかで事故に遭ったのではないか。ステアリングを誤ったのではないか、居眠り運転の対向車にぶつけられたのではないか、死んだのではないか。約束の時間から三十分後、慎吾は中里の携帯電話を鳴らしてみた。電源が切られていた。午後八時に約束して、午前零時。午後九時あたりから慎吾は、死んだんなら連絡くらいあるだろ、と割り切った。中里毅という男は生真面目だが、それゆえにか、とんでもなく抜け作な面がある。ここぞという時で、どうしようもないうっかりミスをしてしまうのだ。だから多分、よりにもよって今日、約束を忘れたに違いない。割り切ってすぐ、慎吾はベッドに入ったが、寝つけずに終わった。普段は日をまたいでから眠るのだ。
 暇潰しに外出するという選択肢はなかった。いくら割り切ったところで、中里が来るかもしれないという可能性は頭から消せない。そして慎吾は部屋を片付けることにした。一階だからこの時間に多少動いても苦情はこないし、隣の住人は夜勤オンリーだ。年を越してしまった不用品を始末する良い機会でもあった。何より動けば眠気も現れるだろうという考えだった。部屋の片隅に積んだままだった夏物衣類を畳んでチェストにしまい、冬物衣類をすべて出しきり整列させ、古雑誌のうち読まないものを束にして紐でくくる。燃えるゴミと燃えないゴミをまとめて、空き缶と空きペットボトルを洗って乾かし、流し台の水気を拭き取り、床にフローリングワイパーを走らせた。一汗かいたが、中里は勿論、眠気も一向に現れなかった。
 暖房を利かせたままの部屋が暑く感じられ、上着を脱いでベッドに寝転がり、残しておいた古雑誌を読む。半年前の週刊誌だった。半年前、一緒に行ったコンビニで中里が買い、置いていったものだった。間を持たせられれば何でも良かったのだろう。床に寝そべりながら週刊誌のページをたぐる中里は、集中力を欠いていた。それは初めてこの部屋で、一夜を共にした日のことだった。
 午前零時を回り、約束は昨日となっていた。忘れてんだ、来るわけねえ、何十回と思っていたにも関わらず、ドアチャイムが鳴った時、慎吾は三回読み返した古雑誌を放り投げた床に、飛び跳ねるように降りていた。
「すまん」
 すぐさま出ると、いかにも待ち構えていたように思われて癪なので、十秒ほど立ったままでいて、しかし我慢しきれずに、玄関に向かい、ドアを開けた。直後、玄関先に立っていた中里は、謝罪の言葉とともに頭を深々と下げ、硬直した。
「まあ、入れよ」
 言って、慎吾はドアから手を離し、踏んだサンダルからは足を上げた。ドアを閉まるに任せ、部屋に戻る。中里は、ついてこなかった。あの野郎。頭を掻いて、玄関に戻り、もう一度ドアを開ける。中里は、既に頭を上げていたが、先ほどと同じ位置に立ったままだった。
「入れって言ったじゃねえか。何ぼさっと突っ立ってんだ」
「いや……怒ってねえのか」
 ばつが悪そうに、上目で窺ってくる。見て分からないのだろうか。分からないのだろう。そういう男だ。そういう男を、四時間強、待っていたのだ。慎吾は深々とため息を吐いた。
「お前がそのままそっから一生動かねえんなら、怒るぜ」
 宣言して、ドアから手を離す。中里は目立つ音を立ててそれに手をかけ、玄関に上がってから、そろりと閉じた。

 改めて部屋に戻り、床に座り、ベッドを背もたれ代わりにすると、諦めからではない、安堵のため息が漏れた。中里は無事だった。怒ってやるのも一興だったかもしれないが、そんな気力もわかなかった。安心が筋肉も心も緩めていた。
 床が軋む感覚が伝わってきて、部屋の入り口を見る。また突っ立っていた中里は、目が合うと大仰に体を揺らし、天井をきょときょとと見回してから、ぎこちなく黒いキルティングジャケットを脱ぎ、床に置いて、寄ってきた。ベッドに中里が腰掛けたのを見届けてから、慎吾はテーブルの上の煙草を取った。背中に伝わった震動と軋んだ音で、中里がベッドに寝転がったと分かった。煙草を咥えて火を点け、吸う。煙を吐くと、肺の空気が残らず出ていった。深呼吸を一つしてから、また煙草を吸う。
「昨日、工場で泊まってよ」
 中里が、ぼそりと言った。慎吾は黙っていた。
「泊まったっつっても、仮眠取っただけなんだが……どうも、疲れてたのか、家に帰ったら寝ちまって……そのまま……」
 切れ切れの言葉は、遅く流れていった。疲れ過ぎて、寝過ごしたということだ。中里は約束を忘れたわけではなかった。現にこうして、昨日の約束を果たすために、ここにいる。言い訳されても怒る気も起こらなくなる相手は、クズ以外にいないと思っていた。言い訳されて、弁解されて、実情を説明されて喜んでしまう自分など、考えたこともなかった。
 煙草は半分灰となった。それを灰皿に潰し、慎吾は座ったままベッドを向いた。中里の体の横に肘をついて、顔を見る。角張った目の下や削げた頬あたりに、暗い疲労がこびりついていた。顎は青く、肌は黒ずんでいた。鼻から息を吸うと、劣化した皮脂の匂いが飛び込んでくる。
「風呂入ってねえの」
「……ああ」
「ひげも剃ってねえし」
「……ああ」
 声にまで暗い疲労がこびりついているようだった。休息らしい休息も取っていなかったのだろう。ひげを放置しているのも珍しい。不潔に見えるのが嫌だから毎日剃るのだと言っていた。剃った方が気合が入るとも言っていた。中里は、救いようのない精神論者だった。それがくたびれた姿を晒しているのは、胸のあたりをむず痒くする、情を呼んだ。
「剃ってやろうか?」
「……明日、自分でやる」
 腕を目の上にあてながら、中里は喋る。疲労がこびりついている声は、睡魔も忍び寄っているようだった。半分しか見えない顔には、雑草に居場所を奪われた花のような、気の毒さがある。見ていると、張りを取り戻させてやりたくなる顔だ。目を見開かせてやりたくなる顔だ。意識をこちらに向けさせたくなる顔だった。
 同じ部屋で眠るためだけに約束を交わしたわけではないのは、中里も分かっているだろう。そのために、来たわけではないだろう。なら、覚醒させてやるのが親切というものだ。それは思いつきだった。慎吾は上げた腕を、ベッドの下に突っ込んだ。工具箱の上に置きっぱなしの、ガムテープを取る。ダクトテープも持っているが、手にしているのはいつもクラフトテープだ。表面の硬さとちぎりやすさが好きだった。
 テープを持って、ベッドに上り、中里の足にまたがった。気付いた中里が、顔から腕をのけた。改めて見るまでもなく、やつれ気味だ。そういえばこのところ連絡もなかった。今日ここで会う約束は、二週間前に会った時に取りつけたものだ。それから仕事が立て込んでいたのかもしれない。
「……何だ?」
 ご苦労様。窺ってくる中里を見下ろしたまま思い、慎吾はガムテープを引き出して、中里の口に横にして貼った。皮膚に密着させてから、剥がしにかかる。だが、テープの端を引っ掛けた手を思いきり両手で掴まれて、動きを止められた。
「離せ」
「んんっ」
「剥がしてやるから離せってんだ。ひげも少しは抜けるだろ」
 クラフトテープの粘着力に抵抗できない毛は、ほんの少しに違いない。それでも口周りの皮脂は取れるだろうし、痛みで眠気も吹き飛ぶだろう。我ながら良い思いつきだった。慎吾は惚れ惚れしつつ、中里の口に貼ったテープを剥がそうと再度試みた。中里は頑なに、動きを止めてくる。剥がす際の痛みなど一瞬だ。今までやってきたことを考えれば、楽勝で耐えられるレベルだろうに、離せと言っても離そうとしない。理解しがたい。もがもがと何かを言ってくるが、何を言っているかは分からない。理解できない。口を塞がれているのだから、どうせ喋れないのだ。致し方ないこととして、少しは黙ってみたらどうかと思う。
 どうせ、喋れない。慎吾はふと、思い至った。そうだ。このままにしていれば、中里は、喋れない。何も言えない。文句も言えない。待ったもかけられない。言葉で訴えることも、ねだることもできない。
 そのために、口を塞いでやったわけではない。怒りはないのだ。怒りはないが、待たされることが、どれだけの不安を呼ぶか、思い知らせてやりたいところはある。一度動いて、気力もついてきた。結局は、このために、約束していたのだ。
 ガムテープの端を引っ掛けていた手から、力を抜く。中里は恐る恐るという具合に見上げてきてから、ほっとしたように両手を離した。胸の上に置かれたそれを、慎吾は左手に持ったままのガムテープで、素早くひとまとめに固定して、ヘッドボードまで上げて、パイプに巻きつけた。中里は一連の流れを、ぽかんと見ていた。
 作業を終えて、足の上にまたがり直し、しばらく見下ろしてやると、ようやく中里は両手を縛られたことに気付いたようだった。相変わらず鈍い男だ。性分だろう。最近は過激な行為を仕掛けていなかったから、油断もしていたのかもしれない。反応が遅い分だけ大きくなるのは、こういう時には恒例だが、言葉が発せない分もあるのか、それにしても中里の不満の声は大きかった。
「まあ落ち着けよ。別に取って食おうってわけじゃねえし。俺そういう趣味はねえし」
 テープの下で呻きながら、中里はパイプから両手を引っこ抜こうと、腕を揺らしている。だが、巻いたテープに剥がす余地など与えていない。我ながら完璧な縛り方だ。ヘッド部のパイプに貼ったテープを惚れ惚れと眺めてから、慎吾は中里に目を戻した。
「お前さ毅、うち来たってことは、俺とする気はあるんだろ? 違うか?」
 見下ろしながら、見上げるように尋ねると、中里は目をうろうろと逸らした末に、意味深長な視線を届けてくる。否定はしていない。肯定できるほど、あけすけな男ではないことは分かっている。だから否定されないのは、肯定されているのと同じだ。妙に気分が昂ぶって、慎吾はつい笑っていた。
「じゃ、やろうぜ」
 笑って言うと、ぎょろっと睨まれたが、呻きは途絶えた。

 とりあえずガムテープは横に置いて、中里のシャツに手をかける。肌着ごとまくり上げて、首から脱がし、手首に集め、上半身を晒した。暖房は入れっぱなしだから、寒くもないはずだ。中里は不満げな面持ちなれど、抵抗はしない。約束をすっぽかしかけたことに、負い目があるのだろう。過失を無条件に許されると、居心地は悪くなるものだ。怒られた方がよほどすっきりする。だからといって敢えて怒ってやるほど、慎吾も献身的にはなれない。やりたいことをやった末に、中里の気が晴れれば、一石二鳥と思うくらいだった。
 半裸なら、間柄が同じ走り屋チームのメンバーというだけだった時分から、何度も見ている。綺麗さは欠片もない。肌は白いがその分毛が目立つし、胸は平らだし、寸胴な腹には筋肉と脂肪が詰まっている。それを見て、下腹部に熱を覚えて、触れたくなるのは、惚れた弱みとしか言えなかった。
 中里の肩の横に手をつき、その首に、慎吾は顔を近づけた。劣化した汗と皮脂の匂いを嗅ぐだけで、背中に熱い汗がにじんだ。良い匂いとはとてもいえないのに、むらむらくる。やべえな。中里に初めて劣情を抱いた時点でやばいとは薄々感じていたが、汗臭さだけで興奮する領域にまで突入しているのは、相当にやばい。しかしやばいからといって、衝動を抑えられるなら、最初から始めてもいないのだ。
 首に唇を寄せて、舌先で撫で、硬くなった筋を辿り、鎖骨まで舐めて、胸に口づける。鼻で息をする度に若干すえた匂いが感じられて、首筋がぞくぞくした。
 触る前から、中里の乳首は立っていた。指で押しても舌で押しても潰れない。刺激に負けじとしているようで、それを恥じている素振りまで見せられると、一層強くいじってしまうのは、これも性分だろう。こういう場合の中里の反応は即時で、敏感だ。すぐに肌が赤らんで、短い呼吸に合わせて胸が膨らんで、鼻にかかった声が上がる。傍でその体の変化を感じていると、突っ込みたくて仕方がなくなるから、一旦慎吾は体を起こした。突っ込むにも、まず尻を拓かなければならない。ジーンズを脱がしにかかる。中里の股間は既に盛り上がっていた。それに邪魔されながら、ホックを外し、ファスナーを下ろし、腰に手をかけようとしたところで、足が思いきり閉じられた。
 とりあえず、見下ろす。中里は、睨んできている。足は閉じられている。尻はベッドから上がりそうもなく、腰から下へ、ジーンズも下着も下がりそうもない。
 慎吾は中里の腰から手を離して、膝に手を当てた。それを掴み、割り開こうとした。が、開けない。膝頭を合わせる力は強靭だ。ここまできて、躊躇を思い出したらしい。相変わらず空気の読めない馬鹿だ。馬鹿力だ。これは力勝負に持ち込んでも、決着がつくまで時間がかかる。体力も奪われる。どうにか労せずしてこの膝を割らなければ、一回戦に持ち込む前に疲れ果ててしまうだろう。慎吾は睨み上げてくる空気の読めない不遜な男を見下ろしたまま、考えた。すぐ、対案は出た。腕を上げさせ、上半身を先に晒してやったおかげだ。やはり両手は縛っておくものだし、裸にはしておくものだ。
 中里の膝から手を離して、ガムテープを再び取る。手早く二枚、二十センチほど切り取って、それを中里のむき出しの脇に、左右それぞれ貼り付けた。
「足開かねえと、これ思いっきり引っぺがすぞ」
 べたりと密着させ、端を爪で挟みながら、宣告した。中里は瞠目したのち、またうろうろと目をさまよわせて、それを天井の一点に落ち着かせると、おもむろに膝を開いた。口に貼ったテープを剥がそうとしただけで、あれだけ抵抗した男が、言うことを聞かないわけがなかった。
「良い子だな」
 自分の観察力の鋭さと、中里の馬鹿になりかねないほどの素直さが快く、自然頬は上がり、呟いていた。中里にはまたぎっちり睨まれたが、眉を上げて続きを促せば、足は開いて、腰も浮いた。下半身の衣服を一気に脱がせ、足は開かせたままにして、慎吾も肌着を脱いだ。
 まだ抵抗する気があるかどうか、確かめてやろうと思えるほどの余裕はあった。ベッドに手をついて、真上から見下ろした中里は、真っ赤な顔を背けていた。呼吸は浅く、胸まで赤らんできている。股間の相変わらず無駄に容積の大きいペニスは、触れてもいないのに膨れている。腹や太腿の筋肉が、ぴくぴくと動き、時折呼吸音とは違う、鼻にかかった声が上がる。見ているだけで、中里の顔は、身の置き所がないように、歪んでいく。泣きそうに歪んでいく。泣きそうな顔、ガムテープで塞がれた口、動かない腕、立った乳首、勃起したペニス、閉じかけながらも開いたままの足。見下ろしていると、背中を興奮の波が通った。射精に近い快感が、過ぎた。余裕が飛んだ。
 触れてもいないのに勃起しているのは、同じだった。どうしようもなく、中里に欲情している。触りたい。キスをして、突っ込んで、揺さぶって、抱きしめたい。抑えられる衝動ではないが、操作できるくらいの余裕は、わずかに残っていた。まだ、言葉を出せず、口で息をできずに苦しんでいる中里を、見ていたい。キスは後だ。突っ込むのも後だ。今は尻を広げてやる余裕はない。慎吾は腰を据えて、自分のペニスを中里のペニスに擦りつけた。ぬめりは十分だった。しびれた快感が腰を貫き、息が漏れる。中里は、鼻声だ。
「毅」
 頭上で、小声で呟いただけだというのに、中里は目を思いきり閉じて、身を縮ませた。感じている。感じさせている。そう感じるだけで、射精しそうになる。早漏ではないつもりだった。遅漏気味だと思っていたほどだ。持続時間は結局、相手によるのだろう。本当に感じ合える相手とやっていたら、我慢もクソもないものだ。加減なく、腰を揺すっている。抱きついて、粘膜を擦り合わせている。それでも中里よりは我慢ができる。だから、いかせてやることができるのは、上位に立てるようで、気分が良いが、それも長続きはしない。絶頂を迎えて震える中里を感じたら、やはり我慢もクソもなく、射精してしまうのだ。

 抱きつきながら、乱れた息を整えた。唾を飲み込むのも忘れていたが、口はそれほど乾いてもいなかった。顔を上げて、顔を合わせる。ぼんやりとした中里がいる。こういう時にキスをすると、積極的で、エロくなる。キスをしたい。舌を絡ませたい。我慢もクソもない、我慢する必要もない、我慢させる必要もない。慎吾は中里の口に貼っていたガムテープに、指をかけた。中里は抵抗せず、テープを剥がす際に顔はしかめたが、それでも終始ぼんやりとしたままだった。テープは汗と唾液で湿っており、折り畳んでもうまくくっつかなかった。それを勘でゴミ箱あたりに投げて、改めて中里と、顔を合わせる。中里は口から大きく息を吸って、大きく吐いて、一つ、唾を飲んだ。生々しい音が、合図に聞こえた。
 唇を合わせて、舌を合わせる。口の中でさまよったそれが、触れて、絡んでくる。温度が、感触が、股間にくる。
「ん……っ……、んう……、はあ、あっ……」
 口では口を塞ぎ切れないようで、少しでも距離を取ると、中里は鮮明な喘ぎ声を上げた。それがまた、股間にくる。たかがキスだ。舌を入れて、吸って、唇を咥えているだけだ。だが、飽きない。やめたくもならない。時間の感覚が薄れるほど続けていると、じわじわと、ペニスに再び血が集まり、勃起している。もういい加減、突っ込みたいし、これ以上進めたら、準備をする余裕も飛ぶ。慎吾は片手でシーツの上を探って、勘で用意していた潤滑剤を取り、指に出した。我ながら器用だ。惚れ惚れしている余裕まではない。未練を持ちつつも離した体をずらし、中里の尻に手をやる。穴の周囲に潤滑剤をなじませて、指を中に入れると、息を吸って咳をした中里が、左肩をびくりと動かした。
「あ、あ……しん、ご、待って……」
「待てねえ」
 忙しなく、慎吾は言った。淡泊な方だと思っていた。性欲で身を崩す奴らのことは、見下していた。女とやってる暇があるなら、他のことをやれよ。今の自分が言われても、知ったことかと思うだろう。そもそもやっている相手は、男だ。
「お前……こんな、風に、しなくても、俺は……」
 咳をしながら、中里が言う。増やした指で内部を掻き回すと、すぐに声を詰まらせて、切なそうに、眉根を寄せた。こんな風にしなくても、中里は受け入れただろう。そんなことは分かっている。分からずに、この男を落とすことなど不可能だった。
「俺は?」
 だが、分かっていても、言わせたくなる。間違いのない、言葉を引き出したくなる。指は動かさず、返答を待つ。中里は唾を飲み、濡れた目を小刻みに震わせながら、向けてきた。
「……遅れた、のは悪かった、だから、しかし……」
「関係ねえよ、それは」
 話を逸らされそうなので、言い切った。そして少し考えてから、慎吾は言い直した。
「いや、関係ないってわけでもねえか。お前が遅れたのは、まあ、関係してるよな。けど、関係ねえ。俺は腹いせでこんなことやるほど暇じゃねえ、してえからやってんだ、お前と」
 話しながら、尻を広げる。中里の目は、逸脱しかけて、戻ってくる。
「慎吾……」
「休み、合わせてよ。無駄にならなくて済んで、良かった。お前が来てくれて」
 普段なら、言わないようなことだ。言えないようなことだ。裸で触れ合う時にだけ、白状できることもある。二週間ぶりだが、指を包む肉は、緩くなっていた。もう待てない。待つことの辛さを、こんな状況で味わうつもりもない。慎吾は中里の尻から指を抜いた。用意していたゴムをペニスにつけて、中里に被さって、焦らさずに、一息に挿入した。
「は、あ……」
「くっ……」
 締めつけと快感とで、意識が吹っ飛びそうになった。それをやり過ごしてから、思いきり突き入れる。加減は、衝動よりも疲労が勝る頃に、ようやくできる。まだ、動き足りない。
「あッ、あ、あ……」
 中里は、手を動かせない分、尻を動かしているようだった。いつもより、激しい。ペニスは完全に膨れていて、上がる声は大きく、淫らだ。そのくせ顔は、羞恥で曇っている。疲労が勝って、慎吾は律動をやめ、中里の首に、顔を埋めた。
「で、俺は?」
「ひうっ……」
 耳の下に尋ねると、声を裏返し、頭を揺らす。ぶつけられては敵わないので、両手で支えながら、耳朶を咥えた。
「俺は、何だよ」
 小さく悲鳴を上げた中里が、快感に耐えるように、尻を締めて、足を腰に擦りつけてくる。まともな言葉が返されるまで、慎吾はそのまま何もせずにいた。
「……何、言ってんだ」
 喉が潰れたようなその低い声からは、懸命な努力が感じられた。この状態で、これだけ感じている姿を晒しておいて、凄みを利かせるのは、無理があると言わざるを得ない。それで話を逸らそうとするのは、甘すぎると言わざるを得ない。隙を作るのが、天才的にうまい男だ。付け入らざるを得なくもなる。
「こんな風にしなくても、何なんだよ」
 耳を噛んで、囁く。息が混ざっている声を優しく吹き込むのが、一番効果的だった。腰を挟みつけてきた中里が、一人で動き、一人で悶えた。慎吾はそのまま何もせずにいた。待った。中里も、待っている。許されるのを待っている。なら、言えば良い。言えば済む。慎吾は既に答えを分かっている。それを直接聞きたいだけだ。言わせたいだけだ。中里が言えば、それで終わりだ。
「……お前と……」
 凄みもクソもない、掠れきった、なまめかしい声で、中里は言った。
「やるに、決まってんだろォ……」
 聞いた途端に、一度、反射的に突いていた。耳元で、中里が鳴いた。待つのは終わりだ。止まっている間に溜まった力をこめて、慎吾は上半身を素早く起こし、腰の位置を変えながら、中里を見下ろした。
「だよなァ」
 卑しい笑いが漏れるのも、止める気はしなかった。こんな風に笑わせるのは、他でもない、この男だ。
「……この野郎……」
 歯軋りをした中里が、再び喉の潰れたような声を発したが、人の腰を挟みつけておいてそれは、やはり無理があると言わざるを得なかった。その顔ににじんでいる、度の過ぎた羞恥がゆえの怒りは、ゆっくり抜き差ししてやるだけで、快感で溶解する。こんなことを、この男にできるのは、してやれるのは、自分だけだ。たまらない。呟いていた。
「はっ……たまんねえ」
「ん……、んっ……」
「毅、マジ……ッ、たまんねえよ、お前……」
「いっ……しん、慎吾、やっ……」
 たまらなかった。限界が近い。中里は身悶えている。背はたわみ、腹は引きつっている。浮いた足が、腰を擦り、また浮く。それが背にまでかかり、強く招かれた。中里は、打ち震えていた。密着し、擦れる肉からその震えが伝わって、慎吾の背骨を快感が走り下りた。それは腰を押し出して、精液も押し出して、果てをもたらした。

 中里の震えが落ち着くまで、じっとしていた。腹には硬いペニスが当たっていた。落ち着いてからとりあえずゴムを処理して、嫌だと言われながらも射精させてやり、中里が脱力したところで脇と手首のテープを剥がして、二回戦目に突入した。手が自由になっても、中里の尻はよく動き、慎吾は自分を早漏認定しつつも、何とか中里を極めさせて、終えた。

 やった後、落ち着いて吸う煙草はうまい。広がりまくっていた血管が縮み、体を支配する気怠さが安らぎに変わり、幸せ、という言葉が脳裏に浮かんでも、普段のようにクソ食らえとは思わずにいられる。中里は、ベッドの上でうつ伏せにくたばっている。慎吾はその横で仰向けになり、ヘッドボードに当てた枕を背もたれ代わりに煙草を吸っていた。一本吸ったら中里と同じく寝るつもりだった。
「……風呂入りてえ」
 しゃがれた上にくぐもっているその聞き取りづらい声は、横から上がった。見てみれば、中里は顔の位置を微妙に動かしている。まだ起きていたらしい。暗い天井を見上げ、煙を吐き出しながら、慎吾は言葉を返した。
「入るなら、入れるぜ」
「いや……入ったらそのまま、寝ちまいそうな気が、するんだよ……風呂場で溺死は、シャレにならないぜ……冬だし……」
 冬でなくとも、風呂場で溺死することはシャレにならないし、今、風呂場で溺死されては甚だ迷惑だ。体は拭いてある。このまま寝かせて、起きてから風呂に入ってもらうのが一番だろう。だが、二番手もなくはない。慎吾は煙草をテーブルの上の灰皿で弾いてから、シーツに突っ伏している中里を再度見下ろした。
「一緒に入るか?」
 それを提案して十秒、反応がなかったので、慎吾は一服に戻った。直後、ものすごい勢いで上半身だけ起こした中里が、ガンを飛ばしてきた。
「お前ッ」
「何だよ」
「……ふざけんなよ」
「ふざけてねえよ。お前が沈没しないように、俺が見張っといてやるかって話だろ」
 監視さえあれば、むざむざ冬の風呂場で溺死もしないだろう。悪い話ではないはずだが、中里は起きた時と同様の勢いで、再びベッドに突っ伏した。剥き出しの耳の赤さは、電気を消している中でも目についた。その気がなくても、こういう態度を取られると、よこしまな思いがわいてくる。その気のない振りをしなければ、三回戦目を仕掛けてしまいそうだった。
「仮定の話で、んな恥ずかしがらなくてもいいと思うんですけどね」
「うるせえ、俺は寝る。朝まで起こすな」
「へいへい」
 随分な扱いだが、こちらにしてもようやく眠気が現れてきて、会話を続けるのも億劫だ。今は素直に寝かせてやろう。煙草を消して、ベッドに寝直し、掛け布団を引っ張り上げる。三回戦目は起きてからだ。その前に、一緒に風呂に入るのも良いかもしれない。目を閉じて、風呂場の狭さと取るべき体位を想像しながら、慎吾は穏やかな眠りについた。
(終)


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