やさがし



 同じ部屋にいるからといって、四六時中注意されたいとは思わない。一緒に過ごす時間はいくらでも取れるのだから、わざわざ特別などにせず、二人とも、好きにやっていればいいのだ。
 そう割り切っていたつもりの慎吾であったが、自分の部屋に一緒にいて、自分が何を言っても中里が「ああ」としか返してこない現状には、釈然としないものも感じていた。
 ベッドに腰掛けている中里は、先ほどからテレビに釘付けだ。慎吾はその後ろに横になりながら、昨日見た正面衝突事故の話や、失恋したメンバーの話など、別に本腰を入れて聞かれなくとも構わない、雑談のための雑談をしていた。
「ああ」
 それに対し、中里は合間合間に、ぼんやりとそう言った。とりあえず、相手が何か言っているから何か言っておこうという、適当さ満々の相槌だった。
 普段なら、それでも良かったのだ。何も中里に、ずっと真剣に会話を持ってほしいわけではない。特に中里の真剣さは、痛々しいほど鋭いので、しょっちゅう発揮してほしくもないし、慎吾にしても中里の32自慢話やGT−R薀蓄話は、よくよく聞き流す。ほとんど聞き流す。とはいえ自分の話を聞き流されれば、多少腹立たしくもなるが、例えばこれが普段のように、レース中継だとかトップギアだとかカーグラだとかディスカバリーチャンネルのアフリカ特集だとかを見ているというのなら、そこまで集中されたところで、やっぱどうしようもねえ奴だなこいつ、と思うだけで済んだはずだった。
 それで済ませられずにいるのは、今、中里が集中して見ているのが、何の変哲もない、一般人の一軒家を紹介する番組だからである。
 自分との会話よりも、そんな番組がいいのか。住みにくそうなデザイナーズ住宅を、ベテランリポーターが当たり障りなく褒めている番組がいいのか。適当な相槌を打ってくる、テレビに釘付けの中里を見ているうちに、そんな八つ当たりめいた思いが胸をいき、慎吾は不愉快さを感じる。これでは構われないからといって、ヒステリーを起こす女と大差がない。
 中里の性質は、よく分かっているつもりだった。何が好きで何が嫌いなのか、把握しているつもりだった。だから、こういう場で、よく分からないものに集中されると、自分の知らない中里を見せつけられているようで、釈然としないのだ。というか、要するに、妬けるのである。テレビ番組に妬いてどうするのか、自分の幼稚さに嫌気も差すが、アホらしいと思ってみたところで、諦めがつくというものでもない。
 悪口でも言って、注意を向けさせることは簡単だ。いつもそうやって、峠で関わりを持とうとしていた。今は、わざわざそうしなくとも、峠以外でも一緒にいられる。特別な関係におさまっている。
 その特別性を、最近感じていないことが、ここに至り、急に頭に上ってきて、慎吾は唾を飲み込んだ。付き合い始めて二ヶ月ほどは、週に一度はやらなければいてもたってもいられなかったが、半年過ぎる今にあっては、大分落ち着いていた。だが、一旦意識すると、体がむずむずして、どうしようもなくなるほどに、衝動は余っているのだ。
「ひと月半、してねえよな」
 呟いていた。ああ、と中里は言う。何も分かっていない声だ。
「溜まってたり、しねえの」
「ああ」
「俺のこと、思い出したりとか」
「ああ」
「じゃあ、抜いてもねえのか?」
「ああ」
 そういう男なのだ。分かっている。要らない時には鋭くて、要る時にはとことん鈍い。意識している時には偉ぶるのに、意識していない時にはとことん優しい。そういう鬱陶しいほど的外れで、嫌になるほど的確な男だから、慎吾は中里に、惹かれてしまう。
 だが、分かっていても、納得できないことがある。抑えられないことがある。ひと月半前のことを、それ以前のことまでを、毎夜のように思い出して、無駄に精液の新鮮さを保っていたのが自分だけだとは、信じたくなかった。
 慎吾は体を起こし、中里の後ろに回った。躊躇はしなかった。中里が振り向いてくる前に、シャツの下とジャージの下に左右の手をそれぞれ突っ込んだ。
「なッ」
 ブリーフの下の、使いどころもないくせに、立派なものを揉みながら、平たい乳首をつまんで立たせると、中里はようやく、驚いたように身をよじったが、既に慎吾は中里を後ろからきつく抱えるように、胸と下腹を押さえており、逃げられることもない。反らされた顎の下、首の筋に吸いつけば、素で凄みを持っている声が、簡単に悲鳴に似る。
「お前っ」
「何」
「何、じゃねえ、何だこの」
「気にすんな、ゆっくりテレビ見てろって。俺の話も耳に入んねえくらい、面白いんだろ? 邪魔はしねえよ」
 ああこりゃイヤミ入ってんなガキくせえ、自虐的に思うが、出した言葉を取り消せもしないので、慎吾は構わず手を動かした。中里は首を極限までねじって、顔だけでも離そうとする。
「邪魔、してんじゃねえか」
「してねえよ、お前が勝手に感じてるだけだろ」
 遠ざかろうとする耳を、唇で捕らえて声を吹き込むと、ん、と鼻にかかった声を上げ、中里は体を震わせた。相変わらず、感情だけでなく、性感帯まで分かりやすい奴だ。その変わりのなさに、ほっとするし、煽られもする。嫌がらせに感じさせているのか、自分が感じるために感じさせているのか。中里を追い詰めている動機が混濁してきて、手段だけが明確に残る。
「別に、俺はッ」
「ほら、集中しろ」
「しん、ご」
 何かを訴えるように呼ぶ声に、俺よりテレビが良いんだろ、と返しそうになるが、そんな陳腐な言葉、言いたくもなく、中里の耳を噛んでやり過ごす。私より車が良いの、と叫ぶような、ヒステリー女と同じ次元に落ちたくはない。こうやっている時点で、近い次元には落ちているのだろうが、完全に一致したくはないという、自分なりのプライドがある。いくらこの唐変木でも、自分との付き合いをそこまで軽んじているわけはない、そういうプライドもあった。
 現に、中里のものはもう、大して摩擦も与えていないのに、膨れて濡れている。自分と比べて中里に、勃ちやすく、濡れやすい面があるにしても、今日の勃起はひときわ早い。考えてみれば、要らないプライドだけは高い男だ。情事の記憶に耽っての自慰は、ハードルも高かったのかもしれない。適当な相槌も、あながち間違いではなかったのか、ひと月半の我慢が思われるような、中里の肉体の反応の良さに、慎吾は没頭し始めていた。直に触れて、熱を感じると、どうしようもなく腰が逸る。交わりたくて、仕方がなくなってくる。キスがしたくなってくる。唇を合わせて、舌を入れて、ぐちゃぐちゃに触れ合いたい。久しぶりに、生身にびりびりと感じる興奮に、思考を半ば放棄して、中里を激しく昂らせてやりながら、慎吾は中里の頬に、唇を滑らせた。
「お前と暮らすならッ」
 そこで突然、中里が叫んだ。思わぬ間近からの大声に、慎吾は反射的に顔を引き、「あ?」、と目をしばたたかせた。
「どういう家がいいかッ、考えてた、だけで……」
 唾を飛ばす勢いで中里は言ったあと、しばらく口を開いたり窄めたりしていたが、結局言葉は続けなかった。苦々しげに噛まれる唇と、頬の色が、リンクしていき、中里の顔には明らかな、羞恥が浮かんだ。
 慎吾はまたたきを緩めながら、思考を速めていった。お前と暮らすなら、どういう家がいいか、考えてただけ。で、の後に続くはずだった内容は、おそらく集中していたのはその考えにであって、そのテレビ番組自体にではない、ということだろう。つまり、その防音はどうなっているのかと思わせる吹き抜け狭小デザイン住宅を見ながら、中里は、自分と住むならどういう家が良いのかということを、人の話も聞かないほど集中して、考えていたというわけだ。それは、誤解を訂するためとはいえ、言うにも照れもするだろう。
 その結論に達した瞬間、頬がかっと熱くなるのを感じ、慎吾はうろたえた。考えてもみなかったところで、真剣に考えられていたことに、たまらない気恥ずかしさが、全身まで熱くした。
 中里のことは、何でも分かっているつもりだった。何せ喜怒哀楽は明白で、思考回路は単純な男である。そういう分かりやすい男の、見えているはずの部分を、こうして見落とす度に、慎吾は自分の小心さを痛感させられて、動揺する。それと同時に中里の、自然な大胆さに、一層惚れさせられるものだから、脳味噌の処理能力も、限界ぎりぎりになるというものだ。
 だが自分なりのプライドは、こんな時でも余裕綽々の男であろうとする。自分が中里を翻弄してやっているのであって、そこで翻弄されるなどは筋違い、なのである。主導権は、股間と同様、きっちり握っていなければならない。そのためには、類稀なる智恵に基づく、ウィットに富んだ言葉を使い、調子を引き寄せなければならない。慎吾はオーバーヒート気味の頭に鞭を打ち、沈黙が長くならない範囲で、考えに考えた言葉を、中里に返した。
「……それ、プロポーズか?」
「んなわけあるかァ!」
 中里は真っ向から、威勢良く吠えた。ここまで完全に否定されてみると、場の空気を手中にするための冗談に過ぎなかったとはいえ、みぞおちあたりにグサッと刺さるものもないでもない。慎吾が幻の痛みのために二の句を継げなくなると、中里は俯きながら、ただ、と小さい声で続けた。
「何となく、こう……お前と住みやすい、家を、考え……始め、たら、具体的に……ってだけで……深い、意味は……まったく……」
 途切れ途切れの弱々しい声は、途切れて終わる。半分見える中里の顔はもう、茹でられたアスタキサンチンたっぷりの甲殻類のように真っ赤っ赤で、とんでもなく泥臭く男らしいくせに、可憐だった。それを見ていると、苛立ったり焦ったり刺されたり痛かったりしていた色々なことが、すべてどうでもよくなってきて、慎吾は本能の導くまま、中里の顔を手で引き寄せて、キスをした。
「んっ」
 ぶつけるように唇を重ねて、舌をねじ込み、ぬるく柔らかい肉を擦り合わせながら、止めていた手を動かす。間もなく中里は、口の中で甘く鳴き、慎吾の右手をどろりとした精液で熱く汚した。
 硬さの残るものを揉みながら、舌を抜き、唇を離すと、うるんだ目とかち合う。どうでもよくなっている気分のまま、慎吾は自然、笑っており、中里は快感で惚けたような顔を、途端に厳しく歪めた。
「クソッ」
 憎々しそうな声が吐かれる唇は、顔のどの部分よりも赤い。そこに目を引かれながら、慎吾は混乱が過ぎ、かえって澄んだ頭で、先ほどまでの会話を思い返し、考えずに、だからこそ即応している言葉を吐いた。
「まあ、後で聞いてやるよ」
「なん、ああ?」
「俺らの住む家の話は」
 それならば、いくらくどい語りをされようとも、聞き流さずに聞くだろう。ただ生憎、今の慎吾にそれを聞いてやる余裕は欠片もなく、中里が呆然としたように開いた口に、口を重ね合わせながら、ベッドに一緒に倒れ込んだ。
(終)


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