歌は唄わない



「金欲しいよな」
 俺が部屋に散らばっているゴミと必要なものとを分けて整理していると、俺のベッドに寝転がって自分が持ってきた漫画雑誌を読んでいるはずの慎吾が、唐突に言ってきた。俺は慎吾に背を向けていたから、それが問いかけか独り言なのか量りかねたが、何となく言葉を返した。
「そりゃ欲しいな」
「手っ取り早く儲ける方法ねえかな」
「バクチじゃねえか」
「元手要るじゃねえか」
「儲けるってんなら元手は必要だろ、普通」
 俺は言いながら、ゴミを探して据え置いている棚の下を覗き込んだ。溜まっているほこりの下に紙が落ちている。取り出すと、それは写真だった。
「ならよ、スロット、パチンコ、競馬、競輪、競艇、マージャン、どれがいいと思う」
「株だな」
「どれかって聞いてんじゃねえか」
 写真には二人の男が写っており、一人はずんぐりとしてヒゲをたくわえた男で、もう一人は慎吾だった。慎吾はマイクを持っており、悪巧みをしている時のあの独特の笑みを浮かべて男を追い詰めている。男は悲惨な顔をしていた。少し記憶を探り、親しいメンバーとカラオケに行った時に撮ったのだと思い出す。確かそうだ、慎吾はこの時尾崎豊のアイラブユーを唄っていた。その男の目を真っ直ぐに見て。
「どうした」
 黙った俺を不審に思ったのか、慎吾が聞いてきた。俺は写真に積もったほこりを払いながら言った。
「お前な、そんなに金が欲しいなら地道に働け。一般市民にはそれが一番手っ取り早い方法だ」
「働いたってすずめの涙くらいだぜ、入ってくるの」
「チリも積もれば山になるんだよ」
「山になる頃にゃもうお陀仏だ」
 指についたほこりも払って、俺は立ち上がるとベッドに向かった。慎吾は後頭部を壁につけて首に悪そうな体勢で雑誌を読んでいた。俺がすぐそばまで来ても雑誌から視線を逸らさない。気付いているんだろうが、俺に大した用がないと思っているんだろう。
「死ぬ前に山にするんだよ。慎ましやかな生活だ、お前の名前みたいに」
「俺の生活は十分ツツマシイっての。車だよ車、一番金食らってるのはよ」
 俺はどうにもならないことを言っている慎吾の顔と雑誌の間に、その写真を差し込んだ。
「何だ」
 漫画雑誌を胸に置き、慎吾は俺が差し込んだ写真を手に取った。そして、げ、と嫌そうな声を上げた。
「これあれじゃねえか、二月の」
「多分野村がここ来た時置いてったんだと思うんだが、俺に覚えはねえ。まあ、よく撮れてるじゃねえか」
「どこがだよ、チクショウこん時俺酔ってたんだぜ。シラフだったらもっといい顔見せたってのに」
「十分いい顔だ、違う意味でな」
 俺は立っているのが面倒になって、ベッドの端に腰掛けた。丁度慎吾の膝の横だ。部屋も粗方片付いたし、あとはゴミをまとめれば何とかなる。一休みしてから掃除機をかけよう。
 そう考えていた俺の後ろの襟首を、慎吾が突然掴んで引っ張ってきた。俺はそのまま慎吾の隣に横倒しになって、首に腕を回され力を込められ、慎吾の胸の上にある雑誌越しに、俺の肩が乗った。ぐ、と慎吾が息を詰まらせる。
「毅お前、重くなってねえか」
「体重は変わってねえよ、じゃなくていきなり危ねえな。何だ」
「最初はお前にやろうと思ってたんだけどよ、イントロ流れてお前の顔見たらさすがの俺でもムリだった。シャレんなんねえ」
「はあ?」
「アイラヴユーを」
 慎吾は何でもないように言った。俺は飛び起きようとして、慎吾の腕で自分の首を締めた。そうだ、この位置は脱出不可能だ。そして慎吾の顔を見ることはできない。何を考えてこいつは言ったんだろうか。呼吸の音は一定だ。代わりに俺の呼吸は荒れている。首が絞まったからだけじゃないのは分かりきったことだ。慎吾はそれ以上何も言わない。俺の返事を待っているようだった。
 心臓が落ち着いたところで、俺は真っ先に気になったことを言った。
「ヴ、かよ」
「だろ、やっぱ」
 言って慎吾はくつくつと笑った。何がやっぱだかは分からないが、こいつ納得しているならそれはそれでいいんだろう。
「そりゃ、シャレにならねえな」
「アイラブユーの方がいいか」
「いやそっちじゃねえよ、その前のシャレになんねえっての」
 俺の首に回されていた腕がわずかに緊張したが、ああ、と慎吾は気のない声を出した。実際あの場で歌われてたら、俺は恥ずかしさと怒りで殴りかかってたに違いなかった。どんな大惨事となっていたことか、想像するだに恐ろしい。第一、メンバーの誰もこの関係など知らないのだ。
 でもなあ、と慎吾が呆れた声を出す。
「ムード盛り上げるのにホントならいいもんなんだぜ、歌は」
「俺らにそんなドラマチックなもんが要るってのか」
「俺をお前みてえな雰囲気読めない奴と一緒にするな」
「言ってろよ」
 俺は目を閉じた。慣れた人間の体温が傍にあると、疲れた肉体が休まってくる。掃除機かけねえと足が汚れるんだよなあ、と思いながらも、動く起きなかった。
「ムード作りの歌は要らない、でも金は要る、ってか?」
「そりゃそうだ」
 俺が動かない首で頷くと、世知辛い世の中だ、などと慎吾はうそぶいて、俺の首に回していた腕を胸に下ろした。俺はその腕に手で触れた。硬くざらざらとした肌は温かく、これで安らげるってのはもう末期なんだろうな、と俺は思いながら、それでも、と言った。
「これでまあ、十分だろ」
 俺の意識が飛びそうになる頃に、まあな、と言った慎吾の声は、脳がしびれるような柔らかさだった。
(終)


トップへ