恋愛



 近頃よく朝から気分が最悪になることがある。例えばそれは歯をみがいてる時だ。眠い目をこじり開けて面倒くせえと思いながら歯ブラシを口に突っ込んでる時、あいつだったら一本一本裏の裏までみがきあげて最後に糸ようじを使うんだろうな、と自然に思って、そんな自分に気付いて嫌になる。そして鏡に映った自分の顔を見て、この顔で少女漫画のシチュエーションかよ、と思うと尚更嫌になって、朝から気分が最悪になるってことだ。
 俺は基本として、好きになったヤツの振る舞いを思い出して幸せな気持ちに浸るとか、そういうクサイ行動をすることもするヤツも大ッ嫌いだ。他の会話している時にはにかみながら「いやーオレの彼女がさー」とか切り出すヤツがいたら鉄拳制裁したくなるくらいイヤでイヤでしょうがねえ。
 なぜかといえば人が辛酸舐めて顔に似合わないことを自粛してるってのに、岩にヒラメを乗っけたみたいな顔のヤツがどもりながらそんなことを言うのを許せるほど、俺もやさしくはないからだ。だからって顔に似合うヤツが許せるわけでもねえ。つまり俺がやりたくても世間の皆様のお気持ちをお察ししてやらないことを、気にせず人前でノコノコとやってのけるような無神経なヤツらが制裁の全対象だ。人間身分相応なことをやった方がスマートなんだ。美しい世の中を達成するには俺の考えこそが正しいわけだ。
 で、俺は分相応をわきまえている偉い人間だから、テレビドラマみてえなロマンなんかに浸らずなるべく現実的に動いてやろうといつも心がけている。だから今まで誰にも彼女でノロケたことなんてねえし、『私は今とても幸せです』とか顔に書いて街を歩いたこともない。そのおかげで何を考えているか分からないって言葉を貰ってフラれたこともあるが、みっともなくあがく姿を見せるよりはクールに片をつける方が断然格好良い。知れきったことだ。それはそれで俺は満足していた。
 それで、つまりだ。朝からごく自然にそいつのことを思い出してしかも顔がニヤけかけるってことが何度も繰り返されるとなっちゃあ、俺の今までのそういった努力や何やかんやがすべて通用しねえで無駄に終わっていて、しかもそういうのは満更悪くねえというか今まで俺はわざとやらないようにしていたことだから色々と複雑な気持ちになるわけだが、そんな風にたかが一人の男で頭を複雑にさせている自分のみっともなさが嫌になって、やっぱり朝から気分は最悪だってことだ。
 いっそ割り切ってノロケようと思えばいくらでもノロケられる状況にはあった。手のかかるダチってことで話しちまえば多少不思議に思われるだろうが関係を疑われることはないだろう。度の過ぎた友情。よくある話、それで終わりだ。頭ではそう分かるし、話のパターンだっていくらでも思いつく。けどいざやろうと思ってもあいつの名前を俺の口から出そうとすると、あいつの名前が出される必要性が本当にある場面なのかと土壇場で悩んじまって結局出せずじまいだし、かといって自然に出して続く会話中にノロケのようなことが入りそうになると不自然に思われはしないかと不安になって自分で別の話に変えちまう。
 俺はもう、あいつに関する話を自然にこなすなんてことはもうできなくなっていた。それどころかあいつが関わっている話を他人事って割り切ることすらできなくなっていた。そんな不自然な自分を思い出すから気分は更に落ちていく。胸糞が悪い。
 今まで結構な思いを費やして築いてきた俺の色々なモンが、どんどんと崩れていっている。確保しようとしたって無駄なあがきだが、あがかないことも無駄なあがきだった。いくも地獄さがるも地獄。いつの間にか俺は分不相応な恋愛って二文字の中に入り込んじまっている。あいつは期待されると緊張しすぎてボロが出る神経の持ち主だが、俺ほど繊細じゃあないからこんなに悩んじゃいねえだろう。俺の中で鉄拳制裁を加えたいヤツナンバーワンに輝くくらいの無神経さを持ってやがるんだ。それを考えると自分が情けなくなってくる。地獄にいるのは俺だけだ。
 それでも習性は抜けないから、俺は現実的に動くしかない。口をゆすいで顔を洗って、最悪な気分のまま最悪の先に進むだけだ。ただあいつが少しは何か気付くかもしれない、習性に反したそんな無駄なあがきは無駄な希望だった。
(終)


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