指
男がその指を意識したのは偶然だった。消耗品の残量をよく勘定し忘れる男は、咥えた煙草に火を点けようとした時、ようやく持ち歩いていた百円ライターのオイルが切れていたことに気が付いた。ライターを使う度にそろそろ変えなければならない、と考えていたにも関わらずだ。男はそういった点で詰めが甘かった。
そして男は火の点く予定のなくなった煙草を咥えたまま、一分ほどぼんやりとしていた。対処法も浮かばず、かといって吸うことを諦めるでもなく、中間にいたまま動かなかった。すると男の目の前に突然ライターを持った手が飛び出てきて、男は思わず身を引いていた。隣を見ると彼がいた。彼は眉根を寄せいかにも嫌そうな顔をして顎をしゃくった。それと同時に彼の手にあるライターの石がすられ、火がともった。男は彼に軽く会釈をし、煙草の先端を炎にかざし息を吸って火をともした。彼の手は彼のズボンのポケットへと消えた。
男がその指を意識したのはその時だった。垣間見えた彼の指は節くれだち、皮膚もところどころ変色し指に毛は生え、爪は大抵が硬く歪んでいた。無骨だった。だが彼はその指を見た瞬間、綺麗だと思った。理由を挙げろと言われれば男は細さにあると答えるだろう。あまりに多くの外観を損ねる傷を抱えているにも関わらず、その指はある一定の歳になり完成した細さを遵守しているように思えた。何があろうと防護を厚くすることなくだ。
男はそれからよく彼の指に注目するようになった。多くは彼が煙草を吸う時だった。彼が人差し指と中指の第一関節あたりで煙草を持つことも知った。手持ち無沙汰な時に人差し指と親指を擦るくせがあることも知った。
男はその指と彼とを独立してとらえることはできなくなっていた。それは悪態を標準とする彼の指であるからこそ綺麗であると言うべきだった。彼からその手を切り取って飾ったところで、その手も指もただ小汚い肉塊と化すことは容易に想像できた。その指は彼の象徴のようだった。その細さは彼の本来持つ繊細さを主張しているようだった。守らねばならないと男は感じた。いかなる傷がつこうとも遵守されるその細さを守る手助けをしなければならない、そう感じたのだ。多分に義務的だった。しかしそれは男の奥底から生まれた感情だった。
結果、男が回りくどいにもほどがある優しさを彼に費やし、嫌がらせだと誤解されるまでそうそう時間はかからなかった。
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