先送り
曖昧さは心に安らぎをもたらす。どちらにでも行けるのだという安心感。進むこともできるし戻ることもできる。迷うこともできるし悩むこともできる。ただ、決めることだけができない。
距離の目測の誤りで、肩が触れることがある。普段の、通り一遍の改造が施された多くの車がある中、下品さを武器と考える者たちとともにいる時間に、意識のない接触を果たすことがある。体は強張る。肌はあわ立つ。寄ってんじゃねえよ、という非難もできない。その瞬間に、意識してしまう。判断は先送りだ。どんどん引き伸ばされていく。宙ぶらりんのまま続いていく。不安があるとすれば、確約のないことだが、何もかもが約束された人生もないだろう。
徐々に、慣れていくのに、戸惑っていく。以前が分からなくなり、今も分からなくなる。足元が見えない。だがそれも、不安にはならない。直接抱き合えば細かいことは消え去ってしまう。それでも残るのが、その、曖昧さゆえの安らぎと、不安なのだ。
けれども滞りなく、続いていく。何も決められないまま、決めかけながら。
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