代弁



 昨日、車が一台横転したという。緩いコーナーの手前、助手席の人間と会話をしていたら、スピードの出しすぎに気付かずに、曲がりきれなかった。幸い運転手にも助手席の人間にも、大きな怪我はなく、車も全損せず、道路も封鎖されずに、ただ峠に集まる人間の話の種となったのみだった。
「ま、女連れは谷に落ちろってな」
 本気を含まないことを嫌味として、慎吾はそう評した。言いすぎじゃねえか、と中里が眉をひそめると、お前が正義面すんなよモテねえくせに、と素早く返された。
「モテるモテねえって、関係ねえだろ」
「あるだろ、俺は女に縁のないお前の気持ちを代弁してやったんだぜ」
「何を勝手にやってんだ。俺はそこまで思っちゃいねえよ、お前は何でもやりすぎなんだ」
 言ってから、中里は喉の奥に何かが絡まったように感じた。それが呼吸を滞らせる。慎吾は「お前に言われたくねえって」と面倒くさげに言い、首を横に倒して、ぽきりと鳴らした。
 唾を飲み込む度に、中里の喉はうずいた。それは選別をする。息、声、言葉。後悔にも、恐れにも似ているものだった。ただ、それらと決定的に違うのは、逃げ出したくはならないことだ。
「まあ、谷に落ちろってのは言いすぎだったよ」
 中里が黙っていると、慎吾がぽつりと言い、長い前髪を掻き、「サツに捕まれって言うべきだった」、と訂正した。中里は喉の違和感から、何とも言えずに黙り続けた。慎吾はしばらく地面を睨んでいたが、焦れたように中里を向いた。
「お前何かコメントしろよ、俺が折衷案出してんのに」
「いや、ああいう奴よりゃ、俺らの方が警察に捕まる理由があるからな」
「あんな不道徳な奴らはコーキョーのフクシに反してるだろ」
「道交法違反はこっちが多いだろ」
「何だよお前、女連れを庇うのか。なら最初からそうしろよ、俺の親切が無駄じゃねえか」
 誰も頼んでねえのにやるからだ、と中里は言った。情に薄い奴め、と慎吾は吐き捨て、そのまま背を向けた。話を始める時も、終わる時も唐突で、余韻を残さない。何かほっとして中里は息を吐き、そこで喉の違和感が消えたことに気がついた。
 女連れの運転手。それよりも、谷に落ちるべきではなかった人間を、中里は多く知っている。何年も何年も、繰り返されてきたことだ。いつ、自分がその中に入り、語り継がれるようになるか分からない。あるいは、十把一絡げにされるのか。
 いや、そういうことじゃねえんだろうな、とふと思った。考えたことではなく、思ったことを、慎吾は代弁したのだ。あいつは言える、と中里は思う。だから、こっちは言わずとも良い。言うべきではない。進んではならない。求められているのは、同調ではなく独立なのだと、ここにこそ、恐れをもって決めていた。だから、間違いではない。それは、思いをもって決めた。
 既に喉はよく通った。嫉妬は消えていた。



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