心温まる話



「あー、さみー」
「おー」
「さみーな」
「ああ寒い」
「お前らそんな寒い寒い言うんじゃねえよ、こっちまで寒くなってくんじゃねえか」
「えー、毅サン寒くねーんすか?」
「そりゃお前、中里っつったら熱血の代名詞だからよ、常に燃えてんだよ何かが」
「おお、血ィ沸き肉踊るっつー感じ? さっすが毅サン」
「何勝手なこと言ってやがる。あのな、気の持ちようだ。寒いとばっか思ってたら寒くなくても寒気がしてくるもんだろう。まだ雪も降ってねえんだ、秋だと思えば感じ方も違ってくる」
「いや冬っすよこれは」
「おめーは人の話聞かねーよなー武田」
「それじゃあアレだな、秋の寒さをしのぐっつーことで、誰か心温まる話しろよ」
「命令かよ、ってか心温めてどうすんだよ、体温めねーとどうしようもねーだろ」
「っつーかそもそも俺ら誰一人心温まる話持ってなくね?」
「だな」
「断言すんなよ、あるかもしんねーじゃん」
「あ、毅サンあるでしょ、熱血だし」
「その熱血ってのは……あ? 俺?」
「何かあるか?」
「何かって…………ああ、この前コンビニ行った時、合計金額が七七七円でな。俺がおおっとなっちまったら、慣れてるだろうにそこの店員、にっこり笑っておめでとうございますって言ってきてくれてな。ついありがとうって俺も言っちまったよ」
「へー」
「それ女?」
「男だ。多分バイトの大学生じゃねえかな。けど挨拶しっかりしてたぜ」
「ふーん」
「……何だろう、この心に湧き上がってくる不思議な感情は」
「ネタがビッグなのかスモールなのか分からんところが中里らしいな」
「あ、今俺微妙に心温まりました」
「俺も俺も」
「……お前ら俺をバカにしてねえか?」
「全然」
「揃いやがって……大体心温まる話なんて銘打ってするもんでもねえだろ。いやらしい」
「うわ、毅サンの口からいやらしいなんて言葉が出るなんて、やらしー」
「はあ?」
「お前の思考回路がやらしーよ」
「いやそこはノれよ。イジろうよ。イジって燃やそうよ何かを」
「お、この音慎吾じゃね?」
「話題逸らすなよお前もよー」
「え、中里ってやらしーの?」
「結局銘打って話したんだからこいつもやらしーんだろ」
「いや鉄板でやらしーだろ、童貞っぽいし」
「俺は童貞じゃねえよ!」
「ムキになるあたりが怪しいな」
「言っとくが商売の姉ちゃん相手でも俺は童貞と見なすからな」
「え、でもとりあえず入れてたら良くね?」
「いや金払って捨てた童貞には俺は何の価値も認めんぞ」
「てめえらまた勝手なことを……」
「え、毅サンって童貞なんすか?」
「だから違うっつってんだろうが! 俺はハタチの時に捨てたんだよ!」
「うわ遅ッ」
「いや平均的じゃね? 四十いっても持ってる奴はちゃーんと持ってんだから」
「まあ普通に考えたら遅すぎず早すぎずってところじゃねえか」
「へーハタチか、俺十五だったな」
「俺高一」
「俺中二かなあ」
「くっ…………」
「あ、やっぱ慎吾だ」
「あれ慎吾か? 赤いシビックなんてあいつの特許じゃねえんだから……うおッ、うわ!」
「あっぶね、何じゃありゃ」
「人が楽しくお話してるってのにドリフトかましてくんじゃねってのな」
「まーそれがあいつのイイトコロ?」
「駄目だろ明らかに」
「どうしたんだ、あいつは……」
「あ、俺のせいかも」
「は?」
「――佐々岡ァ!」
「あー、ひっさしぶりい慎吾ちゃん」
「ひっさしぶりい、じゃねえよてめえ金返せコラ」
「あーごめんムリ、俺今スッカラカン」
「殴るぞ」
「わり、月末なったら金入っから、その時言ってくれよ。俺持ってねーと人に金返さねーんだよ、ははは」
「なあ中里サン、こいつ殴っていいか?」
「……やめとけ、金借りてること自体忘れられるぞ」
「クソったれ!」
「お前それより、何ださっきの入り方は。あぶねえじゃねえか」
「それよりじゃねえよ、危なくしたんだよわざと、このクソ野郎が一年も人の金借りたまま逃げ回りやがって」
「一年?」
「ははは、いや逃げてるわけじゃねーんだよ、返せるだけの金がねーの」
「嘘吐けクソが、俺来る時いっつもてめえいねえだろ」
「だってお前こえーし」
「おい、お前いくらこいつに貸したんだよ」
「一万だよ」
「たった一万でそんな目くじら立ててんのか」
「たった? たったァ? てめえ毅、人の金にたったも何もねえだろうが、こいつは俺の金をパクり続けてるってことだぜ。それを何だ、俺が悪いみてえに言いやがって、相変わらず節穴だらけの目ェしてんだな」
「つったってお前、そんな脅迫まがいの取り立てする必要もねえだろ。見るからにこいつに脅しかけたって無駄だろうが、それに俺だって五千円返してもらってねえんだぜ……あ、そうだ、おい佐々岡俺の五千円はどうした」
「いやははははは、ゴメンゴメン、俺今持ち合わせ二五三円なんだよな、ははは」
「……どういう生活してんだお前」
「おい次会った時は絶対返せよ、じゃねえと俺はてめえのコルベットに十円玉で傷つけてやる」
「それだけはやめてくれ。マジで」
「分かったな」
「分かった分かった、ったくこえーなー慎吾ちゃんは」
「そういやお前は童貞いつ捨てたんだっけ?」
「はあ? 何?」
「心温まる話しよーと思ってよ、毅サンはハタチだって」
「武田ッ!」
「ハタチ? へえ、そりゃ知らなかったな。風俗か」
「だからちげえよ! 普通にダチの紹介で知り合った女の子と――あ」
「へー」
「普通すぎてリアクション取りづらいなあオイ」
「でもまあ普通だからこそ心も温まるってもんじゃね?」
「なるほどねえ、ハタチか」
「……何だよ」
「別にィ?」
「ああ?」
「あ、ちなみに俺は十六だ」
「この……」
「まあ妥当だな」
「妥当すぎてこれもリアクション取りづれーなー」
「じゃあそりゃいいけどさ、庄司お前心温まる話持ってね?」
「あのよ、お前らさっきから何の話をしてんだよ、それは」
「この寒々しい世の中で、心がホカホカあったまりそうな話だよ」
「春夏秋冬季節の移ろいも所詮気の持ちようだって中里さんが仰るからよ、俺らも努力して温まろうとな」
「俺はそこまで言ってねえだろ」
「責任は全部中里様持ちなんでー」
「おい」
「心がなあ……あー、そんなもん」
「ねーでしょ」
「あるに決まってんじゃねえか、てめえ俺を誰だと心得る」
「マジで?」
「え、お前はまずねーだろ慎吾」
「ないないないないありえない、慎吾の人生で心温まることなんてあったら世界が崩壊するって」
「犯すぞ」
「きゃー、僕のお尻が切れちゃうー」
「別に君らがいくらカマ掘り合っててもいいけど、庄司君にマジで心温まるネタのストックなんてあんの?」
「おい、俺はどこかの誰かさんみてえに意地と見栄のためにないものをあるとは言わない正直者だぜ」
「一応聞いとくが慎吾、そのどこかの誰かさんってのは俺のことか」
「そこは自覚してるのか毅、良かったな」
「あ、おめでとうございまーす」
「良くねえよ! めでたくもねえ!」
「まあそれで、俺が小学生ン時の話だよ」
「へー、お前に小学生の時代なんてあったんだ」
「っつーか小学校通えてたんだ、その頭で」
「潰すぞ」
「きゃー、助けてー僕一反もめんになっちゃうー」
「お前きめえよ」
「でも慎吾成績ビミョーに良かったろ。特に物理。で国語が壊滅的」
「あー、だからお前いっつも日本語怪しいのか」
「佐々岡だからてめえは金返せやコラ」
「いやははは、ジョークだよジョーク、なあ?」
「俺知らね」
「俺も俺も」
「えー中里お前は分かるだろ?」
「確かにこいつの話は時々意味が分からねえな」
「そりゃてめえのオツムの問題だよ毅。俺が壊滅的だったのは古文漢文だ、昔の言葉なんて知るかっての。で、その頃から成績は優秀だった俺の小四時代、うちの近所には幽霊屋敷と呼ばれる一軒家があったんだ」
「へえ、首吊り?」
「絞殺?」
「一家心中?」
「死んでねえよ。幽霊も出てたわけじゃねえけど、ツタ生えまくりの草木ボーボーで、普通の人間住んでるような感じがするところじゃねえから、そういう話好きの中高生が勝手なウワサ流してたんだと。だから幽霊屋敷」
「んじゃ幽霊住んでたわけじゃねえの?」
「ポルターガイスト出まくってたわけじゃねーの?」
「何だ、つまんねー」
「そっちの話が聞きたけりゃ稲川淳二に頼みやがれ。そこに住んでたのは四十くらいのおっさんだ。ガリガリに痩せてて生気が薄くて、それ見て幽霊だと思っちまう奴はいたな」
「あ、分かった、そのおっさんがガンに犯されてて余命イクバクもなくて、お前はそのおっさんと交流を始めるわけだ」
「死にオチのどこが心温まるんだよ。そのおっさんは健康体だったよ。まあ交流持ったのはそうだったけどな」
「ほら見ろ俺の言った通りじゃねえか」
「あ、じゃあ俺そのおっさんがお前の実の父親だったってオチに五十ルピーかけるわ」
「え、じゃあ俺そのおっさんは慎吾の実の母親だったっつーオチに五十ペリカ」
「お前ら日本円出せよ日本円」
「それよりもう少し静かに話を聞け」
「ある日俺が学校帰りに一人でランドセルしょって歩いてると、その幽霊屋敷の門の前に立ってたおっさんに声かけられたんだ」
「よく普通に話し続けられんなお前も」
「っつーかお前にランドセルって言葉ほど似合わねーもんねーな」
「何て声をかけられたんだ」
「ねえキミ、庄司さんチの息子さんだよね? ってな」
「おー、素性バレてら」
「多分すぐ近くだったから表札とか出入りとか見てたんだろうな。まあそりゃその通りだったし、そのおっさんが何者なのか俺も興味がないわけじゃなかったし、ガキっつーのは秘密を持つのが好きだからな、ついつい俺は庄司さんチの慎吾クンですよと頷いた。そしたらそのおっさん、お菓子あげるからうちに来なって誘って来た。そして俺はついてったと」
「おー、幽霊屋敷に足を踏み入れたと」
「あぶなっかしいガキだなオイ」
「まあやべえことなったらさっさと逃げようとかは考えてたぜ。そのおっさん骨と皮だけって感じだったからよ、力強そうにも見えなかったし。家の中は小奇麗でな、一階と二階があって、部屋数全部で五個くらいか。広かったぜ。リビングもテーブルとソファだけしかなくて、そこで俺は煎餅を食わされた」
「食わされた?」
「煎餅だけで五種類だぜ、出てきたのが。ガキがお菓子っつったらケーキとかクッキーとか想像すんのはそういうもんだろ。まあ貰えるもんは貰っとこうとは思ったけどよ、薦められて断るのも悪いかなーなんて良心の呵責もあったわけよ。そしたら全種類食してみるしかねえだろ」
「へー、その頃からお前の煎餅好きのロードが始まったわけな」
「そのせいで始まる前に終わったよ。んで煎餅食いがてら、折角だからちょっと頼まれごとをしてくれないかとおっさんが言い出した。煎餅食っちまった以上そのまま帰るのも気まずいし、っつーかおっさんが何言い出すか気になったから俺は中身も聞かずに良い返事をしたんだよ。あの頃はまだ俺も大人受けってもんを考えてたからな」
「そりゃキモイな」
「ああキモイ」
「てめえらの方がきめえよ」
「で、その中身は何だったんだ」
「あ? 何だ毅、お前も興味あんのか」
「そりゃまあ……一度聞いたら最後まで聞かねえと、スッキリしねえし」
「ふうん。中身な、中身を言う前におっさんは俺を奥の部屋に連れてった。十畳くらいあったようにも思ったけど、ガキの頃の視界だから実際は八畳だったかもしれねえ。フローリングで、そこにほら、あの絵描きが絵とか立てかけてそこで筆とかで描くヤツあるだろ」
「あー、ディーゼルだっけ?」
「イーゼルだろ」
「そうそれだ。あれが所狭しと、ってわけでもねえけど部屋の隅に並んでてよ、絵もゴロゴロしてんだ。油絵だったかな。きっつい匂いしてたぜえ、あれのおかげで俺は美術部入ってる奴が無条件で嫌いになった」
「あ、俺中高美術部だったぜ」
「お前は元から嫌いだから問題ねえよ」
「うわひでー、慎吾クンがひでーっすよ中里サン」
「でもこいつに好かれてもどうすんだ、お前は」
「あ、そうか。どうしようもねーなそれも」
「納得だー」
「けっ……あー、だから、そこでおっさん絵ェ描いてるっつって、俺にモデルになってくれと。是非とも俺のことを描きたいと言ってきた」
「何、珍奇な顔集めんのが趣味な人だったの?」
「お前後で半殺しなシュン」
「それでお前はどうしたんだ」
「どうしたって、絵ェ描く人なんて見たことなかったからな。まあその頃俺、放課後まで群れるような相手いなかったし、家にいてもつまんねえし、別にいいよっつったよ。それから火曜日と金曜日の午後四時から六時まで、そこには二ヶ月通ったんだ」
「うわ、何か変にしっかりしてるな」
「そういうことはしっかり決める野郎でよ、まあでも話は面白かったぜ、ほとんど覚えてねえけど」
「覚えてねえのかよ」
「何か虫がどうの世界がどうの地球がどうのって、理科系の話ばっかしてたような気がすんな。でも調べりゃ分かるようなことばっかでよ、それに気付いてから興ざめして、あと若い頃に麻雀で荒稼ぎしたとか女を食いまくったとか、そっちの話は中二くらいまで思い出してオナニーしたりもしたけどよ。エロビが手に入るようになってからは記憶だけじゃピクリともしなくなって、そういう風になると思い出さねえから、記憶も薄れていったわけだ」
「はー」
「あ、分かった、お前の性癖がそっからきてるっつーオチだろ」
「野外露出系は好きだけど、オチはそっちじゃねえよ。しっかしよ、通い続ける毎日煎餅出やがったんだよそこ。しかも日ごとに種類が増えやがんの。俺あそこで一生分の煎餅食った気すんぜ」
「それがオチか」
「お前ら気が早いんだよ、揃いも揃って早漏か」
「いや俺遅漏だけど」
「否定とかいいんだよ。それで、モデルっつっても最初はただ座ってるだけだったんだけどな、少しずつ立ったり何だりポーズが入ってきて、一ヶ月過ぎるあたりから、上半身裸にさせられてな」
「あのー、何か話の雲行き怪しいんすけどー」
「まあ待て待て、もう終わる。そして丁度二ヶ月目だ。その頃は全裸だよ。裸だ裸。夏だったから寒くもなかったし、その頃は俺もまだ純真でな。絵ってのはそういうもんかと思ってたから、別に不思議でもなかった。そんで終わりの時間がきて、脱いだ服着て俺がさっさと帰ろうとすると――確か何か楽しみにしてたテレビがあったんだよな――おっさんが呼び止めてきた。今日でモデルは最後でいいよと。慎吾君も忙しそうだしねと。僕もそろそろこの家を出なければならないんだ、そういう約束だからね。約束ならしょうがないと俺は思ったよ。誰との約束だとかまで考えなかったけどな。でおっさん最後にちょっと別れの儀式をしたいと仰った」
「儀式ィ?」
「うさんくせー」
「ってか全体的にうさんくせーよなその流れ」
「まあな。でも俺は帰りたいばっかで他のことも考えなくてよ。そんな俺の前まで来たおっさんは、俺の肩に手をかけてそれまで座ってた椅子に座らせてきた。肩押してな。その力が結構強くてな、これ逃げられねえんじゃねえかとかビクビクし始めてたんだけど、ビクビクすんのも格好わりいじゃねえか。俺はまあおっさんもこの俺との別れが寂しいんだとな、この心優しく聞き上手の俺と別れるのがそんなに寂しいんだと解釈して、っつーか面倒くせえからとりあえずされるがままでいたんだよ。するとおっさんおもむろに俺の目の前で履いてたズボンのファスナーを下ろし始めた。そしてブラックスネークカモンだよ。出てきたよ。ありゃガキの目ってのを引いてもかなりでかかった、勃ってたしな。おっさんそれを握って俺の前に突き出してきて、舐めてくれと言いやがる。まあ俺も小四にしては結構知識があった方だから、それがどういうことかってのはなんとなーく分かってよ、いやさすがにそれは、って感じで怯えた顔を作ったわけだ。嫌かいとおっさん尋ねてくる。嫌ってのも何か今まで散々煎餅食ってオナニーのネタくれたのに悪いかなあと純粋な俺は思ったから、嫌っつーか、舐めるなら甘い方がいいかな、なんて言っちまったんだな。ガキの思考の仕方ってのは自分でも分かんねえ。でもっと分かんねえことにそのおっさん、なるほどと頷いたと思ったら部屋から出てって、取ってきたのがハチミツの瓶だ。んでどうしたと思う?」
「塗った」
「塗っただろ」
「塗る以外に何かあんの?」
「おっさん下全部裸になってな、瓶のフタを開けると、たっぷりハチミツが入ったその中に、そのまま突っ込んだんだよ。そのチンコを。でそっから抜いて、ハチミツ滴りまくったそのブラックスネークをまた俺の目の前に持ってきて、どうぞ、とな」
「うわー……」
「え、お前……舐めたの?」
「いや俺甘いもんそんな好きじゃねえし」
「そういう問題じゃねえだろ」
「ああ、だから心の準備がとか何とか言って、とりあえずその状況から逃げられるような時間稼ぎをしたんだよ。まあ言っても小四のガキだから、そんな深いことまで考え回らなかったけど。で待ってる間もそのおっさんのどす黒いイチモツから落ちてくるハチミツが俺の着てた服に染みていきやがってよ、俺正直半分泣きかけてたぜ。あんだけワケの分からん感じになったのはあの時だけだ」
「……それで?」
「で、多分経ったのは何分かだったな。もう舐めるしかねえのか、って思い始めた頃、何か足がむずむずしたんだよ。で、おっさんのナニ越しを避けてどうにか足元を見ると、ゴマみてのがうじゃうじゃしてる。うわっと俺は驚いて椅子からひっくり返っちまった。それ利用して後ろにでんぐり返って起き上がると、おっさんが声を上げていた。俺がひっくり返った時に足で蹴ってたからおっさんは座ってたんだが、その床の周りにうじゃうじゃうじゃうじゃ、アリが群がってたんだよ」
「あー……」
「アリかあ……」
「え、そんなアリって家に入ってくるか?」
「小奇麗にしてても築年数はかなり経ってたみてえで、隙間風が入るような家だったんだ。床と壁の間に隙間もあって、よくワラジムシだのアリだのは我が物顔で歩いてやがった。でも駆除をしてなかったんだなそのおっさん、絵ェ保存してた部屋でもよ。だからハチミツのフタも開けっ放しでいたら、たった数分でそこらに這っていた奴らがかぎ付けてきて、おっさんの足にまで特攻かけ出した。そんでおっさんうっひゃあ、ってすんげえ声上げてよ、下半身丸出しの何でかまんま部屋の窓から逃げ出してってな。俺はその間に、悠然とその家から出て、家に帰ってテレビを見たと。それ以来、俺があのおっさんを見ることはなかったのだった、っつーオチだ」
「へー……」
「え、そのおっさんどうなったの」
「俺はその時家に帰る途中でな、チャリンコ乗ったポリスにすれ違ったぜ。後はご想像にお任せする」
「うっわー、下半身ラでハチミツまみれアリまみれか……」
「アリかあ……アリってすばしっこいもんなあ……」
「ハチミツプレイってアリがいるところだと危険なんだな」
「いや多分虫がいるところだと大体危険じゃねえかそれ」
「お前ら今の話でそっちにしか考えいかねえのか」
「え、毅サンハチミツプレイとか興味ありません?」
「何だよハチミツプレイって」
「バター犬みてーなもんだろ、まあ汗よりハチミツの方が甘いし?」
「ところで庄司、それってどの辺にハートフルさを感じればいいんだ?」
「悪は必ず滅びるっつーところだよ。そして自然は強いということだ」
「なーるほど」
「ガッテン」
「いやどっちかっつーと寒くなんね?」
「でもハチミツプレイは確かに熱いな」
「アリには気をつけねえとな、やっぱり」
「あと下半身ラで街中歩いちゃ駄目だよな」
「うんうん」
「お、何だかみんなの思いが一つになった感じがするぞ」
「まあ実際はバラバラだけどな」
「あ、やっぱ俺寒いから帰ります。駄目だこりゃ」
「武田、お前俺の語りを一瞬で無駄にしてくれたな」
「やー悪い慎吾、俺冷え性なんだよ。じゃーこれで失礼しまーっす」
「んじゃ俺走ろうかな」
「お、おいシュン、俺とバトらねえか」
「おーいいね。お前のコルセットがどの程度のものなのかこの俺が試してやる」
「コルベットだよこの野郎。中里、そういうことでな」
「ああ。佐々岡、こいつの一万と俺の五千円、忘れるなよ」
「わーってますって、月末なったら返します。ただ言ってくれよ、多分俺忘れてっから」
「俺カウントしたい! カウントしたい!」
「おめー二回言わなくていいよ。そういやタイム計るか?」
「あー、計ろうぜ、一応記録つけときてーし…………」
「じゃあ俺と…………」
「そうそう…………」
「……それで?」
「あ?」
「お前の心はあったまったか?」
「そんな話かよ」
「微妙なオチだったのは認めるけどな」
「本当のことなのか」
「ま、俺がガキの頃からモテてたってことを、お前が信じたくねえ気持ちも分かるよ、毅。でも事実は事実として受け止めねえと、大人なんだから」
「よく言うぜ」
「まあでも、お前もハタチで童貞捨てたんだもんな?」
「……それがどうした」
「別に」
「言う必要はねえだろ、そんなこと」
「誰が必要あるっつったよ、俺はそもそも聞いてねえし? 聞いときゃ良かったけどよ」
「何?」
「お前がいつ初体験済ませようがどうでもいいけど、それ人から聞かされんのはな」
「……慎吾」
「それくらいなら自分で聞いときゃ良かったって……うわ、あったまんねえな話だなこりゃ、さみーさみ」
「お……俺だってお前の話は聞いてねえよ」
「何、聞きてえ?」
「いや、そういうことじゃ……」
「まあ今度じっくり話してやるよ。そしてたっぷり嫉妬してくれ、俺はなかなか遊んできてるからな」
「何言ってんだ、見かけ通りのくせして」
「そう、ご覧の通りだ」
「ふん……」
「――慎吾ォ、ちょっと来てくれよ」
「あ? ああ、今行く。じゃ、そういうことで」
「……ああ」
「……毅」
「行けよ」
「お前のだったらいくらでも舐めるけどな俺は、ハチミツ付きでも何でもよ」
「行けっつってんだろ!」
「はいはい、あーうっせうっせ、やかまし……」
「はは……また怒られたのかよお前…………」
「ああ…………あいつは俺の速さに嫉妬してやがるから…………」
「そんな…………」
「ぎゃはは…………」
「…………俺だって…………いや、クソ…………おい! 事故だけは起こすなよ! …………そういう問題じゃねえよ! …………ったく…………あー……何でこういつも俺だけ…………ふう…………」
(終)


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