情を隔てて狂気を盗る
自分の力の限界を知らず粋がっている馬鹿を辱めて嘲ることが好きだった。自尊心を傷つけられて右往左往する馬鹿を眺めることに快感を覚えた。倫理は知っている。道徳も知っている。教育はされた。だがそれらを心の根っこに置くという考えはなかった。元来がそういった気質だったのだろうと慎吾は思う。
生きることに価値はない。立派な人間などいない。人生は元々クソだ。
いつからか繰り返し考えている。かといって厭世的なわけではない。諦めている。諦めているから何でもできる。ただ時折自棄になる。前後の見境がなくなる。それが欠点といえば欠点で、また火事場の馬鹿力が発揮されるという面では長所でもあった。
ともかく自分は自分だった。今更方向性を変える手立ても思いつかなかった。残忍な計画でも躊躇なく立てられる己の頭と、それとは分離している粘着質な己の欲望と、危険を察せられるだけの臆病さを持つ己の精神は気に入ってもいた。あとはそれを利用して、自分が良いように動くだけだった。充足していた。走り屋という肩書きを誇示するのは、その一環に過ぎなかった。人生すべてがそこに集約されるわけではなかった。
ただ、その流れに身を浸している最中はそれしか見えなくなる。だから事故すれすれの行いもできるし、他人に噛み付くこともできる。それ以降とは関係がない。
危うい橋を渡っている自覚はある。金は稼げている。将来のために保険もかけている。小心な自分がそうさせる。稼いだ金を車に費やす。諦めている自分がそうさせる。その下の自分はいつでも怯えている。がたがたと震えている。いつか死ぬのではないか。殺されるのではないか。誰かに征服されるのではないか。捕まるのではないか。汚水にまみれて暮らさねばならなくなるのではないか。肌の下の下の下、筋肉の下、骨の下でいつでも震えている。それでも生きる。
生きることに価値はない。立派な人間などいない。人生は元々クソだ。
繰り返し考えている。だが生きる。諦めている。執着していることに、諦めている。
慢性化した病のようだった。痛みは毎分毎秒刻み込まれる。腹の底や足に鉛が絡まっているかのような重さにももう慣れた。いつの間にか日々は淀んでいる。唐突に理不尽さへの怒りがこみ上げる。数秒で静まる。自分が良いように動いている。充足している。そのはずだった。
意図した通りに動かぬ人間は殴り倒したくなる。そういう人間が近頃増えてきた。予測できない動きをする人間。
女はいい。女は住んでいる次元が違う生き物だ。容易く征服できるとは思わない。常に不審の目を向けられる。
問題は同性だ。見栄。意地。矜持。自尊心。優越感。怒り。本能。欲。度量をはかる指標はいくらでもある。核を揺らがす傷つけ方も知っている。馬鹿には忍び寄る恐怖を、知性をよりどころにする奴には直接的な恐怖を味わわせれば良い。怯え、震え、泣き、あとは自ら転げ落ちる。自分を叩き落した人間の素性を知れば復讐に走る。それでも友情に縋るのは頭の足りない奴だけだ。自らも怯え、震え、泣いたことのある慎吾はそういった心理を理解している。卑怯な手段で陥れられた人間は大概冷静になり、事情を把握してから怒りを覚える。相手を動かすにはその手前でなければならない。自分に殺意を向けられない程度。わきまえているつもりだった。
人間は増えない。増えているように感じるのは頻繁だからだ。殴り倒したくてたまらない。たった一人に振り回され始めている。怒りが持続する。執着が持続する。頭の足りない男ではない。それでも友情に縋ろうとする。殴り合いまで進んだことはない。互いに殴ったことがない。胸倉を掴み、罵声を浴びせたことはあるし、浴びせられたこともある。手は出なかった。足も出なかった。怒りがあった。殴り倒してやりたかった。地面に転がして血反吐の海で後悔と屈辱にまみれさせたかった。実行はしなかった。今もってしていない。
日常は淀み、少しずつ正規の道から外れていく。自分にとって何が良いか。自分が何を成しえたいか。自分の欲はどこにあるのか。確かな部分に手が届かなくなっていく。
肉の下が震えている。骨の下が震えている。心の下が震えている。いつでも震えている。
生きることに価値はない。立派な人間などいない。人生は元々クソだ。
諦めている。おそらく諦められていない。だから震えている。車の中でがたがたと震えている。早く自棄になりたい。そうすれば、己の力でそれをねじ伏せられるのだ。だがいつそれがなされるか、慎吾には分からなかった。
(終)
2007/09/10
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