終わり方
秋風吹きすさぶ山、セットした髪が乱れるからといって早々に引き上げる者もいれば、こういう強風でこそ生まれるロマンスがあるんだと車を走らせ続ける者もいた。中里は強風が吹く峠で走ったところでロマンスが生まれるとは思わないが、雨が降ろうが槍が降ろうが走り続ける側である。ドライビングは趣味であり、習慣であり、人生だった。突風に煽られようがそうだった。
そうしていつにない車体の軋みを味わいながら峠道を下り終えて、しめに二、三回やる前に休憩しようと駐車場に降り立ったところ、中里は途端に近くで爆笑している野郎どもの一人に呼ばれた。それはどう見てもチンピラの集団だったが、どう見ても我らが妙義ナイトキッズのメンバーの集まりだったので、中里は呼ばれるまま七人いる輪に入った。
「どうっした毅さん、走りの方は」
「普通だな」
まだ十代らしいメンバーの馴れ馴れしい問いに、中里は感じたままを答えた。特に良くも悪くもなかったのだから、普通という他ない。だが、普通って、と数名は笑い出すのだった。箸が転がりかけるだけで腹を抱えて爆笑するような笑いの沸点の低い奴らが相手とはいえ、普通のことを笑われると気分は害される。中里はげらげらひーひーしている奴らを睨んだ。
「それじゃあ何か、お前、風に巻かれて一回転したとでも言えってか」
「いやいや、あんたは普通でいいんだよ、たけちゃん」、と隣に立っている古いメンバーがにやにやしながら肩に腕を回してきた。「その存在が俺らにとっては貴重なんだから」
「そうそう、天然記念物っすよ、むしろ世界遺産的」
「石油王もビックリ」
「奈良の鹿も大仏抱えて走って逃げる」
「UFOも顔負け」
「ヒグマも爆発」
「……お前ら自分で何言ってっか分かってんのか?」、と中里は妙な言葉を重ねる奴らを疑ったが、うんうん、と皆揃って頷くだった。普段ちょっとした車に対するこだわりの違いでお前の母ちゃんデベソ的言い争いにまで発展させる奴らのくせして、こういう時には息が合う。中里には例えの意味はよく分からなかったので、それはそれとして、まあそりゃいいけどよ、と話題を変えた。
「さっきは何笑ってたんだ」
さっき?、と一人が首を傾げ、あー?、と一人がかなたに目をやった。
「笑ってたっけ?」
「っつーか何話してたよ」
「あ、さっきはあれでしょ」、と一人が自信満々に言った。「明日世界が滅びたら何するかって」
「そうそうそうそう、仮定法だよ仮定法。アイキャンフライ、それは翼が生えてからの話だってな」
「でもあれっすよね、翼生えてもキモいっすよね。っつかどうしまうんだよって感じっすよね」
「そりゃお前、コートの中に格納だよ。んでいざって時は全裸になってはばたいてくんだよ、大空に」
「変態だな」
「文字通りでいいんじゃねえの」
話はどんどん逸れていく。何がおかしくてこのメンバーが爆笑していたのかは知れないが、風が吹いて桶屋が儲からずとも笑う奴らだ、どうせ大したことでもないのだろう。中里は気にしないことにした。我らが妙義ナイトキッズにおいて、謙譲と忘却の精神はよどみのない交流を目指すにあたっては重要なものであった。
「明日世界が滅びたらか」
口の中での呟きは、「羽でオナニーするってのはどうだ」「つかここに仮定法を理解している奴はいるのかよ」「お前の高校倍率一切ってたじゃねえか」、などと笑いながら話している奴らにも、まだ人の肩に腕を回してきている奴にも、聞こえる大きさではなかった。だが、一人と目が合った。はす向かいにいる、今までほとんど声を発していない男だ。真ん中で分けられている長い染められた前髪から覗いている顔は、至極退屈そうだ。そんな顔をしながら、こちらを見ている。その男がいつからこちらを見ていたのかは分からない。顔を向けねば視界に入らない位置に男はいる。中里は輪に入ってから今まで顔を向けていない。今、男へ顔を向けて初めて見られていたことを知った。だからいつから男がこちらを見ていたのかは分からない。だが、ずっと見られていたような気がした。
「お前はどうだったんだ?」
衝動的に、中里はそう尋ねていた。その男、慎吾は退屈そうな顔のまま、退屈そうな声を出した。
「仮定法ってのが大ッ嫌いなんだよ、俺は」
中里の先の口の中の呟きは、慎吾には聞こえていたようだった。でなければ、今のような明確ではない問いに、これほど明確な答えが入ってくるはずはなかった。そうか、と中里が自然な不自然さを感じつつ頷くと、「あーそうだ」、と慎吾の隣のメンバーが不愉快そうに言った。
「あのね毅サン、慎吾クンそう言って答えてくんねーんすよ、アルマゲドン後何するか」
「そーそー、俺らちゃんと家族と団欒とかツレとランデブーとか風俗制覇とか言ったのによお」
「ひどいよなあ、仲間に隠し事だなんて」
と話からあぶれていた他のメンバーが追従した。「隠してねえよ」、と慎吾は相変わらず退屈そうに言う。
「考えねえだけだ、そんなくだらねえこと」
「考えろやそんくらい、脳味噌のシワがなくなるよ」
「とっくの昔につるつるになってる奴に言われることじゃねえな」
「何だとコラ」
慎吾の隣にいるメンバーが慎吾を睨むが、慎吾は取り合わず、中里を見てきた。
「お前は?」
相変わらず退屈そうな顔だった。そんなことは聞きたくもないが、答えたければ答えろというような慎吾の態度だった。
「俺かあ?」
「お前」
その口調はぞんざいだ。積極的にどうかと聞かれるより、答えたくなる慎吾の態度だった。横半分のメンバーは羽の活用法についての話で盛り上がっている。残りもこちらに百パーセント集中しているわけではない。その程度の方が、ものを言いやすかった。
「俺はなあ……できりゃあここで走ってたいけどな」
言うと、えー、と他の奴が不満そうな声を上げる。
「それって山で孤独死っすかァ?」
「思いっきり修行僧じゃねえか」
「わびしいねえ」
「なあたけちゃん、折角の人生なんだぜ、せめて最後くらいは華やかにいこうや」
横のメンバーが、諭すように言ってくる。中里はまだ肩に回されている男の腕を外し、爽快感を味わってから、華やかも何も、と顔をしかめた。
「折角の人生なら、やりてえことをやって終わりてえじゃねえか」
「一人きりっすよ? 一人で山で最期迎えんすよ? 俺なら嫌だなあ」
「お前は嫌だろうが、俺は別に嫌じゃねえよ」
ムキになって反論してくる慎吾の隣のメンバーに吐き捨てるように言うと、今度は背中に手を回してきた横のメンバーがうんうんと頷き、
「まあ毅クンはMだからな」
「放置プレイが最大級の快楽か」
「ビッグバンだろ」
と、他のメンバーも続いた。中里はそいつらをじろりと見回して、
「お前ら、それ以上変なこと言いやがったら、俺とすげえバトルがしてえんだと俺は取るぞ」
と言った。途端に微妙な空気が流れ、それは横半分のメンバーの方へも及んだらしく、全体的に微妙な雰囲気になった。それからは早い。気まずい空気に潰される前に、メンバーはそれぞれ何のかんの理由をつけて場から抜けていった。晴れ晴れするほどの即応だった。変な才能だけはありやがる、と思いつつ散らばっていく奴らを眺めてから、たった一人場に残った男を見た。目が合った。まったく変わらず退屈そうな顔だが、何か言いたげだった。
「何だ」
「俺は元々ここにいた。あいつらが勝手に増えやがったんだ」
確かにすぐ傍には慎吾のシビックがある。それ以外に車はない。一服でもしていた慎吾に誰かが近づき、その誰かに誰かが近づき、といった具合に先ほどのような無秩序な集団になったのだろう。常に比べて慎吾の口数が少なかったのは、勝手に増えた奴らを歓迎してもいなかったからかもしれない。自分も歓迎されていなかったのかもしれない。そう思いつつも、中里は何かそのままは去りがたく、つい口を動かしていた。
「まあ、俺もまだ最期の時とかは、真面目に考えねえけどな」
声に言い訳がましさが乗ったようで、中里は咳払いをしてから、じゃ、と手を上げて自分の車に戻ろうとした。
「今まで」
後ろから慎吾の声がしたのは、数歩進んでからだった。中里は立ち止まったものの、振り返るのはためらった。自分に向けられた声かどうか、自信がなかった。立ち止まって数秒経ってから、また声がした。
「今まで俺が一番よかったのは、お前と走った時だ」
中里はためらうことも忘れて振り返っていた。慎吾は煙草を咥え、火を点けていた。
「あ?」
どう会話が続いているのか理解ができず、中里が声をひっくり返すと、一瞬だけ慎吾は目を向けてきて、すぐに目は閉じ、煙を混じらせたため息を吐いた。
「人生語るほど歳食っちゃいねえだろ、どいつもこいつも」
そして、一つしか吸っていない煙草を地面に落とすと、つま先で踏みつけ、こちらに背を向けシビックに乗り込んだ。二度大きくエンジンを唸らせた赤い車体は、タイヤを強く地面と噛ませて消えていった。退屈そうな様相は、初めから終わりまで変わらなかった。走った時、と中里は思った。それが良いというなら、あいつも走るということだろうか。一緒に走れるということだろうか。
「……華やか、じゃあねえな」
呟いて中里は、一人苦笑し、とりあえず、慎吾の落とした吸殻を拾った。
(終)
2007/11/07
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