およそ十秒の信用



 およそ十秒だった。
 正確に計測したことはない。感覚としておよそ十秒だ。目が合ってからおよそ十秒、見据えてやる。たぎる肉欲をこめた視線を送ってやる。それだけで、慎吾の意図は中里に伝わるようになっていた。つまり、およそ十秒後、顔を寄せ、唇を寄せても、抵抗がないどころか、柔らかい唇は開き、歯茎を撫でる舌を呼び込んでくる。そういうことだ。
 およそ十秒、目が合ってから、見据えていればいい。手に負えない劣情を視線に乗せてやればいい。そこがベッドの上であろうが、誰が訪れるか分からぬ峠であろうが、二人きりであれば、慎吾の唇を中里は拒まない。
 舌を絡ませて、吸い、背中に、腰に腕を回す。布地越しに肌を撫でる。そこからは、慎重さが要る。キスだけで終わることもある。本気で抵抗されれば似たような体格だ、ねじ伏せるのは難しい。ねじ伏せたことは一度ある。きつく閉じられた唇が緩んで、そこから喘ぎ声が漏れてきた時には、めまいがしそうなほどの官能を感じたが、後味は良くなかった。死にたくなった。それ以後は、そういうことはやっていない。やらないように意識をしている。
 肉体への恐怖は本能に刻み付けられるようだ。少し力の加減を間違うだけで、中里は体を強張らせる。キスでなだめられなくなったら終わりだった。一度失った信用を取り戻すには時間がかかる。意図が伝わっても、理解されても、必ずしも受け入れられるわけではない。そういうことを考えられない時期があった。慎吾には遠い記憶だ。中里にはまだすぐ傍にある記憶らしかった。
 それでも、およそ十秒、見詰め合うだけで、意図が通ずるようになった。欲望まみれの視線は、その時に限っては、必ず受け入れられる。調子には乗れなかった。現実に、中里はそれ以上を拒むことがある。すべてつながっている。
 山に吹く冷たい風が、心地良く感じられる。口付けて抱き合って、熱が生まれる。そして抱けるかというのは、また別のことだ。今では分かる。分かってしまった。屈服させたからといって、認められるわけではないのだ。
 中里の手が慎吾の背にかかる。分からないままでいたら、このままねじ伏せられた。今は、これ以上は、家に帰ってからになる。家に帰ってから、どこかに遠慮を含んだセックスが始まる。それでも結局互いに達するのだから問題はない。おそらく、これがまともな付き合いなのだろう。
 それでも、半端に勃起したまま愛車を運転している時など、どうせなら、分からないままでいたかったと、慎吾は思うことがある。認められなくとも、認めさせることができなくとも、全力で自分をぶつけていられれば良かったと、思うことがある。
 そういう時にはもう、およそ十秒の信用すら、捨てたくなるのだった。
(終)

2007/11/28
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