日々通る



 峠道に車を猛速で走らせている時に集中力が切れそうな予兆があれば直ちに駐車場に戻り休憩を入れる。走り屋チーム妙義ナイトキッズに入ってまず必ず実行せよと言われることはそれである。チーム内においてのみではあるが集中力の欠如による事故が最も頻繁に起こりかつ悲惨な結果を招くという統計が出ているためだ。無論極度の精神の緊張や昂ぶりによる暴走も度々事故を引き起こすが、峠で速さを求めて車を走らせるなり他者と速度を競う合うなりという中で神経系の興奮はつきものである。またチーム内は常に騒がしく誰か彼かは意味もなく興奮しているので、そのあたりはナイトキッズにおいては各自の裁量に任せられており、走行中は集中力をできる限り保て、ただし駄目だと思ったらその時が潮時だから迅速に撤退せよ、という注意をチームに入ったばかりのメンバーは必ず誰かにされるが、それ以外の注意は特にされないのだった。
 結果、駐車場に集まるナイトキッズのメンバーは他の人間の車を見たい者か、夜の峠の雰囲気を味わいたい者か、とりあえず誰かと雑談したい者か、そして走行における集中力は途絶えているが他の面についてはそう問題もない者か、あらゆる部分で問題のある者かに大概分類され、それとは関係なく多様なメンバー間で会話がなされるのがチームの日常である。
 その日、メンバー同士小さい輪を作り会話をしていた庄司慎吾は集中力の途絶を感じて一旦駐車場に引き上げた者で、他は暇だからとりあえず山に来てみた者と車の調子を確かめるために山に来てみた者と峠道を走りすぎて思考の次元が少々飛んでいる者とコースが開くのを待っている者であり、それぞれ状態は違い持っている話題も違うが滞りなく会話は進んでいた。最初に誰かから提示された疑問が一分後には皆キレイサッパリ忘れていることもまったくもって日常で、話題は天気の読み方に移り、薀蓄合戦が終わりを迎えかけた時、一人が唐突に慎吾の顔を見据え、
「お前ってホントアレだよなー、慎吾」
 と言い、慎吾は一秒も間を置かず、
「ちげえよ」
 と言い放った。そいつは「何も言ってねえうちから否定すんなよコラ」と不服げに慎吾に言い返したが、
「お前がそうやってアレだのソレだのコレだのナニだのっつった後に、俺をホメ称えたことが一度でもあるか。ねえだろ。それなのに肯定するいわれがどこにある」
 と慎吾が言えば、薀蓄合戦を終わらせた他のメンバーが、
「ねえよな」
「ないない」
 と同意を示し、慎吾の顔を見据えてきたメンバーは「お前」と更に不服そうに声を大きくした。
「一回くらいは俺だってお前のこと、ホメ称えちゃいねえけど、ホメたことはあるだろ。ほら、人を傷つけるのが天才的にうまいとか」
「それホメ言葉って受け取ったら、俺が極悪人みてえになるじゃねえか」
 そこで「いいんじゃねえの、お前極悪人って言葉がピッタリの顔してるし」と慎吾に言ったのは横にいた別のメンバーで、慎吾がその男に「てめえも顔で人の性質を決めんな、顔で」と言っている間に他のメンバーが「でもお前、顔からしてサディストだよな」と話を進め、そいつにも「どこがだ」と慎吾が素早く睨みを飛ばすと、最初にアレだと言ってきた奴が、「そうそう」、と合点したように言った。「俺もそれ言いたかったんだよ」
「それかよ」、と慎吾はとんとん拍子に性質を決めつけられる苛立ちから少々声を荒げた。「お前ら俺に悪いイメージつけてんじゃねえ」
「何言ってんだ、元々お前のイメージ最悪だろ」と一人。
「俺らナイトキッズのイメージ貶めてる原因お前が八割占めてんぞ」とまた一人。
「っつーかお前のイニシャルSじゃん」と加えてまた一人が言う。「庄司慎吾。SSだぜ。スーパーサディストだ」
「いやスペシャルステージだろ」
「いやセガサターンだろ」
 と続けて他の奴らもいい、「セガサターンはやめろよ、存在感微妙じゃねえか」と口を挟む機会をようやく得た慎吾がそこだけは一応指摘したところ、それまでにやにやしていた一人が突如顔を強張らせ、
「てめえ庄司、セガをバカにすんじゃねえよ! メガドライブもゲームギアも出してんだぜ!」
 と叫んだので、「いやお前のキレどころが分かんねえ」と慎吾は眉をひそめ、「そこドリキャスいかねえのかよ」と他の奴も眉をひそめた。「ドリキャスはセガサターン以降だから関係ねえ」と叫んだ一人はまだ憤懣やる方ないように顔をゆがめていたが、それも気にしない他のメンバーは、
「っつーか苗字は婿入りしたら変わんじゃねえの?」
 と話題を己の好奇心を基準にして戻し、
「え、慎吾婿入りする気なの?」
「逆玉狙い?」
「将来設計しっかり立てようってか!」
 と他の奴らはその話を広げた。慎吾はそいつらを適当に見つつ、
「別に俺、家継ぐ必要ねえから婿でもいいんだけど、勝手に決めてんじゃねえよ」
 言い、そいつらはそれを受けて即座に、
「今時家継ぐとかもないんじゃね?」
「田舎とかすっげ伝統的な家とかならあんじゃねえの、長男がどったらとか」
「でもよ、婿になんならイニシャルMになるとこじゃねえと。そしたらSMだぜ、おい、すげえよ」
 と話を膨らませ、「その凄さは嫌な凄さだぜ、普通に考えて」、と慎吾が敢えてまともなことを述べてみても、その珍しさに反応する者もおらず、
「イニシャルMか。マツモトとか?」
「ミヤモトとかな」
「モリモトとか」
 など、「何で最後が全部モトなんだよ」と指摘せずにはいられない話を続け、挙句、
「いや、野球人っぽいし」と一人にはよく分からない意見を言われ、
「マツモトシンゴとか語呂いいじゃねえか、マツモトキヨシっぽくて。だから松本明子に婿入りしろ、お前は」
 と一人から自信満々に指を差されては、
「いやそれ語呂の問題じゃねえし、松本明子って選択がコメントしづらいし」
 ナイトキッズ一危険なドライバーと名高い庄司慎吾であろうとも、そう一つ一つ言い返さずにはいられなかった。
「何だ、お前婿入りするのか」
 そこでまた、突然現れた奴に既に通りすぎた地点からの指摘を受けると、やはり流れとして、
「お前は、いきなり現れておかしな勘違いを通そうとすんじゃねえよ、毅」
 ひとまずそのように相手の勘違いを指摘する他ないものであり、それを指摘されたナイトキッズ一調子の波が激しいドライバーと名高い中里毅は、意外そうに太い眉を上げた。
「違うのか」
「違うに決まってんだろ」、と慎吾は間髪いれずに言い返した。「俺は二十七になるまで結婚はしねえ」
「何だその限定」とわけが分からないように一人が言う。慎吾はそいつに言ってやった。
「真島昌利も歌ってる。二十一で結婚しても二十七でもう疲れて、惰性で時を過ごすんだよ」
「いや分かんねえそれ」と言うそれでも分からない奴は放っておいて、「っつーか」、と慎吾は話を戻した。
「自分が三十くらいになった時に、ハタチ前後の女引っかけた方が、末永く楽しめるじゃねえか」
「わー」、と一人が馬鹿らしく慎吾を指差しながら「ひっでえ計算してやんの、こいつ」と言い、「さすがスーパーサディスト」とイニシャルの話を出してきた奴が言い、そいつを睨んで「それはやめろ」と慎吾が言うと、
「でもロマンあんなあ、慎吾」
 と、一人がしみじみと言い、その隣にいたメンバーは「あるかァ?」と眉間に縦皺を刻み疑念を顔で見事に表したため、ロマンがあるとしみじみ言った奴に「まあ平均的に見て、若い子の方が体はいいだろ? 熟女もなかなかそそられるものあるけどな、テクあること多いし。あと子供一人産んだくらいの主婦を、こう……」とまで語られて、
「おめえの好みを語ってんじゃねえよ」、と眉間に縦皺を刻んだままの奴はそこでそいつの語りをぶった斬った。「っつーかそれAVの話だろ」
「AVと現実を一緒にするほど俺はアブナくねえよ。アブナくない走り屋だよ」
「カワイソウなほどアブナくない走り屋だもんな、お前」
「否定はしない。なぜなら俺はアブナくないからだ」
「まあピースフルだよピースフル」
 話はそのように別の方向に進み出したが、その時、
「俺はお前が三十路んなった時に、ハタチの女の子引っかけられるとは思わねえけどなあ」
 腕を組んで黙っていた中里が難題と向き合っているような苦渋に満ちた様相で口を開き、「地味に冷静っすね毅さん」と中里の斜め前の奴が驚き、慎吾はむっとして、
「俺はお前が三十路になっても自分で女の子引っかけられると思わねえよ」
 と常日頃疑う余地もないと思っていることを言い、慎吾と中里の間にいるメンバーが「うわ言った」と驚いた。言われた中里はしかめた顔で慎吾を睥睨し「おい」と凄みを利かせた。「人をナメんじゃねえぞ、慎吾」
「うっせえ」、と慎吾は中里の凄みを一蹴した。「お前なんかな、どうせ親が死んだ後に結婚相談所で金目当ての女にしか狙われねえ末路だろ。そんな奴が二股かけたこともある俺に偉そうな口を利くんじゃねえ」
「何だその現実的な指摘と赤裸々な告白」と一人がぼそりと言い「さすが庄司」と一人が感心し「二股ってまた微妙だな」と一人が首を傾げる中、中里が顔に怒りの色を乗せて言った。
「二股かけるような最低な男にこそ、そんな偉そうな口利かれたくねえよ。お前みてえな卑怯者に本当に惚れる女性が存在するわけがねえ」
「ガキくせえこと言ってんじゃねえって。惚れてようが惚れてなかろうが、ストレスなくやれんならそんなことはどうでもいいんだよ」
「お前、惚れるから付き合って、そうやって、家庭を持つという……」
「惚れて付き合って結婚したって、別れる奴も浮気する奴もよそにガキこさえる奴も殺し合う奴もいるじゃねえか。要するにだぜ、本人同士が納得する形が一番なんだよ。分かるか」
 慎吾は中里を睨むのではなく様子を窺うように見ており、中里も慎吾をそのように見ながら今までの話中にない間を数拍開けた。そして中里はどこか困ったような色を顔に浮かべながら「そりゃ分かるが」と静かに言った。「自分たちだけが良くても仕様がねえだろ」
「自分たちが良くなきゃ仕様もねえだろ?」
 すぐに慎吾がそう言うと、他のメンバーが「珍しいな、慎吾が正論言うのって」「まったくだ」と頷き合い、「あのな」と慎吾はそいつらをまた睨んだ。「俺はいっつもお前らよりもよっぽど正しいこと言ってるだろうが」
「ムカツク奴は轢殺しろとかってのが正しいことだとは思えねえんだけど」
「そんなもんジョークだジョーク。ジャパニーズジョーク」
 そう慎吾が強調している間も「思いっきり真剣だったよなあ」「マジ以外の何モンでもなかったぜ」「実際一人くらいやってそうだったし」「んだんだ」と他のメンバーが団結している間も黙っていた中里が、相変わらず顔をしかめたまま、
「お前の言うことは、俺にはどうも理解しがたいぜ、慎吾」
 と呟くように言い、「え、理解しようとしてたんすか毅さん」と他の奴に驚かれ、「そりゃまあ、こう……」と説明しようとしたが諦めたらしいため息を挟み、「けど、ピンとこねえんだよな」と言った。
「価値観の違いってやつだな」と慎吾は中里の肩に手を乗せ皮肉を交えずに言い切った。「ま、お前は堅実に生きていけ、毅。それが似合ってるぜ」
「そんなことはねえだろう」、とその慎吾の手をそっと肩から外しつつ中里は言った。「俺だって、何だ。結構スリリングに生きてるぜ」
「やってるかやってねえかじゃねえよ、似合うか似合わねえかだ。なあ?」
 と慎吾が周りを見ると、
「まあ、慎吾みてえにチャラチャラしてんのは似合わねえな、毅には」
「ムカツク奴は礫殺しろなんてシャレでも言わねえしな、中里なら」
「神社の木に藁人形本気で仕込んでそうでもないっすしね」
 と他の奴らは真面目な調子で言った。慎吾は顔にも声にも不愉快さを露わにした。
「お前らの俺に対する認識っつーのをまず直してほしいんだけどよ、俺は」
「直すも何も、これが正しいよなあ」と言った一人に、「そうだな」と中里は疑いもなさそうに同意し、「お前もさり気に同意してんじゃねえよ毅」と慎吾が唾を飛ばすと、「けど」、と中里はやはり疑いもなさそうに言った。
「俺はお前にこそ堅実に生きていってほしいけどな」
「あ?」
 何を言われたかは分かったがどう言い返すべきかを考えてしまったため、慎吾は大仰に無理解を示して時間を稼ごうとしたが、
「早死にすんのはもったいねえ。お前みてえにEG−6走らせる奴、他にいねえしよ」
 中里は時間もかけずにそう続けどうやら言いたいことは言い終えたらしく、「ああ?」と更に時間を稼ごうとしても無駄なようだったので、慎吾は迅速で適切で機知に富んだ返答をすることは諦め、
「そんなの知るか。俺はお前のために生きてんじゃねえ、俺のために生きてんだ。俺万歳だこの野郎。お前のそんなクソみてえな言葉に付き合ってられるか。お前ら夜道は後ろに気をつけろよ、ったく」
 とまくし立て、その集団に背を向け愛車まで歩き出した。
「あ、おい、慎吾」と中里は言ったが慎吾が振り返ることはなく、「おー行った」「行ったな」「脅したまま去るとはさすがに庄司だ」と他のメンバーは感心し合った。
「何だありゃ」
 中里がその素早い慎吾の退場の不可解さから首を傾げたところ、一人が何とも表現しがたい味の物を口に含んだような顔をしながら「照れたんじゃねえの?」と言い、「照れる? あいつが?」と中里もそいつと似たような顔になりながら言うと、
「毅さんに面と向かってホメられたらそりゃ、ねえ」
「いくらあいつでも、照れるわな」
「まあな」
 と他のメンバーは頷き合い、中里は何とも表現しがたい味の物を口に含んだような顔のまま、駐車場からゆっくりと出て行ったシビックを眺めつつ、疑念をたっぷり含んだ声を出した。
「……あいつ、そういう奴かァ?」
 他のメンバーでも先の話題に飽きていた者は既に別の話を始めており、まだ飽きていない者は、
「……まあ、そういう奴だときめえし、そういう奴じゃなくてもいいんじゃねえかな」
「まあ、キモイっすよね」
「まあ、夜道は後ろに気をつけようか」
 と頷き続け、「そうだな」、と中里も頷いた。
(終)

2008/02/15
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