余裕をもとう



 簡単なことだ。他の人間に対するのとは違う態度を取ればいい。それだけで差別化される。そこに介在する意識の現れが、特別なものを生み出す。
 難しいのは、意識を消すことだ。普通にすること。他の人間に対するのと、同じ態度を取る。同じ態度? 平均的な態度だろう。だが、それがどういうものかは分からない。
 めんどくせえ、と慎吾は思った。今まで普通でいたいなどと思ったことはない。固有の存在でいたいのだ。一目置かれる存在。秀でたもの。危険な行為。命を危ぶませる行為。それで、差別化を図る。非難の目を向けてくる奴らにも、恐れと怯えを植え付ける。正論の武装。誰にも否定はさせない。そういう自分が、はっきりしている。努力して、確立してきたのだ。
 それを今更、普通にしろというのが無理である。無理だっつーの。俺に普通? 一般人? 似合うかよバカが。俺は俺。俺様慎吾様。バカか。俺がバカか。一人で何をやってんだ。
 やっているのは、運転に過ぎない。コンビニまでの軽い道程。交通量も信号も一時停止も少ない道。障害がない。ここを、どういう運転で通るべきか、悩む。飛ばすほどアイスは欲しくないが、わざとゆっくりいくほど欲しくなくもない。普通にいくのが妥当だ。だが、普通の運転がどの程度かが分からない。思い出せない。免許取立ての頃から警察の目の光る地点以外で法定速度を守ったことなどない。なら飛ばしてんのが俺にとって普通の運転か? しかし飛ばせば飛ばしたで、峠に戻った時にお前そんなにアイス食いたかったのかよという目で周囲の奴らが見てくるに違いない。いや、それはいいのだ。いつものバカヤロウどもの目など路傍の石コロほどの価値もない。飛ばして戻ったとしよう。べらぼうな早さで戻ったとしよう。手持ちのアイスは二つ。自分のと、中里のとだ。アイスを中里に渡す。早かったな、とか言われるだろう。早かったな、と周囲の奴らに思われるだろう。その時点で特別だ。
 俺はパシリか! そうじゃねえ、じゃあ何だ。暑くて暑くてうんざりして、自分がアイスを食べたいからついでに知り合いにも買って行ってやる人だ。だが他の奴らはそうは思わない。動機について。親切心、あるいは友情、好意。そんな風に取るだろう。腹立たしい。いや、しかしそれはゴミほどの価値もない奴らのことだ。どうでもいい。問題は、中里までがそう思うことだ。親切心。友情。好意。クソ食らえだ。あの男に自分がそんなものを抱いていると思われたくはない。事実か否かが問題なのではない。いや、事実ではないが、ともかくそういう風に思われること自体が、嫌悪感を呼び起こす。自分たちの間に、甘ったるい感情を入れたくない。そういうことだ。
 では、ゆっくり戻ったとしたらどうだろう。この暑さだ。クーラーボックスも保冷剤もない、アイスは溶ける。溶けに溶ける。それをやる。嫌がらせだ。嫌がらせをしたいならそれでもいい。だが、そうではない。親切にしてやりたいわけでも不親切にしてやりたいわけでもない。普通でいたい。意識なんぞどこにもない、特別さなどどこにもない。記憶に残らないようにしたい。溶けたアイスをやりでもしたら、そうはいかない。嫌がらせだと思われる。記憶に残る。一年後の夏、お前こんなことしたよなとか言われるかもしれない。アイス買ってきてくれたと思ったら溶けててよ……。
 コンビニに着いた。今のところ普段の自分からすれば早すぎずも遅すぎずもないはずだ。夜も明かりに満ちている店内。アイスだアイス、慎吾は眉間にしわを作りながら売り場に向かう。嫌がらせは駄目だ、その方が印象に残るし、まるで好きな子を苛めてしまうガキのようだ。好きでも何でもないのにそう認定されると七代先まで悔やみそうだ。却下。ここは一つ、親切なんだけれども過度ではない路線でいくのが最善だろう。
 そうしてアイスボックスの前に立ち止まり、慎吾は絶望寸前の心持になった。
 何を買う?
 ここにくるまでまったく考えていなかった。アイスだと思っていた。そう、アイスだ。ここにある。カップアイスにアイスバー、バニラ味チョコ味オレンジメロンイチゴ小豆ソーダ。多種多様、老若男女問わず欲望を満たします、コンビニエンス。
「ふざけんなよ……」
 慎吾はアイスボックスを睨みながら呟いていた。前を通った女子高生らしき二人組みが見てくるが気にしない。てめえら中学生だか高校生だかわかんねえガキどもがこんな夜中に制服でうろついてんじゃねえ、犯すぞコラ。念じつつも目は泳ぐ。何を買う? 何を買うのが一番妥当だ? バニラ味のカップアイス。いや、外で食べるのにカップというのはどうだろう。何というチマチマ感。外なら豪快にアイスバーソーダ味だ。ガリッといこうじゃないか。しかし待て、中里の好みは何だった? アイスバーソーダ味が好みであればストライクゾーンど真ん中に放り投げたということで、おお俺これ好きなんだよとか笑顔を向けられるかもしれない。嫌だ。暑いのに寒気がしてくるというのはある意味いいが、ともかく嫌だ。チョコレート。これも好きな奴は好きだろう。中毒性がある。イチゴ。少女趣味か、嫌がらせか。小豆。年寄りか、昭和か。オレンジ。爽やかさが足りないってか。
 待て待て、慎吾は腕を組んだ。どうも思考が悲観的になっている。アイスたちに罪はない。全否定をしては可哀想だ。個性があるのは素晴らしいことだ。しかし今はそれは避けよう。個性がない、いや、個性のないことが個性であるものを選べばいい。大衆が好むもの。嫌味のないもの。溶けにくいもの。特別さのないもの。普通。中庸。平凡。退屈。何だかどんどん自分の好きではないキーワードが頭に並んでいく。
 と、ここで閃いた。
 ってことはだ。
 俺の好きじゃねえもんは、普通なんじゃねえか?
 おお、と思わず小さく声を上げていた。我ながら鋭い。俺は個性的な人間だ。そんな人間が好きなものが個性的でなくて何だというんだ。逆に言おう。そんな人間の好きではないものが個性的ではなくて何だというのか。
 思わずにやけていた。前を通ったスウェットにサンダル姿の男が見てくるが気にしない。コンビニ来るにしてももっと格好つけとけボサ頭、蹴るぞ。念じつつ、ボックスの蓋を開けた。
 アイス一つを選ぶのに随分と時間がかかり、猛スピードで行く峠道、慎吾のシビックにはバニラ味のソフトクリームが一つ。自分の分を買い忘れたことに気付き思考が停止するまで、あと数秒。
(終)


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