徐々に寒さが厳しくなり、上着が一枚だけでは心もとなくなっていたが、昼過ぎ、慎吾はジャージの下を履き、シャツとパーカーを着て家を出た。どうせ車で出かけるし、ほとんど外を歩きはしない。
 大学へ行った。二日ぶり、サボると単位を落としかねない講義のためだ。構内に入り、腰を落ち着ける場所を探していると、ロビーで知り合い三人がウノを広げていたので、近づいたところ、いつでも帽子を被っている奴がこちらに気付き、丁度良いやお前も入れよ、と手招きしてきた。何か賭けてんのか、と聞いてみるも、まあ大してねえよ、これからだし、と曖昧に返されるだけだったが、暇だったので慎吾はとりあえず参加した。
「お、上がり」
 残ったカードを場にばさっと出すと、げえ、途中参加のくせに、と不平をもらった。そうは言っても最初の手札の問題である。煙草を吹かしつつ、俺の今日の運勢は最高なんだよ、と根拠のないことを返してやった。
「あークソ、じゃあ庄司かよ、トリニク」
 二番目に抜けた坊主頭が、非常にくやしそうに言った。トリニク? と聞くと、手札を睨んでうんうんうなっている帽子を被っている奴を、顎で示した。
「こいつの実家養鶏農家だべ、昨日送られてきたってよ、鶏肉。多すぎるから、これで勝った奴に分けるっちゅーハナシ」
 慎吾は言葉を理解してから、鶏肉? ともう一度言った。鶏肉、と坊主頭は頷き、食費浮かそうと思ったのによー、と占領している長椅子にごろんと寝転がった。よし上がりィ、と帽子を被っている奴が叫び、ヒッピーのような格好のラッパーが、マジ俺おごりかよ金ねーんだよー、とアフロ頭をわさわささせた。慎吾は短くなった煙草を灰皿にねじ込んで、自分の運の良さを実感した。

 共産主義の歴史よりも飲み会の誘いよりも、真空パックされたぶつ切りの鶏肉をどうするかということが、講義を終えた慎吾の頭を悩ませた。家の冷蔵庫にしまえば、さっさと家族に食べられてしまうだろう。経済的な面で実家暮らしは優位だが、個人の自由が封じられる部分はいかんともしがたい。
 身銭を切って買った多機能のデジタル腕時計を見ると、十八時を回ったところだった。送ってけよ百円やるから、と言ってきた友人を助手席に乗せ、後部座席に荷物をぶん投げ、駐車場から発車する。よく考えれば、そのふてぶてしい友人の住むアパートは、実家とは反対方向だったが、まあいいかと慎吾は思いながら、普段よりも乱暴に運転してやった。シートベルトを締めた上でがくがくと揺られ、友人はゴリラに似た顔を猿人に近づけつつも、「お前さ、今日暇?」と聞いてきた。暇じゃねえけど、と慎吾は答え、何かあんのか、と続けて聞き返した。
「カラオケ、柴田と林とミッちゃんとショーコ」
「あの面子かよ、あいつらデキてんだろ?」
「柴田とミッちゃんが別れて、で林がミッちゃんと付き合おうとして、ショーコに誘われてヤッちまって、さあどうなるか愛の劇場、みてえな感じ。主婦の視聴率上がりまくりだ」
「そんで、お前はそれをちゃんと把握してるわけかよ」
「まあ俺はショーコを愛してるし」
「バカだな」
「何、バイトあんの、お前」
「ちげえけど」
「庄司ってよ、夜空いてる時あんのかよ」
「もっと良い面子でおごりとかなら、進んで空けるぜ」
 喋っているうちに、友人の住むアパートに着いた。路上駐車をしてさっさと降ろす。悪い奴ではない。顔も見られないわけではないし、服装も不潔ではないし、講義を真面目に受けているし、精力的に金を稼いでいるし、飲み会の幹事もそつなくこなす。だが悲惨な境遇の自分に酔いたがる面があるため、長時間一緒にいたくはなかった。
 欠点のない人間なんざそうそういない、慎吾は目的を明確に定め、車を走らせながら思う。あの養鶏農家の息子にしても、人の都合を考えずに行動することが多いし、坊主頭は愚痴が多く、ヒッピーのようなラッパーはラッパーとしての才能がないことに気付かずに、人の評価を求める。厄介だらけだ。
 問題は、その癪に障る部分を、こちらが許せるかどうか、許せるほどにその人物に魅了を感じられるかどうかなのだろう。深く付き合っていくならば、その上、互いの妥協が必要だ。その努力をする価値のある人間を、どいつもこいつも血眼になって探して、泥沼にはまっていく。自然に見つけて自然に認め合うことができるのは、案外幸せなのかもしれない。慎吾は自分の運の良さが、少しだけ恐ろしくなりかけた。
 来客用の駐車場に停めて、後部座席から荷物を引きずり出す。バッグのチャックを開け、入れっぱなしの鍵を手に取った。警察のキャラクターのキーホルダーは、知り合いに貰ったものだ。何となく、この鍵の元の主にはお似合いのような気がした。
 バッグを肩に担ぐように持ち、車を降り、部屋に見当をつけて鍵を差し込み、ねじる。鍵が開いた。車はなかったし、当然だろう。中に入ると、冷たい空気が身を包んだが、人間の匂いが染み付いているのか、むっとしたものも混じっていた。ひとまず我が家のごとき自然さで暖房をつけ、鶏肉を取り出したバッグをその辺に放り投げる。
 部屋は生活感が残る程度に片付けられていた。主人を表しているようだ。清潔で、整然としているのに、どこか致命的に汚れている。慎吾は休もうかと思ったが、真空パックを持ったままキッチンに入った。冷蔵庫を開けると、開封済みの鍋つゆがあった。野菜も適当に揃っている。きのこ類は譲歩しよう。これで白米さえ炊けば、今日の晩飯は完璧だ。この家の主人が帰ってくるまで平らげられるかが、問題といえば問題だった。

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 値下げを前提とする客ほど対応が難しいものはない。大きい買い物である以上は融通を利かせたい思いもあるが、特別扱いをしすぎてもいけない。相手に満足してもらい、こちらも利益を得る、そのバランス取りが中里にはいまだ課題だった。
 それでも標識に従いながら愛車で家路を辿る時、そういった反省を中里はあまりしない。思考や感情は運転を乱し、車に無理を強いるものだ。障害なく、八つ当たりなどせず車を走らせてやりたいという思いが強かった。その上、街中には峠とは違う、生活に密着した緊張がある。少しの余裕がそれこそ命取りだった。
 自宅に着くと、ようやく精神も肉体も解放されるが、多種のステッカーの貼られた車を駐車場で目にし、そうはいられないことを知った。だがそこには喜びも嫌悪も怒りもなく、ただああいるんだなという納得があり、続いて相手にしなければならないことへの疲労と、しばらくしてから相手にできることの安堵がくる。その時点で、緊張は抜けた。
 車から降りて、荷物を取り、習慣的に鍵を取り出しかけ、やめ、一階の部屋のドアノブを回す。回る。ドアが開く。中から暖かい空気が漏れてきて、中里は玄関に上がると、ドアを閉めて鍵をかけた。自分のものではない靴が脱ぎっぱなしになっている。それを揃え、自分の靴を脱ぎ、部屋に入る。暖かい空気は湿気を含んでおり、また匂いがついていた。腹を刺激する、香りだ。
「人ん家でな」
 声をかけると、テーブルで鍋をつついていた慎吾がようやく顔を向け、汗の浮いた顔で「お帰りなさいご主人様」と言ってきた。真面目な分、非常に恐ろしいものがある。中里はため息を吐き、鞄を所定の場所に置き、ポケットから物を取り出したコートとスーツの上着をそれぞれハンガーに掛け、何食ってんだよ、とズボンのポケットからは携帯電話と財布を取り出しながら聞いた。
「鶏鍋。まあ普通に食えるぜ」
「お前、自分で作ったのか」
「うちはよ、自分の飯は自分でまかなえっつー虐待が横行していた家庭だったからな。って、前も言ったような気がするけど」
「聞いたような気もするな。しかし、鶏肉なんてうちにあったか?」
「俺が貰ったんだよ、ガッコで。ウノで勝ったから」
 何だよそりゃ、と言って、ネクタイを外しズボンも脱いでハンガーに掛ける。大学とウノと鶏肉という言葉がつながる場面が、中里にはまったく想像できなかった。腕時計も外し、煙草や携帯電話や財布も乗った、鍋のあるテーブルに置く。鍋、その下に敷かれた雑誌、飯の入った茶碗に鶏肉と野菜がよそわれたお椀、箸、どれも中里のものだ。鶏肉以外はそうなのだろう。
 「俺は運が良いからな」、とうそぶく慎吾を放り、ワイシャツも脱いで洗濯かごに入れに行き、戻ってきてからジーンズとトレーナーを着込んだ。一息ついてベッドに座ると、その横の床に座っていた慎吾がこちらを見ていることに、初めて気付いた。何だ、と聞くと、いや、と慎吾は中里を見たまま、真剣な顔で答えた。
「目の前で着替えられた場合、脱いだところで飛びかかるべきかどうかってことを考えてた」
 考えてんじゃねえよそんなこと、と右手で頭を叩いてやると、不満そうな顔つきで、別に考えるだけならいいじゃねえか、と反論され、中里は再度ため息を吐いた。
「飯食ってるなら、飯食うことに集中しろ」
「もう食い終わったから腹ふくれたんだけどよ、あれだな、腹が一杯だと目の前にこう出されて、むらむらきてもすぐに動けねえな」
「わけの分からねえこと言ってねえで、食い終わったんなら片付けろよ」
「分からねえってこたねえだろ、お前」
 少し下の位置から見上げられ、中里は動きを止めていた。慎吾は自然にいやらしく笑うと、素早く立ち上がり、中里の頭を撫でるように叩いて、ベッドの上のバッグを取った。そうして、テーブルの上の鍋を指差した。
「それ残ってるから食えよ、俺もう要らねえし、しばらく鶏肉見たくねえや」
「帰るのか」
「山行くんだよ。お前は?」
「飯食ってからって考えてたが」
「そうか。まあ好きにしろ、じゃあな」
 そのまま慎吾はあっさり部屋を出て行った。中里は用事も思いつかなかったので止めなかった。とりあえず流しから鍋敷を取ってきて、鍋の下にあった雑誌と交換する。週刊の漫画雑誌だ。以前慎吾が来た時に置いていって、そのまま捨てずにしまっていたものだった。これは奴のものか、なぜ鍋敷ではなくこちらを先に見つけるのか、いや単なる嫌がらせか、と思いながら鍋に目を落とす。そこには確かに一人分の胃を満たすだけの鶏肉と野菜が残っていた。茶碗を見て気付き、足を運ぶと、炊飯器にも一人分のふっくらとした白飯がある。
 何だかな、と中里は立ったままため息を吐いた。家で晩飯を食べるつもりだったことを、慎吾が知っているわけはない。ただ自分が食べたくてやっただけだろうが、中里が腹を空かせて帰ってきたらこのように恩を売れるし、ベルトを緩めて帰ってきた場合は嫌がらせになる、無駄のない選択だった。自分に損しか出ないことはなるべくせず、自分本位に動き続ける。そういう奴だ。それでも中里は、それを嫌えもしなかった。なぜならその不完全性を、既に知ってしまっている。
 まったく運の良い奴だ、思いながら、中里はとりあえず、慎吾の使った食器を片付けた。

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 相変わらず、どいつもこいつもパッとしない。十数回走り込んだのち、峠に集まる自称走り屋たちを眺め、慎吾は思った。才能溢れる人物などそうそう現れはしないものだが、この不作具合は由々しき状況だ。毅レベルが出てこねえとどうにもなんねえよなあ、とぼんやり考えていると、よお、と横から赤いフレームの眼鏡をかけた古い仲間がやってきた。
「よお」
「あれ、今日毅サンは?」
「来てねえぞ」
「へえ、今日来んの、あの人」
「さあな。何でそれを俺に聞くよ」
「だってお前の答え当たる確率たけえじゃん、確か」
「俺聞かれても、来るんじゃねえのとかしか答えたことねえぞ、確か」
 考えるのが面倒なので、いつもそう答えることにしているのだ。あれ、と赤眼鏡は首を掻き、んー、と天を見上げて少し考えると、思いついたように言った。
「つまりあの人、来ねえ方を当てる方がむずけえってこと?」
「じゃねえの、確率的に」
「まさに車が恋人だな」
「女に乗れねえなら車に乗るしかねえだろ」
「えー、どこ穴にすんだよ、あ、ガソリンか!」
 ありえねえな、と否定し、どっちかっつーと棒だよな要るの、と慎吾は思った。まあそりゃやべえか、と赤眼鏡は頷いて、んー、と再び天を見上げて考えると、再び思いついたように言った。
「でもお前と毅サン、仲良くね?」
「何がでもだよ」
「や、毅サンの動向知らねえっつっても」
 煙草を吸おうかやっぱりやめるかと考えながら、普通じゃねえの、と慎吾は言い、否定しねえんだ、と感心したような赤眼鏡に、別に良いとは言ってねえし、と続ける。
「っつーか良いも悪いもないぜ、俺あいつとあんま関わりねえから」
「え、いつの間にそんなあっさりなったのよ、前は火花がバチバチ飛んでたじゃん」
「あいつにはそんなにこだわる価値もないということに気付いたからな」
「うわ、悟りの境地入っちゃった?」
 入っちゃったよ、と返し、じゃ俺帰るから、と慎吾は車に戻った。
 そう言ったところで、諦めも割り切りもできてはいない。ただ、峠においては走り屋同士でしかないことに、それ以外での価値の有無に気付き、間違ったこだわりを捨てたまでだ。それが、淡白に見える結果につながったのかもしれない。
 最後に一度、ダウンヒルで全力を出す。ドリフトのためのドリフトも控えているし、相手を陥れるためだけのバトルともご無沙汰だった。すべては最高の記録を残すためだ。峠に通うことの一番の目的は、その意地があるからだろう。一瞬一瞬で集中し、慣れた道を着実に、ミスをせず走り抜けていく。浮遊するような、それでも手ごたえのある感覚に、良い感じだ、と意識したところだった。ストレートでの対向車があり、ライトに目を焼かれそうになったが、まあ大丈夫だろうと高を括った。暗闇の奥で目と耳が車種とドライバーを感知する。アクセルを踏み込む足から力が抜けた。猛烈な速度で対向車は過ぎ去り、毛穴の収縮はしばらく止まらなかった。こりゃ無理だ、思いながら車を流し、パーカーの袖をまくってぼりぼりと腕を掻いた。鳥肌がようやく引いてきた。
 ったく、人の調子が良い時に、と呟いたところで、ふと股間が硬くなっていることに気付き、額ににじんだ脂汗を手の甲で拭うと、慎吾は静かに峠道をくだっていった。
 ――ありゃ、ねえな。
 首に触ると、残った汗が掌にじっとりとつく。おそらくあのスカイラインGT-Rに乗っていた奴は、こちらに気付いていない、あるいは気付いていたとしても、眼中にもなかったはずだ。走っている時のあの男はそういうものだった。関係のないものには見向きもしない。車が恋人という言葉は、間違ってはいない。だが完全でもない。
 途中、コンビニに寄り、炭酸飲料を買い、車中で飲む。口と喉に刺激が染み入り、渇きが癒え、股間も落ち着いた。空き缶を助手席に放り、さてどこへ行くか、考え、すぐに決めた。エンジンをかける。
 物か人間か、どちらを取るかということだ。それを迷わない人間はうまく世を渡れるが、そうでなければ隙が出る。そして結局、最後に選んだものが絶対だ。まあ運だよな、と思いながら慎吾は、一旦浮かせた足をクラッチペダルに乗せ直した。

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 上っていく途中赤いシビックとすれ違ったように思い、上りきったところで、相変わらず群れをなしている奴らに尋ねると、案の定の、その主は帰ったという返答をもらった。その男の最後の走りにしては緩かったようにも思えるが、すれ違った瞬間での印象でしかないので、中里はそれ以上は気にせず、自分にかまけた。
 みっちりと走り込むと、頭を悩ませていた事柄が消えていく。そのために走るわけではないが、その感覚は好きだった。車と自分以外に何もないという一つの限定のもと、意識は果てなく広がり、走り終えると収束していく。この場でしか味わえない、生命が左右される緊張もたまらないが、日常への回帰で生じる先の超越的な感覚と現実の重さとの隔たりが、何ともしっくり腹に落ち着くものだった。
 その日は誰と競うこともなく、自分の世界のみでの走りを終え、最終的に帰宅して中里は、ああまたか、と納得し、どっと疲れつつ安心して、入り口のドアを開けた。電気が点いている。中に入ると、ベッドの上、仰向けに寝転がっている男がいた。頭の後ろで手を組んで、目を閉じ、わずかな音を立てて呼吸をしている。車もあったし靴もあったし、何より鍵が開いていたのだから、いたという物理的な驚き以外、特に何も感じなかった。
 中里は床に座り、ベッドの端に背を預け、煙草を吸った。吸うたび、やめた方がいいのかもしれない、と思うが、その背徳感がくせになり、やめられずにいる。
 一本じっくり吸い終わってから、中里はまだベッドで寝ている慎吾を見た。その端に頬杖をつき、顔を見る。二重顎とめくれた唇、尖った鼻、閉じられた目。ぱさぱさの髪が皮脂か何かでてらてらもしている、とても良いとは言えない見てくれだが、中里は目を離すことをしなかった。これも一つのくせになっているのかもしれない。ただ見るだけで、生活で削られていた何かが、埋まっていくような感覚があった。
 眺めていると、不意にその目が開き、眠たげなまま中里をとらえた。何だよ、とかすれた声が強く耳を打ち、唾を飲み込んでから中里は、いや、と言った。慎吾は首を少しだけ右へ傾けた。
「あれか、誘ってんのか」
「何をだよ」
「蚊とか」
「そんなもん誘ってどうすんだ」
「血ィ吸ってもらって、血の気を下げる」
「もう出ねえだろ、蚊は」
「分かんねえぞ、っていうか」
 そうして腕を使って上半身だけ起こした慎吾が、さっき我慢してたら、お前と山ですれ違った時勃っちまってさ、と何でもないように言ったので、中里は少し考えてから、その相関関係は、俺には分からねえ、と言い切った。うん、と慎吾は頷いた。
「俺にも分かんねえ。けどまあ、我慢し通しってのはきついぜ」
「それは、何だ、つまり」
「誘ってんだよ、蚊とか」
「蚊かよ」
「お前もほら、俺のチンコ吸ってみ。まずいぞ」
 まずいものを勧めんじゃねえよ、と下半身を投げ出したまま手招きする慎吾を睨むと、ボーナストラックだ、と自信たっぷりに言ってきたので、思い切り顔をしかめてやった。
「何がボーナスだ、何が」
「何かだよ、何か。気にすんなよ、鶏肉やったろ」
「肉以外、全部俺のだったろうが」
「鍋の主役は肉だぜ、肉。それとも俺が吸ってやろうか」
 そう続ける慎吾は、上半身もまともに起こしはしなかった。言葉遊びの一環だろう。よくやることだ。構われないと過激にしていき、実行に移す場合もあるが、大概は言いたいだけ言って満足する。そこで相手にするかどうか、中里はいつも悩むものだった。習熟は、行動までの最短経路を作ることはない。思考の流れを整えはするが、決断まで用意はしない。いつもいつも、どうするか、どうしてやるか、考えることの繰り返しだ。考え、動き、結果を得る。すべてはそうして飽きないほどに、相手に惹かれるかどうか、ということなのかもしれない。
 いつもの通り、色々を考えた末、風呂に入らないまま中里はベッドにのぼり、積極的、という感嘆をもらいつつ、吸うだの吸われるだのを行うことにした。
(終)

(2006/5/13)
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