痛いほどに



 露わになっている額もこめかみも太めの眉も通った鼻も小刻みに動き、特に削げた頬と厚めの唇は痙攣を起こしているようだ。
 見た限り、中里毅の笑顔は引きつっている。
 この男が引きつらせてでも笑みを作っている場合、己の矜持が他者へ下ることを認めさせないためか、渋面を示すほど敵対心を抱けない人間を前にしているためであることを、庄司慎吾は知っている。
 山。その多くは切り開かれ、木々の狭間には車両の運行を円滑にする道路が敷かれている。タイヤの接地面を広げるアスファルト、傾斜を緩めるためのカーブ、崖への転落を防ぐガードレール。交通の安全性と利便性を高める施策は、車両に乗る者を優遇し、峠には移送手段としての車が往来する。
 だが、世には端々に亀裂の入るアスファルト、複雑なステアリングやアクセル操作を強要するカーブ、時に眼前に迫る崖等、危険性の残る部分を愛好する人間がおり、そういった人間にとって、峠での車両の運行とは、手段ではなく目的となるのである。
 走りを目的とする者、俗に言う走り屋。環境保護が叫ばれる昨今、絶滅の危機も身近であるそれらの人種だが、この妙義山では少なくとも、まだ十数人が集い続けている。
 そのうちの一人、庄司慎吾は、同じくそのうちの一人である中里が、引きつった笑顔を作っている様を見ながら、まあこいつじゃ当然だろうな、と思っていた。
 現在、中里と慎吾、そして数名の同好の士――妙義ナイトキッズというチームを構成する者たち――は、目の前のフェアレディZを眺めている。その運転席の横には、黄色い縁のメガネをかけた細長い男が立っている。メガネ男は最初幸福を満面にしていたが、注がれる視線と流れる沈黙のためか、徐々に顔に不安を表し、ついに発言した。
「……あれ? これ、ダメっすか?」
「……いや、ダメってこたあねえが……」
 発言は問いであり、その問いが向けられたのは慎吾及びチームの面々でもあるが、第一にはチームのリーダー格たる中里であり、中里はまだ引きつった笑顔を浮かべている。この男が引きつらせてでも笑みを作っている場合、己の矜持が他者へ下ることを認めさせないためか、渋面を示すほど敵対心を抱けない人間を前にしているためであることを、慎吾は知っている。また、今が後者のためであることも理解しており、中里の歯切れが悪くなる理由も理解していた。
「ま、別に俺はいいんじゃねーかと思うけどね」
 隣に立つメンバーの一人、坊主頭がへらへら笑いながら言う。相変わらず坊主のクセに締まりがねえな、顔とか、と勝手なことを慎吾が思っていると、他のメンバーが坊主に続いた。
「いやー、ちょっとコレはどうよ。俺、コレと同じチームってのは生理的に微妙だぜ。マジで」
「でもそれってよーするにただの趣味じゃん、個人の思想の自由じゃね? 人権的には認められんじゃね? 訴えれば勝てるんじゃね?」
 サングラスを額に乗せている男が嫌悪感を滲ませながら言い、秋だというのにタンクトップの男が早口に言った。何を訴えんだよ、と慎吾が思っていると、再び中里が口を開いた。
「まあなあ……趣味……自由……なんだ……けど……なあ……」
 その口ごもり様は強い困惑を感じさせる。視線はメガネのフェアレディZに釘付けであるが、あらぬ方を見ているようでもある。今、中里は混乱の只中にいると、慎吾は確信する。
 慎吾も一目した時には衝撃を受けたが、一分も経てば慣れたもので、要するに個人の趣味だという帰結にも至った。だが、事前知識や臨機応変さが備わっていない石頭がコレを見れば、硬直するだろうとも推測できた。
 コレ――メガネのフェアレディZ。白いボディだけを見れば普通だが、残念ながらこの車ではそれが希少になっている。ボンネット、リーフ、サイド、リア。各所にステッカーが張られているためだ。だがそれくらいではここまで皆の意見は割れはしない。問題は、中身だ。
 世界は広く、その中の一島国に満たない日本も、なかなかに広いものである。多種多様な人間が日々暮らしており、趣味も思想も十人十色だ。車の装飾にしても、シンプルさを求める者もいれば華美さを極める者もいる。車内に何も置かないことを良しとする者もいれば、ダッシュボードに日常必需品やぬいぐるみを置くことを良しとする者もいる。ボディについても同じで、メーカー独自の色合いを完全なものとして固持する者もいれば、そこに自分の有り余るセンスを塗り広げる者もいる。ステッカーにしても同じだ。さりげなく己の属する走り屋チームをアピールする者もいれば、それとは無関係に己の趣味をアピールする者もいる。そして今回のメガネのZでは趣味がアピールされている。問題は中身である。つまり、その趣味の中身だ。
 ボンネットには『女の子』が、いる――描かれている。ツインテールの髪の毛はピンクで、顔の半分もある目の色は鮮やかな緑、鼻も口も線一つ、頬は爽やかなこれまたピンク、それらによって柔らかい笑顔が表されていて、細すぎる首の下には制服、だがその色彩は現実で目にしたことのない取り合わせだ。体の婉曲具合からか、スカートから伸びる太股の奥からパンツが覗きそうになっている。チラリズムである。そんな『女の子』が、ボンネットに描かれているのだ。決して実写ではない。いわゆるこれは、マンガだ。アニメだ。イラストだ。そのアニメな『女の子』が、ボンネットにもいるしリーフにもいるしサイドにもいるしリアにもいる。しかも屋根では水着姿、横では私服姿、後ろではデフォルメ姿だ。改めて見ると、フェアレディZというキャンバスがフルに有効活用されており、これはこれでやはり趣味である。そして趣味には他人の共感を呼べるものもあれば、呼べないものもあるわけだ。
 共感を呼べないことに困ったように、メガネは頭を掻きながら、しみじみと言った。
「やっぱ、最初にエロゲは早かったっすかねー」
「そこかよ」
 慎吾はつい即座に声を上げた。上げざるを得なかった。そこかよ、違うだろ。
「はい?」
 メガネが眼鏡の奥の目をパチクリさせる。そして、他のメンバーが一斉に口を開いた。
「あー、やっぱこれエロゲか。どっかで見た気ィすっと思ったんだよ」
「エロゲって何だよ。エロいのか?」
「まあ三次元じゃできねーこともできるもんなー。いいものだよ」
「三次元とか何だよ。四次元あんのかよ」
「四次元は次元じゃねえだろ」
「いや次元がついてるなら次元だろ」
 徐々に捻じれていく話を右から左に聞き流しつつ、慎吾は中里を見た。引きつり笑いは最早消え、表情も消え、茫然自失の様相であった。おそらく今行われている会話は、この男が理解できる範囲を越えているのだろう。そもそもメガネのZが現れた時点で、この男の理解の限界に達していたのかもしれない。
 頭のおカタイ奴だな、おい。慎吾はため息を一つ吐き、軽く手首を揺らしてから、中里の頭を叩いた。
「ッ、てっ」
 頭を押さえた中里が、驚愕の表情を浮かべる。さほど痛くはしていないが、我に返るには十分の衝撃を与えられたらしい。
「何フリーズってんだ、てめえは」
「……何を人の頭を叩いてやがる、てめえは」
「ケツ蹴ってほしかったか?」
 言い返せば、中里は渋面になり、しかし舌打ちするだけだった。人の親切にケチをつけられる性格はしていない。だからカタイっつーに。
「毅さんは、エロゲやったことあります?」
 捻じれた話は、捻じれたままこちらに放られ、折角復帰を手助けしてやった中里の思考は再び停止しかけたようだった。
「……何?」
「っていうか最初はギャルゲーっすかね?」
「……うん?」
 切れ味の良いメガネの言葉を受け、中里は首を傾げるしかできていない。ため息をもう一つ吐いて、慎吾は口を挟んだ。
「お前、その痛車見ただけで軽く意識飛ばした奴に、その話はキツイだろ」
「いや、これそんな痛くないと思いますよ、まだまだ」
「そこじゃねえし、十分痛いし」
 メガネは不思議そうに首を傾げる。このメガネは今年の春にチームに入った男であり、その時からZのボディは白をベースにしていながらカラフルで、そのカラフルさも数多あるバリエーションの一つだと信じて疑ってはいないような男でもあった。普段からアニメの話に熱を入れたり車を『女の子』に例えたりしているメガネ男だった。だからZを突然痛車――実物を見るのは慎吾も初めてのためそのカテゴライズとして正しいのかどうかは分からないが、便宜上はそう認識している――に改造して峠に現れたところで、慎吾としては納得できる。その土壌がある。だが、中里は別だ。基本的に中里はチームの人間を、走りの速さ、性格の良し悪し、犯罪者か否か、で分ける節がある。そこに趣味が何かという基準はない。ゆえにチームの一員であるメガネがこの峠に痛車を持ってくるなど、考えもしていなかったと容易く想像できる。
 ただ、他の連中はそうでもないらしい。
「別にエロゲの話もギャルゲーの話も、キツかねえだろ。ゲームだし」
「まあゲームか。俺はそっち系には興味ねーけど」
「え、結構面白いよ。ツンデレとかゲームとかにしかいないし」
「……あー、確かに」
「ホントっすよね、あれ現実にいたら困りますよ」
 皆、うんうんと頷き合う。こいつら全然分かってねえ。慎吾は再度ため息を吐いた。目ざとい坊主がへらへら笑いながら肘をぶつけてくる。
「何だよ、冷めてんなァ慎吾」
「俺二次元じゃ勃たねえし」
 事実を述べると、ええ、と大声を上げてメガネが仰け反った。何でお前だよ。慎吾は冷徹な視線をメガネに向けるが、メガネは驚きを声にするだけだ。
「マジすか!?」
「マジ」
「何で!?」
「何でも何も、勃たねえもんは勃たねえんだよ。嗜好の違いだろ」
 言いながら、誰にも気付かれぬように中里を見た。腕組みして遠い目をして、何事かを考え込んでいるようだ。少しは話を聞いてろバカ。慎吾は内心毒づいた。
「あー、そうだよなあ。俺もねえや」
「何かもったいねーな、折角そこに最高のネタがあるのに」
「いやリアルにネタあっから俺は別に」
「うわ、差別的発言。人権侵害」
「ゲームの中でくらいロリでもいいだろ!」
「いや意味分かんねえし」
 メンバーの会話が再び進む。慎吾はジーンズのポケットから煙草を取り出した。口に咥え、ライターで火を点ける。煙を吸い、吐き出す。二次元では勃たない。今は三次元で勃つかも分からない。勃つ相手なら分かる。それが多少気に食わない。クソ。俺はそこまで女々しいかよ。
「だからね、毅さん。考え方ですよ」
 己の考えにかまけて煙草を吹かしていると、不意にメガネの真面目腐った声が耳に入ってきた。横を見れば、メガネは腕組みしている中里の前に陣取っている。その後ろには一方向に派手なZがある。歪んだ光景だ。慎吾は苛立ちを覚える。煙草を噛んでいた。
「……考え方?」
 中里が不可解そうにメガネを見据える。メガネは大きく頷いた。
「現実がそのまんまあるって考えるから、頭がおかしくなってくるんですよ。別だと考えるんです。別だけど現実っぽい。だから親近感が湧くし、楽しめるんです。違うけど、現実っぽいんですよ。分かりますか?」
「……な、何となく……」
 いや分かってねえだろ。口に出しかけて、慎吾は煙草を噛んだ。メガネはまた頷いて、中里の肩に片手を置く。
「例えばですね、毅さんのGT−Rがありますよね」
「……例えば?」
「そう、例えです。毅さん、GT−Rに乗ってて思いが通じ合ってるとか、あ、何かこいつ人間っぽいなとか感じたことありません?」
 片手は中里の肩に、片手は忙しなく動かしながら、メガネが問う。中里は若干身を引き気味にしながらも、メガネを見たまま、答える。
「まあ、そりゃ……機嫌悪そうに思えたり、な」
「そう! それですよ! そこから擬人化は始まるんです!」
 中里の視線がメガネを通り越したどこかへ行きかけている。それを現世に留めるように、メガネは中里の肩をぐっと掴んでいる。慎吾は煙草を噛み続けている。灰は勝手に地面に落ちている。
「ああ、今日この子は機嫌が悪いな、どうしたらいいのかな、これですよ。この子はGT−R、この子は可愛い女の子! いや可愛くなくてもいいです。綺麗系でもお姉さん系でも妹系でも!」
「……女の子」
「GT−Rで言えばですよ、えーと、あれですよ。見本のようなナイスボディ、ハイテクマシンもお手の物な頭の良さ、スロースターターだけど加速がつけば一気に問題解決してくれる頼り者! そんな彼女があの子だと思ってみてください! どうですか!」
 そしてメガネは中里の隣に回り、Zのボンネットやらに乗っている『女の子』を共に見られる位置につく。中里は腕を組んだまま、細めた目でZを見る。眉間は狭まり唇は引き絞られ、真剣だ。バカだこいつら。思いながら、慎吾はそんな二人から目が逸らせない。
「………………ピンクなのか…………?」
「その辺を自分でカスタマイズしてこその擬人化です! っていうか擬人化じゃなくてもいいです! こんな子がGT−R、いいでしょう!」
 メガネが中里から離れ、ボンネットに手を置いた。慎吾は唇に熱を感じさせる煙草を吐き出した。中里は微妙に首を傾げつつも、緩く頷いた。
「……まあ。悪くは、ねえな」
「でしょう! やった! 毅さん、あなたも立派なオタクです!」
「……そうか?」
 立派な、という単語だけに反応できたらしい中里が、片眉を上げる。バカだ、完全にバカだ、バカの集まりだ。慎吾は新しい煙草に火を点けた。
「そうです! というわけで、俺と一緒に走りましょう」
 そして、その煙草も吐き出した。正確に言うなら噴き出した。中里は何もしていないのに咳込んでいた。エロゲの分類について語っていた坊主が、突然バカ笑いをした。
「そりゃいいな、おもしれえ」
「ギャラリー増えるんじゃね?」
「まあ話題にはなるな、良いか悪いかは別として」
 肯定的な意見がそこかしこから上がってくる。咳込んだ中里の背を、心配そうにメガネがさする。そして慎吾は、こめかみあたりで何かが切れる音を聞いた。
「――園河ァ!」
 低い、よく通る声が遠くした。自分の声だと数秒遅れてから気付く。呼ばれたメガネがびくりと慎吾を見る。他の連中も慎吾を見る。中里も慎吾を見る。慎吾は笑う。頬までかかる髪の間から、薄い笑みを見せつける。ただし目は動かさない。自然、愛想の良さと冷酷さが入り混じった笑みとなる。
「お前、EG−6よりGT−Rの方が良いって言いやがるのか?」
「……はい?」
 メガネの顎が下がる。慎吾は笑みを浮かべたまま、自信満々に語る。
「大衆的だけど見栄えが良いスタイル、FF車ならではの最高のレスポンス、ハッチバックはどんなものでも受け入れて、軽さとスタミナを併せ持つ。そして赤だ。情熱的な赤。いつでも赤いEG−6より、腰の重いGT−Rの方が良いって言うんだな、お前は」
 静寂だった。遠く響くエンジン音、風のざわめき、そして人間の沈黙。慎吾は笑んだままメガネを睨む。メガネは大口を開け衝撃を受けたようによろめき、Zのボンネットに手をついた。
「ダメだ! GT−RちゃんとEG−6ちゃん、俺にはとても二人は選べない!」
 その叫びが沈黙を切り裂き、複雑な感情が渦巻く空気を作り出した。
「それ、選ぶべきもんなの?」
「っていうか人で選んでどーするよ」
「俺的にはシビックちゃんがいいなー」
「誰もお前の意見は聞いてない」
 メンバーによる細々とした言い合いがなされる中、メガネはふらふらと運転席へと歩いていく。
「あ、おい、園河」
 メガネの動きに気付いた中里が慌てたように声をかける。いや放っとけよ。慎吾は笑みを引っ込め無愛想が際立つ顔に戻しながら思う。
「すいません毅さん、俺はまだまだ修業が足りません……まず、こいつとトコトン走ります! そんで歴代のスカイラインとシビックから、上玉を選びます!」
「え、いや、お前、それは……」
「俺、頑張ります! では!」
 中里の言葉を遮るようにメガネはZへと乗り込んで、エンジンを吹かすだけ吹かして、車体の至るところに描かれた『女の子』を見せつけるようにターンして、その場から去った。再度の静寂。
「……俺もやってみたいかも、アレ」
 それがメンバーの一人によって破られる。途端に会話が膨らんでいく。
「いやいや、マジやめて、ホントやめて。俺ムリ、そこまではムリ」
「はァ? お前がムリでも俺がムリじゃねーよ。やってやるよ」
「まあ他の奴がムリじゃなけりゃあ別にいいよな」
「お前らナイトキッズをどんだけ痛くしたいんだよ……」
「いやお前で十分痛くなってるしな」
「はああああ?」
 盛り上がっていく話に慎吾は加わらなかった。メガネは去った。計算通りだ。といってもメガネに対しての語りは咄嗟の熱情に駆られたがゆえの場当たり論であって計算していたわけではないが――あんな理屈で感銘受けるとかありえねえ――、メガネがこの場から去ることは望んでいたわけなのだから、結果オーライである。問題解決である。なのに、胸糞は悪い。結果オーライ、思う自分に、むかっ腹。詠めてねえ。先ほど吐き出してしまった煙草を拾ってみる。砂利はついてるがまだ吸えそうなので口に咥え、火を点けた。煙を肺に送り込むと、気分が上向いた。
「慎吾」
 かすれた声で不意に呼ばれ、煙草を噛んでいた。急に暴れ出した心臓を、唾を一つ飲み込んで定位置に押さえつけ、ゆっくりと落ち着いて、人の名前を呼んできた男を見る。中里は腕を組んだまま、こちらを見ている。その顔には苦笑があった。引きつってはいない。口の中に、アスファルトの味が広がった気がした。
「良かったよ、お前が……」
 心臓が喉元まで上がる。呼吸が止まる。慎吾は中里を見ていた。中里も慎吾を見ていた。苦笑は、微笑に変化する。首筋に、鳥肌が立った。
「……あいつと、趣味が同じで」
 ――ちげえよ!
 叫ぶ代わりに、慎吾は中里の尻を、思い切り蹴り抜いた。乾いた良い音がした。跳ね上がった中里が、尻を片手で押さえながらこちらを親の仇のように睨んでくる。よほど痛かったのだろう、目には涙。良い顔だ、慎吾は思った。こいつはこっちを見てる方が良い。
「てめえは、……何でいきなりだ!」
 曖昧な非難だ。それを慎吾は悠然と受ける。
「いきなりじゃねえよ。お前のやることなすこと、俺の中で溜まってんだ、色々」
「それが、いきなりなんだよ。少しは何か、やる前に言え」
「アホか、今からケツ蹴ります、っつって蹴ったってつまんねえだろ」
「蹴るなよ、クソ、痛えな」
「蹴るより痛いこと、いっつもしてるクセしてな」
 アスファルトの味しかしない煙草を口から吐き出し、煙も吐き出し、他人事として言った。尻を手で押さえたままの中里の動きが停止する。視線が外される。分かりやすすぎだろ、お前。心底からの笑みが浮きそうになる顔に無理矢理不機嫌を乗せながら、慎吾はその肩に手を置いた。メガネが掴んでいた、同じ肩だ。そして、停止している中里の耳に口を寄せる。
「っつーか俺、趣味違うから。お前以外に勃たねえし」
 囁いて、肩を押して、離れる。中里の至極慌てた声が聞こえたが、振り向かず、他の奴らも放置して、自分の車に歩く。中里は他人の目がある中で至極真っ赤な顔を隠すことに苦慮しているだろう、容易く想像できる。俺はあの顔張り付けてえよ。
「趣味が違うんだよな」
 呟き、慎吾は束の間素直に笑い、自分のために愛想を消した。



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