輪に抗う
友達、という言葉を使われるたび、虫唾が走った。
そんなんじゃねえ。と否定するのは、照れ隠しなどではなく、
容易に括られたくないからだ。
同じ走り屋で、チームメイトで、ライバルで、他人だった。
友達? 藁半紙より薄っぺらい言葉だ。使われたくはない。
自分たちの関係は、そんな通りいっぺんの言葉で表せるものではない、
と、そう、思いたかった。
実際、友情なんてものはない。仲間意識はある。
走り屋であることが、前提だった。
走り屋の自分と、あの男だった。
だが、そうでなくとも、もう構いはしないだろう、
互いが車好きであることは、変わりようがないと思う、
共にいる限り、どちらかがどちらかを、引っ張らずにはいられなくなる。
そして、まだ、共にある。
友達だと、決めたい奴は決めればいい。
その都度慎吾は否定する。そんなんじゃねえ。
心の中で、吐き捨てる。
俺とあいつは、そんなもんじゃねえんだ。
身の上話はしない。肌を触れ合わせたこともない。
一緒にいても、車のことか走りのことかチームのことか、
でなければ、世の中のことや、他人のことを話す。
会話で、互いの内側にまで入り込むことは、滅多にない。
だが、おそらく、家族でも恋人でも分かち合えぬような、興奮を、経験している、味わっている、
最上の、車を介した快感だ。
友達などという、そんなものではない。
自分と、あの男でなければ成立しない、
それが、俺たちだ、と、慎吾はそう思うのだ。
(終)
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