中心だけが、黒い線を引いたように、見えない。明かりは、佇む慎吾の背を照らし、輪郭だけを白く浮き立たせている。その眩しさが、真正面に立つ、中里の目を細めさせる。光を、なるたけ見ないようにすれば、闇は、消えるかもしれないと。だが、光は変わらずあるし、闇は消えないのだ。
「お前は」
 辺りにはびこる、あらゆる低い一律な音を、越える慎吾の、不安定な声だった。
「何も、言わねえよな」
 方向すらも、安定しない声は、しかし、光と同じく、こちらに向かっているものだと、中里は受け取った。目を細めたまま、中身の見えない慎吾を、睨む。
「何が言いてえ」
 顔が見えないと、意図を読みづらい。慎吾の声は、どこにも向けられていないし、何も表していない。その指摘が、敵意によるのか、好意によるのか、単に、これから始まる非難の、前ぶれなのか、知れない。暗さは、不安を、明かりの当たらぬ中里の背に、塗り込める。
「事実だよ」
 乱れのない声が、次の瞬間、急に震える。
「俺だってそうなんだから」
 慎吾のただ、揺れる声は、やはりどこにも向けられていない。中里は、言葉を返すことを、ためらった。正しい内容も知れなければ、真正面にいる慎吾が、本当にそこにいるのかも、知れなかった。だが、慎吾の声は、そこから出る。
「お前は何も、俺に言わねえし、俺もお前に、何も言ってねえ」
 その声は、どこにも向けられていない。何も、表していない。だが、中里は、その声を、受け取っている。その声の、表すものを、感じようとしている。その声に、触れようとしている。
「言ってるじゃねえか。こうして」
 闇が、自分の声すら、方向性を吸収して、失わせるようだ。
「言ってねえよ」
 それでも、それは、真正面にいる慎吾に、届く。白い輪郭から外側が、眩しくて、中里は、瞬きをしたくなる。しないよう、我慢するのは、目を閉じた瞬間、影が、消えそうな不安を、背に感じるからだ。
「お前が俺に、言ってんなら、俺はこんなこと、言っちゃいねえし」
 落ち着いた、慎吾の声。闇に方向性を吸われた、声。
「俺がお前に、言ってんなら、お前はもっと、俺を」
 音までも吸った闇が、一瞬、弾けたように、慎吾の顔から消え去った。その、表情のない顔が、何を表しているのか、中里が感じ取る前に、中心は、黒で、塗り潰される。音は続かず、闇は残る。輪郭だけが眩しく光り、中里は、堪えられず、瞬きをした。
(終)


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