部屋の主である慎吾は、床に座り、テレビに向かい、背を丸めてテレビゲームをやっている。時折、舌打ちや、よし、だの、クソ、だのという独り言を発するのみで、会話はない。ヤニがかった小型のブラウン管テレビに映っているのは、ドット絵のレースゲームだ。たまに慎吾は一時間ほど集中してそれをプレイする。何というゲームなのか、中里は何度見ても覚えられない。慎吾がゲームをしている間、一音一音が明確で単調なBGMと、プラスチックの動くカチャカチャとした単調な音を、聞くでもなく聞きながら、中里は慎吾のベッドの上で、慎吾の車雑誌を読んでいる。車という趣味は共通だが、押さえる雑誌は違うので、品ぞろえに飽きるということはない。床の上に無造作に重ねられている雑誌を、上から適当に読んでいるだけでも、時間はどんどん過ぎていく。カラーボックスには背表紙を揃えられた本が収納されているのに、床に様々な雑誌が置かれている慎吾の部屋は、神経質とも大雑把とも言えない当人の性質を、大いに表しているようだ。ベッドも、シーツや枕カバーは定期的に交換されているようで、悪臭がすることはないが、常に爽やかな匂いがするわけでもない。煙草の匂いと、慎吾の体臭が染みついている。そこに寝そべっていると、慎吾の部屋にいるという感じがする。自分の部屋ではない。自分の部屋はフローリングにベッドでなく、畳に布団だ。子供の頃からそうだった。だから、ベッドよりも布団の方が居心地は良いが、慎吾の部屋の慎吾のベッドには、もう慣れてしまっていて、雑誌を読みながらでも、よく眠気に襲われる。特に、峠から帰った後などは、三冊目あたりから細かい文字が二重に見えてきて、開いた本の間に顔が埋まりそうになる。寝る前には風呂に入って汗を落としたいのだが、どうにも眠くなるのだった。
「よっしゃ」
 そこで響いた一際大きい慎吾の声によって、意識が覚醒し、中里は紙に張りつきかけていた額を、顔ごと上げた。新しいデザイン言語が云々という文章まで追っていた気がするが、読んでいた内容を思い出せず、もう一度紙面に目をやると、ベッドに衝撃があり、顔はそちらを向いた。壁と自分の間に、慎吾が入り込んでくるところだった。ゲームの音は消えており、見ればテレビの画面も消えている。
「邪魔くせえよ、お前」
 不機嫌そうな声に、テレビから右隣へ顔を戻せば、うつ伏せの慎吾がいた。青いTシャツの襟から背にかけて、汗染みができている。まだ初夏だ。これから季節が進めば、家ではTシャツすら着なくなるだろう。中里は慎吾の背骨を見透かすようにしながら、言った。
「先にいたのは、俺だぜ」
「あるじの俺は、最優先なんだよ。この家の。つまり俺は、ご主人様だ。呼んでみろ」
 ベッドに向かって慎吾は喋る。それに声が吸収されて、感情の色を薄くする。
「何がご主人様だ」
「俺がだ」
「寝ぼけたこと言いやがって」
 中里は身を起こし、ベッドの端に腰かけ、床に足をついた。どうせ寝るなら、風呂に入って、歯を磨いてからにしたい。読んでいた雑誌を元通りに床に積み、腰を上げようとした。その前に、後ろから、腕を回された。慎吾の左手が、腹を抱えるように伸びてきている。無骨さと繊細さが奇妙に共存している手に、不埒は動きはない。中里は、上半身をひねって慎吾を見た。うつ伏せたまま、こちらを見ず、何も言わない。上半身を元に戻し、何となく、腹にきている手に触れてみると、すぐに掴まれた。掌が合わさり、互いの汗が混ざる。慎吾の手は若干冷えているようだったが、温度も混じり、じきにぬるくなった。中里は、電源の切られたテレビと、そこに映り込む自分を見、何がご主人様だ、と思いながら、右手は慎吾に掴ませたまま、左手で煙草を吸うことにした。
(終)


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