脱皮
春になると花粉症の苦労を知らない馬鹿どもが峠に来ては浮かれて騒ぎやがる。鬱陶しくて気分も滅入る。鼻詰まりで呼吸も辛いというのにバトルなどやっていられない。症状が軽い日ならば受けて立つのも良いがそういう時に限ってバトル相手は毅をご指名してくださる。腹が立つ。お前ごときは俺の遊び相手が関の山だろと思う。遊び相手にすらならないかもしれない。身の程知らずもいいとこだ。そんな相手も毅は律儀に引き受ける。手加減することさえある。馬鹿が多くてうんざりする。気分も滅入る。毅を目当てに山に来る人間は減らない。赤城の高橋兄弟やあのハチロクが外に出ているからどいつもこいつも浮かれてやがる。浮かれるのはいいが毅を目当てにするのはやめてもらいたい。あいつは自分に向かって来たものは全部引き受ける。どうでもいいものくらいは無視をしろと言ってもムキになるだけだ。人の言うことを聞こうともしやがらない。馬鹿にはうんざりする。その馬鹿をいちいち気にする自分にもうんざりする。そしてうんざりできることに安心する。俺が馬鹿なんだろう。
俺は最近バトルをしていない。ガムテープも巻いていない。一度怪我をしてからは控えているがやめたわけではない。あれはライフワークのようなものだ。ただやると良い顔をしない奴のことを必ず思い出すので相当気合を入れた時でなければできもしない。集中できない状態で走ればまた怪我をするかもしれないからだ。死ぬかもしれない。それでは元も子もない。命あっての、体あってのライフワークだ。俺がそう思うようになったのはあの怪我をしたせいかもしれない。他の奴らに自爆と称されるあれだ。まあダブルクラッシュを狙ってスカされてシングルで終わったんだから自爆というよりは自殺行為だろう。怪我は幸い後遺症の残らない程度のものだったが治療のために右手を固定されて動きを制限された時には俺は二度とこの手でEG−6のステアリングを握れなくなるんじゃないかと恐れたこともある。自分の情けなさが身に染みて一人で泣いたこともある。あれがあって俺は弱い人間なのだと改めて自覚した。弱いから本気を出そうとはしなかったのだ。本気で誰かにぶつかって痛い目を見るのが嫌だった。そんな身の程知らずの馬鹿になるのが嫌だった。本気を裏切られるのが怖かった。俺は厭世していたわけではないが見切ろうとはしていたかもしれない。だから他人に見切られるのを恐れていた。誰かが俺の本気を見切ってしまえば俺も見切るしかなくなるからだ。
俺が機械に傾倒したのは裏切られることがないからだろう。単車も乗用も手をかければかけただけの反応がある。無視はされない。仮に無視をされても仕組みを理解できるから原因は突き止められる。自分の手の中に収められる。自分の手で育てられる。他人の仕組みは理解できない。自分の手には入らない。裏切られることもある。馬鹿にされることもある。そんな不確かなものに傾倒してやりたくもなかった。
沙雪は今の俺のことを昔の俺に戻ったと言う。あいつは幼馴染だから昔の俺を知っている。子供の頃の俺は弱かった。何か嫌なことがある度に泣いて痛みを感じる度に泣いて泣く度に怒られてまた泣いていた。沙雪はそんな俺をよくいじめてくださったがあんな弱っちいクソガキがいたら俺でもいじめるだろうと思う。沙雪よりも容赦なくトラウマを植えつけるほどにいじめていただろう。それを思えば沙雪の奴はまだ俺に優しかったのかもしれない。だからといっていじめてくださったことを無しにするつもりもないが。
中学生の頃には俺は何をするのも面倒に感じて泣くこともなくなった。勉強は落ちこぼれない程度にやったし部活も体力がつく程度にはやったが本気は出していなかった。多分子供の頃に本気で泣いても本気で相手にしてくれる人間がいなかったのが引っかかっていたんだろう。毎日泣いているようなガキをまともに相手にするほど暇な人間なんざいねえんだと今なら分かるが当時の俺はガキだった。ガキの俺は本気を出すことの無意味さを実感して諦めた。その諦めを一生続けられなかったあたり俺はやはり弱い人間だ。諦めながらも諦めていなかったから突然目の前に現れた世界全部をひっくり返すような強烈のものに手を出してしまったのだ。
小学以前の俺と中学以降の俺をよく知っている沙雪は今の俺のことを小学以前までの俺に戻ったと言う。いつでも泣き喚いて誰にでも本気で感情をぶつけていた頃の俺だ。それが俺の本質かもしれないから否定はしないが今はあそこまで見境なくはないと言っておきたい。諦め続けられなかった俺を見て沙雪はよく嬉しそうに笑う。いじめ甲斐があるからだろう。中学以降の俺は思春期に入っていたにも関わらず沙雪のことを意識もしなかった。相手にするのも無視をするのも面倒で誘われれば一緒に遊んでやったが、あいつが誰に告白されてようが誰と付き合ってようがどんな友達とどんな話をしてようがどうでもよかった。女というだけで興奮したことはある。顔もスタイルも悪くないから同じ部屋にいて勃起したこともある。だが触りたいとは思わなかった。ただ面倒だった。何もかもが面倒だったが無視をするのも面倒で俺はただ本気を出さずに生きていた。本気で生きようとも死のうともせずに生きていた。その頃の俺と比べれは今の俺はいじめ甲斐もあるだろう。毅相手に本気を出すし毅の関わることにも本気を出す。沙雪のためにやっているわけではないからあいつが嬉しがるのはお門違いだが幼馴染のよしみがある。御親切には何十年とかけてお返しを差し上げるだけだ。俺はもう諦めるつもりもないのだから。
(終)
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