半分の余り



 青いジップアップパーカに包まれている背は、いつもよりも丸まって見えた。むらのある茶髪から覗く一重の不穏な目つきは、いつもよりも凶悪だ。
「眠そうだな」
 中里がそう声をかけると、緩慢に歩いてきた慎吾は、あくびを噛み殺した。
「眠いんだよ。朝まで海行ってた」
「海? こんな時期にか」
 冬将軍到来のカウントダウンも終了した、重ね着をしてもむき出しの顔に冷気がぶち当たり感覚の薄れるこの季節に、夜通し海に行くのは苦行のように思える。
「職場の奴が失恋したんでお慰め会。店長が企画したからブッチもできねえ。あの人変なとこでバイタリティありすぎんだよな」
 いや、こういうのってバイタリティじゃねえのか?、一人で慎吾は首を傾げる。いつもよりも、自己完結が早い。
「で、海か」
「夜に出て夜に着いて、朝まで寒い海辺で酒飲みながら吠えまくってたぜ、人生の敗者どもがな。カッカッカ」
 お前もその敗者の中にいたんじゃねえのかよ、と思ったが、いつもよりも自己完結の早い、睡眠不足中の慎吾に反論すると、怒涛のごとき言葉をぶつけられると学習しているので、中里はそれは流した。
「寒かっただろ。風邪引かなかったか」
「まあ俺は大体車ン中にいたからな。失恋したからってクソ寒いのに酔っ払った挙句に裸で海飛び込むほど、クレイジーにはなれねえよ」
 変わらず緩慢に、見慣れたシニカルな笑みを浮かべ、片手を挙げた慎吾が、通り過ぎる。走ってる途中で眠るなよ、言おうとしたが、しつこいと思われるのも癪なので、中里はそれも流した。しかし何か釈然とせず、手持無沙汰で首筋を掻くと、行きかけた慎吾が、突然振り向いた。
「そうだ、毅」
 言うと同時に、パーカのポケットに突っ込んでいた手で、何かを投げてきた。小さく白い物体を、中里は慌てて両掌で受けた。顔を近づけ、指先程度の大きさの、扇状の扁平なそれを眺めてから、慎吾を見る。眠そうな顔をしているというのに、機嫌は良さそうだ。
「何だこりゃ」
「貝」
「貝」
 それは、貝だろう。何の貝かは分からないが、貝だ。白くて小さい貝殻だ。見直してから、中里はまた慎吾を見た。眠そうに笑っている。
「どうしたんだ」
「拾いモン。お前にやったら微妙で丁度良いと思ってな」
「微妙ってな」
「貰っても嬉しくねえ、けど捨てるほどでもねえってライン、完璧だろ」
 自慢げに言い、ははっ、と慎吾は大きく笑った。眠気が過ぎて、理性が飛びかけているのかもしれないが、会話ができるならば、思考はまともなはずだ。
「嫌がらせかよ」
「じゃねえと、俺がお前にモノなんてやらねえよ」
 軽く睨むように見てやっても、嬉しそうに笑ったまま、捨てるなよ、と言い残し、慎吾は行った。中里は、両手の上に居心地悪そうにちんまりと座っている貝殻を、再度見た。白い貝。何の変哲もない貝殻。海に行けば、砂浜や岩辺を探せば、どこにでもあるだろう。踏めば割れる、その程度の大きさ、耐久性。
 貰っても嬉しくはない、しかし捨てるほどでもない。
 それは、合ってはいない。だが、訂正するほどでもない。
 貝殻を左の掌にそっと載せてから、右手の人差し指と親指でつまみ上げ、中里はそれをジャケットの胸ポケットに、丁寧に入れた。
(終)


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