失敗!



 小林旭の歌声をBGMに愛車のセドリックで夜更けの妙義山へやって来た花岡は、駐車場にたむろしている馴染みの走り屋野郎の集団内に中里の姿を発見し、おお、と浮つきがちな顔を一層能天気なものにすると、ジーンズのポケットに両手を引っ掛け小走りで駆け出した。むさ苦しい集団に近寄れば、花岡に気付いた一名二名のナイトキッズメンバーが「おう」と手を上げる。花岡はチィーッスと上げ返した右手を、声に反応して振り向いてきた中里の肩に、小走りの勢いそのまま叩きつけるように巻き付けた。
「ぐおっ」
「おーひさしぶりです、毅さん」
 衝撃に前のめりになりかけた中里をしっかりと引き寄せつつ、横から顔を覗き込んで笑いかける。中里は面食らったように顎を引きつつも、お、おう、と生真面目に頷く。恒例の挨拶だった。
「何真澄ちゃん、ざっと三ヶ月ぶりじゃね?」
 そこで他のメンバーが声をかけてきて、そーだなあ、と花岡はそちらに顔を向けた。中里の肩は抱いたままだ。肩を越して首にまで腕が回っているが、峠で会う度にやっていることなので花岡は気にしない。ため息を吐いた中里がちょいと視線を奥へと飛ばすと同時に顔を強張らせたのも気にしない。そもそも見ていない。
「いっやマッジで仕事忙しくてさー、地球滅亡しねえかなーってキホン毎日考えてたわ、はっはっは」
「笑って言うことか……?」
「まあマジ顔で言われても空気微妙だけどな」
「あー、俺も一週間家帰れなかった時は考えたぜそれ。核戦争始まんねえかなって」
「リアルに考えてんじゃねえよ」
「ロマンが足りねえよな。せめて謎の巨大隕石の落下に賭けるとかなあ」
 いや何がせめてか分かんね、などとメンバーが転がしていく話を聞きながら、まあ核と隕石は考えるよな、あとエイリアンとか、と花岡が頷いていると、
「……は、花岡」
 か細い呼び声が近くから聞こえた。ん?、と花岡は辺りを一通り見渡したのちに、すぐ横からの声であったことに気が付いた。低く掠れた声。中里の声だ。
「毅さん? 何すか?」
 再び顔を覗き込む形で尋ねてみる。中里は俯き加減で、しかめ面になっている。つまり何か小難しいことを考えていそうで、また不愉快そうな顔なのだが、同時に何となく、頬が赤らんでいるようにも見えるから、ん?、と花岡は怪訝に思う。何か、おかしい。
「……は」
「は?」
 中里は何かを言おうとしているようだが、やはり小声なので他のメンバーの声もする中では聞き取りにくく、花岡はその口元に耳を寄せるように顔を動かす。眉間に縦皺を作った中里が、どこか後ろめたそうに花岡を見てくる。しかめ面に厳しい視線。その二つが揃っている中里から見られれば、睨まれているように感じて然るべきなのだが、いかんせん今の中里には力強さが欠けている。迫力がない。いや、別の迫力はある。何せ、今まで見たことがないというくらい、恥ずかしそうな中里なのだ。衆人環視のもとで全裸御開帳を強制されたというくらい、恥ずかしそうなのだ。
 花岡にはそこまで中里を恥ずかしがらせるようなことをしているという意識はない。この程度の接触はナイトキッズ定番殴り合いに発展してもお咎めなしのスキンシップでしかないし、大体三ヶ月前までよくやっていたことである。その三ヶ月の間に中里が同チーム内の某メンバーと男同士で若干ややこしい関係に移行した上に様々な自覚を促されている途上にあるとも知らない花岡からすれば、なぜ今中里がこんなにも恥ずかしそうなことになっているのか分からない。不可思議この上ない事態だ。だからとりあえずそのまま中里を窺ってみる。先ほどから口をぱくぱく開け閉めしているから、何かを言おうとしていることは確かだろうと思う。花岡は待つ。待っている間に周りのメンバーもその中里のおかしな様子に気付いたのか、口数が減って声も途絶えた。そんな頃、ようやく中里が、声を出した。
「……放して、くれ」
 これにもまた、通常とは別の迫力があった。そして衝撃があった。その場に居合わせた誰もが唖然とした。それは一部のメンバーからあの人のポジティブさっていうかそんなポジティブでもないのに何か暑苦しいのって何なんだろうなと不思議がられているほど日頃自然な自信をまとった言動を取っている中里が発したとは思えない、非常に弱々しい頼みの声だったのだ。何だこれは、とほとんどの人間が思った。約一名だけが、何やってんだこいつ、と思った。
「……あ、はい」
 驚天動地の事態ではからかう気も芽生えずに、花岡は言われた通りに中里の肩から腕を外して少し離れた。中里は居住まいを正して咳払いをする。その目をあちこち飛ばしてから、再び花岡を見てきた時には、その顔には強張った作り笑いが浮かんでいた。
「……じゃあ、ゆっくりな」
 はあ、と花岡が斜めに頷くやいなや、中里は踵を返して歩き始めた。足早に、逃げるように32に向かうその後ろ姿を居合わせたメンバー一同眺めながら、
「……今のって」
「何か、目覚めてたよな……」
「何かって何だよ」
「俺への愛っすかね?」
「ねえよ」
「とりあえず速報打っとくかー」
 などと好き勝手にネタにするのを、約一名だけは何か危ない顔で見ていたとかいう話である。
(終)


トップへ