ノイズ



 妙義山の走り屋を自称し徒党を組んでいる者の大概は、明日事故に遭うなり病に倒れるなり冠婚葬祭に絨毯爆撃されるなりすれば、その後の飯の確保に難儀するほどの危機的状況に陥ること間違いなしの、季節と同じく懐寒い惨状である。だが中には途轍もなく上手にやり繰りしている人間もいるもので、妙義ナイトキッズのメンバーで行われる飲み会では、そういう資金的優位者によっていつの間にやら作られた『ナイトキッズ酒基金』に頼ることも頻繁だった。
 チーム内で車にかかる費用が私的負担に分類されるにも関わらず、酒に関わる費用は公的負担と位置づけられるのはどういうことなのかと、慎吾もナイトキッズの体制に疑問を持たないでもないが、タカれるものにタカっておかないのも世渡り上手の名が泣くわけであるからして、今日も今日とてメンバー同士の飲み会に参加している。タダより高いものはない理論もあるとはいえ、これはチームという内輪の公のための機構なので、特定の誰かに借りを作っているわけではないのが良い。今日の拠出責任者は丹波だが、丹波の場合は中里に対する個人的親愛がゆえのお恵みだから、それも問題はない。
 しかしながら、どういうことかと思わないこともない。こちらに金銭的な被害が出そうな問題はまったくないのだが、それ以外で、どういうことかと思うところはある。だから今回、慎吾は中里に声をかけられてこの飲み会に参加した。
「そうだ、男だったらトップを目指さなきゃならねえんだよ! そうだろ?」
「そうっすよ毅さん、二番とか三番じゃあ意味ないんすよ、男がトップ目指さないで、何が男なんだって話ですよ!」
 慎吾の目の前にいる中里と丹波は、視野の狭い話を延々と続けている。それだけなら害はない。今回の飲み会にも、村沢と熊田以外に参加してくる奴もいただろう。メンバーほとんどが揃いも揃って赤貧野郎だから、タダ飯タダ酒に目がくらまないわけがないし、飲み放題で途中退席など本来ならばあり得ない。それでも五人の参加に留まった上、それすら約一名逃亡者が出て四人となっているのは、中里と丹波の二人の、声が原因だった。
「ハッハッハ!」
「アッハッハ!」
 大きいのだ。
 とにかくこの二人、酔うと声が大きくなる。元が小さいわけではないにせよ、尋常ではないでかさになる。どんちゃん騒ぎの中でもよく通る。よく響く。酔っ払いメンバー同士の無礼講会話で、てめえうるせえぞいい加減にしろ怪物一筆書き眉毛、と指摘されることもあるクラスのビッグボイスである。大出血中のパチンコ屋どころか大賑わいのレース会場でも苦もなく通じることだろう。なぜそんな代物を周囲への影響を考えず出せるのか、演劇舞台上に飛び交ってそうな声で笑えるのか、慎吾には理解の及ばない事象だった。こいつらバカか。バカだな。しみじみと思いながら、鳥の軟骨を食べてウーロン茶を飲む。さすが、大衆向けではあるがそれなりの金を取る店だけはある。バカどものバカな会話が強烈なBGMとなっていても、まだ耐えられる味だ。だが、それとは別の限界が人それぞれに存在するようで、
「慎吾、俺もうそろそろ帰っわ、アイカ待っとっし」
 隣で大量の唐揚げを消化しながら時折中里丹波最大声量二人組の会話にも混じっていた、鼓膜も胃も肝も体格通り太いらしい熊田が、普通のトーンで話しかけてきた。アイカというのは熊田の彼女で、熊田の体重が100kg切ったら別れると宣言している本人は痩せぎすのふくよか好きだ。彼女の機嫌を損ねたら、熊田の家族幸せ計画がお先真っ暗になりかねないだろう。それは慎吾としてはほぼどうでもいいのだが、愚痴を聞かねばならなくなる事態は非常に邪魔くさい。実家寄生の地方大学生は暇が多くて忙しいのだ。
 ああ、と慎吾は熊田に頷いて、イチローがどうのこうのと話し出した目の前の車バカ二人組を、おい、と三回呼んだ。二回では通じなかった。
「クマ帰るってよ、お前らどうする」
 一応聞くと、向いてきた二人のうち、中里がすぐに尋ねてきた。
「お前はどうすんだ?」
 相変わらず声がでかい。騒音公害並だ。だが、話が通じるだけマシかもしれない。正体不明になっては意思を知るのも難しい。
「別に、どうでもいいけど。もうオーダーストップだろ」
 どうでもいいとしつつも、帰る気持ちに八割針が向いているのを匂わせる。残っていても時間的支障はないが、大声のバカの話を聞いているのは鼓膜的支障がある。
 中里は少し考えてから、そうだなと浅く頷いて、丹波にもお前どうすると聞き、丹波は快活な大声で、じゃ帰りますか、とあっさり答えた。

 EG6の中では熊田と丹波が細々と彼女の機嫌の直し方を語らっている。中里はそれには口を挟まずに、ひたすら目をつむっていた。女性を云々できるほどの経験の持ち主ではないにせよ、それを勘付かれたくないからしたり顔でモノを言うタイプの奴がだんまりというのは、単に睡魔にやられているだけが十中八九、どころか九割九分九厘、むしろ百発百中の状態だ。
 先に熊田をデブ専の彼女の待つ家に送り届けると、睡眠中と思わしき中里をおもんぱかってかさすがの丹波も大人しくなった。だが、
「ありがとよー、慎吾ォ、じゃあなー!」
 後部座席から降りた途端、明らかに近所迷惑かつ場違いな挨拶を炸裂させ、丹波は高層マンションへと去っていった。声は最後までやかましかったが、きっちり一礼したあたりは評価してやってもいいだろう。中には人への感謝一切を忘れている奴もいる。そういう奴には然るべき返報をしてやるからそれはそれでいいとして、熊田と丹波は処理したし、残る酔っ払いは中里だけである。
「毅、お前んチ行くぞ」
「…………んが…………」
 助手席に座っている中里に声をかけるも、その返事は了承なのか相槌なのか寝言なのか判然としないものだった。しかしまあ、百発百中寝言だろう。
 慎吾はそれ以上何も聞かず、煙草を吸いながらEG6を中里宅に向けた。こういうことは何度もあった。もうルーチンのようなものだった。

 『ナイトキッズ酒基金』なるものを作る慈悲と自尊の心に溢れたバカがいるようなチームだから、酒を飲んだ後の移動手段がなくとも、連絡すれば足になる奴くらいナンパ目当てのドライバー並にはいる。困ることはない。だが今日は、誰に連絡する必要もなかった。慎吾がアルコールを入れていなかったからだ。
 酒は好きで、車の運転はそれより好きで、だがむさ苦しい酔っ払い野郎衆を運搬するのが好きというわけではない。よほどの緊急事態か貸しを作れるか借りが消えるか以外では、飲み会の送迎役など断じて却下だ。だから大抵は酒を飲む。元を取れるほどに飲む。それなのに、どうして今日慎吾がアルコールを遮断して送迎役を担ったのかと言えば、今助手席で寝こけている男が参加すると知ったからだった。しかも、丹波とだ。丹波。あれは一見茶髪のチャラい夜人種で出所不明の大金持ちだが、一皮剥けば鬱陶しさの強い熱血系で、中里と気の合う男だった。そしてあれは、中里を慕っている男だった。要はそういう男と中里が一緒に酒を飲むということを知って、放ってはおけなかったということだ。その大元の理由を慎吾は考えないようにしている。諸々考えてみたところで、もし再び同じ状況が発生した場合、自分の取る行動が同じであるとは知れていたからだ。それもまた、ルーチンのようなものだった。
 熊田と丹波の消えたEG6の車内は広く、静かだった。ようやく落ち着いた。隣に中里が酒臭い息を吐きながら座っていても気にならない。いや、正確に言えば気にはなる。イヤミにならない程良い清潔を保っている車中を汚す脂臭さやアルコール臭も気にはなるが、それよりも今どうしているのか、中里がどんな顔で寝ているのか、いや本当に寝ているのか寝そうになっているだけなのか、起きているならこちらのことをどう感じているのか。飲み会の帰りで二人きりの車内、ルーチンのようなもの、そこに何かのノイズは混じっていないのか。自分が感じるようなノイズ、完全なループ処理にヒビを入れていく、ようなものを、感じてはいないのか、感じたことは、ないのか。そんな風に気になるのだが、そもそもは、そういう風に気にしたかったのだから、気になることは気にならない。むしろ気にすることができる状況に、満足感さえ抱いている。無意味にニヤニヤしそうになってくる。
 だが中里の住む安アパートの駐車場に着き、呑気に寝こけている中里の赤ら顔をじっくり眺めてみると、次第に癪な気分になってきた。何やってんだ俺。っつーか、何浮かれてんだ。バカか。いや俺はバカじゃねえよ。便利屋やったけど。俺じゃねえだろ、そこは、毅だろ。
 思いながら中里を見続ける。見事に間抜けに寝こけている。うっわ。頭叩いてやりてえ。スパーンっていきてえ。音の割に痛くないってんじゃなくて音以上に痛いやつぶちかましてえ、起きてもしばらくジンジンしてるやつ食らわせてえ、寝るまで忘れられないくらいの派手なやつ。
 そんな衝動が芽生えて丁度、煙草が未練を残さないほど短くなったので、それを消してシートベルトを外してから、慎吾は平手を一発寝ている中里の頭に派手にお見舞いしてやった。
(終)


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