とりあえず、の続きの話



 ロケーションは俺の部屋、向かい合って座った体勢で、俺は毅に手を握られてる。右手を両手でがっちりと。何だこりゃ。
 いや、分かってんだよ。これが何かってことくらい、俺も分かっちゃいるんだが。分かってるから余計に思っちまうのか。何だこりゃ。何でこうなる。おい毅。これは何か、おかしいだろ。
 そう思っても、目ェ閉じながら俺の手を握ってきてる毅の奴にされるがまま、俺はツッコミ一つもお見舞いしてやれてねえ。俺という偉大な存在への感謝の念の奉納ならもっと丁寧にやってみろとかいくらお前が普段オーラがどうたら言ってるからってうさんくせえスピリチュアルな儀式に付き合わされんのは御免なんだよとか、場を和ます真実百パー無添加ジョークってもんを、いつもみたいにご披露差し上げられていない。何でか、って。言えば、そりゃあこいつが、ちょっと。っつーか、かなり。幸せそう、な顔、してやがるからで。
 まあ、何がしてえかって質問に、触りてえって回答してきたのはこいつだし。念願成就で幸せにもなる、のかもしれねえけどよ。手ェ握ってるだけだぜこれ。マジで。繋ぐとかじゃない。一方的に、握ってきてる。それでそんなほっこりした顔になるってのは、Rのこととか走りのこととか好き勝手に語ってる時みてえな、それよかニヤつき全然少ねえ、だから嬉しそうってより、滅茶苦茶自然に幸せそうな、それって俺のこと、好きすぎるだろお前。ってそういう話じゃねえんだよ。いやそういう話でもあるんだが。だからこんな今まで見たこともない、安心安全幸福満腹なツラをこいつにされると、俺もいつも通りにしてるのが、多少難しくなるって話なわけで。
 最初にパニくったのが、尾を引いちまってんのか。でもしょうがねえだろ。しょうがない。俺だっていきなり目の前にシュワちゃん現れたら、多少パニックも起こすっつーの。いやシュワちゃん出てきたわけじゃねえけどよ。アーノルドシュワルツネッガー。コマンドーの。ターミネーターか。いやだからハリウッドの筋肉俳優は関係ねえけど、それがいきなり目の前出てきた場合と同じくらい、予想外でありえねえことだったんだよ。こいつが俺に告白してくるとか。好きだって。ありえねえ。野郎同士で同じチームの走り屋同士ってだけの俺らの間で、完璧ねえだろそんなこと。普通は。パニくるだろ。最初だけでも。
 けどまあ、こいつが俺に告白してきたことは、間違いない。事実だ。わざわざ約束取りつけて、俺の部屋までやって来て、俺の前に正座して、毅は俺を、俺のことを好きだと言ってきやがった。最初パニくってかわす方向持ってこうとした俺にもめげず、聞いてて鳥肌立ってくるようなことまで真剣に、こいつが語ってきやがったのは、さっきの話だ。つまりそれはもう、終わった話だ。事実として成立した話だ。一生抹消できない話だ。俺が、させてやらないことに、決めた話だ。ならそれを踏まえてどうするかって、建設的な方向であれこれ進めていくべきだろうよ。
 なのに、どうしてこうなるかね。常識的に考えて、好きな相手に何でもしてやるって言われたら、何でもとまでは俺も言ってねえけどまあ似たようなこと言われたらだ、手ェ握る以外、他にやることあるじゃねえか。俺がそこまで受け入れるかは別として。人をオカズにしてるからには、もっと何かがあって当然なんじゃねえの? いやされてえわけじゃねえけど俺。それでもこう、何か、おかしいだろこのシチュエーションは。色々と。
 なんてツッコめねえままぐるぐる考えてるうちに、急に目を開いた毅の奴が、ぱっと手を放してくる。空気が冷たい。いや、こいつの手が熱かったのか。元から体温高いよな多分。平熱何度だ。いやそんなことより、もういいのか、思ってると毅は両手を正座しっぱなしの膝の上に揃えて乗せて、俺を見た。一仕事終えたみてえな満足そうな顔をして、その程度で俺が顎引いちまいそうになったのは、多分こいつに無駄な目力があるせいだ。モノクロ化した日の丸に、黒枠ついたような目だぜ。縁起悪ィし加減がねえ。こいつの妙に濃い顔ン中で一番インパクトのあるそういう目に、いきなりまっすぐ見られりゃあ、一瞬額にパチンコ玉弾かれた感じになるのも無理ねえだろ。一瞬だけど。
「もういいのか」
 まあ一瞬でも、不意打ち食らったみてえになったのがバレるのは癪だから先制して、解放された右手を上げつつ、ついさっき思ったことを聞いてみる。毅は意外そうにノリ眉上げると、何か考えるような間あけた後、いつも通りの真面目くさった顔になって、ああ、と頷いた。
「ありがとよ、慎吾」
 睨まれんのは、慣れてんだけど。そういう素で、リキ入ってやがる目にも。ただそれなりに近い距離からずーっと見られてその上礼まで言われるのには、全然慣れてねえっつーか、いくら臨機応変さに優れてるこの俺でも咄嗟に皮肉返せねえような珍奇な状況っつーか、だからとりあえず顔だけで、何言ってんだかこのバカは、ってニュアンス表現するしかねえっつーか。それも得意だからいいんだが、そんな渾身の皮肉をこめた俺の顔見た毅の奴に、納得したようなため息つかれんのも慣れてねえっつーか、だから何なんだこのシチュエーションは。どうなってんだコラ。って内心ツッコんでたら、
「よし、じゃあな」
 思いきった風に言った毅がいきなりスクッと立ち上がって、Uターンして歩き出した。玄関に。はァ?
「おい」
 俺はつい、呼び止めた。ついだ。咄嗟だ。計算ゼロだ。毅はキッチンの途中で振り向いてくると、不審そうに、何だ、と言う。何だって。何だよ俺。何もねえよ。こいつの用事はもう済んで、俺の用事は何もない。毅は俺に告白して、俺の手握って満足したし、俺が毅にやることなんて何もない。毅をここに引き止める理由は何もない。そうだ。そういう理屈は分かってる。あとは速やかにお帰り願えばいいだけだってことも分かってる、けど何か、腑に落ちねえ。
「朝井が撮ってる『インタビュー』」
 で、言っていた。やっぱ咄嗟に。毅は何言われたか、分かってなさそうな顔をする。
「あ?」
「お前、見たことねえだろ。ついでに見てくか、うちにあるから」
 前から考えてたことを、たった今思い出したみてえな、咄嗟でこれ出せる俺もすげえんじゃねえの。明らかに場違いだけど。まあこいつがその辺の細かい違いに気付かねえ鈍感野郎なのは、不幸中の幸い、なんだか何なんだか。
「いいのか」
 半身にしてた体を完全にこっちに向けて、興味津々で寄ってくる毅に、許可取るつもりあんのかてめえは、内心だけでツッコみながら、別に、と俺は返した。興味ないテイで。

 OB含めたメンバーの身の上話をわざわざ峠だ自宅だ勤務先だとロケ地を変えて聞き集めた、それが朝井の撮ってる『インタビュー』だ。正式名称は『ナイトキッズ歴史遺産』。アホらしくて呼ぶ気もしねえそんなもん、俺は興味もないんだが、一回朝井に編集について意見聞かれて晩飯と引き換えに答えてやったら、毎回チェック頼まれるようになっちまった。まあ別にボランティアの作業じゃねえし、馬鹿が馬鹿言ってるだけの素材が加工次第でそれなりのドキュメンタリーになる過程見るのも、つまらないってほどじゃない。だから朝井の『インタビュー』の(仮)状態のデータが、うちにはある。あるっつーか残してる。何か利用できるかもしれねえし。脅迫ネタとかでな。
 で、今回利用する機会が訪れました、っつってもこんな形は想定外で、毅がこんなに食いつくのも想定外だった。OBの日野って元陸自が芝生で腕立てしてるその『インタビュー』の一部分を、毅はテレビにかじりつくように見てやがる。意味分かんねえ。いくらそいつがチーム入りたての頃に優しくしてくれたOBで懐かしいからって、半裸の男の腕立てビデオ、そこまで熱心に鑑賞する必要あんのかよ。何なんだ。お前はホモか。
 いや、待てよ。真面目なくせにどっか間抜けな毅の横顔見ながら、自分で思ったことに引っかかる。あれか。こいつって、ホモなのか? 俺のことは好きなんだよな。俺で抜けるっつってたし。でも触りてえって言ってきた結果があの両手握り締めオチだったわけで。一応俺が告白を受け入れてやったってのに、部屋で二人きりのこのシチュエーションで、一つも手ェ出してきやしねえし。いや俺も出されてえわけじゃねえけど。けどこういう時にはキスの一つも仕掛けてくるのが、妥当な男ってもんじゃねえか。いやされたくねえけど。こいつにキスなんて。ならいいじゃねえか。そうだよ。いいんだよ。何もないのが正常だ。オール・グリーン。
 いや待てよ。そういう話じゃねえだろ、吸ってる煙草の灰を一旦始末して、こっちに見向きもしねえ毅を見たまま考える。っつーか。何こいつ。好きな相手がこんなに近くで視線送ってるってのに、他の野郎が半裸でストレッチしてるビデオに釘づけって、どういうことだ。ブラフか。いやそんな器用な真似できる奴じゃねえよな。なら何だ。俺のことは眼中にもねえってか?
 いやだから、待てよ俺。冷静になれ。ヤニ補給して少し落ち着け。いや落ち着いてるだろ。落ち着いてねえのか。そうだ。落ち着いてねえよ。ついさっき告白してきたこいつの気持ち、疑っちまうくらい落ち着いてねえんだよ。イラついてる。ムカついてる。煙草吸っても気が晴れねえ。のは、ついさっき告白してきやがったこいつが、俺の知らねえ半裸OB野郎のビデオを、ガッツリ集中して見てやがるからだ。俺を無視して。この俺を。こいつが好きなはずのこの俺を。
 っつーか。俺が、こいつを、好きなのか。
「あ?」
 自分で思ったことに、自分で声を出していた。何だ?
「あ?」
 俺の声が聞こえたらしい、毅がこっちを見て、不審そうな顔をする。俺は咄嗟にそれから目を逸らして、半裸が筋トレについて語り始めたビデオを見る。目には入る。頭には入ってこねえ、そりゃ俺の頭が回転に忙しいからで、あーそうかそういうことか考えたこともなかったってのは俺が自分についた嘘で俺は元からこいつのことが。
「ざけんじゃねえよ」
 声に出してる。ざけんじゃねえ。何だそりゃ。だからわざわざこいつを引き止めてこんなつまんねえビデオを一緒に見てるってか。そのビデオに出てる奴ばっかを毅が見るからムカついてるってか。嫉妬か。何だ。ふざけるなよ。その通りだろ。俺がこいつに見られてたいんだろ、なのに意識されてねえからこんなにイライラしてんだろ。それがまんま当たってるから動揺してんだろ、煙草持ってる手が痺れて震えそうになるくらい。
「まあ、この人は真面目にしててもふざけてるような人だからな」
 横から毅がしたり顔で言ってくる。見なくても分かる、自分だけ分かってる話を無意識に自慢してるツラしてやがるに違いねえ。声だけでそれ分かるくらい、俺はこいつを注意して見てきてたわけで、それは俺が、最初からこいつに惹かれていたからなわけで。
 ってらしくもねえこと北の国から調で考えたら、顔熱くなるレベルで恥ずかしくなってきたんで慌てて立ち上がる。酒だ酒。飲まなきゃやってられっかこんなふざけたシチュエーション。キッチン行って冷蔵庫開いてビール350缶出してその場で二口飲んで、血管広げるアルコールの効力噛み締めてから、コンビニで買ったポテサラと箸も持ってリビングに戻ると、テレビの中で半裸はまだ上腕二頭筋がどうのこうの流暢に喋ってやがった。この脳筋め。てめえの分のインタビュー筋トレ紹介オンリーにしてやるぞコラ、画面睨みながら元の位置に座って缶ビールに口つけたら、何か横から視線を感じて、見なきゃいいのに見ちまった。物欲しそうにこっち窺う毅の顔を。その意味勘違いしそうになる自分と現金なこいつに脳内でハイキックぶちかまして、缶投げつけそうになるのをセーブする。酒か。俺より酒につられるか、お前は。物欲丸出しのてめえに分ける酒なんかがうちにあると思うのか。人の気も知らずによ。ってのも俺が意識丸出しじゃねえか、クソったれ。
「飲むか?」
 とりあえず心を広く持って聞いてやると、毅はパアッて効果音つきそうな勢いで目ェ輝かせて、けどすぐに、残念そうに顔を歪めた。
「いや、車だしよ」
 確かにこいつは車で来てる。車に乗るなら酒は飲めない。飲んだら乗るな、乗るなら飲むな。キチった走り屋やってるくせに、そういうところはカタくてウザい。乗るなら絶対飲まねえだろう。乗るなら、だ。飲んでも乗らずに済む状況なら、話は別になる。
「泊まってきゃいいだろ」
 言った直後に、顎の下あたりから顔まで、血がざっと駆け巡った。過剰反応。泊まるくらい何だってんだ、前にも何回かあったことじゃねえか。まだろくに酔ってもねえのに顔の血行良くなってんじゃねえよ。っつーかこいつにそこまでして飲ませたがってんじゃねえよ俺、そこまで一緒にいたがってんじゃねえよ。自分のイカれ具合に頭抱えたくなりつつもリアクション取らねえように耐えてると、
「なら、先に風呂借りてもいいか?」
 立ち上がりながら、毅が聞いてきた。何、ですって?
「いや、ビール飲むなら、汗流してからの方がいいしよ」
 予想外の展開で、リアクションを取る取らないって話以前、ノーリアクションしかできなくなった俺に、毅は当然顔して説明してくるんだが、こいつ俺の許可取る前から既に入る気満々で動いてやがる。蹴るか。マジ蹴るか。けど現実飲み込んでるうちに、そこまでツッコむ気力も失せちまって、俺は蹴りは飛ばさずに、ああと間抜けな返事だけ小さく飛ばした。

 で、酒飲む気まで失せてきて、テーブル乗せた頭を抱えてる。一人で。半裸筋肉マニアがルノー褒め称えてるしゃがれ声と、分かりづらく聞こえてくるシャワーの水音BGMにしながら。何だこりゃ。思うがもう、理解したくもねえ。
「あー、ムカつく……」
 呻いちまう。内臓ささくれてる感じだ。ムカつく。ムカつくムカつくムカつく。何がムカつくって、あいつにそんな気全然ねえって分かってんのに、ちらっとでも誘ってんのかって思っちまう自分に一番腹が立つ。ねえよ。ねえんだよ。態度見てりゃあ分かるんだよ、あいつが何も考えてねえことくらい。好きな相手の部屋に泊まるってのに、ゆっくり酒飲みてえから普通に風呂に入ってる、っつーかシャワー浴びてることくらい。そういう無神経な行動取りやがる自己中だって、分かってんのに。
「クッソ……」
 あームカつく。マジムカつく。あいつは俺に気持ち伝えちまえば、それでスッキリできて良かったんだろうけどよ。こっちの気持ちもちったあ考えろっての。だから嫌いなんだよ、初めて会った時から偉そうで、こっちからかかっていかなきゃ気にも留めねえって態度しといていつの間にか身内認定済ませてやがって、大目に見てやってるって雰囲気出しときながら細けえとこでケチつけてきてそれも空気読まねえだけの正論で、柄悪ィくせに無駄にカタくてウザくて顔濃くて自分勝手に優しくて、熱くて素直で単純で根性あってクソ意地強い、そういうところが。好きなのか。そういう結論か。おい。ふざけすぎだっての。声にする気も起きねえけどよ。当たりすぎててアホらしくて。
 だからって、どうしようって考えにもならねえんだが。おんなじところメリーゴーランドみたいに回るだけだ。やっぱ俺誘われてんの? あいつやる気満々? んなわけねえだろ馬鹿野郎、ってオーバルコースのエンドレスドライブだ。あームカつく。っつーか。正直、
「キツ……」
 呟いて、途端に自分のなっさけなさに吐き気がしてきて顔上げて、口まで上がりかけた反吐を温くなったビールで胃にリターンさせて、ついでに脳筋まとめに入ってるビデオも消す。くだらねえ。何大人しくこんなトンチンカンなシチュエーション受け入れて、色恋沙汰の典型パターン乗っかった堂々巡りに浸ってんだ、そうじゃねえだろ、庄司慎吾。つまんねえ考えなんざ崖下落として燃やしちまえ。お前はいつだって、自力で勝ち方見つけてきただろ。欲しいもん、手に入れようとしてきただろ。そうだ。それが俺じゃねえか。らしくねえことしてんじゃねえ。もっと具体的に確実に、急所狙って攻めてけよ、本気で欲しい奴そうやって、手に入れようとしてみろよ。
 なんて青臭えこと危ない感じで自分に言い聞かせられるくらい、俺は思考に集中してたんだろう、
「慎吾」
 毅が風呂から上がってきたのに気付かずに、いきなり名前呼ばれて思わずビクッとしちまった。うわ最悪。けど反応しちまったもんは仕方ない、下手な間置いても流れが悪くなるだけだ。俺はできるだけ自然な形に見えるように、呼んできた毅を見た。で、固まった。自然に、まともに、見たからだ。
「使ってない下着あるか?」
 そう聞いてきた、腰にタオル巻いただけの格好で、堂々と立ってる毅を。

 俺がまだ自損の影響で右腕吊ってたある日の晩、こいつは突然うち来て俺の様子を一通り見て、泊まってくと相変わらずな自己中宣言をしてくださった。で、勝手に晩飯作って風呂入ろうとして、その時も、同じことを聞いてきたわけだ。使ってない下着はあるか。てめえの進んで下着二度履きしたがらねえ性癖なんて知るかボケ、って言い返してやっても良かったんだが、俺もこいつに世話されて少しだけ弱気になってたから、買って返すこと約束させてから未開封の下着をくれてやった。タダではやんねえよ。当然だろ。それから毅がうちに泊まる度、こいつの買って返してきた下着を渡してまた買って返される、ってサイクルができた、んだが。
 でも今日は、俺もこいつもその用意を忘れてた。俺はこいつが泊まるって話からの風呂行きが急展開すぎて着替えのことなんて頭から吹き飛んでたし、こいつの場合は単にビールしか頭になかったんだろ。現金野郎め。それで、つまり、だ。何が話のキモかっつーと。俺が風呂上がりでタオル一丁の毅を見るのは、今日が初めてだったってことだ。で、固まったんだよ。
 別に、ビビるようなもんじゃねえ。客観的に目を見張るようなデキでもなけりゃ、惚れ惚れするような品でもない。腕と足はそれなりに筋肉あっても腹回りは鍛えられてる感じじゃないし、日焼けしてない部分になるほど毛が目立つ。っつーか全体的に毛が目立つ。濃い。胸毛まで生えてやがる。お世辞にも綺麗だなんて言えやしねえ、男の体ってこと差っ引いても、よろしくはない外見だ。これに比べりゃビデオに出てた脳筋OBの半裸の方が、整えられてはいるだろう。
 そんな風には全然整えられてねえ、肌ツヤ良くなってても見苦しいとこある毅の体を初めてまともに見て俺は、だから、固まっちまったんだよ。かなりの衝撃受けたんだよ。全身に血液送るポンプが一瞬フリーズってからモーター全開で暴走し始めたくらいの、それは目の前現れた野郎の体がカッコイイだの綺麗だの美しいだのって問題じゃない、ただそれが、乾いてない前髪そのまま下りてていつもよりガキ臭い顔になってる毅の、そいつの体、だったからだと、そのどうしようもなく成人男性でございますって体の毅が、欲しいからだと、そう自覚しねえ方が無理があるくらいの、衝撃的事態だった、ってなわけで。
 しかも、俺はその三秒前まで自分に話しかけてたんだぜ。やるならやれと。俺らしいことをやり抜けと。酒のせいもあったのか、危ねえ感じで。それでそんな、お触り自由みてえなもんが出てきたら、そりゃまあ、やるだろ。即で立ち上がって目の前まで三歩で行って何も言わずに腕引っ掴んでUターンして、ベッドに放り投げて乗っかるだろ。股に。
「……な、何だ?」
 マウントポジションから見下ろすと、毅は目をあっちこっち忙しなく動かして、ガッチガチの半笑いの顔になって言ってきた。ここでこいつが脊髄反射で抵抗してくるか、何も分かってねえ時特有の不審満載のツラしてきたら、俺は強引に襲いかかってたかもしれない。ブチギレて。けど今のこいつは、何かあるって勘づいてる時に何もないと思わせようとして大失敗かましてる、動揺満載の半笑いのツラしてて、それ見たら何つーか。余裕が出た。そういう顔するってことは、こいつが俺を意識してる以外にねえんだし。男として。まあこいつも男なんだけど、んな卵が先か鶏が先か論争なんざどうでもいい。俺が先だ。
「何だと思う」
 俺は毅の頭の横に両手をついて、少し顔を近づける。それだけで、俺の体は正直に興奮してくださるんだが、唸りまくってる心臓の音なんてこいつに聞こえるはずもねえから、軽く覆い被さる体勢キープする。結局、こいつにこっち手ェ出してくる気があんのかどうか、じゃねえんだよな。俺が、こいつに。手ェ出してえ、ってだけの話で。ホモか。そりゃ俺か。こいつ限定だろうけど、って方がいかにもか、んなこと思いつつ見下ろしてると、毅は俺の顔と腰タオルだけの自分の体、目ェうろうろさせつつ交互に三回ずつ見てから、犬が吠えるの失敗したような声で、ハッ、と笑った。
「お前、俺とお前で、そんな……」
 引きつりまくった半笑い顔からすると、いくら鈍いこいつでも、この状況がどういうことかはさすがに思い当たったらしい。いや。もしかしたら、風呂入りながらこうなるケース、ちょっとは考えてたんじゃねえか。でなけりゃこんなにツーカーにはならないだろ。って考えたら、ニヤついてた。素で。
「そんな?」
 この絶対的有利なポジションでアホ面さらすのは癪だけど、しかめ面演じんのも今更だし、思いっきりニヤつきがてら、もう少し顔近づける。毅は何か言いたそうに口パクパクさせてても、動揺しすぎて声の一つも出せなくなってやがる。顔はどんどん赤くなってくし、お前やっぱ、好きすぎるだろ。俺のこと。
 って改めて思っても、ただ自惚れてられりゃあ良かったんだが。こいつにそんだけ惚れられてる、ってとこまで意識したら、俺もそんだけこいつに惚れてるって認識しちまってたせいか、いきなり猛烈に、のたうち回りたくなるくらいに恥ずかしくなってきて、
「俺だって」
 俺はつい、言っていた。
「お前のことが、好きなんだ。よ」
 字余り。じゃねえよ。何だこの半端なく思いつきな告白は、そりゃ毅ですら真っ赤な半笑いで固まって、唖然とするだろうよ。クッソ恥ずかしい。居た堪れなさもマックスだ。ここまでドツボにハマるともう、こいつが反応できてねえうちに、八つ当たり気味にキスかますしかねえってな。まあ、するつもりでこの体勢取ってたし。好きって言ってやってんだから、ムード最悪ってこともねえだろ。唇合わせてんのに思いっきり目ェ見開いてんのはムードねえと思うけどよ。お前の話だぜ、毅。ガン見されてると続きしづれえんだよ。やるけど。
 唇の内側まで合わせるようにして、開きっぱなしのとこに舌を入れていく。毅はそこで今度は思いっきり目を閉じたが、口までは閉じなかった。こいつにしては空気読んでる。舌絡ませても逃げねえし、下手に角度変えようとしねえし。熱くもぬるくもない温度、柔らかさに滑らかさ、多少ざらつくのはお互い様か。けど、それが尚更、気持ちいいっつーか。キス自体がどうこうってより、こいつとキス、してるってことが。気持ちいいって、イカれ具合がぶっ飛んでっけど、それもどうでもよく思えてくる。ただこいつの、ぎこちねえけど悪くもねえ、経験持ってる動き方には、くだらねえ対抗心燃やされて、舌も唇も痺れるくらい、長くキスを続けていた。経験全部、俺で塗り変えるつもりで。それにはもっと時間が必要だし、途中からこっちの背中に回ってきた毅の手が、キツそうに服引っ掴んできたから、一旦インターバル置いてやる。
「……っ、はあ、はっ、げほっ……」
 口離して、俺の前髪が触らない程度の距離取ると、毅は深く呼吸しようとして、咳き込んだ。おいおい。
「息止めてたのかよ」
「ちげ、げっ、えよ、クソ……」
 低い咳混じりの声なんて、えづいてるみてえでムードも色気も何もねえ、はずなんだが、横向いた毅の顔はまだ真っ赤で、汗たらたらで、軽く苦しそうで、ぼんやりしてるのがエロいから、それもエロく聞こえてくる。いや、どっちが先だ。顔か声か。どっちもエロいのか。っつーかこいつがエロいよな、ネジ外れた結論出しつつ呼吸整えんのに苦労してる毅を見下ろしてたら、一応落ち着いたのか、急に睨んできやがった。
「……何で、こんな……」
 しゃがれ声で、不満げに。何で? 何でこんなことになってるかって? この期に及んで何言ってんだ、俺に惚れてるくせしてよ。って、疑いようもなくなったら、俺もいつも通りにできそうっつーか。都合いいけど。だからまあ、知りてえなら教えてやるよ。何でこんなことになってるか。
「俺がお前のマナー知らずの告白受け止めて、何でもしてやる何がしてえって太っ腹に聞いてやったのに、お前が俺に触りたいなんて分かりやすいこと言っといて何かの一本勝負かオカルトの儀式みてえに手ェ握ってくるだけで終わったり、我が家に泊まるにあたりまして家主の俺より先にシャワーを浴びに行かれたり、挙句に放送コードに挑戦するみてえなて腰タオル一枚の格好で出てこられたりと、そんなどこぞのおぼこな女子高生でもしねえような思わせぶりなことをおやりになりやがったからだ、分かったか」
 俺が心優しい紳士じゃなけりゃ、もっと荒っぽいことやってたぜ。ありがたく思え。感謝しろ。畳みかけると毅の奴は、目を細めて顔をしかめて、不審そうに俺を見上げた。あー、これ、あれだ。全部理解できてねえ顔だ。
「……おぼこって、な」
 予想的中、俺の舌を犠牲にしかけた懇切丁寧な説明聞いて、そこしか引っかかってねえ。俺も言いながら引っかかったけどよ。いつの時代だ。この際、今風に言い直すか。
「エッチどころかオナニーすらも知らねえ処女っつった方がいいか?」
 言い直してもアホくせえな。そんな女が今の世の中どんだけいるかってこともアホくせえ。でも毅は俺がそれ言った途端でギョッとして、羞恥心丸出しの様子にしてみせたから、アホくせえけどこれはこれで、悪くもねえや。俺はそれを肴に笑いながら、まあ、と斜めに毅を見下ろした。
「お前は違うか。少なくとも、俺で抜いてるんだからな」
 これで急所を突いた、つもりだった。具体的で確実な、あとは毅も俺のペースに落ちるしかないような攻め方だったのは違いねえ、ただ、計算に入れ忘れてたんだよな。こいつがいつでも変に律儀な奴だってことを。っつーか、こういう明らかに前戯混じりの会話の最中でも、はっと気付いたようにして、
「いや、お前で抜いてるわけじゃねえ」
 って訂正してくるくらい、変に律儀で空気読めねえ奴だってことをだ。
「……何だって?」
 俺もウッカリ、自分が作ろうとした良い感じの空気無視して律儀に聞き返しちまったよ。呆れすぎて。いや、と毅もまた律儀に言い返してくるから、そんな会話も成立しちまうわけで。
「だからだ、ありゃあ勝手に……」
「勝手に」
「……声が」
「声が」
「……さっきから、人の言うこと繰り返してんじゃねえよ」
「繰り返さねえとお前が続きを言わねえからだろ」
 指摘したら、むっと黙る。漫才してえのかてめえは。ご希望通りツッコミ代わりに頭突き一発かましてやろうか。って思わなくもねえとこだが、こいつが素でそういうボケ行動取ってるってことは考えるまでもなく分かっちまうし、まあ結局続きは気になるし、
「勝手に、声が?」
 仕方ねえから繰り返してやる。毅は何か不満そうだが、てめえの単純さが底抜けだって証明するみてえに、考え考え喋り始めた。
「お前の、声が、聞こえてきて、それで……」
「俺の声?」
「まあ、ただ、俺の名前を呼んでるだけなんだが……」
 つまり、こういうことか。俺が毅の名前を呼んでる声が、こいつに勝手に聞こえてくると。だから俺で抜いてるわけじゃねえと。待て。さすがの俺でも話が見えねえ。
「それが、何なんだ?」
「だから……抜いてたら、それが勝手に聞こえてくるから、段々ってだけで、お前で最初からってわけじゃあ……」
 口歪めながら言う毅はやっぱり不満げで、自分がどんだけ重大発言したか明らかに分かってねえ。俺はというと、理解したからシーツに思いっきり自分の顔を叩きつけた。毅の頭の左横の。
「お、おい?」
 ハイスピードの動きに、毅も慌てたような声を上げる。けど今はちょっと、顔、見せらんねえ。やべえ。熱い。めっちゃ顔熱い。手足も熱い。これでも冷え性なんだぜ俺。なのに熱い。いっぺんに理解しすぎて、体の反応セーブできてねえ。お前、毅、オナニー中に俺の声思い出すとか、それもお前の名前呼んでる俺の声だろ。で、そのまま抜くんだろ。抜けるんだろ。脳内で俺に名前呼ばれながら、イケるんだろ。そりゃあ、だから、反則だろ。どんだけ俺のこと、好きなんだっつー話じゃねえか。無自覚で。っつーか普通そこで気付くだろ、そこ入れるだろ好きな理由に、何今の今までスルーしてんだよ。何回俺を恥ずかしさで殺そうとしやがるんだよ。付き合いきれねえ。マジでもう、こっちはため息つくのもやっとだってのに、
「……何言わせてんだ、てめえは」
 ここでそういう恨み言かけてくるかこの野郎。あームカつく。やっぱこいつ、本気でムカつく、本気で生ぬるくムカつくってのがまたムカつくから、いっぺんシメてえ。八つ当たり上等だ。どうせこのままシーツとディープキスしてたって状況も変わらねえし、思いきって顔上げて、張り付いてくる髪掻き上げて毅の奴をもっかい見下ろす。それも不満げに見上げてきたこいつがすぐ、ちょっと驚いたような、戸惑ったような顔になったのは、俺の顔がそんだけのインパクトのある代物になってたからだろう。が、もう関係ねえ。気にしてなんて、やってられっか。なあ、
「毅」
 なるべく自然に、優しく呼ぶと、毅はビクッと震えて、硬直した。あ、おもしれえ。
「こんな感じか?」
 聞いたら健康的なレベルに戻りかけてた顔をまた赤くして、知るか、と顔を背けてくる。俺はその顔覗き込むように体を横に倒しながら、右手をさりげなく動かして、タオルの下のこいつの息子を捕獲した。俺と同じくらい硬いじゃねえかよ、意地っ張りめ。大きさは別として。あ、やっぱムカつく。
「お前、何ッ」
 それ掴んだ途端に毅は抵抗しようとしたが、エロく名前呼んでやると、瞬間で止まるんだよな。何つーのこれ。パブロフの犬? いや空想の俺に調教されてんじゃねえよ。現実の俺の方がいいに決まってんだろ、ほら、だから、毅。
「俺のしてえこと、してやるよ」
 お前もしたいこと、素直に俺に、したくなるように。
(終)


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