カウントダウン
部屋に入ってくるなり幸多は笑い出した。眉の傾斜がなだらかで目元口元が柔和な細面だから、常に微笑んでいるように見える奴だが、今は声をしっかり出して笑っている。ははは、と、男にしては高く一音一音が明瞭な笑い声は耳障りなほどだ。
「変なモンでも食ったかお前」
顔をしかめた穂延が聞くと、いや違うけど、と言いながらも幸多は発声よく笑い続ける。
「だってこれもう、準備万端じゃん。なーんか笑えるよなあ」
確かに準備は万端整っていた。窓際のベッドの上には全裸の中里が眠っている。両手はガムテープで縛られ頭の上、それを更にロープでベッドのパイプに繋がれていて口にもガムテープ。足は膝を立てるように広げられ、間から覗く尻には今すぐにでも性的な挿入が可能だった。だがそこまで労を払って準備をした穂延からすれば、何も笑えるものではない。庄司もそうだろう。睡眠薬入りのウイスキーを飲ませて眠らせた中里を、幸多の部屋のベッドまで運び服を脱がせて手と口を封じるまでは穂延も手伝ったが、アナルの拡張は庄司一人での作業だった。素人の肛門を一般的な性交に耐える程度にまで解すには、ただ暴力を振るうよりもあるいは処女をそうするよりも、多くの神経と時間が必要とされることを穂延は知っている。それを撮影していたから、庄司の払った労についても理解していた。
穂延はベッドの下方対角に置かれたモスグリーンのソファに座っている庄司を見た。庄司は読んでいた週刊誌から顔を上げ、こちらを見ていた。前だけ長い茶髪の間から覗く顔には冷ややかさがある。穂延は言った。
「お引き取り願うか、こいつ」
「身ぐるみ剥いでな」
庄司は興味なさげに言って週刊誌に顔を戻す。はは、と幸多は一つ笑ってベッドに腰を下ろし、何もなかったように服を脱ぎ始めた。こたえている様子はない。相変わらず流すのがうまい奴だ。
「どっから撮んのよ。入れるとこ?」
速やかに上半身裸になった幸多が聞いてくる。穂延もまた何もなかったように、ああと壁際の棚の上に置いていたハンディサイズのビデオカメラを手に取った。
「俺もお前のオナニーまで撮る気はしねえし。仕事でもねえのによ」
「んじゃ、金出したら撮ってくれんの」
「百万積まれりゃな」
「たっけえよ」
笑みを浮かべて言う幸多に残念がっている色はない。実際残念ではないのだろう。自慰行為を撮影されたがるような人間ならば、裸になる動作にも他人の視線なり自分の意識なりを反映させるものだ。そこで躊躇もなく服を脱ぎそれを日常の行為の一環として畳んで適当な場所へ置いてしまえる幸多は、穂延には少なくとも撮られたがりのナルシストには見えなかった。
「ホモってわけじゃねえよ」、とも幸多は二日前に言っていた。「俺が抱きたくなるのって、毅さんだけだからさ」
全裸になった幸多が中里の足の前に正座する。細めの筋肉質な体の中央、ちらりと見えた白みの強いペニスはまだ使いものにはなりそうもないが、既に多少反応しているようだ。ソファへ目を移すと、庄司は先ほどと変わらず退屈そうにカートップを手繰っていた。中里がコンビニで買ってきたものだった。穂延はカメラを手に持ったまま幸多へ目を戻す。幸多は何も知らずに寝ている中里を、どこか笑っているような顔で見ながら自分のペニスをしごき始める。おそらく幸多は真実ナルシストでもホモでもないのだろう。だがその神経は穂延には理解できない。仲間の前で自慰の真似事を平然と始められる神経、眠る成人男の野暮な裸を見て興奮できる神経。
仕事でもない、と穂延は思う。仕事ではないのだ。金が貰えるわけではない。どうしてもと頼まれたわけでもない。2LDKの家賃を幸多と折半して同居している穂延に、幸多と庄司は幸多の部屋を『そういう形』で使う許可を取りに来ただけだった。
「こいつが毅抱きがってるからよ」、二日前、峠で庄司は幸多を顎で示しながら億劫げにそう言ってきたものだ。「明後日にでもあいつお前らの家呼んで、飲ませて眠らせてからこいつの部屋でやるって計画立てたんだけど、お前どう思う、龍弘」
どう思うかと尋ねる言葉とは裏腹に庄司に人の顔色を窺うような様子はなく、隣に立つ幸多にせよ愛想は良いが人におもねるような様子はなかった。穂延にはその段階で二人が、特に庄司が本気で『やる』つもりだということが理解できた。どう思うかと漠然とした問い方をすることで、こちらがその一件を黙認するか拒絶するか確かめようとしている。それはあくまでリスクを避けるための行動だ。既に庄司はその自らが立案したであろう計画を、実行に移しているのだと穂延には理解できていた。穂延は庄司と中学の時から付き合いがあった。中学二年生の穂延が初めて敵ではないものとして認識できたのが、クラスメイトになった庄司だった。
お前危ないんだろ。
頬とえらが張りながらも細い顎に柔らかさを残した、中学生のくせにえげつない笑いが似合う庄司に初めて言われたその言葉を穂延は今でもありありと思い出せる。庄司はどもる教師や足の遅い同級生や不細工な女生徒などを簡単に揶揄してしまう口の悪さと嫌みったらしさを持った少年だった。だが穂延が見る限り庄司の皮肉に対象の不平等はなかった。中学校という人間未満の生物が一つ所に押し込められた閉鎖的な環境で、庄司は権威を持つ者でも持たざる者でも、気に障る要素を持つ人間ならば平等に具体的に貶していた。その利己的な平等性は、時折後ろの席から見ていても存外不愉快ではなかった。気に入った要素を持つ人間については、諸手を挙げて褒める素直さも垣間見せていたせいかもしれない。概して庄司はマセたガキだった。その半端さに、穂延は自分と似たものを感じていた。大人を知らしめられた子供の匂い。
だったら?
だから穂延はその時庄司との会話を成立させていた。俺が危ないんなら、何なんだよ。穂延は家族にすら疎まれている奥二重の目で射殺すように庄司を見た。庄司は造りの粗い顔にそぐわぬ繊細な仕草で目を細め、穂延の睨みを一笑に付すようにすぼみ気味な唇の端を吊り上げた。どんくらい危ないか、教えてくれよ。ご本人様直々に。穂延は庄司を見続けた。庄司はやがて笑みを消したが穂延から目を逸らしはしなかった。穂延の返事を待っているようでもあり、それを聞く価値があるか品定めしているようでもあった。話す度胸もないなら時間を取らせるなと言っているような庄司の顔だった。穂延はそんな庄司の平等な身勝手さがにじみ出ている顔を見据えたまま、そのうちなと言った。そのうちに、穂延と庄司は友人のような関係になった。
庄司の計画性について、ゆえに穂延は理解している。庄司は誰かをなぶるに際してもリスクを最も減らした形で愉快さが最も引き立つ方法を取る。優れた小心者なのだ。その性質は中学卒業後二十歳で再会した時にも変わっていなかった。ただ年齢の分だけ巧妙に尖鋭さが隠されただけだった。庄司の本質が変わっていないことに穂延は妙に安心したものだ。そういう庄司を見ていると、どれほど不浄となった自分でも、元の自分と変わっていないような気になれたからかもしれない。だから庄司が何かを企てる時、それがいくら常識倫理道徳に外れていようとも穂延には止めようという思いが生じなかった。幸多に中里をやらせるという一件でもそうだった。穂延は幸多が中里に特殊な好意を持っていることを知っていたし、庄司が中里に特異な執着を持っていることも知っていた。遅かれ早かれ何かは起こるだろうとも予感していた。だからその件に関しては、実に庄司らしい計画だと感じたまでだった。
「いいんじゃねえの」、穂延は吸っていた煙草の煙を吐き出しながら言った。「俺は気にしねえよ、何も」
その日幸多の部屋で何が起ころうが、家にいなければ穂延には何ら関係のない話だった。幸多が中里をレイプしようがそれを庄司が手伝おうが、現場にいなければ穂延は何も知らないことになり、穂延と中里との間に禍根が残ることはない。その安全を庄司が言外に保証しようとしていることを穂延は理解していた。庄司にしても穂延がそれを理解するものと、その一件の根本的な違反性について否定することもないと予想していたのだろう。穂延の返答に驚くでも喜ぶでもなく、当然のようにそうかと頷いただけだった。
「サンキュ」、一方隣に立つ幸多は嬉しそうにからからと笑った。「いやーたっのしみだなあ、マジで毅さん抱けるなんて」
それを庄司は冷ややかに一瞥したものだが、その時その顔に一瞬過ぎったどす黒いものを穂延は見逃すことができなかった。憎悪と言うのも憤怒と言うのも生ぬるい、底が知れないほど深く暗いもの、それが庄司の顔を往ったのは一瞬だった。すぐに庄司は元通りの冷ややかさで聞こえよがしのため息を吐き、幸多は何にも気付かぬようにただどこ吹く風で笑っていた。だが穂延は何も見なかったことにはできなかった。何にも気付かなかったことにはできなかった。中里を抱けることを楽しみとした幸多に対して庄司が一瞬向けて隠蔽した、大人として保持するには残酷が過ぎるある種の情念は、穂延の意識に食い込んで離れなかった。
「何なら俺が撮るか、それ」
出し抜けに穂延はそう言っており、そんな自分を自分で疑った。庄司もまた何かを疑うように顔をしかめていた。幸多だけが驚いたように縮れた淡い前髪に届くまで高く眉を上げていた。
「写真?」
「いや、ビデオ」
「へえ。撮れんの龍弘」
意外そうな幸多の問いに、まあなと穂延は答えた。本格的な機材は群馬へ戻ってくる前にすべて処分したが、家庭用のデジタルビデオカメラだけは荷物に入れた。それだけは、自分のために買ったものだった。ただ自分のものが欲しかったのだ。使う気は一切なかった。現にそれまで穂延は誰にもその存在を知らせてはいなかった。だというのになぜ自分がそのことを口にしたのか、穂延自身不思議でならなかった。
「カメラはあるからな、安物の」、何かを言い訳するように穂延は言っていた。「まあ、んなもん撮っても使い道ねえだろうけど」
「使わなくたっていいんだよ」
即座に言ったのは庄司だった。核武装とおんなじだ。カクブソウ、と幸多が無理解に満ちた声を出し、庄司は老成した苦笑を浮かべた。
「撃つかもしれねえって思わせりゃあ、抑止力には十分だろ」
最後を言う頃には庄司は顔から笑みを消し、穂延を見た。どうするのかと尋ねてきているような目をしていた。やる気がないなら邪魔をするなと迫ってきているような顔でもあった。ヨクシリョク、と幸多が小難しそうに呟き、そうだなと穂延は庄司を見返しながら言った。抑止力には十分だ。そうしてその計画に加わった。
仕事じゃない、と穂延は思う。金が貰えるわけではない。どうしてもと頼まれたわけでもない。幸多と中里との無理のある性交を撮影したいという欲があったわけでもない。そもそも他人の性交、それも男同士の非道な性交を撮ることなど、いくら金を積まれても最早したくはなかった。だがその役を穂延は自ら買って出ていた。あまつさえ肩慣らしとして庄司が中里の尻を拡張する様すら撮っていた。きっと一瞬見えた庄司の強烈な情念がそうさせたのだ。それを抱える庄司がそこまでして見ようとしているものを、撮りたくなったのかもしれなかった。
勃起を終えた幸多がコンドームをペニスに装着してローションで濡らし、中里の股間の前に腰を据えた。穂延は考えることをやめ、カメラを構え撮影を開始した。理由が何であれ、やると決めた以上やるしかない。やってしまえばいいだけのことだ。中里に覆い被さろうとした幸多が動きを止めて、なあ、と庄司を見やる。
「起こしてもいいんだろ?」
「ああ」、庄司は億劫げな声を返す。「どうせ突っ込んだら起きるだろ」
「やっぱそう思う?」
「まあお前のチンコじゃ気付かれねえかもしれねえけどな」
「うっわひっでえ、お前よりでかいと思うよ俺」
幸多は微苦笑で頭を振り、どこが、と庄司はすげなく言い捨てる。穂延は一見正反対な二人の五年以上つるんでいるだけはある似通った非道徳性に富んだ会話を聞くでもなく聞きながら、中里を画面に収められる位置に移動した。今時分家庭用のデジタルビデオカメラでも機能は十分だ。ハイビジョンで広角で手振れ補正がついていて音声もよく取れる。暗闇でも光量のあるライトを用意すれば撮影に耐えうる明度となる。今回は明るい室内だが、光源を分散させれば影で見えなくなるということもない。手元の画面は演習通り、計算通りに中里を映す。くっきりと、一般的な成人男の身長と体重をもった体、幾分毛深い肌、適度な筋肉のついた手足、大きめのペニス、脂肪が隆起を減らしている胴、そして泥臭い顔を映す。死んだように熟睡している顔だ。その顔に、骨張った手が伸ばされる。
「たーけしさん」
庄司との愚にもつかない会話を終えた幸多が、そう呼びかけながら中里の頬を平手でぺちぺちと叩き始めた。これから強姦しようとしているとは思えない無邪気さのある幸多の声だった。その声に導かれたのかその手が加える衝撃に引きずられたのか、幸多に頬を十回ほど叩かれたところで中里は目を覚ました。短い黒髪が振れるか振れないか程度に緩く頭を左右に動かして、うっすらと目を開き、直後眩しそうに顔をしかめる。
「毅さん? 起きました?」
幸多の問いかけにも、中里は変わらず眩しそうに顔をしかめて瞬きを繰り返すだけだ。幸多はそんな中里の目を右手の親指で左から右へと優しく擦った。それをむず痒そうに受けた中里はそしてまた一頻り瞬きをし、覚醒したてよりも大きく開いた、それでも起き抜けの色は消えない目で幸多を見上げた。
「ども、おはよーございます。リョウです」
幸多は中里に笑いかけ、上半身を後ろに起こす。それに伴い穂延も後ろに下がり、中里と幸多の双方を画面に収めるようにする。全裸の二人が今にでもセックスを始めそうな絵面だ。中里は怪訝そうに幸多の動きを目で追って、ついで穂延に視線を向けてきた。穂延はカメラの横から一応頭を下げた。中里は一層怪訝そうに顔をしかめると、くぐもった声を出した。
「む、む……」
それは穂延の名を呼ぼうとしたのかもしれないし、幸多の名を呼ぼうとしたのかもしれない。だがガムテープを貼られた口からまともな言葉が出せるはずもなかった。何度か似たようなくぐもった声を出し、その状況に気付いたらしい中里がさっと顔に動揺を走らせ、腕を動かそうとする。口を覆うものを取り除こうとしたのだろう、だが頭上で括ってある両手はびくともしない。顎を反らしそれを視認してから、中里はますます困惑で顔を引きつらせ目を泳がせた。当人からすれば酒を飲んだでいたかと思えばこの状況なのだから、混乱もして当然だが、それにしてもいっそ大仰なほど分かりやすい狼狽えようだった。
「じゃ、失礼しまーす」
気安く言った幸多へ中里が顔を戻す。その時にはもう幸多は中里に、挿入するところだった。
「んんんッ……」
中里が、呻き声を上げた。幸多が右手で持ったうすら白い中太のペニスは、中里の尻の穴にずぶずぶと埋まっていった。細かく刻まれたひだを広げるように、それは根本近くまでぴっちりと収められる。眠っている中里のそこを指と道具を駆使して徹底的に解しきった庄司の神経と労力の賜物の、いたってスムーズな挿入だった。幸多はふうと一つ息を吐く。
「きっついっすね、毅さん。やっぱ処女?」
幸多の声には唸りに似たざらつきが混じっている。スムーズに見えたところで圧力は相当なのだろう。肛門であろうが初めて押し入られるのなら、処女は処女に違いない。実際中里の顔には処女膜を強引に破られた苦痛にわななく少女のような青さがある。だがそれ以上に、辛酸に耐える男の成熟した泥臭さがあった。いかに犯されようとも、男は男だった。中里はどうしようもなく男だった。苦痛と驚愕の入り混じった男らしさが悲壮とも映る形相で、血走った目を見開いて、信じがたいように幸多を見上げた。
「なら俺が、初めてってことですよねえ。やったなあ、はは」
それすら一興とするように幸多は笑い、腰を動かし始める。中里は幸多に揺すられるごとに太く呻き、苦しげに顔を歪める。やがて脂汗がにじみ始めた皮膚には激情による赤が差し、幸多を見上げる目には鋭い怒りが宿った。中里は遂にこの状況を理解したらしい。両手と口を塞がれる形でベッドに全裸で拘束され、犯され撮影されているこの状況と、それが幸多や穂延によって仕組まれたことを理解したのだ。幸多と穂延を一時に睨み上げた中里は、途端に戒められている腕をがむしゃらに動かし始めた。そうやって少しでも自由を獲得しようとしたのだろう。それは幸多が中里の両の太ももをそれぞれの腕に抱え込んで下方へ体をずり下げ両肘を張らせることで潰えたが、その様子をも撮影し続けながら穂延は意外に感じていた。
中里は抵抗した。諦めていないということだ。それが穂延には意外だった。監禁の上突如強姦されるのだから、開始早々諦めを漂わせると思い込んでいた。一般人ならそういうものだ。そういうものであっていいのだ。だが中里はまだ諦めていない。今も幸多の腕に抑えられている足の、多少動かせる先端だけでも幸多を攻撃しようと健闘している。それが穂延にとって意外なことであり、続けざま得心に変化したことでもあった。穂延はそこにすべてを見たような気がした。撮るべきものがあったとしたら、それだった。その中里だった。
「ねえ、無理しない方がいいですよ」、幸多は似た体格の中里の下半身を器用に制しながら、笑う。「これ多分、絶対逃げらんないんで。なあ慎吾」
その瞬間の中里の表情の変遷が、穂延にはスローモーションのように見えたものだ。幸多が問いかけた庄司のいる方向、穂延の左斜め後ろに中里は首をねじって顔をやった。おそらく中里は、そこで初めて庄司の存在に気付いたのだろう。その顔にはこれまでにない驚きが雷のように走り抜け、割り裂かれた跡からは直後激しい感情が迸った。最大の怒りだ。裏切りを受けた人間が見せるものとして当然の疑う心縋る心を駆逐するほどの、不正な屈辱に抗おうとするがゆえの強烈無比な怒り。それが中里の顔に張り出していった一瞬には、時間の経過に本来ありえない停滞を感じさせるほどの劇的さがあって、穂延は掌ほどの大きさしかない画面を撮影者としてでなく束の間ただ観客として眺めていた。
「多分つけてんじゃねえよ。この俺がやったんだぜ」
庄司のいささか不機嫌そうな声が斜め後ろから飛んでくる。その声によって意識が外に戻り、穂延はカメラは中里に向けたまま庄司を見た。その険のある声と自慢げな言葉を、庄司がどのような顔で発したのか気になったのだ。中里の拘束作業は確かに庄司がやったことだ。だが多少なりとも穂延も関与していることだった。それをあたかも一人で完璧にやり遂げたと誇るような物言いをした、その意図が気になったと言う方が正しいかもしれない。
庄司はソファにもたれながら中里へ視線を向けていたが、その顔に、声や言葉にあったような慢心は一切窺えなかった。庄司はただ傍観するように中里を見ていた。見下すでも突き放すでもない。同情するでも嘲笑うでもない。この犯罪の実行者、責任者が自分である事実を提示するだけして、後は流れに任せるかのように、ただ中里を見ていた。そんな傍観者に近い庄司の姿に、穂延は庄司がこの場にいる動機を感じさせられた。庄司は中里に最も関わり影響を与える者として、同時に最も関わらず影響を受けない者として、中里をただ見ようとしているのだろう。だから中里の拘束はこちらの関与を除いた形で、庄司単独で行われたものであるように、幸多への返答にかこつけて中里に宣告した。それによって、庄司一人が行為の責めを負うこととなる。その計画者であり実行者であり支配者だということになる。庄司に手を出せない位置からそう知らしめられた中里の反応をただ見ることができる。
庄司がなぜそれを見ようとしているのか、愉快さを得るためか充足感に浸るためか執着心を癒すためか、その動機の正体までは穂延には分からないが、いずれにせよ庄司が抱える中里へのある種の情念がそうさせるとは察せられた。また中里を犯している幸多も中里の監禁を幇助しながら撮影に及んでいる穂延も、庄司にとってはおそらく庄司の書いたシナリオに沿って動く協力的な演者であって、共犯者ではないのだとも察せられた。そこに穂延は安堵を覚えた。責任の汚泥で繋がる関係はうんざりだった。きっと庄司も同じなのだろう。相手が中里でない限り。
「ってこと、なんでね」
庄司の担保の言を引き継ぐ形で、幸多が優しく中里に語りかける。無駄な抵抗は、やめときましょうよ。穂延は中里に目を戻した。それで中里がどうするのか不思議だった。穂延の経験に裏打ちされた思い込みは先ほど覆されている。中里は諦めなかったのだ。その時点で穂延は中里の行動を予測することを放棄して、ただその結果の表れを撮りながら待つことにした。未来は実にまっさらで、不確定だ。だがそこに穂延が日常的慢性的に感じるような不安はない。あるのは幼少期のごくわずかな時期にだけは存在していたはずの、疑う余地のない世界に対する絶対的な安心感だった。諦めなかった中里に、庄司に対して唯一無二の怒りを見せた中里に、それでも中里という人間の枠から外れはしない中里に穂延はそれをもたらされ、素直に受け入れた。思慮不足でも構わなかった。まともな人間でいようとするなら、端からこんな状況加わってもいない。だから穂延はどうするのかと不思議に思うがままに中里を見た。結果中里は、抵抗を再開させた。唸り声を上げながら、全身を使って、ベッドパイプにロープで繋がれている腕を引き戻そうとする。骨の一つや二つ外れようが折れようが構わないと言わんばかりの激しい動きは怒りの発露のようでもあり、いやちょっと、とさすがに幸多も慌てていた。
「待って待って、無茶やんないで毅さん、マジで」
中里は幸多の言葉を歯牙にもかけない。それどころか足では相変わらず幸多を攻撃しようとする。挿入を保たれたままよく動けるものだ。穂延は自分に被害の及ばない距離を維持しながら感心した。だが同時に危うさも感じていた。中里の抵抗は実際無茶だった。このまま続けていれば、肉体には多くの傷がつくだろう。それは別種の面倒を招きかねない。
「慎吾ー、お前見ててないでさあ、ちょっとは助けてよ」
根を上げたように、幸多は庄司を呼ぶ。この計画の責任者は庄司に他ならなかった。穂延が庄司を見ると、庄司は億劫げに顔をしかめていたが、舌打ちののち太ももの上に開いていた雑誌を置いて立ち上がった。そしてベッドの端まで歩きざまカーゴパンツのポケットから取り出し開いた携帯電話を、抵抗を続ける中里に上からかざした。シャッター音とフラッシュが一回、二回、三回。その回数ごとに、中里の動きは緩み、三回目で停止した。庄司はそこで中腰になると、ベッドの端で頬杖をついた。
「毅」
庄司の声音は極めて尋常だった。それがゆえにこの状況では、特異な響きも持っていた。中里は庄司を睨む。鼻から大きな呼吸音を発しながら、充血した目を限界まで見開いて、庄司をねめつける。庄司はそんな中里に、携帯電話の画面を向けた。
「そんなにこいつが嫌だってんなら、他の奴募集してやろうか」
中里の息が、ぴたりと止まった。その目が庄司の持つ携帯電話へ移り、その顔には明らかな衝撃が走る。
「ネットで適当に誘いかけりゃ、誰か一人くらいは来てくれるかもしれねえだろ。ついでにビデオも流してよ。ああ、何ならうちの奴らにメール回すか? そっちの方が確実かもな」
庄司が携帯電話を振りながら言う。声は変わらず尋常だ。演技めいた嫌らしさがない分、そこにはかえって今にでもその『誘い』を実行しそうな迫真性があった。抑止力、と穂延は思った。やるかもしれないと思わせさえすれば、それでいいのだ。庄司は携帯電話をぱたんと閉じて、中里に少し、顔を寄せる。
「どうする毅。俺はどっちでもいいんだぜ」
俺はよくないんですけどねえ、と幸多が言い、中里がちらりと幸多を見る。その目に先ほどまでの威嚇の色はない。中里はすぐに庄司に目を戻す。庄司は中里を見続けている。中里は胸と小鼻を膨らませ大きく息を吸って吐くと、顔を真っ直ぐ上向かせる。眉の周囲は細かく引きつり瞳は揺れて瞬きは繰り返されるが、何かを決めたような表情として穂延には見えた。庄司は小さなため息を吐いて立ち上がり、最初に穂延が座っていた収納兼用の箱椅子に腰を下ろすと壁際の棚から煙草を手に取り吸い始める。もう中里が抵抗することはないと確信しきったような態度だった。実際幸多が様子を窺うように再び腰を使い始めても、中里は時折顔を歪めるだけで逆らうことはなくなったから、庄司の行動は最適だったのだろう。それを体感したらしい幸多は、中里の尻を責める動きから遠慮を削いでいく。ペースは上がり、中里の顔が歪む頻度も上がっていく。そこで一旦緩急をつけるようにゆったりとした律動に変えた幸多が、思い出したように庄司を見やった。
「お前やんねえの、慎吾」
「誰がやるか」、言下に庄司は言い捨てた。「めんどくせえ」
それは本当に面倒臭そうな口振りで、幸多はふうんとつまらなそうな声を上げたが、穂延はまあそうなんだろうと納得した。元より庄司はその気になれば幸多が来る前にいつでも中里をやれたのだ。だがそうはしなかった。庄司はただ中里の肛門をじっくりと丁寧に解しただけだった。晩春の室内にあっても汗をにじませるほど真剣な手技を撮りながら、優しいなと穂延は呟いていた。その行為には多くの神経が費やされていた。それは優しさと言っても差し支えないように穂延には思えた。だがそう口にした穂延を庄司は怪訝そうに見てきたものだ。
「こっちの方が、まだ面倒じゃねえってだけだぜ」、間違いを冷静に正すような、庄司の言葉だった。「壊すよりかはよ」
それもそうかと穂延は頷いた。壊れた人間の始末ほど面倒なものはない。傷をつけずに済ませる方が総体的には手間が減る。だがそうは言っても茶髪に隠れかかっていた庄司の顔には慢性的な億劫さが蔓延っていた。結局庄司にとっては何であれ面倒に違いない。だから中里をやることも面倒臭いと言ってのける。中里を抱くこと自体がそうなのか、中里で勃起させることがそうなのか、あるいはそれ以外のことがそうなのかは知れないが、ともかく面倒な事柄に違いはないのだ。
「龍弘は?」
幸多に続けて聞かれ、穂延は顔をしかめていた。
「勃たねえよ、俺は」
「へえ。もったいないねえ、こんなにイイのに」
マジ締まるよ、と幸多は薄く笑う。たまんねえわ。その感触なら穂延にも想像はできる。勃起したペニスを熱い肉に締めつけられる感触。中里の尻は綺麗とは言えないが適度に肉がついていて柔らかみがありそうだから、処女であっても中の具合はそれなりに良いのだろう。だがそこに突き立てる快感まで想像できたところで、穂延は勃たない。中里をやりたいとは思わないし、やれないことをもったいないとも感じない。撮るだけで十分だ。撮っている方が自分の場合は、むしろ良いのかもしれなかった。
「そりゃ良かったな」
穂延は皮肉を交えずそう言った。この状況は、幸多が中里を抱けなければ成立していない。それを幸多が楽しんでいるなら悪いことではないだろう。まあなと幸多は笑って頷くと、中里に向き直り尻を突くのを止めて、シーツの上に放られていたローションのボトルの中身を中里の胸に垂らし、そのぬめりを両手でもって肌に塗り広げていった。胸から腹へ下り、濃い陰毛の下に垂れているペニスを捏ねるように撫で、腹から胸を絞り上げるように掌を滑らせて、それぞれ五本の指で乳首を払うように弾いてから、再び腹まで下りる。それを幾度も繰り返す。中里は幸多を、カメラを、あるいは庄司を避けるように顔を大きくねじって左腕に押しつけながら、幸多の手が下腹部と胸の一部にかかる度に微かに体を収縮させる。中里のペニスは少しずつ幸多の手の下で張りを持ち始める。
「ね、毅さん。ちょっとおっきくなってません?」
甘ったれた声で問う幸多を中里は赤みの目立つ右の横顔で睨む。はは、と軽やかに笑ってそれを受け流した幸多が腰を入れ直してからいきなり中里に伸しかかる。カメラの位置が考えられていない行動に、穂延は中里をよりよく映せる場所への慎重かつ素早い移動を余儀なくされる。素人ならばこんなものだとは知っている。こんなものに高い完成度を求める必要はないとも分かっている。それを分かっていても、この撮影行為を穂延がおざなりにすることはなかった。抑止力というのは建前だ。ただ撮りたくなっていた。中里の表情を、特に映像として収めたくなっていた。今までに見たことがないものばかりだった。見ようともしていなかった。穂延にとって中里は、得意ではない人種だった。
「俺は中里毅だ」、庄司に紹介されての初対面の折、真正面から名乗り返してきた中里の顔が、穂延には最も印象深い。「よろしく頼むぜ」
均衡の取れた男臭さの濃い顔に、笑みはなかった。無駄な愛想が用いられていなかった。だが敵対的ではなく、敬遠するようでもなかった。不審な悪人と見て怯えるでもへつらうでも、社会のクズと見て侮るでも嘲るでもない。共感を示すでも好奇を表すでもない、他人にそういう顔で見られた記憶が穂延にはなかった。一般人が一般人を見るような顔だった。それが、その当たり前の凡庸さが、重かった。だから同じチームのメンバーとして以上に関わろうとはしなかった。幸多のように私生活をあけすけに近づこうとも、庄司のように峠以外で会う時間を取ろうともしなかった。嫌いだったわけではない。ただ不当に慣れきってしまった自分とは生き方の合わない人種だと気付いていた。コンプレックスによらない自尊心、絶望的な状況で絶望に縋らずにいられる自意識、自分の本質を疑いもしない健全な無神経さの持ち主。だがその正当性がこれほど理不尽な、諦めなければ気が狂ってもおかしくはない屈辱に耐えさせるものとは、目を引く劇的さを生み出すものとは気付かずに、だから今の穂延は新鮮さを感じながら、幸多に隠れかけている中里をベッドの横からしゃがんで撮り続けているのだ。
「ねえ」、幸多は天井を向いている中里の右耳に囁いて舌を這わせる。「気持ちいい方がいいでしょ」
中里は短く呻くだけで、顔を動かさない。幸多はゆっくりと中里の耳をしゃぶる。それが幸多の唾液に塗れ真っ赤にてらつくようになってから、幸多は中里の顎へと唇を移動させ首の動脈に沿って下りて幾度か薄い皮膚に吸いつき、また顎に戻ってから、突然腕立てするように上半身ごと顔を上げて、穂延の頭上へ目をやった。
「これさ、剥がしていい?」
幸多は中里の口を塞いでいるガムテープを指差しながら、キスしたいんだけど、と快事への純粋な期待に満ちた笑みを浮かべながら聞く。庄司に対してだ。穂延が少し様子を見てみると庄司は壁際の棚に寄りかかるように箱椅子に座ったまま、気怠そうに煙草を吸っていた。白い煙はベッドの上へと流れている。
「舌噛まれても知らねえぞ」
新たに煙を吐きながら庄司が言った。オッケー、と笑った幸多が中里の顎を左手で掴み顔を正面に固定させ、耳の下から貼られているガムテープの端を右手の人差し指と親指でめくり、はじめはそろそろと、唇の端が見えたところで一気に剥がした。濡れ乾いた痛々しい音がした。
「っは、はあ」
中里が口から酸素を大きく貪り、すかさず幸多がキスをする。唇を合わせた瞬間から舌を絡ませるディープキス。ぐちゅ、ちゅ、と唾液の擦れる音が下品に立つ。中里は苦渋の面持ちだが、逃げることも幸多の舌を噛むということもないらしい。抑止力が効いているのだろう。それが分かっていたから庄司も口の解放を許可をしたのだろう。幸多は中里の頬や唇の内側を外から舌の動きが分かるほどしつこく舐め回す。途中、中里のうろつく視線で穂延とカメラの存在を思い出したのか、中里の顔をこちらに向けるように角度を変えながら、最後は満足げに挨拶程度のキスで締め、唇をそのまま頬へと滑らせた。その際に中里の顎を持ってより分かりやすくカメラに顔を見せることも忘れずに、幸多は中里の耳に辿りついてそこにもキスをし始める。分かりやすい音が立ち、中里は切なげに顔を歪める。だがすぐに、厳しく引き締め直す。半分開くのもやっとのようなその目で、頭上に紫煙を供給し続けている庄司を捉えたことが確かめずとも知れる、中里の表情の明白たる変化だった。それを穂延は余さず撮る。中里が目を固く閉じ赤く濡れた厚い下唇を噛む様を、口惜しそうに強く強く自分に痛みを加える様を、それでもって理性を保とうとする様を、ひたすら撮る。そして中里の耳から頬へと戻りそこに愛しげに吸いついた幸多が、あれ、と中里の小さな抵抗に気付いて頭を起こす。
「何やってんすか。駄目ですよ噛んじゃ、ほら口開けて、毅さん。あーん」
中里の顎にかけていた左手の指をその唇へと滑らせながら、あやすように幸多は言う。中里は顔をしかめたまま目を開いて不快げに幸多を見上げるも、渋々口を開く。その中に幸多は躊躇なく人差し指と中指の二本を差し込んで、奥歯を見るかのように左頬の内側に引っ掛けた。
「次噛んだら、もっかい貼っちゃいましょうか。ガムテープ」
幸多が言った。相変わらず微笑んでいるような顔だが、淡々とした声には真剣な響きがあった。中里は幸多を睨んだが、幸多の指は噛まなかった。もう口を塞がれる不自由さを味わいたくはないのかもしれない。抵抗が終わったと認めた幸多はにんまりして、顎から下へとキスを流していく。鎖骨に胸、そして乳首。
「……あ……、……うっ…………」
途切れ途切れの唸り声が中里の口から漏れ出していく。幸多は中里の口内に入れた指二本で愛撫の動きを取りながら、乳首を唇と舌と歯とで責めている。反対側の手も何やら動いている。器用な奴だ。穂延は斜め上からそれを写す。中里は苦痛を堪えるように眉を寄せているが、時折遠くに飛ぶ目も血の色を透かせている頬も閉じられない唇も荒くなる息遣いも増える呻き声も、快感の存在を否定できてはいない。中里を気持ち良くさせることに主眼を置いた幸多の丁寧で適確な愛撫は、ほどなくして成果を上げる。おもむろに上半身を起こした幸多の右手が結合部近くで掴んでいたのは、中里の反り返ったペニスだった。
「ほーら、勃ったあ」
からかうように幸多は笑ってそれを弄ぶが、本人はただ楽しんでいるだけだろう。悪意がないほど質は悪い。中里は露骨に狼狽え羞恥で顔を引きつらせる。完全に勃起したペニスは先端から根元まで先走りでよく潤滑されており、剥き出しの粘膜が赤い光沢を帯びて、カメラを寄せると迫力があった。そこから中里の顔までを写し込む。幸多が撮影の意図に気付いたのか、中里の興奮具合を見せつけるように裏筋や亀頭を指で撫で、中里は耐えがたそうに顎を反らしてその現場からの視線を外そうとする。それを見下ろした幸多は、何かを納得するような微笑とともに頷いた。
「これで、お互い様ですね」
って言い方違うか、と一人笑いながら幸多は半端にしていた自分のペニスを中里の尻に改めて深く差し込んだ。直後一気に雁首まで抜き、再び突き立て、また引き抜き、挿入する。動作は次第に速さを増し、幸多はそうして腰を振るいながら中里のペニスを扱くこともやめなかった。穂延はカメラを上方へ移動させ、再開されたアナルセックスを中里の顔から結合部まで収められる位置を確保した。
「……ん……ぐっ……」
中里の体は幸多が揺するごとに大きく震え、反らされていた顎はあちこち動かされ、声は低く短くとも一定間隔で繋がっていく。筋肉は張り詰め、肌は幸多や穂延の比でないほどの汗に塗れ、赤く火照り、あらゆる刺激に感じていることを語っている。それでも中里は唇を噛む代わりに歯を食い縛り、厳しく眉根を寄せ、顔には隙を見せまいとする。既に性感に落ちた表情を幾度も晒しているというのに、諦めまいとしているのだ。だが幸多は時折休むように動きを緩めながらも行為を中断させることはなく、角度を変えリズムを変えて中里の尻を責め、またペニスを愛撫し、中里を確実に追い詰めていった。
「すごい、最高っすよ、毅さん」
幸多にとってはおそらく褒め言葉に違いなかった、尻の具合に感心したり反応の良さを喜んだりというそれらの声も、中里にとっては屈辱と羞恥を煽るものでしかなかったのだろう。あるいは愚弄と感じられたのかもしれない。何かを言わねばたまらなくなるまでに追い込まれ、そして何かを言おうと口を開いた時に、幸多が最も効果的に中里を犯したようだった。
「やめろッ」
中里が発したのは制止の声で、それは悲惨に裏返っていた。中里自身がその哀れな響きに硬直している間に、ああ、と幸多が容易く状況を理解する。
「イきそうですか? 龍弘、ちゃんと撮ってあげろよー」
ゆったりと言いながらも、幸多は動きをより素早くさせた。中里をいかせるための動きだった。穂延は返事の代わりに撮影を続けた。中里は顔に溢れた驚きと混乱を収束させようと懸命だったが、徒労に終わった。呼吸と共に漏れる声も止められぬうちに、中里のペニスからは精液が噴き出した。胸と腹へと白濁とした液体が、自身の胸と腹に飛び散っていく。
「はは、すっげえの」
笑いながら幸多が、絞り出した中里の精液の滴っている右手を払う。中里はぼんやりとそれを見やり、すぐさま戦慄する。そして強姦されながら射精させられた現実に痛めつけられたように、その屈辱に抗おうとするように、顔をきつく歪ませる。穂延の首筋が少し粟立った。産毛がちりちりとざわめいた。それを撮ることを、体が待ち始めていた。
「それじゃあ次、俺の番ってことで」
幸多は軽くそう言って中里に再び覆い被さると、抵抗する隙も与えないほど激しく腰を打ち振るった。言葉通りの動きだった。自分が達するために幸多は動き、そう長くもかからず性交を終えた。肩で息をしながら中里から離れ、深呼吸をする。
「終わったか?」
鋭いタイミングで、庄司が聞いた。あーまあ、とコンドームを始末する幸多へ、庄司が用意していた白いタオルを放る。穂延はそこで撮影を止めた。オフショットをだらだらと撮るのは趣味ではなかった。
「煙草くれよ、そこの」
タオルで股間を覆った幸多が、庄司に要求する。庄司は億劫げに舌打ちしてから、煙草とライターも幸多へ放ってやる。どーも、と幸多は受け取った煙草を吸い始める。中里はその間もベッドに仰向けになったままだ。幸多に犯されていた姿勢のままだった。
「二回目いいの?」
煙を吐きつつ尋ねる幸多に、庄司は胡乱げな目を返す。
「できんのかよ」
「うん、時間要るけど。っていうか最低二回はしたいじゃない、折角だし」
「好きにしろ」
眠そうに言った庄司が椅子から立ち上がってソファに移り、深々腰を下ろすと穂延を見上げた。眠たげだが、お前はどうするのかと問うているような顔だった。おそらく幸多は遠からず二回目を始めるだろうし、庄司は眠らずにすべてを見るだろう。見るために、庄司はここにいる。穂延は庄司を見下ろした。ならば自分がどうするかは、既に明らかだった。
「何か飲むか」
「あ?」
「飲みモン取ってくるぜ。これ、一旦保存するついでに」
穂延はカメラを掲げながらそう言った。俺氷結ね、と先に言ったのは聞いてもいない幸多で、庄司はこの部屋に漂う何かを計るかのように二回瞬きをしてから、水、と答えた。
(終)
トップへ