ふざけた奴ら:西田浩志



 俺が毅クンに初めて会ったのは、もう五年も前のことになる。その頃の毅クンは今よりもっと可愛くて、カワイイと言われると本気で怒るほど可愛かった。今じゃあ毅クンも俺がカワイイと言うのに慣れてしまったのかほとんどスルーするのでちょっと寂しいが、たまに言い続けるとキレてくれるからよしとしよう。
 その当時の俺は今の奥さんと既に付き合っていたが、稼いだ金はたっぷり車につぎ込んで、結構ブイブイ言わせてた。未来予想図なんて全然描いてなくて、いわゆる刹那的な日々を送っていました。若気の至りです。それでもサラ金には手を出さなかったのは、あの頃の俺を褒めてやりたい。今では貯金もできるようになりました。老後を考えるのも結構楽しいことだよな。
 若々しかったそんな五年前の俺が、妙義山で、毅クンと出会ったわけです。毅クンは三年前までナイトキッズのトップを張っていた誠サンに連れられて来てすぐ、歳が近いというだけで俺に預けられた。誠サンは新しいタイヤを試すんだと走りに行っちまうし、それまで峠に縁がなかったと見える毅クンは、キョロキョロしたそうにしつつもオドオドしていると思われたくないのか、やたらと気合いの入った顔で俺を睨みつけてきて、中里毅だ、よろしく、と言ってくれたものだ。そのオドオドなんてしてないぞと胸を張ってるんだがやっぱりオドオドしてる感ムンムンだった毅クンは、とても可愛らしかった。で、俺はつい挨拶代わりに言ってしまったのだ。初対面の、自分と一つしか歳の違わない、どう見ても雄ですよろしくどうぞという感じの男に、カワイイな、毅クンは、と。
 たったそれだけで、俺は一ヶ月も毅クンにまともな口を利いてもらえなかった。ひどいよな、毅クンがカワイイのは俺にとってごく普通のことなのに。その間に嶋の奴は毅クンと普通に仲良くなってやがったクセに、俺と毅クンの仲を取り持とうという発想はなかったらしく、俺は一ヶ月挨拶以外でカワイイ毅クンと話もできず悶々としていたのだが、その日やたらと機嫌のよかった誠サンが気まぐれさを発揮、毅クンへの嫌がらせの一環として俺の車に毅クンを乗せて走れと命じてくださいました。今の嫁さんを乗せることもあるZ31型のフェアレディZはバキバキには改造してなくて、ただキッチリ走り屋仕様にはしてたから、一度それで峠を全開で上って下っちまうと、最初は仏頂面で可愛くしていた毅クンも俺が結構ブイブイ言わせていることを納得したらしく、明るい笑顔で可愛く俺と話をしてくれるようになった。出会って一ヶ月、そこからようやく俺と毅クンの付き合いが始まったのだ。

 俺は初めて会った時から毅クンをカワイイと思い続けてはいるが、勿論そのケがあるわけではない。あったら奥さんなんて貰えない。その奥さんも毅クンの可愛さについては同意をしてくれる。俺が二十二歳で今の奥さんと結婚しようと決められたのは、だから毅クンのおかげだ。
 まだ恋人だった今の奥さんのことを、俺は車にかまけてよく放ったらかしにしていて、その度に毅クンに、もっとちゃんと考えてやれよ、と怒られていた。正直彼女もいない毅クンのそんなお説教は右耳から左耳だったんだが、そういう風に俺にやかましく言ってくる毅クンのことを、ある日今の奥さんにカワイイよなと話したら、私も前から毅クンのことはカワイイと思ってたのよ、と強く共鳴してもらえた。そこで俺は、今の奥さんと結婚しようと決めたのだ。ただでさえ世知辛いことに、毅クンの可愛さを認めてくれる人は全然いないというのに、車にひたすら金を食われてる男とも付き合ってくれる女性がそれを分かってくれて、一緒に応援していこうね、なんて笑って言ってくれるなら、これで結婚しないで誰と結婚するのかというものです。ホント。
 二年半前に今の奥さんと結婚しても、俺は峠に行くことはやめなかったが、さすがに将来設計をし始めると金銭面に限界を感じたので、峠を暴走することは少しずつやめていった。毅クンはそんな俺に、嫁さん幸せにしてやれよと真面目に言ってくれて、さすがに俺もそれは右耳から左耳にはせず真面目に聞きました。はい。
 毅クンと出会ってから、俺と一緒に毅クンと過ごしたり煽ったりを楽しんでいた嶋は、俺が今の奥さんと結婚する一年くらい前に一方的な事故で左肘を完璧に壊されて、リハビリを終えて峠に戻ってきた時にはもう、BC5型のレガシィでは毅クンとガリガリに走り合えない体になっていた。それでも毅クンのシルビアとレガシィで走ることにこだわった嶋は無理をして、半年近く月に一度は毅クンの前を走っていた。頭に血が上りやすいとはいえ野性的な観察眼のある毅クンに、自分がもう二度とMT車で完璧なラインを作れないことを知られるのを嫌がった嶋はそして半年間、毅クンを欺き抜いたのだ。だから他のメンバーは勿論、毅クンも嶋の左腕は後遺症もなく治りきったものだと思っている。そうではないことを知っているのは、嶋自身と俺と康平と慎吾で、俺たちはそれを毅クンに言うつもりもない。
 そんなこんなで俺が結婚して峠に来ても適当に走るばかりになると、俺につられたと見せるように、嶋は無理をしなくなった。この世には無理をしてもどうにもならないことがある。嶋はそれを分かっていた。俺も嶋も全開で峠を攻めることがなくなって、毅クンが一人でいる時にたまに物足りなさそうな顔をして、それを偶然見てしまっても、だから嶋は無理をしないという決断を今日まで覆すことなく続けられているのだ。俺はそんな嶋を尊敬している。自暴自棄になりきらず、車も峠も捨てもせず、以前のようには競い合えなくなった毅クンを近くで見続ける決断した嶋をだ。

 二年半前、俺も嶋もそうやって表向きに落ち着いて、その半年前から誠サンにトップの座を譲られていた毅クンは、一人S13型のシルビアで頑張っていた。
 七年前、誠サンは誠サンいわく近所のバイク屋に小間使いみたいに馴染んでいた毅クンを、何でも言うことを聞きそうなのでナンパして、自分が乗り潰しかけたバイクをやったり自分の店の品出しを手伝わせたりしていたらしい。そして五年前には妙義山まで連れて来て、俺に押しつけてくれて、毅クンにはたった二年で乗り潰しかけたシルビアを押しつけて、無理矢理チームに入れたというわけです。感謝してます、誠サン。
 毅クンは当時のトップだった誠サンを尊敬していたが、盲目的にはなっていなかった。誠サンは毅クンにシルビアを譲った後、RX−7のFD3S型に乗り始めて、シルビアに乗ってた時と同じく、誰も敵わないような完璧な走りをすることもあれば、誰でも抜かせるようなひどい走りをすることもあった。誠サンは気分屋で、だから毅クンも尊敬はしても、盲目的にはなれなかったんだろう。毅クンのロータリー嫌いは、誠サンの影響もあるのではないかと俺は思ったりもする。誠サンは毅クンへの嫌がらせにオオゲサじゃなく人生を懸けていた人でもあって、その一環として、RX−7の偉大性を耳にタコができそうなくらい毅クンに語っていたからだ。
 そんな誠サンもご実家を継ぐということで、三年前に群馬を離れた。離れる前に、毅クンとバトルをして負けて、ナイトキッズはお前に任せると毅クンの両肩を実に爽やかな笑顔で叩くことを忘れずに。あれはどう見ても毅クンに対する誠サンのチームを辞めることを利用しての嫌がらせだったが、毅クンは嫌がらせだとは思わなかったらしく、トップの座を真剣な顔で譲り受けていた。その神聖さに感動しつつも、だから嫌がらせされちゃうんだよ、とみんな思っていたに違いない。誠サンも含めて。

 それから毅クンは頑張った。それまでも走りに関しては真面目に熱心に頑張っていたのだが、チームを任された責任感が生まれたのか、もっと頑張るようになっていた。一人シルビアに乗りながら、それはもう、頑張っていた。すごく頑張っていた。頑張るという言葉があんなにも似合う人を、俺はそれまで見たことがなかった。それくらい、毅クンは頑張っていた。
 だから出張中に嶋からの電話で、毅クンが箱根から来たスカイラインのR32型GT−Rにあっさり負けたと聞いても俺は、こいつは何を馬鹿なことを言い出しやがるんだ、エイプリルフールはまだだぞ、冗談下手だなホント、とかしばらく思っていました。ごめん嶋。でもな、あんなに頑張っていた毅クンがいくら当時最新鋭のGT−R相手とはいえ、そんなに簡単に負けるなんて、俺にはとても信じられなかったんだよ。
 群馬に帰り嫁さんに会うより先に負けた毅クンに会いに行った俺はそして、悩ましい雰囲気を発しまくっている毅クンを見て、ああ本当に毅クンは負けたんだなと実感させられて、もしかしてもう毅クンは頑張ってくれないんじゃないかと不安になった。その不安は俺に、毅クンが頑張って走り続けることが、俺にとってどれだけ大切なことなのかを教えてくれたが、しかし毅クンはあっさりと負けたくらいで走りを捨てる人ではなく、俺の不安は一ヶ月もかからずあっさりと消えた。毅クンがシルビアからGT−Rに乗り換えたのは、本当にあっという間だったからだ。
 誠サンから譲られたシルビアで、FRのステアリング直通感を味わいながらドリフトかまして最短を刻むのを心底楽しんでいたのに、それを潰してまで安定感優先重量級4WDのGT−Rに乗り換えることを、一人で決めて一人で実行した毅クンには、俺も嶋も驚かされた。驚かされて、感動した。俺たちが考えていた以上に、毅クンは速さを追い求められる人だったのだ。俺はそして、毅クンが走り続けてくれることが、ただ嬉しかった。もう嬉しかった。シルビアだろうがGT−Rだろうが何だろうが、毅クンが峠の走り屋として頑張ってくれるなら、何だっていいんだと思った。大体誠サンのシルビアなんて車検も通しようがなさそうなシロモノだったし、よくまあそれまで毅クンも維持できてたな、頑張ったな、という話です。
 嶋は、毅クンが走りたいように走ってくれればそれでいい、というスタンスで、毅クンを日和見的だとか馬鹿にする奴がいると、パッとしない顔は普通のままで、ただ黙った。嶋が黙ると一人で喋る趣味はない俺も、黙る。いつもべらべら喋っている俺たちが黙ると、それだけで場の雰囲気は変わって、他の奴には無言の圧力がかかる。そうやって嶋は何も言わないことで毅クンを支持して、俺はそんな嶋と一緒にいて、GT−Rに乗り換えてから物足りなさそうな顔を隠しきれなくなっていた毅クンのことは、見ない振りをした。できる無茶もしないように決めた俺も、無茶すらできなくなった嶋も、毅クンに走りでしてやれることはもうなかったし、どんなに物足りなさそうでも、毅クンが走っててくれれば俺なんかは、それだけで満足できた。
 もしかしなくても俺、自分が走るより毅クンが走るの見てる方が楽しいよ、と俺が言うと、俺もそうだわ、と嶋は言った。俺たちはつまり、結局二人して毅クンのファンなのだと、その年の夏が来る前に俺と嶋は認め合ったものだ。その頃、毅クンは他の走り屋のS13型シルビアを見かけると、誠サンに申し訳ないみたいなことを口にしたりもしたが、速さを求めたことに後悔は見せなかった。毅クンは弱い。弱いから、強い。だからカワイイ。その頃には、俺がカワイイと言っても、カワイイ顔した毅クンに睨まれるだけになっていました。
 それが俺たちの平和な時代だ。峠で毅クンが頑張り続け、走り続け、勝ち続け、俺たちはそれをただ見るだけで、見ない振りをするだけで、何の痛みも感じずに済んだ時代。その終わりを予感させたのは、去年のまだ寒い春、赤いスポーツシビックが峠に現れたあたりだ。

 六年前、俺と嶋がナイトキッズに入ったのはただ、そこに山があって、走り屋がいて、チームがあったからで、特に何かが気に入ったわけでもないが、特に何かが気に食わないわけでもなかったし、まあ入ったらちょっとは便利かな、入らないのも面倒だな、くらいの軽い気持ちだった。去年の慎吾も、そんなものだったんじゃないかと思う。
 慎吾がナイトキッズに入ることになった時、毅クンはその場にいなかった。俺や嶋や桐原サンが認めてしまえば、事後承諾になっても毅クンは嫌とは言わない。毅クンはトップだが、メンバー選びごときに権力を振るいたがらないし、何年もの付き合いのある俺たちを信用しているのです。
 そんなわけで、慎吾を勧誘したのは桐原サンだった。誠サンの前の時代からいる古参も古参、二ヶ月に一回くらいしか山に来ない貴重な桐原サンがその日に限って山にいて、赤いスポーツシビックを見てすぐに、あれはチームのものだと決めてしまったら、ホンダ大好きのその人がチーム内のホンダ車率低迷を憂いていたのを知っていた俺も嶋も、まあ特に反対するものでもなかった。
 貴重な桐原サンがそして、シビックから降りた慎吾の方に歩き出し、毅クンがいないのでただべらべら喋っていた俺たちは、何となく桐原サンについていった。峠に立ってすぐ、目の前によれのないスーツを着て縁のないメガネをかけた三十代半ばくらいの男が現れたら、誰でもこんな顔をしちまうんだろうな、という顔を慎吾はした。桐原サンは自己紹介をしてナイトキッズの説明をして、チームに入る利点と難点を告げて、それで君はどうするんだと、慎吾に尋ねた。慎吾はうさんくさそうに桐原サンを見て、ついでに俺たちも見て、別にどうでも、とだけ言った。そうして慎吾がナイトキッズに入ることが決まりました。
 桐原サンは慎吾の答えを聞いてすぐ、自分のDC2型インテグラタイプRに戻ってしまったので、俺と嶋は慎吾と三人で話をしてみた。敢えて仲良くする気もなかったが、仲違いする気もなかったからだ。長い茶髪はネクラな感じで、ゴツゴツしたツラは悪党な感じで、一応敬語は使うが口動かすのも面倒くさそうにぼそぼそ喋るだけの慎吾は、やる気が全然なさそうなガキだった。いやホント、俺なんかにはその時の慎吾の動き方を見ても喋り方を見ても、こいつ生きてんの楽しくなさそうだなあ、としか思えなかったんだよ。
 二、三度流しただけで帰った慎吾について、生きてんの楽しくなさそうな奴だなと俺がしみじみ言うと、つまんねえんだろうな、と嶋もしみじみ言った。だから俺は正直慎吾はもう来ないんじゃないか、自殺でもしてるんじゃないかとか思っていたが、その二日後に慎吾はまた峠に来て、またやる気もなさそうに駐車場を眺めていた。それを見て俺は、こいつは何かをするかもしれない、ぼんやりと感じた。何をするのかまでは考えなかったが、何かはするんだろうなとは思った。何かをするために、ここに来てるんだろう。それは予感だったかもしれない。俺たちにとって平和で、毅クンにとって退屈な時代が終わる、そんな予感だ。

 そしてその日、峠に毅クンが現れる。嶋はその時来てなくて、貴重な桐原サンも勿論いなくて、事前に毅クンに慎吾の説明をしたのは俺だった。桐原サンがホンダ率高めたがってるから入れたけど、何か人生諦めてそうな奴だぜ、と俺が言うと、よく分かんねえな、と毅クンは真面目に言った。それから毅クンは慎吾に会いに行き、俺はそこでまた表向きに慎吾の紹介をして、毅クンと慎吾は向き合った。相変わらず慎吾はやる気がなさそうだったが、俺が毅クンのことを紹介すると、急に、自分が生きてることを思い出したみたいに、楽しそうに、笑いやがった。笑って、よく通る声で、機械に乗られてる奴がトップだなんてこのチームもタカが知れてるな、みたいなことを言った。慎吾がそんな風に毅クンを馬鹿にしたことよりも、慎吾がそんな風にちゃんと口を動かして話せるんだということに俺は驚いて、怒りポイントをガッチリ踏まれた毅クンを抑えるのをうっかり忘れてしまった。後は売り言葉に買い言葉、他人の声なんて届かなくなる口喧嘩へと発展しまして、慎吾と毅クンはそのままダウンヒルバトルになだれ込みましたとさ。
 結果は慎吾の負けだったが、差はほとんどつかなくて、毅クンは慎吾の走りを高く評価したみたいだった。当の慎吾はそんなことどうでもよさそうで、負けた悔しさを態度に出しながらも、ただ毅クンに食ってかかれることが、まあもう嬉しいらしかった。その嬉しさはきっと、その諦めてんだか諦めてないんだかという人生の中で、毅クンという、諦めずにいられるものを見つられた、そのせいだと、俺なんかは思ったりするわけです。
 バトルを終えた慎吾が笑いながらさっさと帰った後に、あれはもっと速くなるぜ、久々に腕が鳴る、にやりと笑いながら毅クンは言った。俺はそんな毅クンを見て、ああやっぱりカワイイなと思いつつ、毅クンを走りで満たしてやれる、毅クンを走り続けさせる慎吾の登場を、何かに感謝したりもした。それは俺がまだ慎吾の本性を知らなかったせいもあるが、まあ本性を知っていても多分、毅クンの隣に立てる人間が出てきたことには感謝しただろう。毅クンが頑張って走り続けるのにそれは、あるに越したことはないものだからだ。
 だから俺は、そりゃ良かったな、と笑って毅クンに言ったんだが、毅クンはすると突然、けど、あれのどこが人生諦めてんだよ、と怒りをこめて俺を睨んできてくれた。可愛かった。いや実際諦めてたろ、毅クンに会うまでは、そう俺が答えれば、毅クンは難しそうに首を傾げ、よく分かんねえ奴だな、と呟いて、終わった。毅クンにとっては、俺が頑張っている毅クンの姿を見ているだけで満足できちまうことや、嶋が競えなくなっても毅クンの傍にいることを望んだことや、慎吾が毅クンのおかげで人生のつまらなさから解放されたことは、きっと同じに理解しがたいことだと思う。それでもそんな理解しがたいことを、毅クンは捨てずにちゃんと抱えてくれるから、誠サンも嫌がらせをしまくったに違いないな。
 そうやって去年の春に慎吾はチームに入り、それから峠に来ては粘っこく走り、柄の悪いメンバーとよくつるみ、楽しそうに過ごしていた。俺たちにもタメ口を使うようになり、貴重な桐原サンとも話をしてたり、たまに毅クンに突っかかっては毅クンをイライラさせて放置したりもして、そんな慎吾を見て素直じゃねえなと俺が言えば、素直じゃねえし邪悪だわと嶋が言った。邪悪ってまたひでえな、ヒールかよ、俺が笑うと、嶋は笑わずに言った。ありゃそのうち、とんでもねえエラーやらかすぞ。

 その夏から、チームにとって、毅クンや慎吾なんかにとって、そして俺にとっても結構大きい事件がポンポン起こった。それは赤城レッドサンズのRX−7のFD乗り高橋啓介サンが、秋名に出没しているという馬鹿っ速いハチロクに負けたことから始まった。
 事件の一つめは、それに好奇心を刺激された毅クンが、わざわざ自分で秋名山でのダウンヒルバトルのセッティングまでして、ハチロクに挑みかかって負けたことだ。毅クンがバトルで負けたのはGT−Rに乗り換えてから初めてのことで、俺はその時に感じたあの、毅クンがもう頑張ってくれないんじゃないか、という不安を思い出して、内心ドキドキしたが、バトルから帰ってきて、負けた上に、また余計な金がかかっちまう、と何もかも満たされたような顔で笑った毅クンを見たら、ドキドキも心地良いものになりました。はい。
 そのバトルは、捨てたFRに負けたことを毅クンに後悔させないほど、素晴らしいものだったんだろう。だから毅クンは、チームに入ってから初めて、あんなにも純粋で、幸福な笑顔を、可愛さを俺に見せてくれたのだ。俺はだから、毅クンとバトルをしたハチロクには今でも感謝しています。ありがとうハチロク。君のことは忘れないよ。
 事件二つめは後に回すとして、三つめ、ハチロクの次に毅クンを負かしたのはレッドサンズの高橋啓介サンで、そのRX−7乗りに俺がそういう意味で感謝するかといえば、それはなかった。高橋啓介サンは、妙義山でやったレッドサンズとナイトキッズの交流戦で、毅クンを負かした上にご丁寧にもノックアウトまでしてくれて、それから毅クンは頑張る方向性を見失っちまって、事件四つめ、続いて発生した栃木のエンペラーのランエボとのホームバトルにも、あっさり負けてしまい、かなりひどいことになったからだ。そんなわけで、俺はそのランエボチームのことも、高橋啓介サンのことも、思い出すと別の意味で感謝をしたくなるので、できれば忘れていたいです。
 今は、その三連敗も毅クンのドラテクを向上させるきっかけにもなったとは思えるが、当時はまあ、ひどかったよ。毅クンは峠に来ても、誰かの心配を解くための愛想笑いを作る以外、表情を緩めることがなくなった。俺はそれを、見ない振りなんてできなかった。嶋も毅クンから目を背けることはしなかった。あんな風に毅クンを追い込んだのは、俺たちのせいでもあったからだ。
 あそこできっと俺か嶋が、毅クンの隣に立ったままだったら、毅クンはあそこまで傷つかずに済んだと思う。自惚れてるわけじゃない。毅クンは誠サンにトップの座を譲られた三年前から、俺と嶋が表向きに落ち着いた二年半前から、ずっと一人でナイトキッズのトップを張っていて、何でも一人でやることに慣れてしまったのだ。俺か嶋が毅クンの隣に立ったままだったら、俺たちは毅クンに何もかも、一人でやらせずに済んだはずだった。
 俺の胸は、一人であがいている毅クンを見る度に、俺が捨てた可能性を思う度に、強く痛んで、今の奥さんに弱音を吐かせたりもしたが、奥さんはとても情けない夫にも、見てる浩クンたちがいるから、毅クンも頑張れるんじゃないのかな、と優しい言葉をかけてくれた。だといいなと俺は思った。俺の痛みが毅クンの頑張りを支えるなら、それは嬉しいことだから、いくらでも俺は、毅クンを見続けられる。
 それで俺が見続けた毅クンは、真剣に、深刻に、車に峠に走りに向かって頑張り続け、走り続けた。何を頑張ればいいのか分からなかったはずなのに、どう走ればいいのか分からなかったはずなのに、それでも頑張って、走って、そして栃木の方々が群馬から撤退して、秋が終わる頃にはもう、進む道を見つけたらしく、前みたいに、怒ったり悩んだり笑ったりするようになっていた。俺はそれを、ずっと見続けていた。俺にはもう、それしかできない。毅クンを見ていることしかできはしない。子供を何人か作って育てるには余計な出費は避けたいし、いずれはファミリーカーも買いたいところだ。俺はもう毅クンの隣には立てないんだ。その権利は捨てちまったが、しかし後ろで見ている権利までは捨ててはいない。それは一生、捨てるつもりもありません。毅クン自身が捨てるまでは。

 それから毅クンは、慎吾とそのお知り合いのレディに煽られて、箱根のGT−Rに報復しに行ったりしたが、それは俺にとっては大した事件でもないので、カウントはしない。毅クンに彼女ができないのは当たり前のことだしな。
 ところで、その一件に出くわさなかった俺と嶋と康平はその二日後、峠で開き直りまくってた毅クンを横目にしつつ、その一部始終を慎吾から聞いたんだが、そこで嶋は、パッとしない声で、どうでもよさそうに言った。そんなことするくらいなら、お前が交流戦に出りゃよかったな、と。どう聞いても皮肉でしかないその嶋の言葉に、慎吾は、ただ、しっくりきたみたいな顔をして、そうだな、と素直に頷いた。慎吾に皮肉を言った嶋も、どうせ皮肉を返すだろうと思ってた俺も、話を聞いていた康平も、三人つい顔を見合わせちまうほど、素直な慎吾だった。お前も成長できるんだな、と俺がしみじみ言うと、俺は若いんでね、とまた素直じゃねえこと返してきたが、それでも慎吾はチームに入った時よりも、素直になれているみたいだった。
 慎吾をそんな風に成長させたのは、去年の夏から起こった大きな事件の二つめなんじゃないかと思う。それは嶋の言った通り、とんでもねえエラーだった。毅クンがハチロクに負けた後、慎吾は非公式に秋名のハチロクに、FR潰しルールのバトルを吹っかけて、自爆して負けた上、怪我までしやがったのだ。それがなければ、チームはレッドサンズとの交流戦でもエンペラーからの殴り込みでもダウンヒラーを出せて、毅クンにかかるプレッシャーも減っていたことだろう。それか、最初から慎吾がいなければ、そんな中でも毅クンは一人で何とかしていたかもしれない。しかし慎吾はもう毅クンの隣に立つようになっていたし、その不在を毅クンは一番近くで感じてしまっていて、余計に自分にプレッシャーをかけたということは、見ているだけの俺にも分かりました。あれは本当に、とんでもねえエラーだったよ。
 そのエラーについては、三角巾が外れてから峠に現れた慎吾も、責任を感じていたみたいだが、康平が毅クンの心配を教えると、素直じゃねえから毅クンをクサしてそして、嶋がキレた。高校時代からどんなに嫌な目に遭ってもキレたことのない嶋が、キレたのですよ。驚きですよ。そういうわけで、嶋の左肘が完璧に壊れていることを知ってるのは、嶋自身と俺と康平と慎吾だけで、俺たちはそれを毅クンに言うつもりもありません。

 この前、峠でしていたそんな大層でもないチームについての会話の中で、俺と嶋に、本当にやる気ねえのか、と毅クンが聞いてきた時にはだから、正直ちょっとヒヤッとした。俺は頑張る権利は捨てていて、嶋はもうレガシィでは頑張れない。そんな俺たちの事情を毅クンに知られたら、毅クンに余計なことを考えさせちまいそうで、うん、ねえな、と普通に即答するだけで、俺は結構冷や汗かいていたが、何となく腑に落ちなさそうな感じだった毅クンが、俺や嶋の答え自体を疑うことはなかった。俺たちは嘘は吐いていない。俺は捨てた権利を行使する気はなくて、毅クンの頑張りを見てるだけで満足できるし、嶋はもうできないことをやる気はなくて、毅クンの走りを見ることに命を懸けている。だから俺たちは、毅クンがいなくなったらチームには残らないだろう。俺たちにとってはもうナイトキッズは毅クンで、毅クンがナイトキッズだからだ。
 俺の胸はまだ痛むこともあるが、それは毅クンを見ていられるおかげだから、見ないこともあった昔よりも今の方が、いい時代じゃないか、と思ったりもする。毅クンの隣には、毅クンに期待をさせて裏切って成長している若い慎吾が立っていて、その慎吾には責任を取ろうという気はあるらしく、毅クン相手以外で無茶はしないようにもなっているので、毅クンのことも任せられるし、チームのメンバーは増えたり減ったり、康平はデータ収集に余念がなくて、雪雄は慎吾よりえげつない走りを目指してて、春哉はメンタル面を鍛錬中、嶋はMTのレガシィから乗り換える気はない。
 俺は奥さんの年齢も考えて、そろそろ子供を仕込もうか考えている。俺は車が好きだ。稼いだ金を少しはあげてやりたいし、奥さんを乗せてドライブするのは幸せだし、CMで見るようなファミリーカーにできた子供を乗せて走るのを考えるだけでわくわくします。それはだが、みんな一緒だ。俺にとっては車に乗ることも奥さんと仲良くすることも、人生の目的で、とても楽しい。ただ、その中で、峠の毅クンを見るのは、目的だとかそんなことを忘れちまうほど、人生みたいなものなんだよな。だから俺は、その人生みたいなものを見続けるつもりだ。毅クン自身がそれを捨てるまでは、ずっと。



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