ひねくれ
木の床、壁、柱。自然の中にいるような安心感のある造り。街中にこんな店があるとは知らなかった。都会の喧騒から離れた空間。店内には客同士の会話の邪魔にならない程度の音量でクラシックが流されている。全面喫煙なのは店の仕様上仕方がないと納得せずにはいられないほど、清潔感に溢れてもいる。
窓際、二人掛けのテーブルの片側に中里は座っている。その中里の目の前の席にいるのは、高橋涼介である。かつて赤城の白い彗星と呼ばれていた、白いマツダRX−7FC3Sを駆る群馬最高峰の走り屋だ。中里も走り屋である。黒い日産スカイラインR32GT−Rに乗り、妙義山を毎夜のごとく攻めている。
その二人の走り屋が挟むテーブルの上には、手のつけられたコーヒー二つとシフォンケーキとレアチーズケーキとフルーツタルトが載っている。これはどちらか片方の好みのみで運ばれたものではない。互いに納得して注文した品である。女性グループか男女のカップルしかいない店内で男二人きり、この状況にしても罰ゲームなどではない。中里も高橋涼介も、ケーキを食べるためにこの店に来たのだ。高橋涼介は涼しい顔でケーキを食べる。中里も欲望のままにケーキを食べるが、男二人でケーキを食べている光景がどう見られているのかと思うと、多少顔色は冴えなくなるし、口内に広まる甘みと果実の自然な酸味がかもし出すうまみにひたすらの幸せを感じながらも、何でこんなことやってんだ、と疑問を感じずにもいられないものだ。
以前にも一度、昼飯を一緒にしたことがある。その時は偶然街中で会い、高橋涼介に誘われた。断る理由もないからついていった。それだけだ。深い意味はない。手ごろな値段でなかなかうまい料理の出てくる店だった。満足した。割り勘で、礼を述べて別れた。
それ以上かかわりを持つ必要性もなかったのだが、引っかかるものがあった。一週間後、赤城山へ行った。走り屋高橋涼介の地元である。弟がいれば伝言でも頼もうという軽い気持ちだった。妙義に中里毅がいるのだと存在を覚えさせておくのも良い。だが弟はいなかった。代わりに目当ての兄がいた。
「この前は付き合ってくれて、ありがとよ」
微笑を浮かべて出迎えてくれた、高橋涼介だった。本来はこの男と走り屋と相対したいと希求していたのだが、時間が経つとそうするべき正当な理由を感じられなくなっており、それでも思いは消えなかったのでずるずるやって来たまでだった。美しい微笑を向けられると何とも居心地が悪い。中里は笑おうか笑うまいか悩みながら、どうという表情も作れぬままに言った。
「そんな、礼を言われるようなことじゃねえよ」
飯を一緒に食べたくらいで、感謝されることもない。奢ってるならまだしも、割り勘だった。それより、
「こっちこそ、前はありがとよ」
すぐ高橋は、訝しげに目を細めた。
「何のことだ?」
「遅くなっちまったが、栃木のエンペラーが来た時には、お前らがいなけりゃな。群馬の走り屋の誇りだぜ、お前らは」
咳払いをしてから中里は言った。高橋は、興味なさそうに肩をすくめた。
「そんな大げさなことじゃない。エンペラーの須藤とは個人的な縁があったしな。俺は俺のしたいことをしたまでだ。チームとして。気にするな」
それは、中里にとって大げさなことではなかった。実際群馬圏のレベルの高さを見せつけてくれたこの男を、群馬にいる走り屋の一人として誇りに思うのは揺るぎない事実である。だが、感じ方は人それぞれのようだ。高橋涼介がそれに価値を見出さぬのであれば、しつこく感謝を押しつけるべきでもないのだろう。
「そうだ」
そして高橋が、何かを思いついたようにそう言った時、中里は理由の知れぬ嫌な予感を得たことを無視できなかった。
「中里、お前、甘いものは大丈夫か?」
綺麗な目で、高橋は聞いてくる。質問の意図は分からぬが、甘いものは大丈夫、というか好きである。むしろ大好きだ。和菓子も洋菓子も良い。菓子屋に一人で買いに行く勇気はないが、プリンやまんじゅうはスーパーで買い物をするついでに手に取っている。
「ああ、まあ……大丈夫だ」
中里は、滞りながら言った。こんなところで思い切り、甘いものが大好きだ、愛している、と叫ぶのも、男らしくない気がしたし、高橋涼介の問いに積極的に答えるのも、蟻地獄に進んで入ることのような気がした。
「なら、今度、一緒に食べに行かないか。うまいケーキ屋を知ってるんだ」
高橋が言う。そして笑う。微笑である。愉快さを底に秘めている微笑である。うまいケーキ、という言葉が中里の記憶を刺激した。甘いクリームと柔らかなスポンジと爽やかな果実が口の中で一体となり、絶妙な味がかもし出される。唾が出てきた。飲み込んでから、輝く目を隠せぬまま高橋を見る。
「ホントか?」
「ホントだ」
微笑が続く高橋涼介である。ただの微笑みだというのに、何か楽しそうである。中里は期待を抑えられず、高橋を見続ける。高橋が、話をもたらす。
「明日はどうだ」
「明日……は、仕事があるからよ」
「休みはいつなんだ」
「あさってだな」
「じゃあ明後日。一応連絡先を教えてもらえるか。詳しいことは後で知らせる」
言われるがままにはいはいと連絡先を交換し、赤城山を走ることもせず地元に帰り、何で俺が高橋涼介とケーキを食べに行くことになったのかという疑問を抱えたまま、今日に至り、そして約束通りにうまいケーキ屋に来ているのであった。
実際、うまかった。柔らかいシフォンケーキ、濃厚な味と香りがしながらくどくないレアチーズケーキ、なめらかなカスタードクリームと季節の果実の色合いと味わいが深いフルーツタルト。分け合って食べているうちに舌が他の味を求め出し、ガトーショコラとモンブランとティラミスとシュークリームも追加で頼んだ。予算オーバーだが致し方ない。ここまでうまいケーキは滅多に食べられない。一人でケーキ屋になど他人の目を気にするとなかなか行けないし、量産品は画一的な味がして飽きてくる。やはり個人経営の店でコーヒーとともに食べるケーキは格別である。この幸せを思えば、高橋涼介と男二人ケーキ屋でケーキを突つき合っているという図も構わなくなってくるというものだ。それどころか、このうまさ、幸福を共有できる相手がいることに感謝すらしてしまう。
味への欲求を止められず時間もかけずにすべて平らげてコーヒーを飲み、満足の息を吐くと、
「どうだった」
高橋が聞いてきた。答えは分かっているという顔だ。自分も答えを顔に書いているだろう。だが、実際声に出したかった。
「何度も言うけどな。確かに、うまい」
「だろう。俺も色んなケーキを食べ歩いたが、ここが最高だ。個性的だが大衆性があって、そして満足感を得られるのにしつこくはない」
同意するしかなかった。数々の品物にどれだけ虜になったかは、すべて高橋が語ってくれている。
「まだ食べられるな」
「俺もだ。頼むか?」
「いや、少し待つ。他の味が残ってるのに重ねちまったら勿体ねえ」
「確かに」
理解を示すように高橋が小さく頷いてから、待つ時間があるのか否かを相手に聞いていないことに中里は気がついた。
「お前、まだ大丈夫か、時間」
「今日は五時まで予定はない。大丈夫だ」
中里は安心した。ここで帰ると後悔しそうだが、女性客が出たり入ったりの店内で一人ケーキを食べ続ける自信はなかった。
「悪いな。一人でケーキ屋って、どうにも入りづらくてよ」
「それはあるな。俺はいつも自分の欲求に負けちまうが」
「この店知ってんなら、お前は勝者だろ。俺なんて、クリスマスに誰かと食べるフリしてホール買うのが関の山だぜ」
「そして違う店で単品を選ぶわけだな」
「なるべく離れた店でな。恋人もいねえのに。馬鹿らしくなってくるけど、食べると買って良かったと思うんだよ。けど最近じゃ行く機会もなくてな。久々にこれだけ食べられた。お前には感謝するしかねえよ」
食べ歩きをしているようには見えないのに、庶民的であり人のツボをつく店をよく知っているものだ。感心してしまう。いや、と高橋は薄く笑う。
「俺としてもお前が誘いを受けてくれて良かったぜ。男で一緒にケーキを食べに行ってくれる相手はなかなかいないからな。皆ゲイだと思われそうで嫌らしい」
中里は口をつけたコーヒーを噴出しかけた。我慢した。注文を受けた店員の女性は笑顔を絶やさず不安を取り除いてくれたし、届いてからはケーキの味に熱中したので忘れかけていたが、男連れで洋菓子屋というところの鬼門はそれだった。和菓子なら日本人だからという括りで理由を考えられるのだが、ケーキやパフェといったクリーム系になってくると男同士の友情も妙な色を帯びて見えてくるものだ。誰でも誤解されたくはないだろう。中里とて例外ではない。ただケーキと聞いて無性に食べたくなっただけだ。そういうのにこだわらないとか実際そうであるとか思われては始末が悪い。顔をしかめて中里は言った。
「それは俺も嫌だぜ、さすがに」
「誰もお前がそういうのを気にしなさそうなタイプだと見込んだなんて言ってないだろう」
白けた顔をした。さすが高橋、人を誤解しない男である。中里の方が誤解をしていたことになる。それもばつが悪かった。つい言い訳が口をつく。
「別にそんなこと、思ってもねえよ。ただ、まあ、俺は違うからよ。つまり、そっちのタイプじゃねえってことだが」
「俺だって違う。誤解されるのは御免だ。ただ、お前となら一緒にケーキを食べても楽しそうだと思ったからな」
「そりゃ……ありがとよ」
走り屋として考えなければ、そこを見込まれても嬉しいものだ。走り屋としてということを考え出すと答えが見つからず頭が痛くなってくるから、ひとまず素直に喜んでおこう。
「ついでに言えば、俺は性的指向を誤解されるのは御免だが、それを回避するべく好物を控えるなどといった自分の立場を考えた大人の対応をできるほど人間ができているわけでもないんだ」
「……何だって?」
「つまり、好きなものも食べられない世の中なんざ、どうでもいい」
言ってにやりと高橋が笑う。どこかで見たことのある意地の悪い表情だ。こういう顔をする奴は大概腹黒い。日頃鈍い鈍いと指摘されることが多いが、そのくらいの人間観察力はある。先日昼食をともにした経験と今までの会話と浮かべた表情を総合すると、一つの結論が得られ、舌に残る甘さが唇を緩ませた。
「お前ってよ、高橋。案外性格悪いよな」
一瞬にして、高橋涼介のまとう空気が冷え込んだことを中里は感じた。同時に、自分の失言を悟った。
「まあ、人間らしくていいと思うけどよ」
実際そのくらいの欠点がある方が親しみも出るという本心から付け足したのだが、フォローになった雰囲気はなかった。高橋涼介は表情を固めて一人冷たい空気を放出し続けている。何だか前もこんなしくじりをしたような気がしたが、対処法は思い出せなかった。
「それは中里……俺が」、と言って高橋は眉をひそめ、いや、と頭を振ってから中里を見据えた。「そんなこと、面と向かって言うことか?」
非難としては当然だ。だが中里にも意見はあった。
「心の中でこっそり思われてる方が嫌じゃねえか。こいつは性格が悪い、だなんてよ」
「なるほど。正直さは美徳だな」
感情のこもらぬ声には、刺々しさが付きまとう。
「そういうところが意地悪いっつってんだぜ、俺は」、中里はつい顔をしかめて言った。「お前優しそうで、自分の気に食わねえもんは気に食わねえってしちまうんだから」
「それは、悪いか?」
「悪かねえよ、そんなこと。お前の良し悪しなんざ、俺が決められることでもねえ」
高橋涼介を責めたいわけではなかった。しかしこいつは案外性格が悪いと思ったまま対していても、いずれ考えを見抜かれると思われた。既に何度か見抜かれている。ならば自分から言ってしまった方が立場をはっきりさせられる。正確な意思を伝えることができる。理解を望める。
「人に性格が悪いなんて言われるのは、初めてだぜ」
それでも、どこか疲れたようにしみじみとため息を吐かれると、ケーキの溜まった腹に罪悪感がわき出てくるものだ。高橋涼介の顔には影がにじんでいる。
「まさかとは思うが、お前」
「何だ」
傷ついたのか、と聞こうとして、それはあまりに踏み込みすぎだと、中里はすんでで別の言葉を探った。
「自分の性格、分かってねえのか?」
言ってから、いやこれも違うな、と思ったものの、出した言葉を取り戻すことは不可能である。ここで慌てて余計な言葉を吐くとドツボにはまることは経験済みだ。明らかにした方向で話を進めるしかなかった。
「お前は分かってるのか? 自分の性格とやらを」
信じがたいように高橋が聞いてきた。自己も把握できない人間だと思われているらしい。癪だが、一人では無理だろう。
「まあ……俺は他の奴らに、どうのこうのと言われちまうからな。意識しねえ方が無理のある状況だ」
他人からの意見なしでは己の表層も実感できずにいる。情けない話ではあるが、忌憚なきそれを聞けるだけありがたいのかもしれない。しかし高橋涼介に限って自分の性格を分かっていないということもなさそうだ。ならやはり、性格が悪いと言われて傷ついたのだろうか。それで傷つくというのも高橋涼介らしくないように思える。ここまでくると高橋涼介らしさとは何かという疑問にぶち当たる。顔を見てもマネキンのように整っているだけだ。考えるだけ無駄な気もする。高橋涼介をどうしても理解したいというわけでもない。
「お前は俺をどういう性格だと思うんだ」
何となくそのまま高橋を見続けていると、探るようにそう問われた。
「俺?」
「ああ」
「俺はお前のこと、よく知らないぜ」
「印象くらいは言えるだろ。前は厄介な奴とか言ってたな。変わってねえか」
「覚えてたのか」
「忘れる理由がない」
至極当然だというように言われては、納得するしかない。
「まあ、変わってねえっちゃあ変わってねえけど」
「けど?」
「……印象だろ?」
「印象だ」
印象。中里は頬杖をつき、高橋を見ながら考えた。優等生。という感じはするが、それは性格とは言えそうにない。正直な男だろう。その割に言い回しがくどいこともある。適当なことを言い立てて煙に巻いてきそうな意地の悪さが透けて見える。初めて会った時もそうだ、こちらがハチロクには勝てない、という素直な意見を言ってくれたのはいいが、それは親切心からというより、単に自分がその意見を主張したかったからという傲慢さもあった気がする。自分を赤城レッドサンズのメンバーの一員とする謙虚さを持ちながら、表舞台に立つこともカリスマ扱いされることも厭わなかった強い精神、それは自尊心に基づくに違いあるまい。他人に対する気遣いを見せながら、遠慮するかのごとく隠そうともする。慎重でありながら、行動的。一般論を持ちながら自己主張も忘れない。考えていくうちに、一つの言葉が目の前に表れた。よく喧嘩腰になるチームメイトに対して思う言葉だった。やたらとしっくりきて、それしか頭に浮かばなくなってきた。これでは考え続ける意味がない。中里は頬杖をやめ、椅子に座り直し、高橋を真っ直ぐ見据えた。
「正直に言うけどよ」
「どうぞ言ってくれ」
「怒るなよ」
「お前に怒ったって何の得もない」
「損得の問題じゃねえだろ」
「とにかく、怒りはしねえよ。聞きたいだけだ。どう思う?」
「ひねくれてる」
どう思う、と聞いてきた態勢のまま高橋涼介は三回瞬きをして、唇をまったく動かさずに言った。
「ひねくれてる」
「ひねくれてる」、中里は繰り返した。「うちのチームのひねくれ屋代表より、よっぽど紛らわしいぜ。ひねくれ方がまたひねくれてんだからよ」
高橋は微動だにしない。息があるか怪しいほど停止している。場の固まった空気を破るべく咳払いをしてから、中里は言った。
「俺の勝手な印象だぜ。気にするな」
「俺がそれを気にしたと思っているわけか、お前は」
やはり唇をまったく動かさず、高橋が言った。気にしたからここまで黙っていたのだと捉えていたが、違うらしい。高橋は諦めたようなため息を吐いた。
「いいけどよ。お前の勝手だ。俺の操れる領域じゃねえ」
「俺の考えが絶対ってわけじゃねえ」、中里は言い返した。
「その通り。この世に住んでる人の数だけ考え方はある。十人十色、多種多様。お前の意見が絶対って道理もない」
またひねくれたこと言いやがって、と思った。顔に出ていたかもしれない。高橋の顔に険が走ったのが見えた。
「お前、俺にどうなってほしいんだ?」
次の瞬間には、疑念がそこに満ちていた。中里は突飛な質問に戸惑った。
「何だそりゃ」
「ひねくれてんのは嫌なんだろ。じゃあ、どうすりゃいい」
「そりゃ、何つーか、やりづれえ面はあるけどな。だからってお前にどうしてほしいとも思いやしねえよ、俺は。お前はお前だろ。俺は俺だ。それで、どうすりゃいいってことがあるか?」
「お互い、心安くいるための努力は少しくらいしてもいいじゃねえか」
むっとしたような高橋だった。心安くいるための努力、という言葉がどういう努力を示すのか想像できず、中里は思いきり顔を歪めた。
「……難しいこと言うなよ」
「何が難しい」
「だから……俺とお前で、んな大げさなことして、どうすんだ」
「友達になれるかもしれないだろ」
驚き、これ以上歪められないほど、中里は顔を変形させてしまった。
「なりてえのか?」
「そういうわけじゃねえよ」、高橋は物珍しそうに中里を見ながら言った。「可能性の一つとして。こうして会ってんのに知り合いで終わりじゃあ、帰ってから何の時間だったのかと思う」
言っていることの意味は、理解できた。ケーキを食って別れた後、二人過ごした時間を思い出せば、おそらく何だったんだと思うだろう。何でまた高橋涼介とわざわざケーキを食べていたのだろうかと。だが、そう思ったとして、その時間が勿体なかったとは感じないだろう。中里は歪めた顔を半分ほど元に戻し、高橋を見たまま言った。
「俺とお前は、走り屋だろ」
「ああ」
「同じ県。違う地元。顔見知り。それで、こうして二人でケーキ食ってる。男同士でよ。誤解されかけながら。そういうの、それだけでも結構特別なもんだって、俺は思うぜ」
自惚れだと言われればそれまでだった。覚悟はできていた。自分の意思を明確に伝える代わりに、高橋の意思も伝えて欲しかった。身構えていた。
「いや」、しかし高橋は、突然愉快そうに笑った。「そうだな、結構特別なもんだ」
くつくつと、肩を揺らして高橋が笑い続ける。何がおかしいのかが分からず、中里は戸惑いながらも、会話を続けようとした。
「何となくだけどよ、それ以外にしようって方が、特別じゃねえ気がするぜ」
笑いながら、ああ、と高橋が頷く。目に涙すら浮かべている。まったく楽しげだった。先ほどまでの眉間にしわを寄せていた様子とは雲泥の差だ。こうもあっさり態度を変えられては、ぼやくしかなかった。
「クソ、お前、面倒くせえ奴だな」
「厄介で、ひねくれてて、面倒くせえか。散々な人間だな、俺は」
そこで高橋が浮かべたのは、清々しい笑みだった。何もかもを許容しながら自己を律している人間が見せる、たくましい笑みだった。美しさからは離れた強さをもったその顔に、中里は見惚れかけ、
「まったく、散々だぜ」
聞こえよがしに呟き、あと一つだけケーキを追加注文しようとメニューを手にしたものの、高橋に指摘されるまで、逆さまに持ったことに気付かないほど、動揺したのだった。
(終)
2008/12/02
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