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 ドアを開き、どうぞと入室を促すと、中里は素っ気なく足を進めた。カーペットを踏みしめて二歩進み、止まる。その真っ直ぐ伸びた中里の、ネイビーのセーターに包まれた背を見ながら、涼介は部屋のドアを閉めた。
「まあ、いかにもな部屋だな」
 首を巡らせることもなく、素っ気なく中里は言った。その態度が極度の動揺を隠すための強がりであることは明白で、それを涼介は内心で愉快に思う。
「奇抜な部屋よりは過ごしやすいだろう?」
 後ろから両肩に手を置いて、普通の会話として耳に囁くと、中里は大仰に体を揺らした。
「そりゃ、変なもんがあるよりはマシだけどよ」
 それでも声音を低く安定させ、素っ気ない態度を保とうとする。強情だ。そして健気で愛おしい。
「マシなだけ良かったよ。嫌われたらどうしようかと思ってた」
 抱き締めたくなる誘惑に耐え、涼介はそれで会話を終わらせて、止まったままの中里の横を過ぎベッドに腰掛けると、中里に微笑みと両手を向けた。目を瞬いた中里は、それを不器用に泳がせる。涼介は待つ。待つことには慣れている。待てば必ず中里が来ることも明白だった。

 事を進める度に中里は最低一週間連絡を絶つ。だが永遠に音信不通になるわけでもないし、その気になれば中里の動向など即座に把握できるから、涼介は中里の意思を尊重している。連絡は絶たせたまま、会いには行かない。電話もしない。待てば必ず中里は来る。最長で三週間。初めての時にそれだけ待ったから、後は慣れるだけだった。その過程で、中里が一つの関係を逃避をもって反故にできるほどの冷徹さを持ち合わせていない男だということも、理解した。
「連絡は俺からするから待っててくれ。しばらくお前のことは忘れてえ、考えたくもねえんだよ」
 初めて涼介が中里を射精に導いた日、その捨て台詞を残した中里は三週間後に電話を寄越してきた。そこで再び会う約束を涼介は取り付けた。会ってキスをして、ペッティングにまで至った。別れ際に中里は初回と似たような捨て台詞を残し、二週間後に電話を寄越してきた。それから先は、一週間ずつが続いている。だが今回は一ヶ月連絡を絶たれるだろうと涼介は予想していた。ここまで交際を深めた上での一ヶ月は長い。とはいえ今は十二月だ。年末年始にかけて、本業でも副業でも処理すべき事案は山ほどある。忙しさが辛苦をいくらかでも薄れさせてくれるという期待のもとに、涼介は今日、中里に対して挿入を伴う性交を行うことを選んでいる。

 右手で口元を撫で、小さなため息を吐いて、中里は来た。目の前に立ち、見下ろしてくるその太い眉の縁は不安で淀んでいる。選択を迷っているようだ。涼介は中里に微笑みと両手を向けたまま、待った。やがて中里は顔には翳りを残しながらも、涼介の体をまたいでベッドに膝をついた。その腰を少し引き寄せてから涼介は、中里のセーターを脱がせる。抵抗はなかった。セーターは軽く畳んで床に置く。電灯の下、中里の上半身は白く映える。中肉中背のその肢体は無駄を含みながら筋骨の釣り合いを保っている。無駄の削ぎ落とされた肉体というものは美しいが、よそよそしい。中里の体には他人の介入を許す親密な魅力がある。接触によって深まる魅力がある。
 だが涼介は中里の腰を改めて引き寄せたまま、触れずにいた。その意図を載せた微笑みを中里に向けると、中里は怪訝の色を顔に浮かべ、それを困惑に変える。涼介は待つ。中里は困惑の上に仰々しい苛立ちを載せ舌打ちし、その手を乱暴に涼介の腰に回すとハイネックシャツの裾を掴んで引き上げる。強引な手つきで脱がせたシャツを丁重な手つきで畳む中里は、こんな時でも家庭的だ。

 今でこそ意図的に行動している涼介だが、初回は偶然だった。その日自宅に友人兼仲間が来ていなければ、その友人兼仲間に中里がかけてきた電話を涼介が聞くこともなかっただろうし、それが一つの走り屋チームのメンバーを管理する者が裁量するべき内容だからと話に口を挟むこともなかっただろうし、中里に直接会ってメンバーの個人情報を記したペーパーを見せる運びにもならなかっただろう。そして稀に見る睡眠不足の只中にいた涼介が、およそ一ヶ月ぶりに中里と会って一分もしないうちにファミレスの机に突っ伏して眠りこけることも、なかったはずだ。
「俺は寝てたのか」
 気付いた時が目覚めだった。顔を上げた涼介が一応確認のために尋ねると、煙草を手に持っていた中里は余裕たっぷりに苦笑したものだ。
「ぐっすりな。いきなりだから、驚いたぜ」
「悪い。まさかこんなとこで寝ちまうとは、俺も想定外だ」
 渡したペーパーの中から必要な情報を手帳に書き出している中里を眺めていたら、意識が消えていた。寝たという感覚すらなかった。机にずっと突っ伏していたため体は強張ったが思考は晴れやかだった。久々に得られた熟睡だった。腕時計を見ればファミレスに入ってから二時間強が過ぎていた。煙草を吹かしながら中里は、太い目に不審を浮かべた。
「顔色良くないとは思ったが、徹夜でもしてたのか?」
「しようとしてたわけじゃないんだけどな。近頃あまり寝つけなかった。このままいくとそのうち倒れるだろうから、休みの日に倒れてぐっすり寝られるようにと時間の使い方を調整してたとこだよ」
 朗々と語れるほどに頭は軽くなっていた。これなら当分体も持つだろうと涼介は判断した。何のために眠れたのかは知れないが、倒れるよりは倒れない方が安定した暮らしを送れるから言うことはなかった。
「……見かけによらずタフな生活してんだな、お前」
 呆れたように言う中里の前に置かれた煙草の灰皿には、吸殻が山をなしていた。それを見て涼介は眠っている間に経過した二時間という長さを意識した。
「俺が起きるのを待っててくれたのか」
 一人で放置されても無理のない状況だった。中里は手に持った煙草を不機嫌そうに睨みつけ、厚い唇を尖らせた。
「別に待ってたわけじゃねえよ。俺にだって色々、まあ、色々とだ、やることはあったんだ、ここにいたって」
 そう言いながらも中里は待っていたに違いなかった。表立ってそれを認めたがらない中里の頑固さと、気遣いを無用とするその親切さを涼介は快いものに感じた。同時に睡眠不足がたたって張り詰めていた神経の和らぎを感じた。不思議なほどに落ち着いた気分だった。これからいくらでも眠れそうなほど落ち着いていた。不機嫌そうなままペーパーを返してきた中里を見ながら、涼介は一つの可能性に思い至った。そして言った。
「これからお前の家に行ってもいいかな」
「……はあ?」
「お前と一緒なら、もう少しちゃんと寝られそうな気がするんだ」
 藪から棒の勝手な申し出を可としたのはその時の落ち着いた気分と、中里の親切に甘えようとする睡眠不足の体だった。中里は不可解さが過ぎて不機嫌さを保てなくなったようで、間の抜けた顔になると、億劫そうに答えた。
「寝られなくても、俺は責任取らねえぜ」
 それは申し出の了承だった。仮に寝られなくとも落ち着いた気分で時間を過ごせられればケアレスミスを起こしかねない精神状態も脱せるだろうから、責任を取ってもらわずとも構わなかったが、実際に中里の家に行き促されるままにベッドに腰かけ横になってみると、その瞬間に涼介は着の身着のまま眠りに落ちていた。目覚めはやはり気付いた時だった。気付いた時には狭いベッドの上で横向きになっていて、腕の中には中里の頭があった。胸には中里の顔が当たっていた。中里は起きていた。起きて涼介の腕の中から逃げ出そうと試みていた。中里の家にはベッド以外に寝具が見当たらなかったから中里がベッドで寝ようとするのは当然だった。その上で中里が向かい合って抱き合っている体勢から逃れようとしているのなら、それは故意ではなく時間の経過による偶然の産物だと推測された。中里が身じろぎする度に中里の足を挟んでいる涼介の太腿に中里の勃起した男根が当たるのも、偶然の産物だと推測された。
「……生理現象だ」
 苦々しい声で中里は言った。その通り、朝勃ちは生理現象だ。やましいことは何もないし時間が経てばそのうち収まる。だが解消するなら早い方が良いだろうという思いが涼介の手を動かした。眠りによってすっきりとした頭と軽くなった体がそれをもたらした中里への恩返しを求めていた。涼介は中里の下着の中に躊躇なく手を入れた。膨張していたそれを擦ると、中里は涼介の背中のシャツを強く握って慌てた声を出した。
「待て、おい高橋、何」
「出した方が早く戻るだろ」
「お前、そんな、こんな、馬鹿な話が……」
「悪いようにはしねえよ」
 構わず擦り続けると中里はやがて無言になった。そこまでは重なった偶然が招いた行為だった。だが中里が再び声を発した時にすべては変わった。
「やめろ……やめろよ、高橋、無理だ……」
「中里、大丈夫だ。大丈夫」
「無理……やだ……もう、無理……」
 拒もうとする中里の上擦った声には紛れもない快感が侵入していた。それを聞いた途端、胸に染みる中里の湿った呼気や手の中で猛り濡れているものや縋りついてくる肉体に、涼介は明確な欲望を覚えた。それから時間をかけて中里を追い詰めたのは、欲望を宿した意思でしかなかった。

 ベッドにゆっくりと倒して目を合わせると、中里はすぐ涼介のスラックスに手をかけてきた。こういう状況での中里の積極性は自棄による。それに任せるのも愉しいが、今日は趣意が違うのだ。涼介は中里の両手に両手を絡め、その頭の横に据え置いて、キスをした。音を立てて浅く触れてから、唇の内側までしっかり合わせる。何度も浅く深く触れることを繰り返しているうちに、中里は開いた口から舌を伸ばしてくる。それを外へと誘い出して、舌先を擦り合わせると、組んだ手に力が入れられた。少し離れて見る中里は目を閉じていた。その縁は既に赤らんでいて、その下を這う濃いまつげは舌先を唇で挟んで吸うと細かく震え、眉間の引き攣りとともに快感のほどを示した。

 ぴったり三週間後の夜に電話をかけてきた中里の口調は、何とも歯切れが悪かった。
「できるだけ早く知らせたかったんだが、まあ、その、こっちも色々とあってな、色々と」
 中里が色々という言葉を使う時にはさほど何もないということを涼介は読み取っていたが、話の腰を折る気もなかったので軽い相槌を打つだけにした。中里の話は二つあった。一つ目のメンバーの個人情報を提供した件は、兄妹愛が絡む人情噺として終わっていた。二つ目については中里の家で再び会う約束を取り付けて終わらせることにした。それはハンカチを返すという話だった。
 その三週間前から涼介は質の良い睡眠を一日三時間確保できるようになっており、中里の部屋に入って早々寝るということもなかった。出された茶も味わえた。テーブルを挟んで床に座りながら一つ目の話の顛末を語った中里は、その件について二、三の意見を交わす頃にはそわそわとし出した。涼介が部屋に入った当初から中里の挙動には落ち着きが欠けていたが、それが顕著になっていた。ハンカチを渡してくる頃ともなれば俯いて目を合わせようともせず、呂律も怪しくなっていた。
「返されても困るかもしれねえけど、元はお前のもんだし俺が持っててもしょうがねえし」
 返されたハンカチは染みも皺も一つもなく綺麗なものだった。中里の精液を始末するのに使ったものには見えなかった。使用後すぐに奪われたため涼介は中里が捨てたのだろうと考えていた。所詮は消耗品だった。それをここまで丁重に返されるとは予想もしておらず、手にしたハンカチから中里の思いやりを感じた涼介は破顔していた。
「ありがとう、嬉しいよ」
 感謝の気持ちを声に込めると中里は顔を上げ、頬を一気に赤くしてすぐに俯いた。話は終わりハンカチも返されたが涼介は帰らず中里を眺めていた。隠そうとしているのだろう動揺をまったく隠せず態度に反映している中里は何とも素朴で、見ていると胸にじわりと温もりが広がった。
「その、それを使った時の、あれだけどな」
 そのうちに中里は再び顔を上げ、それを何度も引き攣らせながらはっきりと聞こえる声を出した。何を言い出すのかと訝りながら、涼介は続きを促した。
「あれがどうした」
「あれは、不可抗力だ。別に俺はお前がどうこうってわけじゃねえ、だから、誤解するな。俺はお前がどうこうってわけじゃねえんだ。俺はお前がどうこうってわけじゃねえ」
 中里が繰り返した言葉を、涼介は途中から聞いていなかった。汗をにじませた真っ赤な顔と揺れるばかりの目を懸命に向けてくる中里は、動揺と羞恥が露わにもほどがあって、抱き締めたくなる衝動を呼んだ。そして、それ以上の欲求が募った。だから涼介は中里の言葉を聞かないまま、聞いていた。
「中里、キスしてもいいか」
「だからあれはまったくもって、そういうことじゃ………………何?」
「キス。してもいいか」
 硬直した中里が言葉を取り戻すまで、一分ほど経っていたように思える。
「……待て。何で、そんな話になってんだ?」
「したくなったんだよ。お前と。ただこの前みたく許可も得ずにやるのは不躾だから、こうして聞いてる。どうかな」
「どう……」
 再び中里は硬直した。涼介はもう一分待ったが中里は言葉を取り戻さなかった。不躾な真似はしたくなかったがその時ばかりは待てなかった。涼介は立ち上がり中里の隣に腰を下ろすと、その背にそっと手を当てながら、顔の近くで再度尋ねた。
「いいか?」
 中里はその瞬間に硬直を解いて顔を向けてきた。動揺と羞恥と困惑が露わになっている顔に顔を寄せても言葉はなかった。唇に唇で触れても言葉はなかった。それが答えだった。そのまま表皮の温度が混ざるまで待ってから、頬に手をかけ角度を変えて奥まで触れた。中里はすぐさま腕を掴んできたが、体を引き剥がそうとはしなかった。中里の口内に触れた瞬間、涼介は充足と渇望の両方を強く感じた。これさえあれば良いという思いと、これ以上のものが欲しいという思いが同時に存在して、キスを続けているうちに上回ったのは後者だった。一旦距離を取り、涼介は言った。
「なあ、中里」
「……あ?」
「お前にもっと触りたい」
 意図をこめて頬にかけていた手を首に下ろすと、中里は俯いて頭を横に振った。
「お前、俺は、そういうわけじゃねえって」
「分かってる。それはいい」
「良くねえよ、こんなの。こんなこと、俺がお前と」
「俺がお前に触りたいんだ。俺がお前を好きなんだ」
 それを口にして涼介は得心した。そうか、俺はこいつが好きなんだな。一緒にいるだけで睡眠不足が解消されるほど落ち着く気分を与えてくれる相手だった。見ているだけで心の和む相手だった。だからこんなにも抱き締めたくもなればキスしたくもなるし、もっと触れたくもなる。涼介が自分の行動の理由を把握している間に顔を上げた中里は、紅潮したまま荒い息遣いの中言った。
「何だよ、そりゃあ」
「俺が、お前を好きなんだよ。中里」
 首に下ろした手を頬に戻して目を合わせながら、涼介はもう一度、確信を伝えるように告白した。中里は目をしばたたかせるばかりだった。震える唇からは息が漏れるばかりだった。涼介はそれに口づけて、尋ねた。
「いいか?」
 言葉はなかった。それが答えで決定打だった。スウェットの中の中里の男根は半ば勃起していて、それを指先で泳がせながら涼介は呟いていた。
「大きくなってる」
「……言うな」
 首が折れそうなまでに俯いて消えそうな声を出した中里の手を、涼介は自分の股間に招いた。それは中里のもの以上に快感を訴えていた。中里は首を伸ばした。その目は驚愕と不安と納得で見開かれていた。涼介は一つ微笑んで、中里にキスをした。舌を絡ませ合う頃には中里は両手で涼介の膨れた男根を外へと引き出していた。

 組んでいる手は何度も何度も逃れようとして、その都度涼介は体重をかけて中里の手をシーツに押しつけた。中里は羞恥が極まると自分を捨て置きたがる。その結果の積極性だ。涼介が中里に快感を与えれば、中里はそれ以上の快感を涼介に与えようとする。奉仕行為に没頭することで身に降りかかる快楽を一時でも忘れようとする。それは結局自分を快楽の果てに追い詰めることにしかならないのだから、自棄と言う他はないが、事を勝手に進めようとしてくれる中里のその自滅的な傾向を涼介は愛した。しかし今は余分だった。やるべきことはまだあるのだ。
 キスだけで中里の顔は上気して、蕩けきっていた。それを見下ろせるだけの距離を取ってから、涼介は組んでいた手を解き、体を下にずらした。中里のワークパンツの前を開く。腕を顔の上で交差させた中里は、腰を上げるだけの積極性を保っており、それを脱がせるのに労は要らなかった。中里を裸にした後に自分も裸になり、服はそれぞれ軽く畳んで床に置き、サイドテーブルから潤滑用のジェルとコンドームを取る。それは手の届く範囲に用意して、腕で顔を隠している中里を呼んだ。中里は腕をわずかに下げて、目を向けてきた。
「今から指を入れるけど、痛かったり辛かったりしたら、ちゃんと言えよ。すぐにやめるから」
「分かってる、しつけえよ……さっさとやれ」
 涙を溜めながら睨んでくる中里の強がりは危ういものを感じさせたが、しつこいという指摘は的を射ていた。行為の全貌や留意事項や危険性は前回会った折に綿密すぎるほど綿密に伝えている。しまいには中里は辟易していたが、最終的な合意を確認する際にも涼介は事の正確な理解を中里に求めた。そうまでしておきながら、今更知れきった逃げ道を提示するのはしつこいとされて当然の振る舞いだ。肉体的にも精神的にも傷つけないようにと念を入れることで中里の理解力を疑っていると取られてその自尊心を損なっては、本末転倒となる。涼介は中里に頷き返すだけにした。配慮をするならば事に及んでからでも遅くはないのだ。
 クッションを中里の腰に敷いて、尻を突き出させるように足を開かせる。その中央で触れてもいない男根が屹立している様は艶めかしく魅力的で、涼介はその先端に音を立てて口づけた。
「んっ……ふう……」
 吐息を漏らした中里が閉じようとする足を再度開かせて、右手に潤滑用のジェルを取り、指に馴染ませてから肛門のひだに塗り込む。中里の胸は大きく上下し、その都度陰部のものは誘うように揺れた。それを涼介は左手で持ち、口づけたところに舌を沿わせ、唇で覆った。
「あっ、あ……はぁ、あ……」
 頬まで使う頃には中里の肛門は緩み、涼介の中指を内部に受け入れた。異物を排除しようとする反射に乗ってぎりぎりまで引き抜いて、留め、押し入れることを繰り返す。口から出したものを裏から舐め上げて、多少自由の利くようになった指で前立腺を刺激すると、中里は足を閉じようとしては先走りを溢れさせた。
「い、い……やっ……りょう、涼介……」
 苗字で呼ぶことに固執する中里を、切羽詰まった時には名前で呼ばせるよう快感の最中に躾けたのは涼介だから、その声が何をねだっているかは知れていた。だが、配慮は欠かさなかった。指は入れたままにして軽く身を起こし、尋ねる。
「大丈夫か?」
「……ああ……何でも……何でも、ねえ……」
 中里の顔は変わらず両腕の下にあり表情は窺えない。見えるのはだらしなく開いている口だけだ。それは荒い呼吸音を響かせて、中里が言葉では表さない快楽を涼介に伝える。涼介は中里の目に触れることのないい真の愉悦に基づく笑みをたたえながら、囁くように言った。
「ならいいんだ。無理はするなよ」
 それから涼介は左手で中里の男根を持ち直して擦り上げ、右手の指を尻の中で蠢かせた。
「んっ、んぅ……」
 間もなく中里の腹がうねり、噴き出した中里の濃厚な精液が涼介の指の間を流れた。それをひくついている腹になすりながら、尻から一旦抜いた中指に、人差し指を添わせてまた入れる。二本の指を迎え入れて弛緩と収縮を繰り返す中里の肛門は赤らみ、熟れ始めているようだった。そこに入り込むことを想像しながら涼介はまだ精液を零している中里の男根を擦る。自分の男根を受け入れた中里が今のように快感に身悶ることを想像しながら、手を動かした。口で触れるまでもなく中里は硬度を取り戻し、指を咥えた尻をむず痒そうに揺らした。
「涼介……涼介、涼介」
 名前を呼んでくる中里は切羽詰っている。再び猛り先端から透明な液体を滴らせる男根はそれを証明している。だが涼介は配慮を欠かさない。指は入れたままにして、聞く。
「辛いか」
「もう、いい……入れろ……」
 腕に隠されていない口から、か細い声が飛んできて、涼介はわずかに顔をしかめた。尻に入れた二本の指には自棄を許せるだけの自由度は与えられていなかった。
「この程度じゃ、まだ足りないぜ」
「いい、いいんだ、早く……」
「中里」
 身を寄せて、聞き分けのない中里をなだめるように頭を撫でる。その体も心も決して傷つけたくはない。そのためにもまだ時間は必要だった。だが顔から腕を外した中里は、涼介の配慮を振り払うようにそれをもって遮二無二縋りついてきた。
「いいから、いい、涼介……お願い……入れて……」
 自棄を許せる段階ではないことは分かっていた。分かっていても、過ぎた快感による苦痛で歪んだ顔を向けられて、救済を求めるようにしがみつかれて、恍惚に染まった声で哀願されては、それを拒むという責め苦を中里に与えることなど涼介にはできなかった。何よりその中里の哀願によって行為に没頭するあまりおろそかになっていた勃起が取り戻されていた。これを放置することも涼介には耐えがたかった。涼介は中里の頭を撫でながら、努めて冷静に囁いた。
「分かった。ただ、無理はするなよ、絶対に」
 忙しなく頷いた中里が、縋っていた腕から力を抜く。涼介はその額にキスをして、上半身を起こした。尻に入れたままの指を抜き、待ち望んでいる自分へとコンドームを被せる。それを開かせ支えた中里の足の間に寄せて、塗り広げたジェルによる光沢を保っている穴に押し当てた。
「ぐ、う……」
 声を漏らした中里が、息を止める。その呼吸が再開されるのを待って、涼介は先端を突き入れた。収縮した筋肉は締めつけると同時に中へと引き込もうとしてくる。再び息を止めた中里が体の緊張を幾ばくか解いたところでじりじり進めていくと、涼介の男根は簡単に抜ける恐れがない範囲で中里の尻に収容された。一息吐いて、中里の内にいることを全身で実感してから、涼介は中里に被さった。
「痛いか?」
「……いや……大丈夫、大丈夫だ……」
 中里の声には呻きの色がある。やはり段階は早かった。これ以上圧迫するのは不足していた時間が満ちてからでも遅くはない。そのまま腰は動かさず、涼介は中里に優しく笑んだ。目を瞬いた中里がまつげを震わせながらそれを閉じ、開きっぱなしの口から舌を伸ばしてくる。涼介はその舌に舌を差し出して、中里の頬を手で挟んだ。
「んん……ん……」
 指を耳にかけて軟骨をさすると声が唇から伝わって、震えが中から伝わってくる。ぎこちなく首に回された腕は、合わせた唇同士が音を立てる度に離れかけ、肩に残り、首へ上る。それらの動きを逐一感じるだけで涼介は陶酔した。だがより深い接触を求める欲は陶酔のみを良しとはしなかった。涼介はキスを一旦やめた。名残惜しげに唇を突き出す中里を抱き寄せながら上半身を起こし、腰の下に敷いていたクッションを抜き取って、あぐらをかいた間に座らせる。
「中里、どうだ」
 向き合って聞くと、中里は眉間に小さい皺を何度も刻みながら、息を漏らした。
「……ああ……」
「俺はもう、お前の中に入ってるぜ」
「入ってる……お前の……きつい……」
「俺もきついよ。でも、最高だ」
 心底からの思いを発し、中里の腰を支えていた手の片方を陰部に寄せて、片方を胸に寄せた。勃っているものをそっと撫でれば、すすり泣くような声を中里は出して、固く目をつむる。刺激による官能を表出させている中里の様相は想像以上の達成感と焦燥感を涼介にもたらし、腰の座りを良くするための動きに欲望を挟ませた。
「う、あ……」
 わずかに突く形になっただけで、中里は仰け反りかけて、涼介の首に取り縋った。その背に手を回してバランスを失いかけている体を支えてやり、耳に囁く。
「俺は動かない方がいいみたいだな」
「……そんな、ことは……」
「気にするなよ、慣れてないんだから当然だ。もし余裕ができたら、自分で動いてみろ。その方が、具合は、よく分かるだろう。嫌になったらやめればいいさ。俺はお前が良ければ、それで構わないんだ」
 それは本心だった。勃起した以上射精は望まれるが嫌がられて持続するものでもない。中里を抱くという目的のおおよそは達成されている。その以上に事を進めるのを中里が自ら受け入れるまで、時間が許す限りいくらでも涼介は待つ腹積もりだった。中里に求められてこそ、涼介は心身ともに満たされるのだ。
 耳殻を唇と舌で辿っていると、小さな声を上げていた中里の腕が下がり涼介の肩を掴むようになった。体を引かれるような力がほんの少しかかってすぐ、中里の尻が陰嚢と骨盤に密着し、離れた。その中にある男根に与えられた刺激の唐突さに涼介は思わず息を吐き出していた。肩で息をしながら中里は尻を密着させては離すことを繰り返した。それはたどたどしい動きだったが、根元から先端にかけての確かな摩擦による鋭い快感を涼介にもたらした。
「ふっ、う……はあっ、はあ、ぁ……」
 耳にかかる中里の荒い息が色情を刺激し、今この瞬間、腰を使い喘ぐ中里がどういう顔をしているのか確かめたくなって、涼介は中里の脇の下に手を入れて体を少し離した。間近で目が合い中里は腰を動かすのをやめた。そのまま俯かれる前に、顔を近づけキスをする。
「っ……ん……」
 間近で見た中里の顔は苦しげに歪みながらも表にある赤く染まった皮膚は性感による弛緩をところどころに示しており、涼介は中里を苦しませているのも感じさせているのも自分だという、中里を手中にしている感慨を覚え、唇にその喜びを込めた。肩にかかっていた中里の手が、外側の骨をなぞるようにして下りていく。それと同時に腕に中里の意図的な重みを感じ、涼介は中里の脇の下に入れていた手を腹へと滑らせた。唇も顔も離して手を腰の少し後ろでシーツについた中里は、しきりに眉間を縮め目を瞬かせながら、再び尻を進めた。たどたどしさは減り滑らかさが増した中里の腰の動きは淫らに映った。そのくねる腹の前では中里の膨張した男根が欲深く揺れ、涼介は誘われるように手を伸ばした。
「くう、うっ……あ……ッ、あ……」
 包み込んだだけで反応を示すそれがすぐにでも満たされるよう勢い良く擦り上げると、連動したように中里の腰が揺れて、狂おしげな声が上がる。刺激が深まり、涼介は自分が引きつった笑みを浮かべているのを感じた。快感に呑み込まれた筋肉が勝手に収縮する。
「ああ、中里……巧いな」
「……ん、ぅ……涼介、お前……」
「ん?」
「お前が、良いんだ、俺は……」
 顔をしかめて瞬きを繰り返す中里の目は涼介を捉えていた。涼介は引きつった顔を上品に整える意識は放棄した。
「俺が良いのか」
「ああ、だから……動いて……」
 熱に浮かされているような中里の舌足らずな言葉は涼介に聴覚を疑わせる。
「動いて?」
「動いて、動いてくれ……お前が……ちゃんと……」
 言う間に止めた摩擦を中里は意味ありげに復活させた。そして涼介は自分の聴覚も視覚も信じることにした。中里は求めてきている。涼介に正しく抱かれることで性的に満たされたがっている。この上で焦らすのは悪行だ。この上で耐えるのは苦行だ。涼介は返事をする代わりに片手は中里の男根を擦ったまま片手はその腰に添え、ベッドの反発力を利用して突いた。
「んっ……はあ、あ、あっ……りょう、すけっ……」
 そのまま突いていくと身をよじった中里が射精しながら斜めに倒れた。精液を吐き出す度に中里の尻は中に入ったものを吸い上げるように動く。その反応が収まるまで味わってから、涼介は中里の尻を掴み、膝立ちになって思うままに腰を振った。中里は半端に開いていた足を涼介の体に寄せて、それで縋り、強張った嬌声を放った。
「あっ、あッ」
「中里、好きだぜ、大好きだ」
 息を吐き出す際に言葉にする。これだけ深く触れられることに果てない喜びを感じる心がある。これだけ深く触れても飽き足りないほど求める欲望がある。どちらも生み出す思いは同じだった。生み出す動きは同じだった。
「俺、も、涼介……」
 両手を胸の上でそれぞれ握り締めている中里が、うつろな目で涼介を見上げ、掠れた声で涼介を呼んだ。
「お前が、好きで、好きで……やべえ……いかれちまう……」
 こんな時に初めて告白してくる中里こそが、人を至福で狂わせようとしているようだ。苦笑を浮かべる前に強い衝動が生まれ、涼介は中里を掻き抱いてキスをすると、合わせた唇の間から声が漏れ出るほど荒々しく突き上げながら、囁いた。
「いかれちまえ」
 本気で動き続けてしまえば長く持つものでもなかった。体が疲労を訴える間もなく射精は刹那的に終わり、涼介は中里を抱き締めたままその余韻に浸った。中里の尻から抜いても性交の余韻は消えなかった。それを引きずったまま戯れていると準備は整い、二度目の挿入に至っていた。

 翌日、主に肉体的な問題からベッドに潜り続けた中里の世話をして、翌々日の早朝、その自宅に送り届けた涼介を車中に留めた中里は、憤怒に粉飾された健気で愛おしい形相をもって宣言した。
「当分、お前のことは、知らねえ」
 以後涼介は待ち続け、ついには待つことをやめる。当分先の話だ。一ヶ月と二週間、先の話だった。
(終)


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