ベーシック弾道



 まともな意識が行為の輪郭を際立たせ、脳に過大な羞恥を刻む中で、都合良く動こうとする下半身を操作するというのは困難極まりなかったが、中里は何とか己を抑制し、体を統制していた。尻を行き来するものを拒まず平易に受け入れるために、足は折って開かされたままにしてどこにも縋らず、手は頭の上に投げ出しておく。目を閉じ呼吸を一定にすることに努め、与えられる感覚に没入しないよう、昨日の晩飯のことを考える。しばらくはそれで、問題もなかった。
「中里」
 だが、動きを止められて、上から低いながらも柔らかい声を落とされると、集中は簡単に乱れ、あらゆる筋肉が収縮した。瞬間的に募った圧迫感が喉の奥まで駆け上らせた吐き気に近いものを、体を意識的に弛緩させることで押しとどめてから、固くつむっていた目を開き、自分に被さる男を見上げる。薄闇の中でも捉えられるその白く端整な顔が、汗に濡れて多少上気している様は、背筋に特別な震えをもたらすが、それをやり過ごし中里は、止まったままの男に尋ねた。
「何だ」
「我慢するなよ」
 幾分眉間を強張らせて、目を細めながら、涼介は言った。中里は爪先を強引に折り曲げて、膝頭を寄せたくなる衝動に耐えると、裏腹な言葉を吐いた。
「してねえよ」
 涼介は、表情を変えなかった。すべての動きを止めているようだった。それでも、声は落としてくる。
「そうか」
「そうだ」
 嘘だと見抜かれているのは分かっていたが、中里は言い張った。今までこの場で何度も懐柔されて、痴態を演じてしまっている。ここが我慢のしどころだ。自分よりも縦に長く横に細い相手に、そう何度も力の限りしがみついて、負担をかけるわけにはいかなかった。
「そうか」
 もう一度、呟くように涼介は言った。その重厚な声は剃刀に似た鋭さを含んでいたというのに、その美麗な顔には穏やかな微笑が浮かび、中里は混乱しかけ、そこで卒然、奥まで入り込んでいたものを、ぎりぎりまで引き出されて、完全に混乱した。思わず制止の声を上げそうになり、あくまでも穏やかな微笑を間近で受けて、息を呑む。そのまま顔に手を添えられて、唇を合わせられるまで、中里は呼吸を止めたままでいた。薄い皮膚が軽く触れて、離れて、また触れる。こそばゆくなり、肩を竦めた。それだけで、尻の中に辛うじて留まっているものが感じられて、息が漏れる。少しでも体を上へずらしたならば、それはすぐにでも抜けてしまうだろう。中里は、まさに抜き差しならなくなった。この期に及んで抜かれたいわけではない。むしろ、この男にもっと、差し込まれたいのだ。だが、自分から招き入れるというのは、この期に及んだところで恥ずかしいにもほどがあるし、そこまでやると、我慢ができなくなりそうで、動きようはなくなった。
 じっとしている中里に、涼介は表皮が触れるだけのキスを繰り返した。動きようがなくなっても、その先の、粘膜を含めての接触を求めるように、口は勝手に開いていく。それでも涼介は、唇を唇で撫でるだけだ。自分の舌が、自分の口の中で意地汚くさまようのを感じ、中里は身がちぎれそうな羞恥に襲われ、頭上の両手を握り締めた。するとその手を取られ、涼介の首に回された。その熱く湿った肌に触れた瞬間、誘われるように中里は、握っていた拳を我知らず解き、涼介に縋っていた。何をしたという意識はなかった。何を求めたというつもりもなかった。だが途端に唇を深く重ねられ、舌を入れられると、強烈な充足感が頭を支配した。
「ん……んッ」
 口内をさまよっていた舌が、涼介の舌に嬉々として絡んでいく。それを軽くもてあそばれて、甘い快感が背を貫き、中里は、駄目だ、と思った。このままでは駄目だと思い、同時に、もう駄目だ、そう思った。束の間の充足は多分な欠落を強調し、欲望を煽る。まだ足りない、もっと欲しい、もう、耐えられない。思ったが最後、抑制も統制も、できなくなった。腕は涼介の首を抱えたまま、足は涼介の腰を挟んで引き寄せて、尻は涼介のものを深く咥え込み、全身が涼介を味わった。
「中里」
 穏やかに笑んだまま、緩やかに動きを取り戻しながら、涼介は唇に直接声を落としてくる。
「我慢するなよ」
 まともに物を言えなくては、その言葉に応えるだけだと分かっていても、奥まで擦られる快感に脳を焼かれた中里が返せるのは切れ切れの喘ぎ声だけで、縋り付いている涼介に一際強く突かれた直後、その理解も失った。
(終)


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